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西の果ての街
王様がやってくる
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地を震わせる振動がまだ何も見えない内から伝わってきて、街道で待つ人々の期待をいやが上にも増していった。
街の外の、普段は流れの民等が野営用に使っている空き地に、突貫で作られたとは思えないような立派な施設が出来上がっている。
ライカの祖父の言う事には、領主様はこの機会に、中央の資金を使って今後の馬車持ちの隊商や、街中の宿屋に泊れないような人の為の宿泊施設としても使えるような建物を作ったとの事なので、一時的な利用で終わらないのなら立派なのは当然なのかもしれない。
この施設が出来た事で、今まで夏の暑い時期や冬のかなり早い時期には来なくなってしまっていた隊商なども、今後は少し長く留まってくれるようになるだろうとは、ライカの祖父ロウスの予想である。
領主様はちゃっかりしておると、ニヤニヤ笑いながらロウスは語ったものだ。
ただ、頑丈で高い柵を施された竜の為の厩舎(というか放牧場)は、今回限りのものだ。
騎竜など一般の旅行者は所持していないし、馬の施設にするには柵が大きすぎて逆に使い難い。
しかし、なんでもこれを作るのに北側の森をかなり切り開く必要があったらしく、無駄にするには労力が掛かり過ぎていて勿体ないとは言っていた。
『じゃがまあ、あの領主殿のことじゃ、なんか考えておるじゃろうて』
と、話を締めくくったロウスである。
「はい、ライカもこれ撒いてね」
ライカが色々考えながら人混みの中でぼーっとしていると、ミリアムがなにやらカゴを渡して来た。
中には、植物の花の部分だけを切り取ったものが一杯に入っている。
「なに? 花?」
「そうよ、花を撒くのは歓迎と喜びの証なのよ。昔は凱旋して帰って来る騎士隊とかの進路に撒いてたらしいわ」
見渡せば通り沿いに集まっている人々も手に手に花を持っているようだ。
中にはどうするつもりなのか花束や花輪を手にしている少女や大人の女性の姿もある。
厳しい顔をした守備隊がなにやら怒鳴っている所によると、王様の行列に割り込んだりしたら牢屋に放り込むとの事なので、それを手渡したりするのは無理なのではないかと思われるのだが、彼女らは平気な顔をしていた。
そう、本日の王の巡幸の列の警備を行っているのは、街の人間に馴染みの深い警備隊ではない。
一般に城組と呼ばれる守備隊なのだ。
そもそも守備隊は、多くが街の住人で構成されている警備隊と違い、貴族のみで構成された部隊であり王の命を受けたという形でこの地に赴任している。
こういう時に表に出るのは、立場的には当然といえば当然なのだろう。
だが、それで警備隊の手が空いているかというとそうでもなく。
王様の出迎えの為に住人の殆どが出払った街の警備をしていた。
ひとけが少なくなると他人の家に侵入して家財を漁る不心得者が必ず発生するのでその警戒である。
彼らは常に街中を巡回しているので街に慣れていてその異常に気付き易いのだから適材適所といえばそうなのだが、街の住人の中にはそれがなんとなく面白くない者もいた。
住人からしてみれば、警備隊は自分達の仲間で、守備隊は貴族の一員という感覚がある。
王の巡幸の行列の警備という重要な仕事を任せられないという事は、自分達の仲間が、ひいては自分達が下に見られているような感じがあるのだ。
そのため、どうもわざと言う事をきかなかったり、見ていない所で言われた事を破ったりする者がちらほら見うけられるようなのである。
「いいか! 絶対に不信な動きをするな! 我らの間を縫って前に出ようとするなら、斬り捨てられると覚悟せよ!」
貴族とはいえ、こんな僻地に配属されている者が王の護衛になど慣れている訳がない。
彼らとて精神的に余裕がないのでピリピリしているのだから、双方の苛立ちがぶつかり合って自然発生的に両者の間に言葉になる以前の敵対意識が生じていた。
彼らのそんな精神状態であるがゆえの切って捨てるような命令口調は、元々反抗意識の高いこの街の住人にはほぼ挑発のようなものである。
一つ間違うと流血沙汰になりそうな危うい緊張感がその場を包んでいた。
「お前達」
そんな所へ、珍しくも馬に騎乗して現れたのが警備隊の一隊である風の隊の班長ことザイラック・オル・ラオタだった。
更に珍しい事に、日頃着崩している隊服をぴっちりと着込んでいて、そうして馬に跨って背筋を伸ばしていると彼の本来の貴族然とした風貌と相まってその姿には一種の威厳が生じる。
「はっ! ザイラック殿? 何事でしょうか?」
それがなくても、貴族である守備隊の面々は当然のように彼の過去の栄光を知っている。
おかげでなんとなく彼の前では守備隊の者達は改まってしまう傾向があった。
全く別部門の責任者相手、しかも役職から見れば格下に過ぎない存在だというのに、自分達の隊長に対するよりも緊張した面持ちで守備隊の面々は馬上の男を仰ぎ見る。
「カミュ! シンカ! ボロ! ホープ! セイ! デルロイ! サトフ! イディ!」
名を呼ばれて返事をする者、名前を略された為、呼ばれた事にピンと来なくて戸惑う者、それぞれの顔が一様にザイラックに向けられた。
「朝食を抜いた者が多数いるとの配膳所からの苦情が来た。名を呼ばれた者は警護の任が解かれた後に調理場に出頭し、冷や飯を片付ける事。以上!」
そのまま見事な手綱捌きで馬首を返すと、ザイラックはそれ以上何も言わずにその場を後にした。
残された者達はぽかんとその後ろ姿を見送っていたが、やがてどこからともなく忍び笑いが沸き起こる。
「やだ、守備隊のあんちゃんも緊張する事があるんだね。飯が喉を通らなかったんか? どうだ? この葉巻き団子食うか?」
「オイオイ、大丈夫か? なんか食っとかないと本番で倒れたらどうするんだ?」
心配しているのか揶揄してるのか良く分からない言葉が街の者から次々に掛けられ、民人との交流に慣れない青年達を戸惑わせた。
さすがにそれで姿勢を崩す者などいなかったが、彼らの首筋の赤さはもはや隠しようもない程である。
「ほらほら、ざわつかない! そこ、守備隊の者に触れないで!」
今回の警護を統括する立場にある守備隊隊長が少々呆れたような顔になりながらも、それまでの緊張感から一転して妙な盛り上がりを見せている街の人間に、再び確固たる声音で指示を飛ばし始めた。
「班長さん、なんだか立派なナリだからどうしたのかと思ったら、厨房の使い走りをさせられたのね」
「別に厨房の使い走りで身なりを整えた訳じゃないんじゃないの?」
ライカの隣ではミリアムとその友人のセシア、マニカが賑やかに先ほどの出来事について詮議し始めていた。
「やっぱり王様が来るからだらしない格好してたら怒られるのかな?」
「そりゃそうでしょう」
「ね、ね、王様って立派なお姿なのかしら?」
「そりゃあ大地の契約者であり神の代行者であらせられるのだもの、立派に決まってるじゃない」
「確か今年で御歳三十二の男盛りでしょう? 見初められたらどうしよう?」
「なに馬鹿な事言ってるのよ、あなた確か警備隊の……」
「だって、……」
女性達の話は余りにも個人的な部分が大きすぎてライカに話題を共有出来る隙はないようだった。
しかも途中で声を潜めて明らかに仲間内だけの話を始めたので、ライカはそっとその場を離れる事にする。
なんだか街中の人々が出張って来ているような感じすらする程に人で混んだ街道沿いを辿って東へと進むと、それでも段々と街の住人より守備隊の人間の方が目立ち始める場所へと出た。
「こらこら、あんまり向こうへ行くな。騎竜や竜車が通るんだぞ、警護の者がいない場所へ行くと跳ね飛ばされるかもしれん」
「あ、はい」
ライカは大人しく、ポツポツと大人の男がいかにも畑や土木の仕事中に抜けてきたという風な様子で佇みながら遠くを透かし見ている間に立ち、同じように遠方に顔を向けた。
ずらりと、まだ土の色だけの街道沿いに立つ守備隊の面々は、いずれも緊張した面持ちで、馬で行き来しながら道幅を指示している小隊長達の言葉に従い、生きた彫像のように直立して十分な道幅を確保している。
実の所、この辺境の地に竜車などが通る事を想定していたはずもなく、いずれはレンガを敷き詰める予定の街道の本来の幅は、今回の巡幸の列がゆとりを持って通るには狭すぎた。
道沿いに建物がある訳でもないので、巡幸の責任者と連絡を取り合って道幅を確認した彼らは、慎重に距離を測り、必要な空間を確保して、事故が起きないように警護しているのである。
領主曰く、どちらかというと街の人間を守るという意味合いが強い警護ではあった。
そもそも、王族を警護するとしても、騎竜兵に守られ竜車に乗った人間を、辺境の街の守備を行うだけの歩兵が警護するなどお笑い草でしかない。
この辺り、街の人間と彼らとの間には意思の齟齬があり、慣れない同士という事も手伝ってちょっとした緊張状態にあったのだが、どうやら先ほどの警備隊の暴れ班長ことザイラックの登場でその辺は解消したらしい。
「後、半刻ないぐらいだな」
ライカは地面と大気の振動具合でそう感じ取ると、自分が軽い興奮状態である事に気付いた。
同じ竜族とはいえ、地上(現代)種族と天上(古代)種族とはそれこそ人間とダーナ神族(妖精種族)程違うものだが、ライカがアルファルスと交感し得たように、基本言語や習慣は共通の部分が多く、なにより地上種の竜族も見た目は大きさが違うぐらいでほぼ同じ姿形をしている。
ライカが家族以外の竜族に会ったのは、領主の相方であるアルファルスが初めてだったのだが、その邂逅が良好に終わったので、ライカとしては、なんだか遠い場所で偶然同郷の者に会えたような気持ちになれた。
そのため、つい他の竜族にも期待してしまっているのだ。
「でもあんまり気安くしないように気をつけないとね。タルカスが言うには、求愛の時でもない限り、家族以外の竜族にはあまり近付くものではないっていうし、なにより家族持ちの竜は、同族が近くにいるのを一番嫌がるらしいから」
ライカは殊勝そうにそう呟いたが、実際にはアルファルスへの接し方を見れば分かるように、その言い付けを守れるかは怪しいものだった。
竜族は基本的には排他的な種族である。
家族以外の干渉を嫌い、孤高に生きる事を好む者が多い。
それはたとえ同族相手であろうと変わりないのだ。
いや、むしろ、タルカスがそう言ったというように、同属をこそ嫌う傾向が強い。
なにしろ彼らは内包する力の桁が大きすぎ、同時に消費するエネルギーの量も多い為、近場で生活をするとどうしてもエネルギーの奪い合いになってしまう。
とうてい同族同士近くで寄り添って生きられるような生き物ではないのである。
実際、ライカの住んでいた世界にはライカの家族以外の竜は他に水竜がいるはずとの事であったが、その竜は常に海底に沈んでいて決して地上には姿を現さなかった。
おかげでライカは一度もその水竜に会った事がない。
比べてライカは他者に懐っこい性質で、小さい頃から種族を超えて誰にでも親しもうと行動した。
それで痛い目に合った事は一度や二度ではないのだ。
特にそれが強大な力を持った相手であったりすると危険どころの話ではなかったのだが、ライカはおよそ懲りるという事がなかった。
今、ライカがヒッポグリフやナーガに殺されずに生き残っているのはひたすらに運が良かったからであって、彼らが優しかったからではない。
しかし、それでもライカは平気で他種族に近付いては家族をひやひやさせていた。
そういう性格なのだから、本来の家族と同じ種族である竜相手に、近付くなという方がそもそも無理な話なのだ。
という事で、ライカは他の人たちと同じように彼方を見透かしながら竜車を牽いて来るという竜を楽しみにしていた。
ライカにとってはあくまでもメインは竜であり、王様はついでのようなものに過ぎない。
そんな周囲の人々とは全く違う期待に胸を膨らませていたのである。
やがて軽い振動と土埃が近付く。
「単騎?」
ライカの呟きと同時に騎馬が一騎駆けて来た。
そしてその騎馬が、同じく馬上に在る守備隊の小隊長にそのまま近付く。
「視認域に入ります!」
「了解! 狼隊、構え!」
号令と共に、道を形成している守備隊隊員達が、飾り房の付いた戦杖を横に掲げる。
そのまま命令を発した小隊長は馬を駆り、街道を西へ、より街に近い部隊へと伝令に走った。
(来た!)
低木の多い東は、山地とは言え、ほとんどが荒地で見晴らしが良い。
その地平に、もやのような黒っぽい影が映った。
ごくりと、ライカの頭上で誰かが喉を鳴らすのが聞こえる。
人々の緊張を他所に、その列は酷くゆっくりと近付いて来ていたのだった。
街の外の、普段は流れの民等が野営用に使っている空き地に、突貫で作られたとは思えないような立派な施設が出来上がっている。
ライカの祖父の言う事には、領主様はこの機会に、中央の資金を使って今後の馬車持ちの隊商や、街中の宿屋に泊れないような人の為の宿泊施設としても使えるような建物を作ったとの事なので、一時的な利用で終わらないのなら立派なのは当然なのかもしれない。
この施設が出来た事で、今まで夏の暑い時期や冬のかなり早い時期には来なくなってしまっていた隊商なども、今後は少し長く留まってくれるようになるだろうとは、ライカの祖父ロウスの予想である。
領主様はちゃっかりしておると、ニヤニヤ笑いながらロウスは語ったものだ。
ただ、頑丈で高い柵を施された竜の為の厩舎(というか放牧場)は、今回限りのものだ。
騎竜など一般の旅行者は所持していないし、馬の施設にするには柵が大きすぎて逆に使い難い。
しかし、なんでもこれを作るのに北側の森をかなり切り開く必要があったらしく、無駄にするには労力が掛かり過ぎていて勿体ないとは言っていた。
『じゃがまあ、あの領主殿のことじゃ、なんか考えておるじゃろうて』
と、話を締めくくったロウスである。
「はい、ライカもこれ撒いてね」
ライカが色々考えながら人混みの中でぼーっとしていると、ミリアムがなにやらカゴを渡して来た。
中には、植物の花の部分だけを切り取ったものが一杯に入っている。
「なに? 花?」
「そうよ、花を撒くのは歓迎と喜びの証なのよ。昔は凱旋して帰って来る騎士隊とかの進路に撒いてたらしいわ」
見渡せば通り沿いに集まっている人々も手に手に花を持っているようだ。
中にはどうするつもりなのか花束や花輪を手にしている少女や大人の女性の姿もある。
厳しい顔をした守備隊がなにやら怒鳴っている所によると、王様の行列に割り込んだりしたら牢屋に放り込むとの事なので、それを手渡したりするのは無理なのではないかと思われるのだが、彼女らは平気な顔をしていた。
そう、本日の王の巡幸の列の警備を行っているのは、街の人間に馴染みの深い警備隊ではない。
一般に城組と呼ばれる守備隊なのだ。
そもそも守備隊は、多くが街の住人で構成されている警備隊と違い、貴族のみで構成された部隊であり王の命を受けたという形でこの地に赴任している。
こういう時に表に出るのは、立場的には当然といえば当然なのだろう。
だが、それで警備隊の手が空いているかというとそうでもなく。
王様の出迎えの為に住人の殆どが出払った街の警備をしていた。
ひとけが少なくなると他人の家に侵入して家財を漁る不心得者が必ず発生するのでその警戒である。
彼らは常に街中を巡回しているので街に慣れていてその異常に気付き易いのだから適材適所といえばそうなのだが、街の住人の中にはそれがなんとなく面白くない者もいた。
住人からしてみれば、警備隊は自分達の仲間で、守備隊は貴族の一員という感覚がある。
王の巡幸の行列の警備という重要な仕事を任せられないという事は、自分達の仲間が、ひいては自分達が下に見られているような感じがあるのだ。
そのため、どうもわざと言う事をきかなかったり、見ていない所で言われた事を破ったりする者がちらほら見うけられるようなのである。
「いいか! 絶対に不信な動きをするな! 我らの間を縫って前に出ようとするなら、斬り捨てられると覚悟せよ!」
貴族とはいえ、こんな僻地に配属されている者が王の護衛になど慣れている訳がない。
彼らとて精神的に余裕がないのでピリピリしているのだから、双方の苛立ちがぶつかり合って自然発生的に両者の間に言葉になる以前の敵対意識が生じていた。
彼らのそんな精神状態であるがゆえの切って捨てるような命令口調は、元々反抗意識の高いこの街の住人にはほぼ挑発のようなものである。
一つ間違うと流血沙汰になりそうな危うい緊張感がその場を包んでいた。
「お前達」
そんな所へ、珍しくも馬に騎乗して現れたのが警備隊の一隊である風の隊の班長ことザイラック・オル・ラオタだった。
更に珍しい事に、日頃着崩している隊服をぴっちりと着込んでいて、そうして馬に跨って背筋を伸ばしていると彼の本来の貴族然とした風貌と相まってその姿には一種の威厳が生じる。
「はっ! ザイラック殿? 何事でしょうか?」
それがなくても、貴族である守備隊の面々は当然のように彼の過去の栄光を知っている。
おかげでなんとなく彼の前では守備隊の者達は改まってしまう傾向があった。
全く別部門の責任者相手、しかも役職から見れば格下に過ぎない存在だというのに、自分達の隊長に対するよりも緊張した面持ちで守備隊の面々は馬上の男を仰ぎ見る。
「カミュ! シンカ! ボロ! ホープ! セイ! デルロイ! サトフ! イディ!」
名を呼ばれて返事をする者、名前を略された為、呼ばれた事にピンと来なくて戸惑う者、それぞれの顔が一様にザイラックに向けられた。
「朝食を抜いた者が多数いるとの配膳所からの苦情が来た。名を呼ばれた者は警護の任が解かれた後に調理場に出頭し、冷や飯を片付ける事。以上!」
そのまま見事な手綱捌きで馬首を返すと、ザイラックはそれ以上何も言わずにその場を後にした。
残された者達はぽかんとその後ろ姿を見送っていたが、やがてどこからともなく忍び笑いが沸き起こる。
「やだ、守備隊のあんちゃんも緊張する事があるんだね。飯が喉を通らなかったんか? どうだ? この葉巻き団子食うか?」
「オイオイ、大丈夫か? なんか食っとかないと本番で倒れたらどうするんだ?」
心配しているのか揶揄してるのか良く分からない言葉が街の者から次々に掛けられ、民人との交流に慣れない青年達を戸惑わせた。
さすがにそれで姿勢を崩す者などいなかったが、彼らの首筋の赤さはもはや隠しようもない程である。
「ほらほら、ざわつかない! そこ、守備隊の者に触れないで!」
今回の警護を統括する立場にある守備隊隊長が少々呆れたような顔になりながらも、それまでの緊張感から一転して妙な盛り上がりを見せている街の人間に、再び確固たる声音で指示を飛ばし始めた。
「班長さん、なんだか立派なナリだからどうしたのかと思ったら、厨房の使い走りをさせられたのね」
「別に厨房の使い走りで身なりを整えた訳じゃないんじゃないの?」
ライカの隣ではミリアムとその友人のセシア、マニカが賑やかに先ほどの出来事について詮議し始めていた。
「やっぱり王様が来るからだらしない格好してたら怒られるのかな?」
「そりゃそうでしょう」
「ね、ね、王様って立派なお姿なのかしら?」
「そりゃあ大地の契約者であり神の代行者であらせられるのだもの、立派に決まってるじゃない」
「確か今年で御歳三十二の男盛りでしょう? 見初められたらどうしよう?」
「なに馬鹿な事言ってるのよ、あなた確か警備隊の……」
「だって、……」
女性達の話は余りにも個人的な部分が大きすぎてライカに話題を共有出来る隙はないようだった。
しかも途中で声を潜めて明らかに仲間内だけの話を始めたので、ライカはそっとその場を離れる事にする。
なんだか街中の人々が出張って来ているような感じすらする程に人で混んだ街道沿いを辿って東へと進むと、それでも段々と街の住人より守備隊の人間の方が目立ち始める場所へと出た。
「こらこら、あんまり向こうへ行くな。騎竜や竜車が通るんだぞ、警護の者がいない場所へ行くと跳ね飛ばされるかもしれん」
「あ、はい」
ライカは大人しく、ポツポツと大人の男がいかにも畑や土木の仕事中に抜けてきたという風な様子で佇みながら遠くを透かし見ている間に立ち、同じように遠方に顔を向けた。
ずらりと、まだ土の色だけの街道沿いに立つ守備隊の面々は、いずれも緊張した面持ちで、馬で行き来しながら道幅を指示している小隊長達の言葉に従い、生きた彫像のように直立して十分な道幅を確保している。
実の所、この辺境の地に竜車などが通る事を想定していたはずもなく、いずれはレンガを敷き詰める予定の街道の本来の幅は、今回の巡幸の列がゆとりを持って通るには狭すぎた。
道沿いに建物がある訳でもないので、巡幸の責任者と連絡を取り合って道幅を確認した彼らは、慎重に距離を測り、必要な空間を確保して、事故が起きないように警護しているのである。
領主曰く、どちらかというと街の人間を守るという意味合いが強い警護ではあった。
そもそも、王族を警護するとしても、騎竜兵に守られ竜車に乗った人間を、辺境の街の守備を行うだけの歩兵が警護するなどお笑い草でしかない。
この辺り、街の人間と彼らとの間には意思の齟齬があり、慣れない同士という事も手伝ってちょっとした緊張状態にあったのだが、どうやら先ほどの警備隊の暴れ班長ことザイラックの登場でその辺は解消したらしい。
「後、半刻ないぐらいだな」
ライカは地面と大気の振動具合でそう感じ取ると、自分が軽い興奮状態である事に気付いた。
同じ竜族とはいえ、地上(現代)種族と天上(古代)種族とはそれこそ人間とダーナ神族(妖精種族)程違うものだが、ライカがアルファルスと交感し得たように、基本言語や習慣は共通の部分が多く、なにより地上種の竜族も見た目は大きさが違うぐらいでほぼ同じ姿形をしている。
ライカが家族以外の竜族に会ったのは、領主の相方であるアルファルスが初めてだったのだが、その邂逅が良好に終わったので、ライカとしては、なんだか遠い場所で偶然同郷の者に会えたような気持ちになれた。
そのため、つい他の竜族にも期待してしまっているのだ。
「でもあんまり気安くしないように気をつけないとね。タルカスが言うには、求愛の時でもない限り、家族以外の竜族にはあまり近付くものではないっていうし、なにより家族持ちの竜は、同族が近くにいるのを一番嫌がるらしいから」
ライカは殊勝そうにそう呟いたが、実際にはアルファルスへの接し方を見れば分かるように、その言い付けを守れるかは怪しいものだった。
竜族は基本的には排他的な種族である。
家族以外の干渉を嫌い、孤高に生きる事を好む者が多い。
それはたとえ同族相手であろうと変わりないのだ。
いや、むしろ、タルカスがそう言ったというように、同属をこそ嫌う傾向が強い。
なにしろ彼らは内包する力の桁が大きすぎ、同時に消費するエネルギーの量も多い為、近場で生活をするとどうしてもエネルギーの奪い合いになってしまう。
とうてい同族同士近くで寄り添って生きられるような生き物ではないのである。
実際、ライカの住んでいた世界にはライカの家族以外の竜は他に水竜がいるはずとの事であったが、その竜は常に海底に沈んでいて決して地上には姿を現さなかった。
おかげでライカは一度もその水竜に会った事がない。
比べてライカは他者に懐っこい性質で、小さい頃から種族を超えて誰にでも親しもうと行動した。
それで痛い目に合った事は一度や二度ではないのだ。
特にそれが強大な力を持った相手であったりすると危険どころの話ではなかったのだが、ライカはおよそ懲りるという事がなかった。
今、ライカがヒッポグリフやナーガに殺されずに生き残っているのはひたすらに運が良かったからであって、彼らが優しかったからではない。
しかし、それでもライカは平気で他種族に近付いては家族をひやひやさせていた。
そういう性格なのだから、本来の家族と同じ種族である竜相手に、近付くなという方がそもそも無理な話なのだ。
という事で、ライカは他の人たちと同じように彼方を見透かしながら竜車を牽いて来るという竜を楽しみにしていた。
ライカにとってはあくまでもメインは竜であり、王様はついでのようなものに過ぎない。
そんな周囲の人々とは全く違う期待に胸を膨らませていたのである。
やがて軽い振動と土埃が近付く。
「単騎?」
ライカの呟きと同時に騎馬が一騎駆けて来た。
そしてその騎馬が、同じく馬上に在る守備隊の小隊長にそのまま近付く。
「視認域に入ります!」
「了解! 狼隊、構え!」
号令と共に、道を形成している守備隊隊員達が、飾り房の付いた戦杖を横に掲げる。
そのまま命令を発した小隊長は馬を駆り、街道を西へ、より街に近い部隊へと伝令に走った。
(来た!)
低木の多い東は、山地とは言え、ほとんどが荒地で見晴らしが良い。
その地平に、もやのような黒っぽい影が映った。
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