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竜の御子達
損と益
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その部屋はレンガで壁が作られていたが、ライカが良く知るレンガ地区の物とは見た目や触った質感が全く違うレンガのようだった。
所々に模様のような物が見えるが、恐らく土の中に何かを混ぜて固めているのだろう。
「やあいらっしゃい、噂はかねがね伺っていますよ。私はこの店の主人を務めているトーケルと言います」
案内されたそこで待っていたのは、大人としては若い男だった。
最近は人の年齢も大体わかるようになったライカが見当をつけるに、おそらくライカの家の隣のリエラの夫、料理屋のヤクより若いだろう。
「おはようございます。ライカです。こっちはサックと言います。よろしくお願いします」
ライカは商人の所作を使って礼をした。
トーケルはそれを見て、にこりと笑みを見せる。
「今からの話し合いは商談ではありません。ですから、手は胸に当てるのが正しい所作ですよ」
「あ、すみません」
ライカは慌ててやり直す。
「相手の作法に従おうとするのは良い心がけです。なるほど、貴方は今、自分が愚かではないことを私に示した。一つ点を稼ぎましたね」
「あの、俺達は」
「お待ちなさい。ことを急いてはいけない、今のタイミングは最悪でした、一つ減点ですね」
「あ、すみません」
ライカはすっかり相手のペースに呑まれて言葉を選びかねていた。柔らかく静かだが、トーケルの言葉には全ての行動を先読みされているかのような巧みさがあって、ライカは焦りすら感じてしまう。
「点とかどうでもいいだろ? 話をしなきゃ先へ進めないだろうが」
その難しい場へ切り込んだのはサッズだ。
彼は粗暴な言動をしても、その堂々たる態度と一種の気品のようなもので他者を不快にしない。はっきりとそれを威圧と理解していなくても、対する者が無意識に畏れを抱いてしまうのだ。
誰も肯定していないにも関わらず、彼が王族の末裔であるという噂がすっかり真実のように広まったのは、根底にはそういう事情もあったのだろう。
「確かに、貴方のおっしゃることももっともだ。しかし、ここは私の場。まずはお茶でも味わってから寛いでお話をしようではありませんか」
しかし、相手もさるもの。穏やかに自身の意思を通した。
サッズは不満の残る顔をしたが、感じる所があったのか大人しく引く。
「失礼いたします」
先ほどの少年が茶器を携えて部屋に入り、木でも石でもない器をそれぞれに配った。
蓋付きの器から柔らかい香りのお茶らしき物ををそれに注ぎ、それぞれの相手に頷くと、また部屋を後にする。
「どうぞ、こっちではあまり飲まないでしょうが王都ではこのお茶が一般的なお茶です。紅い夕暮れのような色が美しいと思いませんか?」
「いただきます」
「良い匂いだな」
なんとなく戸惑いながら、二人はそれを口にする。
驚く程豊かな香りが、湯気と共に立ち上がり、ハーブのお茶とは違う柔らかな味わいと、口の中からも溢れる芳香が全身に満ちるようだった。
器の手触りも、石に近いが、重みはどちらかというと素焼きの器に近い。しかし焼き物にしてはあまりにも硬度があった。
そこでライカはこの部屋の壁を作っているレンガもこの器と同じような方法で作られているのではないか? と思い至った。
彼の昔読んだ技術書の類に、窯で焼く焼き物の事が書いてある物があり、そこに高温で焼かれたものは石の如き硬度と木の如き軽さを得ると書かれていたように思う。
「これはもしかして窯焼きの器ですか? もしかするとこのレンガも火を使って焼いたものではないでしょうか?」
「ほう」
トーケルは初めてライカに興味を乗せた目を向けると、口を開いた。
「よく知っていますね。どこかで見たことでも? お城とか」
「あ、いえ、昔本で読んだことがあって。どこか別の大陸の昔の本だったと思うのですが、火窯で焼くと、硬く軽い器が出来ると書いてあったので」
ライカは昔を思い出し、目を眇めて微笑んだ。
ライカの読書の記憶は、セルヌイの整然とした宝物庫で二人で過ごした時の記憶でもある。
セルヌイは貴重な壊れやすい書物を、幼く遊び盛りのライカに惜しげもなく読んでくれたものだ。
石版、巻物、板を連ねた物、様々な書物の取り扱いを丁寧に教え、本は人という種族の素晴らしさを示すものだと、彼は幼いライカに熱心に語った。
「本? 別の大陸?」
「はい」
トーケルは暫し何かを考える風だったが、すぐに何事もなかったように、穏やかな調子で話を進める。
「さて、口も湿した所で、お互いの主張を計りましょう。改めてお聞きしますが、毎日うちの店に通っていただいた理由はなんでしょうか?」
ライカもここからが本番とばかりに居住まいを正す。
「はい、実は王都に行きたいのですが、俺達だけで行くことは難しいと言われて、良かったら定期の隊商に雇っていただけないかと思ってお願いしに来ました」
「なるほど、理由はわかりました。貴方達の判断としてはその方法は損をせずに得をする最良のものでしょう。単独旅に出るような愚かさと無縁な所は評価出来ます。しかし、それは一方的にあなた方の望みに過ぎません。私どもはいうなれば利用されるだけの立場です。これは商人としてはいただけない」
「役に立てると思うのですが」
「例えば?」
「彼、サックは天候を数日先まで読めます。旅では天候の異変は困ることだと聞いています」
「ほう、それは確かに興味深い話ではありますな。しかし、それを信用するとしても、うちの隊商も旅慣れていまして、空を見れば半日ぐらい先の天候ぐらいはわかるでしょう。そこまで精密に分からなくとも良いと言えば良い」
「う……」
一番の売りが否定されてしまい、ライカは言葉に詰まった。
それでもなんとか考えて提案を捻り出す。
「俺は治療所で色々手伝いをしていて病気や怪我の治療にはある程度明るいです。旅ではそういう人間も必要なのでは?」
「確かに必要です。だからこそ、既にそういう心得が在る者は存在する。もちろんあなたが治療者その人であるなら歓迎しますが、今はおそらく素人の内で詳しいほうといった所でしょう?」
「うう」
「隊商とは一つの集団です。集団というものははっきりとした序列と信頼が無ければ自ら危険を生むものなのです。だからこそ私達は客以外のよそ者を中に入れるのを嫌います。しかもあなた方は年若い。彼等はそれだけの理由でも厄介者と判断する可能性が高い。そしてそんな者を雇った主人に他する信頼が揺らいでしまう。これは明らかな損です。私達商人は、損という物をなにより嫌うものなのです」
「そういう風に言われれば、確かに俺達が知らないで無茶を言っているのは分かります。ですが、邪魔になるつもりはありません」
ライカは顔を上げてはっきりと言った。
色々な人と話し、様々な手伝いをしてきたライカにはそれなりの自負がある。
自分が何も出来ないとは決して思わなかった。
「ふむ」
トーケルはじっと二人を見る。
ライカは静かに彼を見返し、揺るがない真剣な表情をしていた。
サッズはどこか冷ややかな目で彼を見ていたが、口元の笑みは柔らかく、全体的に余裕を表しているように見える。
「それではこうしましょう」
彼は紅茶を一口飲み、カップを下ろすと、提案した。
「あなたに依頼したいことがあります。少々持て余していた物で、もしそれを解決出来ればその見返りに次の隊商の下使いとして雇いましょう。下使いとは雑用係のことで、それこそ何でもしてもらうことになりますが、いかがですか?」
「もちろん引き受けます。ありがとうございます」
ライカはここぞとばかりに勢い込んで礼を言った。
「いや、お礼はまだ早いですよ。これは我が商会の識者達にも解決出来なかったことですから、容易いとは思わないように」
「はい」
「それでは暫しここでお待ちいただけますか?」
「わかりました」
トーケルは言って席を立つと礼をして部屋を出る。
しばし二人きりの沈黙がライカとサッズの上に落ちた。
『あいつ、最初は上手く断るつもりだったぞ、中々頭の中が窺えなかったが、さっきちらりと見えた』
『そうだろうね、ともかくまだ道は残ってる。頑張るよ』
『全部まかせた』
がぶりと遠慮なく香りの良い茶を飲み込み、手の中のそれをサッズはしげしげと見る。
「茶も色々あるんだな。面白い」
「本当にね」
紅いお茶、硬いレンガ、硬い焼き物の茶器。
たったそれだけでも世界の広さを思い知る。
最初はサッズに付き合うだけのつもりの軽い気持ちだったが、ライカは今まで書物だけで知っていた世界を実際に見ることに憧れを感じ始めていた。
人は世界を席巻している。
「人の世界か」
王都には何があるのだろう? その途上にも人が住む場所はあるのだろうか? 湧き上がるような未だ見ぬ人の営みへの興味が、ライカの胸を熱くしていた。
所々に模様のような物が見えるが、恐らく土の中に何かを混ぜて固めているのだろう。
「やあいらっしゃい、噂はかねがね伺っていますよ。私はこの店の主人を務めているトーケルと言います」
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「おはようございます。ライカです。こっちはサックと言います。よろしくお願いします」
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「今からの話し合いは商談ではありません。ですから、手は胸に当てるのが正しい所作ですよ」
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「あ、すみません」
ライカはすっかり相手のペースに呑まれて言葉を選びかねていた。柔らかく静かだが、トーケルの言葉には全ての行動を先読みされているかのような巧みさがあって、ライカは焦りすら感じてしまう。
「点とかどうでもいいだろ? 話をしなきゃ先へ進めないだろうが」
その難しい場へ切り込んだのはサッズだ。
彼は粗暴な言動をしても、その堂々たる態度と一種の気品のようなもので他者を不快にしない。はっきりとそれを威圧と理解していなくても、対する者が無意識に畏れを抱いてしまうのだ。
誰も肯定していないにも関わらず、彼が王族の末裔であるという噂がすっかり真実のように広まったのは、根底にはそういう事情もあったのだろう。
「確かに、貴方のおっしゃることももっともだ。しかし、ここは私の場。まずはお茶でも味わってから寛いでお話をしようではありませんか」
しかし、相手もさるもの。穏やかに自身の意思を通した。
サッズは不満の残る顔をしたが、感じる所があったのか大人しく引く。
「失礼いたします」
先ほどの少年が茶器を携えて部屋に入り、木でも石でもない器をそれぞれに配った。
蓋付きの器から柔らかい香りのお茶らしき物ををそれに注ぎ、それぞれの相手に頷くと、また部屋を後にする。
「どうぞ、こっちではあまり飲まないでしょうが王都ではこのお茶が一般的なお茶です。紅い夕暮れのような色が美しいと思いませんか?」
「いただきます」
「良い匂いだな」
なんとなく戸惑いながら、二人はそれを口にする。
驚く程豊かな香りが、湯気と共に立ち上がり、ハーブのお茶とは違う柔らかな味わいと、口の中からも溢れる芳香が全身に満ちるようだった。
器の手触りも、石に近いが、重みはどちらかというと素焼きの器に近い。しかし焼き物にしてはあまりにも硬度があった。
そこでライカはこの部屋の壁を作っているレンガもこの器と同じような方法で作られているのではないか? と思い至った。
彼の昔読んだ技術書の類に、窯で焼く焼き物の事が書いてある物があり、そこに高温で焼かれたものは石の如き硬度と木の如き軽さを得ると書かれていたように思う。
「これはもしかして窯焼きの器ですか? もしかするとこのレンガも火を使って焼いたものではないでしょうか?」
「ほう」
トーケルは初めてライカに興味を乗せた目を向けると、口を開いた。
「よく知っていますね。どこかで見たことでも? お城とか」
「あ、いえ、昔本で読んだことがあって。どこか別の大陸の昔の本だったと思うのですが、火窯で焼くと、硬く軽い器が出来ると書いてあったので」
ライカは昔を思い出し、目を眇めて微笑んだ。
ライカの読書の記憶は、セルヌイの整然とした宝物庫で二人で過ごした時の記憶でもある。
セルヌイは貴重な壊れやすい書物を、幼く遊び盛りのライカに惜しげもなく読んでくれたものだ。
石版、巻物、板を連ねた物、様々な書物の取り扱いを丁寧に教え、本は人という種族の素晴らしさを示すものだと、彼は幼いライカに熱心に語った。
「本? 別の大陸?」
「はい」
トーケルは暫し何かを考える風だったが、すぐに何事もなかったように、穏やかな調子で話を進める。
「さて、口も湿した所で、お互いの主張を計りましょう。改めてお聞きしますが、毎日うちの店に通っていただいた理由はなんでしょうか?」
ライカもここからが本番とばかりに居住まいを正す。
「はい、実は王都に行きたいのですが、俺達だけで行くことは難しいと言われて、良かったら定期の隊商に雇っていただけないかと思ってお願いしに来ました」
「なるほど、理由はわかりました。貴方達の判断としてはその方法は損をせずに得をする最良のものでしょう。単独旅に出るような愚かさと無縁な所は評価出来ます。しかし、それは一方的にあなた方の望みに過ぎません。私どもはいうなれば利用されるだけの立場です。これは商人としてはいただけない」
「役に立てると思うのですが」
「例えば?」
「彼、サックは天候を数日先まで読めます。旅では天候の異変は困ることだと聞いています」
「ほう、それは確かに興味深い話ではありますな。しかし、それを信用するとしても、うちの隊商も旅慣れていまして、空を見れば半日ぐらい先の天候ぐらいはわかるでしょう。そこまで精密に分からなくとも良いと言えば良い」
「う……」
一番の売りが否定されてしまい、ライカは言葉に詰まった。
それでもなんとか考えて提案を捻り出す。
「俺は治療所で色々手伝いをしていて病気や怪我の治療にはある程度明るいです。旅ではそういう人間も必要なのでは?」
「確かに必要です。だからこそ、既にそういう心得が在る者は存在する。もちろんあなたが治療者その人であるなら歓迎しますが、今はおそらく素人の内で詳しいほうといった所でしょう?」
「うう」
「隊商とは一つの集団です。集団というものははっきりとした序列と信頼が無ければ自ら危険を生むものなのです。だからこそ私達は客以外のよそ者を中に入れるのを嫌います。しかもあなた方は年若い。彼等はそれだけの理由でも厄介者と判断する可能性が高い。そしてそんな者を雇った主人に他する信頼が揺らいでしまう。これは明らかな損です。私達商人は、損という物をなにより嫌うものなのです」
「そういう風に言われれば、確かに俺達が知らないで無茶を言っているのは分かります。ですが、邪魔になるつもりはありません」
ライカは顔を上げてはっきりと言った。
色々な人と話し、様々な手伝いをしてきたライカにはそれなりの自負がある。
自分が何も出来ないとは決して思わなかった。
「ふむ」
トーケルはじっと二人を見る。
ライカは静かに彼を見返し、揺るがない真剣な表情をしていた。
サッズはどこか冷ややかな目で彼を見ていたが、口元の笑みは柔らかく、全体的に余裕を表しているように見える。
「それではこうしましょう」
彼は紅茶を一口飲み、カップを下ろすと、提案した。
「あなたに依頼したいことがあります。少々持て余していた物で、もしそれを解決出来ればその見返りに次の隊商の下使いとして雇いましょう。下使いとは雑用係のことで、それこそ何でもしてもらうことになりますが、いかがですか?」
「もちろん引き受けます。ありがとうございます」
ライカはここぞとばかりに勢い込んで礼を言った。
「いや、お礼はまだ早いですよ。これは我が商会の識者達にも解決出来なかったことですから、容易いとは思わないように」
「はい」
「それでは暫しここでお待ちいただけますか?」
「わかりました」
トーケルは言って席を立つと礼をして部屋を出る。
しばし二人きりの沈黙がライカとサッズの上に落ちた。
『あいつ、最初は上手く断るつもりだったぞ、中々頭の中が窺えなかったが、さっきちらりと見えた』
『そうだろうね、ともかくまだ道は残ってる。頑張るよ』
『全部まかせた』
がぶりと遠慮なく香りの良い茶を飲み込み、手の中のそれをサッズはしげしげと見る。
「茶も色々あるんだな。面白い」
「本当にね」
紅いお茶、硬いレンガ、硬い焼き物の茶器。
たったそれだけでも世界の広さを思い知る。
最初はサッズに付き合うだけのつもりの軽い気持ちだったが、ライカは今まで書物だけで知っていた世界を実際に見ることに憧れを感じ始めていた。
人は世界を席巻している。
「人の世界か」
王都には何があるのだろう? その途上にも人が住む場所はあるのだろうか? 湧き上がるような未だ見ぬ人の営みへの興味が、ライカの胸を熱くしていた。
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どんどん上がる順位に不審者になりそうで怖いです。
(追記2018.07.24)
お気に入りが最高634まできましたが、600超えた今も嬉しく思います。
今更ですが1日1エピソードは書きたいと思ってますが、かなりマイペースで進行しています。
ちなみに不審者は通り越しました。
(追記2018.07.26)
完結しました。要らないとタイトルに書いておきながらかなり使っていたので、サブタイトルを要りませんから持ってます、に変更しました。
お気に入りしてくださった方、見てくださった方、ありがとうございました!
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