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西の果ての街
レンガ地区の子供達 其の三
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「おい」
ライカが久しぶりにレンガ地区の裏道を歩いていると、どこからか声が掛かった。
その声の方を向くと、そこには背の高い頑丈そうな男が一人立っている。
(ここで大人を見るのは珍しいな)
そうライカは思い、にこりと笑って軽く頭を下げた。
「おはようございます。いいお天気ですね」
声を掛けられたものの、用事の内容が分からないので、ライカはとりあえず挨拶をする事にした。
「とぼけた事言ってんじゃねぇよ。話があるからちょっと来な」
揺るがない態度と命令し慣れた声で、ようやくライカも相手を悟る。
「もしかするとこの辺のボスの方ですか?」
「へえ、一応締めている人間がいる事ぐらいは知ってたんだ」
皮肉げな口調に、相手が明らかに自分を不快に思っている事を理解して、同時にそれはそれで仕方の無い事だとライカは納得した。
なにしろ縄張りの主に挨拶のないまま長い事その縄張り内をうろついていたのだから、縄張りを荒らしていると思われてむしろ当然だ。
「挨拶が遅れてすみませんでした。でもこの辺で獲物を狩ったり、あなたの仲間を傷付けたりした事はありません。挨拶の無かった言い訳にはなりませんけど」
相手の男は鼻の付け根に深い皺を刻んでライカを睨みつけていたが、やがて吐き出すように言った。
「お前はなんだか気持ちの悪い感じがするな。ふざけてる訳でもなさそうだし。お育ちが違うってやつなのか? ともかく、お前のような得体の知れない奴にうろつかれちゃ気分が悪いんだよ。まずはちょっと来い。ちゃあんと話しをしようじゃないか」
正に典型的な、力と自信に満ちたボスだ。と、ライカは考えた。
そして交渉が難しい事になりそうだとも思う。
彼の雰囲気は、ライカが竜王達の世界に暮らしていた時に出会ったヒッポグリフ達と似ている気がしたのだ。
ヒッポグリフ達は人間を憎むという観念に縛られていて、それを決して変えようとしなかった。この相手もまた、何か、自らの考えに縛られている者の目をしているとライカには思えたのだ。
「分かりました。行きましょう」
だが元々避けるべくもない対峙ではあった。
ライカがうなずいてそう答えると、相手は更にうさんくさそうに目をすがめてその様子を見る。
「もの分かりがいいこって」
言って、ぺっと唾を吐き捨ててみせた。
そうして、あまりにも異色な取り合わせの二人が連れ立って歩いて行くのをやや離れて見送る者達がいた。
「やばいな、兄貴は後先の事とかをあんまり考えないで行動するから、キレて大怪我でもさせたら今度こそ警備隊の連中も黙っちゃいないぜ。相手はガキだしさ」
「でもさ、あいつおとなしい奴じゃん、喧嘩になんかならないんじゃないか?」
「お前はなんにも分かってないな。ああいうタイプは兄貴が一番嫌いなタイプなんだよ、しかも兄貴はむかつくと殆ど考えないで暴力を振るう性格だし、あいつが無抵抗なら無抵抗なだけヤバイんだよ」
「なんで? 無抵抗ならアニキが怪我したりはしないじゃん」
「馬鹿か! 一方的に暴力を振るったなんて知れたら警備隊が兄貴を連れて行ってもう二度とここに帰さないかもしれないんだぞ!」
「ええ! それは嫌だよ」
話だけでアニキが連れ去られるその場面にいるような気分になったのか、ネズミの尻尾と呼ばれている少年はうっすらと涙を浮かべて仲間にすがりついた。
当然その仲間というのは地走りと呼ばれている少年だ。
「そこでだ、ちょっと考えたんだが、兄貴はあれでけっこう女子供に弱い」
「あいつも子供じゃね?」
「ほとんど兄貴と同じ年だろ! まぜっかえすな!」
「同じくらいには見えないけどね」
「いいから! ……ってどこまで話したっけ?」
「アニキと同い年ってとこ」
「いや、違うから、その前! あ、思い出した。兄貴はとうちゃんが早くに死んでかあちゃんと二人暮らしだろ? だからあれで女や弱いもんには酷い事したりしないんだよ」
「確かに女殴ったの見た事ないな」
「だからさ、あいつ呼んで来ようと思うんだ。ちびセヌのやつをさ」
「え~あいつ、うっさいから俺嫌だな」
「仕方ねぇだろ? 俺だってあいつは苦手なんだよ、ガキのくせに妙になめた口を叩きやがるしさ、でも兄貴を暴走させない為にはあいつが良いと思うんだ」
「アニキいなくなったら俺らどうしたらいいか分かんないしな」
「お前、それはそれで情けないぞ……」
ひそひそとささやき合った末、方針を決めた彼らはこそこそと行動を開始した。
ライカがその体格から大人だと誤解した大柄な少年に連れて行かれたのは、周囲の家と見た目は似ているが、手入れがされなくなって崩れかけた古い家だった。
住人がいなくなって随分経つのか、置いてある物もあまりなく、がらんとしたそこは少々物悲しい雰囲気がある。
しかもあちこちにヒビが入り、部分的に既に崩れている場所があったりと、明らかに脆くなって崩れる危険も大きく、それを知っている住人はここに近付く事も滅多にない。そんな場所だ。
「じゃ、話をしようか? 侵入者」
その家の、昔は炉があったであろう少し高くなった場所に腰を下ろすと、少年は開口一番にそう言った。
「はい」
ライカもうなずく。
「じゃ、簡潔に用件だけ言うぞ。俺もぐだぐだ話すの得意じゃないしな。……よく聞け、俺からお前に言う事は一個だけだ」
彼は大人びた笑みを浮かべて見せた。
「もう二度とここいらに近付くな」
彼の言葉はライカの予想した通りだった。
というよりこの少年は言葉にする事によって自身の態度を強調して見せただけに過ぎない。最初のやりとりからこっち、彼のライカへの要求は一貫してはっきりと目に見えるような明確さでその態度で示されていたのだから。
暴力で事を解決するのを生業としているような者達ならともかく、喧嘩もまともに出来ないような情けない相手には、そういう言葉にしない全身での恫喝が一番効く事を、彼は少年ながら既に経験で知っているのだ。
「申し訳ありませんが、それは出来ません」
しかし、だからこそ、ライカの答えは、少年にとってかなり意外なものだったらしい。
相手の少年はその瞬間、高圧的な態度を捨て、ライカをいぶかしげに見た。
「いいか、これは頼んでる訳じゃないんだぞ。勘違いするなよ? これは宣言だ。お前に断る権利はないんだ」
「でも、あなたは俺が招かれた家の家長でも、ましてや俺の家族でもない。俺に命じる権限はないんじゃないですか?」
さらりと、怯えるでもなく反論したライカに対して、今度こそ、少年の目の奥に獰猛な色が動いた。
「なるほど、大人しげな見掛けに騙されたが、なかなか図太い野郎じゃねぇか。いいぜ、お前がその気ならお前自身が気持ちを変えたくなるように仕向けるまでだ。今後この地区に一歩でも足を踏み入れたら、動けなくなるまで殴ってやるってのはどうだ?」
「どうだと言われたら嫌だとしか言えませんが、とにかく俺はここに用事があります。そしてあなたの縄張りを荒らすつもりは全くない。だからあなたに暴力を振るわれる理由はないはずです」
お互いにどうやら話が通じないという事だけは理解し合い。
彼らは真っ向から睨みあった。
「いいか、よく聞け、俺は後からのこのことやってきて、さもここを自分の土地であるかのように振舞う連中が嫌いだ。お前らは余所者だ。だが俺たちもわからず屋じゃない。街の他の場所ならどこでも好きに歩き回りな。だがな、土足で俺たちの場所に踏み入るな! 俺たちが血と汗で築き上げた場所を汚い物のように眉をしかめて指を指して笑うな! ここらの土の味も知らないような奴は俺らに構うんじゃねぇ!」
彼の言葉にライカはうなずいた。
「あなたの意向は理解しました。どうあっても俺を受け入れるつもりが無い事も分ります。でも俺もここで引ける程、友人との約束を軽くは考えていません。それに、俺もこの街の住人です。あなたがどう思おうと余所者ではないんです」
ギリっと音が立つ程に奥歯を噛み締めて少年は立ち上がった。
その身長は優にライカの頭一つ半程高く、体格差は歴然としてある。
「あいつなに? バカなんじゃねぇの?」
「やべぇよ、あにぃキレてんぜ?」
手を出すなと言われて待機していた少年の仲間達が、脆くなったレンガの隙間から中を覗いてざわめいた。
彼らのボスはなまじ力押しで世間を渡って来ただけに、暴力を振るう事に歯止めがない。
それでも大人相手なら相手も少年相手に本気になるのは大人げないという事で、たとえ暴力沙汰になったとしても、これまで強く咎められる事も無かった。
だが、今の相手は彼からすれば、はたいただけで折れそうなか細い少年である。
決して本気を出して良い相手ではないはずだ。
彼ら、レンガ地区の少年達の集団は、街の中ではハグレ者のような存在になってはいるが、本質的には悪さをするような者達ではなかった。
むしろレンガ地区の者達からすれば逆で、街が王国統治下に入った初期の頃、何かと新規の住人との間に軋轢が生じ、金銭的にも政治的にも立場が弱い身内を守る為に立ち上がった青年達の集団がそのまま代替わりしながら続いている、いわば少年達による自警団のようなものなのである。
彼らは彼らの掟で動いていて、決して自ら騒ぎを起したい訳ではないのだ。
ただ、若すぎるゆえに抑えが利かない部分も多く、それを律する為に絶対的なリーダーの存在を必要としていた。
だが、絶対的であるが為に、彼を止めるという選択肢は他の仲間達にはない。
「泣いててめぇのかぁちゃんの所へでも帰れや!」
レンガ地区の少年達のボス的存在。
彼が繰り出した拳は、何度も修羅場を潜り抜けた経験者のものだ。
軌道に揺らぎが無く、力が分散しない鋭いものだった。
それを目で追いながら、ライカは瞬時に考える。
これを避ける事はしてはならない。
更にその衝撃を逃がすのもまずいだろう。
避ければ相手の怒りはいや増すだけであり、前のように衝撃を逃がせば怪我もしないライカは不審に思われる。
以前の人狩りの事件の時に随分居心地の悪い思いをする事となったので、あまりにも不自然な打たれ強さは避けたい気持ちがライカにはあった。
「俺のかあさんはもう眠りの泉です」
応えてにこりと笑ったその顔を拳が殴り飛ばした。
見た目通り軽いその体躯は、勢いのままに吹き飛ばされて床に転がる。
それを追って、相手の少年は歩み寄り、転がったままのライカの上着を掴むと、今度は力任せに投げ飛ばす。
たとえ大人と子供程の体格差があるとしても、その少年の膂力は凄まじかった。
ライカの体は文字通り部屋の端から端へと宙を飛び、脆い壁に激突する。
壁は大した音も立てずに崩れ落ち、ライカの半身は崩れたレンガに埋もれた。
ギシリと家全体がきしみを上げる。
ライカは、口の中に違和感があり、痛みで片目が開かないのを感じた。
頭部には痛みは無いが、上の方からぬるりとしたものが顔の輪郭を描きながら滴り落ちる感触がある。
しかしライカはそれには構わず、まずは自分の体を崩れたレンガから引き起こした。
これは実は本来はかなりの力を必要とする行為だ。
だが、レンガの重みが息を詰まらせ、そのままでは危険すぎると判断した体が、反射的に飛翔術を応用したのである。
こういう反射の動きというのは本人にも制御が難しい。
ライカは、これまでぶつかって来る力を逃すという体の動きも、ほぼ無意識に行っていた。
それを止めるという事は意識をそれだけに集中させるという事でもある。
そしてそのせいで、普通の人間でさえ出来るような、衝撃を殺す為に体を丸めるといった動作すら、滑らかに行えなくなってしまっていた。
(骨は折れてない。でもひびが入ったな)
小さい頃には何度か骨を折った事があるライカは、自分の体の状態をだいたい把握出来た。
人間の与える衝撃は確かに大きくはないが、何度も当たったり当たり所が悪かったりすると馬鹿には出来ない。
これ以上はまともに受けるのを避けるべきだった。
そう思って意識を切り替えるが、一瞬くらりとする。
「あ、」
頭にやった手にぬるりとした感触がある。
そういえば怪我をしたんだったとライカは思い出したが痛みはまだ来ていない。
代わりに何か痺れるような感覚があり、意識がぼんやりとしていた。
「嘗めた口を叩いた事を後悔するんだな」
傍に誰かが立った。
しかし、それよりもそのつま先で蹴飛ばされたカラカラと転がるレンガのカケラに目が行ってしまう。
(そういえば海へと飛び込む時の崖が崩れやすくて、あまり体重を掛けるなってサッズが言ってたっけ)
まるで今経験したかのように古い記憶が蘇った。
頭のどこかで本能的な危険を知らせる囁きが聞こえ、手が無意識に耳たぶに触れる。
そこには他人には見えないが、赤く硬化した竜王の血が耳飾のように嵌っていた。
(外さないと、いけないかも)
本当に命の危険がある時は反応するようになっていると言っていた。
そんな物があっても、本来はいかな竜王の強大な力を持ってしても里からここまで一瞬では来れはしない。
僅かな瞬間で終わってしまうような命の危機に間に合うべくもないのだ。 そう、本来なら。
だが、ライカの家族には型破りがいる。
この耳飾りを付けたままでは確実にライカの家族が来てしまう。だが、自分は彼らの目前で死ぬ訳にはいかない。
耳飾りを外して、自分の鼓動を感じ取れない所へやらないと……。
ライカの頭の中は混乱して、矛盾に満ちたとりとめもない考えがぐるぐると巡っていた。
「ちょ、あにぃ、さすがにやばいって」
自分達のボスがぐったりとした少年に更に蹴りを入れたのを見て、とうとう仲間が堪りかねたように声を上げる。
しかし、その声は小さすぎ、彼には届いていないようだった。
「なにやってんの!」
だからその時、暴力に酔ったように再度足を振り上げた彼を止めた声は、少年達のものではない。
甲高く幼い、少女の声だった。
ライカが久しぶりにレンガ地区の裏道を歩いていると、どこからか声が掛かった。
その声の方を向くと、そこには背の高い頑丈そうな男が一人立っている。
(ここで大人を見るのは珍しいな)
そうライカは思い、にこりと笑って軽く頭を下げた。
「おはようございます。いいお天気ですね」
声を掛けられたものの、用事の内容が分からないので、ライカはとりあえず挨拶をする事にした。
「とぼけた事言ってんじゃねぇよ。話があるからちょっと来な」
揺るがない態度と命令し慣れた声で、ようやくライカも相手を悟る。
「もしかするとこの辺のボスの方ですか?」
「へえ、一応締めている人間がいる事ぐらいは知ってたんだ」
皮肉げな口調に、相手が明らかに自分を不快に思っている事を理解して、同時にそれはそれで仕方の無い事だとライカは納得した。
なにしろ縄張りの主に挨拶のないまま長い事その縄張り内をうろついていたのだから、縄張りを荒らしていると思われてむしろ当然だ。
「挨拶が遅れてすみませんでした。でもこの辺で獲物を狩ったり、あなたの仲間を傷付けたりした事はありません。挨拶の無かった言い訳にはなりませんけど」
相手の男は鼻の付け根に深い皺を刻んでライカを睨みつけていたが、やがて吐き出すように言った。
「お前はなんだか気持ちの悪い感じがするな。ふざけてる訳でもなさそうだし。お育ちが違うってやつなのか? ともかく、お前のような得体の知れない奴にうろつかれちゃ気分が悪いんだよ。まずはちょっと来い。ちゃあんと話しをしようじゃないか」
正に典型的な、力と自信に満ちたボスだ。と、ライカは考えた。
そして交渉が難しい事になりそうだとも思う。
彼の雰囲気は、ライカが竜王達の世界に暮らしていた時に出会ったヒッポグリフ達と似ている気がしたのだ。
ヒッポグリフ達は人間を憎むという観念に縛られていて、それを決して変えようとしなかった。この相手もまた、何か、自らの考えに縛られている者の目をしているとライカには思えたのだ。
「分かりました。行きましょう」
だが元々避けるべくもない対峙ではあった。
ライカがうなずいてそう答えると、相手は更にうさんくさそうに目をすがめてその様子を見る。
「もの分かりがいいこって」
言って、ぺっと唾を吐き捨ててみせた。
そうして、あまりにも異色な取り合わせの二人が連れ立って歩いて行くのをやや離れて見送る者達がいた。
「やばいな、兄貴は後先の事とかをあんまり考えないで行動するから、キレて大怪我でもさせたら今度こそ警備隊の連中も黙っちゃいないぜ。相手はガキだしさ」
「でもさ、あいつおとなしい奴じゃん、喧嘩になんかならないんじゃないか?」
「お前はなんにも分かってないな。ああいうタイプは兄貴が一番嫌いなタイプなんだよ、しかも兄貴はむかつくと殆ど考えないで暴力を振るう性格だし、あいつが無抵抗なら無抵抗なだけヤバイんだよ」
「なんで? 無抵抗ならアニキが怪我したりはしないじゃん」
「馬鹿か! 一方的に暴力を振るったなんて知れたら警備隊が兄貴を連れて行ってもう二度とここに帰さないかもしれないんだぞ!」
「ええ! それは嫌だよ」
話だけでアニキが連れ去られるその場面にいるような気分になったのか、ネズミの尻尾と呼ばれている少年はうっすらと涙を浮かべて仲間にすがりついた。
当然その仲間というのは地走りと呼ばれている少年だ。
「そこでだ、ちょっと考えたんだが、兄貴はあれでけっこう女子供に弱い」
「あいつも子供じゃね?」
「ほとんど兄貴と同じ年だろ! まぜっかえすな!」
「同じくらいには見えないけどね」
「いいから! ……ってどこまで話したっけ?」
「アニキと同い年ってとこ」
「いや、違うから、その前! あ、思い出した。兄貴はとうちゃんが早くに死んでかあちゃんと二人暮らしだろ? だからあれで女や弱いもんには酷い事したりしないんだよ」
「確かに女殴ったの見た事ないな」
「だからさ、あいつ呼んで来ようと思うんだ。ちびセヌのやつをさ」
「え~あいつ、うっさいから俺嫌だな」
「仕方ねぇだろ? 俺だってあいつは苦手なんだよ、ガキのくせに妙になめた口を叩きやがるしさ、でも兄貴を暴走させない為にはあいつが良いと思うんだ」
「アニキいなくなったら俺らどうしたらいいか分かんないしな」
「お前、それはそれで情けないぞ……」
ひそひそとささやき合った末、方針を決めた彼らはこそこそと行動を開始した。
ライカがその体格から大人だと誤解した大柄な少年に連れて行かれたのは、周囲の家と見た目は似ているが、手入れがされなくなって崩れかけた古い家だった。
住人がいなくなって随分経つのか、置いてある物もあまりなく、がらんとしたそこは少々物悲しい雰囲気がある。
しかもあちこちにヒビが入り、部分的に既に崩れている場所があったりと、明らかに脆くなって崩れる危険も大きく、それを知っている住人はここに近付く事も滅多にない。そんな場所だ。
「じゃ、話をしようか? 侵入者」
その家の、昔は炉があったであろう少し高くなった場所に腰を下ろすと、少年は開口一番にそう言った。
「はい」
ライカもうなずく。
「じゃ、簡潔に用件だけ言うぞ。俺もぐだぐだ話すの得意じゃないしな。……よく聞け、俺からお前に言う事は一個だけだ」
彼は大人びた笑みを浮かべて見せた。
「もう二度とここいらに近付くな」
彼の言葉はライカの予想した通りだった。
というよりこの少年は言葉にする事によって自身の態度を強調して見せただけに過ぎない。最初のやりとりからこっち、彼のライカへの要求は一貫してはっきりと目に見えるような明確さでその態度で示されていたのだから。
暴力で事を解決するのを生業としているような者達ならともかく、喧嘩もまともに出来ないような情けない相手には、そういう言葉にしない全身での恫喝が一番効く事を、彼は少年ながら既に経験で知っているのだ。
「申し訳ありませんが、それは出来ません」
しかし、だからこそ、ライカの答えは、少年にとってかなり意外なものだったらしい。
相手の少年はその瞬間、高圧的な態度を捨て、ライカをいぶかしげに見た。
「いいか、これは頼んでる訳じゃないんだぞ。勘違いするなよ? これは宣言だ。お前に断る権利はないんだ」
「でも、あなたは俺が招かれた家の家長でも、ましてや俺の家族でもない。俺に命じる権限はないんじゃないですか?」
さらりと、怯えるでもなく反論したライカに対して、今度こそ、少年の目の奥に獰猛な色が動いた。
「なるほど、大人しげな見掛けに騙されたが、なかなか図太い野郎じゃねぇか。いいぜ、お前がその気ならお前自身が気持ちを変えたくなるように仕向けるまでだ。今後この地区に一歩でも足を踏み入れたら、動けなくなるまで殴ってやるってのはどうだ?」
「どうだと言われたら嫌だとしか言えませんが、とにかく俺はここに用事があります。そしてあなたの縄張りを荒らすつもりは全くない。だからあなたに暴力を振るわれる理由はないはずです」
お互いにどうやら話が通じないという事だけは理解し合い。
彼らは真っ向から睨みあった。
「いいか、よく聞け、俺は後からのこのことやってきて、さもここを自分の土地であるかのように振舞う連中が嫌いだ。お前らは余所者だ。だが俺たちもわからず屋じゃない。街の他の場所ならどこでも好きに歩き回りな。だがな、土足で俺たちの場所に踏み入るな! 俺たちが血と汗で築き上げた場所を汚い物のように眉をしかめて指を指して笑うな! ここらの土の味も知らないような奴は俺らに構うんじゃねぇ!」
彼の言葉にライカはうなずいた。
「あなたの意向は理解しました。どうあっても俺を受け入れるつもりが無い事も分ります。でも俺もここで引ける程、友人との約束を軽くは考えていません。それに、俺もこの街の住人です。あなたがどう思おうと余所者ではないんです」
ギリっと音が立つ程に奥歯を噛み締めて少年は立ち上がった。
その身長は優にライカの頭一つ半程高く、体格差は歴然としてある。
「あいつなに? バカなんじゃねぇの?」
「やべぇよ、あにぃキレてんぜ?」
手を出すなと言われて待機していた少年の仲間達が、脆くなったレンガの隙間から中を覗いてざわめいた。
彼らのボスはなまじ力押しで世間を渡って来ただけに、暴力を振るう事に歯止めがない。
それでも大人相手なら相手も少年相手に本気になるのは大人げないという事で、たとえ暴力沙汰になったとしても、これまで強く咎められる事も無かった。
だが、今の相手は彼からすれば、はたいただけで折れそうなか細い少年である。
決して本気を出して良い相手ではないはずだ。
彼ら、レンガ地区の少年達の集団は、街の中ではハグレ者のような存在になってはいるが、本質的には悪さをするような者達ではなかった。
むしろレンガ地区の者達からすれば逆で、街が王国統治下に入った初期の頃、何かと新規の住人との間に軋轢が生じ、金銭的にも政治的にも立場が弱い身内を守る為に立ち上がった青年達の集団がそのまま代替わりしながら続いている、いわば少年達による自警団のようなものなのである。
彼らは彼らの掟で動いていて、決して自ら騒ぎを起したい訳ではないのだ。
ただ、若すぎるゆえに抑えが利かない部分も多く、それを律する為に絶対的なリーダーの存在を必要としていた。
だが、絶対的であるが為に、彼を止めるという選択肢は他の仲間達にはない。
「泣いててめぇのかぁちゃんの所へでも帰れや!」
レンガ地区の少年達のボス的存在。
彼が繰り出した拳は、何度も修羅場を潜り抜けた経験者のものだ。
軌道に揺らぎが無く、力が分散しない鋭いものだった。
それを目で追いながら、ライカは瞬時に考える。
これを避ける事はしてはならない。
更にその衝撃を逃がすのもまずいだろう。
避ければ相手の怒りはいや増すだけであり、前のように衝撃を逃がせば怪我もしないライカは不審に思われる。
以前の人狩りの事件の時に随分居心地の悪い思いをする事となったので、あまりにも不自然な打たれ強さは避けたい気持ちがライカにはあった。
「俺のかあさんはもう眠りの泉です」
応えてにこりと笑ったその顔を拳が殴り飛ばした。
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たとえ大人と子供程の体格差があるとしても、その少年の膂力は凄まじかった。
ライカの体は文字通り部屋の端から端へと宙を飛び、脆い壁に激突する。
壁は大した音も立てずに崩れ落ち、ライカの半身は崩れたレンガに埋もれた。
ギシリと家全体がきしみを上げる。
ライカは、口の中に違和感があり、痛みで片目が開かないのを感じた。
頭部には痛みは無いが、上の方からぬるりとしたものが顔の輪郭を描きながら滴り落ちる感触がある。
しかしライカはそれには構わず、まずは自分の体を崩れたレンガから引き起こした。
これは実は本来はかなりの力を必要とする行為だ。
だが、レンガの重みが息を詰まらせ、そのままでは危険すぎると判断した体が、反射的に飛翔術を応用したのである。
こういう反射の動きというのは本人にも制御が難しい。
ライカは、これまでぶつかって来る力を逃すという体の動きも、ほぼ無意識に行っていた。
それを止めるという事は意識をそれだけに集中させるという事でもある。
そしてそのせいで、普通の人間でさえ出来るような、衝撃を殺す為に体を丸めるといった動作すら、滑らかに行えなくなってしまっていた。
(骨は折れてない。でもひびが入ったな)
小さい頃には何度か骨を折った事があるライカは、自分の体の状態をだいたい把握出来た。
人間の与える衝撃は確かに大きくはないが、何度も当たったり当たり所が悪かったりすると馬鹿には出来ない。
これ以上はまともに受けるのを避けるべきだった。
そう思って意識を切り替えるが、一瞬くらりとする。
「あ、」
頭にやった手にぬるりとした感触がある。
そういえば怪我をしたんだったとライカは思い出したが痛みはまだ来ていない。
代わりに何か痺れるような感覚があり、意識がぼんやりとしていた。
「嘗めた口を叩いた事を後悔するんだな」
傍に誰かが立った。
しかし、それよりもそのつま先で蹴飛ばされたカラカラと転がるレンガのカケラに目が行ってしまう。
(そういえば海へと飛び込む時の崖が崩れやすくて、あまり体重を掛けるなってサッズが言ってたっけ)
まるで今経験したかのように古い記憶が蘇った。
頭のどこかで本能的な危険を知らせる囁きが聞こえ、手が無意識に耳たぶに触れる。
そこには他人には見えないが、赤く硬化した竜王の血が耳飾のように嵌っていた。
(外さないと、いけないかも)
本当に命の危険がある時は反応するようになっていると言っていた。
そんな物があっても、本来はいかな竜王の強大な力を持ってしても里からここまで一瞬では来れはしない。
僅かな瞬間で終わってしまうような命の危機に間に合うべくもないのだ。 そう、本来なら。
だが、ライカの家族には型破りがいる。
この耳飾りを付けたままでは確実にライカの家族が来てしまう。だが、自分は彼らの目前で死ぬ訳にはいかない。
耳飾りを外して、自分の鼓動を感じ取れない所へやらないと……。
ライカの頭の中は混乱して、矛盾に満ちたとりとめもない考えがぐるぐると巡っていた。
「ちょ、あにぃ、さすがにやばいって」
自分達のボスがぐったりとした少年に更に蹴りを入れたのを見て、とうとう仲間が堪りかねたように声を上げる。
しかし、その声は小さすぎ、彼には届いていないようだった。
「なにやってんの!」
だからその時、暴力に酔ったように再度足を振り上げた彼を止めた声は、少年達のものではない。
甲高く幼い、少女の声だった。
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幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り!
冒険者?そんな怖い事はしません!
目指せ、自給自足!
*小説家になろう様でも掲載中です
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