竜の御子は平穏を望む

蒼衣翼

文字の大きさ
上 下
273 / 296
死衣の魔女

遠い国のお話と雨の退屈

しおりを挟む
 戦後五年、歳月は人の都合など知らぬ気に過ぎ行く。
 五年という時間は長いようでいて、豊かさを求めるには短い時間だった。
 この戦争で利益を得た国は少ない。
 開戦から終決までが長すぎて、生産が衰退し、どの国も疲弊してしまったのだ。
 領土を大きく広げた国はあったが、多くの死者を出したため、せっかくの土地を未だ活用出来得ていないのが現状だ。
 全体の調整と、国民の慰撫、貴族達に不満を言わせないための報奨、国主は当然ながら精力的に采配を振るったが、この時期に最も活動的になったのは、実は領地を治める領主達であった。

 領主は、元々一族を率いる族長であったり、地方を取りまとめていた豪族だった者が多い。
 それゆえ、そういった領主と国との関係は相互契約であり、自領については国からの干渉を受けず統治し続けて来ていた。

 彼らは、この戦争の混乱をチャンスと捉えた。
 特に自らの保身に走り兵力を温存していた領主には戦いで領主を失った領地、或いは出征に疲弊した領地を我が物にしたり、行き場を無くした人々を農奴として確保して開墾を推し進めたりと、戦前よりも多くの実入りを求める者が多く、また悪辣であってもそれを恥じることなど無かった。
 国主に比べれば、領主の持つ責任は小さく、彼らの守るべき矜持は更に小さい。

 だが、ここに来て、その彼らを震撼させたのが新たに国家間で結ばれた「通商協定」である。
 この協定には、街道上の国境における共通関税の取り決めがあり、交通の要所を領地に持つ領主にとって、最も大きい収入源が大幅に減収することとなった。
 しかも、商人へ対する安全の保証があり、野盗や法外の不利益から彼らを庇護すべしと明言されていたのだ。
 違反すれば商人の組織にそっぽを向かれ、国からの援助を失う。
 領主達を身勝手と言えば確かにそれ以上は無い身勝手でありはしたが、彼らからすれば、それは元々持っている彼ら自身の権威に対する冒涜と映った。

「おのれ! ふざけおって! 国王めが! 勝手に戦争を始めたと思えば勝手に協定を結ぶ! 我らの戦力、我が領地から産出される銅と銀が無ければ立ち行かぬくせに、なんという傲慢さよ!」

 北部中央山地の一画に開けた平野部を領地に持つ領主は憤りに声を震わせた。
 彼らの一族は、自国の王を財政面武力面で長く支えてきた自負があり、その自負に見合った発言権を持つ。
 だがこのたび、彼らの拒否は国益の判断の下、却下されたのだ。

「どうか王をお責めになりますな。この取り決めは複数の国によって成されています。これから外れれば、我が国は孤立することとなるのは火を見るより明らか。国王に選択の余地などありませぬ」

 荒れていた領主も、その使者のとりなしに、一旦蹴立てた椅子に座り直す。
 当然ながら、倒れていた椅子は、従者によって素早く整えられ、彼の尻の下に既に用意されていたのだ。

「始めの提言はエルデからか」
「左様で」

 領主は片手をぞんざいに振ると使者を追い払う。

「相分かった。王にもそのようにお伝え申し上げろ」
「はっ、聡明なご決断に心よりの感謝を」
「いらぬ! 疾く去れ」

 鞭打つような言葉に、使者はまろぶように謁見の間から退出した。

 使者が去ると領主は部屋の一画で呟くように言葉を発した。

「地走り、おるか?」
「は」

 壁の裏から返事が返る。
 彼ら一族の諜報方、広域の出来事を収集する耳目となる配下である地走りという者達だ。

「此度の協定、仕掛けはどこからだ? 商人達か?」
「いえ、どうやらエルデの英雄、月の座から巡った話とのこと」

 ガシャリと、酒盃がテーブルから叩き落される。

「あやつか! 下賎なる身で英雄と担ぎあげられた狡知に長けた蛇めが!」

 大領主である男はしばしの時間熟考した。

「以前の報告に『死を纏う魔女』の話があったな」
「はっ、死を撒き散らし、自身が疫病のような魔物です」
「そやつを英雄なる者の下へ誘導しろ、犠牲はかまわん、必ずやつの下へと送り届けるのだ」
「はっ」

 命を受けた配下は即座に動く。
 彼らは疑問を感じたり手段を問うたりはしない。
 命を遂行するために最適の働きをするだけである。

「魔物と戦ってその身を犠牲にする。実に英雄らしい最期ではないか。語り部達が嬉々として素晴らしき英雄譚を整えてくれるであろう。楽しみであるな」

 ククッと笑うと、領主は協定の取りこぼしから自らの益を拾う為の行動を起こす。
 取り決めの内容を学者共に解析をさせるべく命を下したのであった。

 ―─ ◇ ◇ ◇ ―─

「雨続きだね」

 雨季の雨水が地面を流れ、まるで流れの早い川のような音を立てる。
 家の土台を乗り越えて侵入した水が家の中を濡らすので、上がりの炉の周りに濡れては困る物を上げていて、座る場所はやや狭い。
 特に薪は濡らす訳にはいかないし、場所を取る。

「いっそ、雲の上までいかねぇ?」

 サッズが退屈そうに呟いた。
 ライカの祖父のロウスは大忙しで、隙間が広がった屋根の修繕の依頼が引きも切らないので中々帰ってこない。
 ライカは温かい湯を沸かして、祖父の為にいつでも茶を入れられるようにしていたが、確かに退屈は退屈だった。
 気温は高めなので、水に濡れたからといって却って気持ちが良いぐらいなのだが、それでも長時間雨に濡れているのは体に良くない。
 なので体を拭く乾いた布の残りも数えて整理しておく。
 その多くは古着を解いた物で、その内仕立て直しに耐えられないぐらい生地が傷んでいる物は、体を拭いたり掃除に使ったりしているのだ。
 新しく織った布などはほとんど庶民の手には入らない。
 機織りで生計を立てている者でも、それは全て売りさばいて食べ物などの生活必需品に変えるので、同じような物だった。

「雲の上は乾いていそうだね、いいな」
「じめじめしてるもんな、家の中」
「薪足りるかな?」
「今から森行っても乾いた焚き木は拾えないと思うぞ」

 ライカの疑問にサッズがわかりきった返事をする。

「薪と炭を買いに市場に行く?」
「店を開けて無いんじゃね?」
「裏手に回って倉庫に積んであるのを売ってもらうんだよ」
「なるほど、持って帰るまでに濡れそうだけど」
「サッズが雨避けになってくれれば濡れないと思う」

 ライカの脳裏に、羽根を広げて雨を避けながら街中を歩く竜体のサッズが浮かんだ。

「カッコイイな」

 ライカはその想像上の光景に少し心惹かれる物を感じる。

「そうか?」

 褒められたサッズもまんざらでもなく、ちょっとその気になりかけた時、この家の主であるロウスがびしょ濡れで帰って来た。

「ただいま帰ったぞ、まったく日頃から手を入れさせてくれればいいんじゃが、こうなってから思い出すんじゃからな、みんな」
「おかえりなさい! 熱いお茶があるよ。乾いた布も」
「おかえり」

 とりあえず仕事を終えたロウスをねぎらうためにライカとサッズは動き出す。

 そうして、誰も知らない内に、巨大な竜が街中に出現するという異常な事態は回避されたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた

杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。 なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。 婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。 勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。 「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」 その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺! ◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。 婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。 ◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。 ◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます! 10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

異世界着ぐるみ転生

こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生 どこにでもいる、普通のOLだった。 会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。 ある日気が付くと、森の中だった。 誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ! 自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。 幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り! 冒険者?そんな怖い事はしません! 目指せ、自給自足! *小説家になろう様でも掲載中です

【完結】似て非なる双子の結婚

野村にれ
恋愛
ウェーブ王国のグラーフ伯爵家のメルベールとユーリ、トスター侯爵家のキリアムとオーランド兄弟は共に双子だった。メルベールとユーリは一卵性で、キリアムとオーランドは二卵性で、兄弟という程度に似ていた。 隣り合った領地で、伯爵家と侯爵家爵位ということもあり、親同士も仲が良かった。幼い頃から、親たちはよく集まっては、双子同士が結婚すれば面白い、どちらが継いでもいいななどと、集まっては話していた。 そして、図らずも両家の願いは叶い、メルベールとキリアムは婚約をした。 ユーリもオーランドとの婚約を迫られるが、二組の双子は幸せになれるのだろうか。

〈完結〉妹に婚約者を獲られた私は実家に居ても何なので、帝都でドレスを作ります。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」テンダー・ウッドマンズ伯爵令嬢は両親から婚約者を妹に渡せ、と言われる。 了承した彼女は帝都でドレスメーカーの独立工房をやっている叔母のもとに行くことにする。 テンダーがあっさりと了承し、家を離れるのには理由があった。 それは三つ下の妹が生まれて以来の両親の扱いの差だった。 やがてテンダーは叔母のもとで服飾を学び、ついには? 100話まではヒロインのテンダー視点、幕間と101話以降は俯瞰視点となります。 200話で完結しました。 今回はあとがきは無しです。

処理中です...