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第七章 幻の都

725 悪霊と聖女

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 ヤサから出立して、メイサーの仲間達が狩場にしていた、トカゲの棲み処を通り過ぎ、見事な三角形に切り出された、迷宮通路へと入る。
 アリアドネの糸がほのかな輝きを残すなか、俺達は、静かに先へと進んだ。
 かなり狭いため、フォルテに先行させることも出来ない。
 切り出された階段を降りた先に、メイサー達が独占していた遺跡群があった。

 そもそも、メイサー達が住居にしている場所も遺跡の一部だが、この更に深部の遺跡には、危険な魔物が多いため、訓練を重ねた探索者のみで潜っていたらしい。

 天井から突然落ちて来る、変異スライム、地面にへばりつくように這って来て、猛毒のトゲを刺す鎖虫など。
 見つける端から、先頭の俺と、中衛の勇者、そしてしんがりの聖騎士が、斬り払って、特に事なきを得ていた。

「お師匠さま! 死鬼リッチが!」

 聖女の叫びに慌てて振り向く。
 死鬼リッチがいるという最深部にはまだ距離がある。
 とは言え、ずっとその場に留まるべき、何かの理由でもない限り、魔物は移動するものだ。
 メイサーの右腕だった、モクという男によると、迷宮最深部にいる死鬼リッチは、なぜかその場を動こうとしなかったらしいが、それがずっと続くと考えるのは危険だろう。

 最悪、この場での戦いを想定して、俺は意識を集中しつつ、聖女の示す方角を見た。
 そしてホッとする。

「あれは、悪霊レイスだ」

 見るなりわかる。
 死鬼リッチにしては、魔力が薄すぎる。

「師匠、悪霊レイスってのは、普通の霊とは違うのか?」
「いや、同じなんだが、悪霊レイスと呼ばれる幽霊は、この世に強い恨みを抱いて死んだ者の魂で、隙あらば他人を取り殺そうとして来るって話だ。だがまぁ、こっちがよほど弱っていない限り、害にはならない存在だな」

 俺の説明に、勇者は物珍し気に視線を送っただけだったが、最初に発見した聖女は、気持ちが治まらなかったようだ。

「あの、よろしければ、浄化をしても?」
「それは構わないが、意識が残った魂は、浄化を受け入れないと聞くぞ」
「そのようなことがあるのですか?」

 聖女が不思議そうに尋ねるので、俺は詳しく説明してやることにした。
 幸い、今はほかの魔物が近くにいない。
 悪霊レイスは、ただ、虚空を見つめて、恐怖に引きつった顔で、聞こえない呪いの言葉を巻き散らしているだけで、特に害はなさそうだった。

 問題があるとすれば、今にも気を失いそうな顔色のモンクだろうが、聖女が気になっていることをそのままに捨て置くことを、一番嫌がるのもモンクだろうし、まぁ、いい機会だ。
悪霊レイスを見慣れておいてもらったほうがいいだろう。
 死鬼リッチと戦うときに、恐怖でこわばって戦えないとなったら、一番死の危険に晒されるのは本人だからな。

「人が住むところには、死者を葬る墓地があるだろ?」
「はい」
「墓地にはちょくちょく幽霊が出るんで、季節ごとに教会の教手おしえてさまが、祭事を執り行って、浄化するんだ」
「知りませんでした」

 へえ、大聖堂育ちの聖女さまでも教会関係で知らないこともあるんだな。
 聖女とか聖人とかは、あまり穢れに触れさせないという方針らしいから、そのせいかな?

「その祭事でも浄化出来ない幽霊がいて、それを悪霊レイスと呼ぶ。そういう奴は、依頼を受けた冒険者が、魔力をぶつけて消滅させるのさ」
「まぁ。消滅してしまったら、神の御許へたどり着けないのでは?」
「そもそも神の御許へ戻ること自体を拒否しているんだから、そこは仕方ないさ」

 俺の話を聞いた聖女は、密かに何かを決意したようだった。

「わたくしにやらせてください!」
「わかった。ただし、きっちり結界を張ってからな」

 消滅させられると知ったら、悪霊レイスも抵抗ぐらいする。
 大した魔力ではないとしても、意思のこもった魔力は、それだけである程度の力を持つ。
 悪霊レイスだからと、決して侮ってはならない。

 聖女は言われた通り、結界を張り、そのなかから悪霊レイスに対峙した。
 
「うわわわっ、こっちをめっちゃ睨んでる」

 モンクが涙目で震えながら言うので、俺は安心させることにした。

「あれは身体がないだけで、元は普通の人間だ。怖がる必要はないぞ」
「身体がないから嫌なんじゃない!」

 モンクがそう反論する。
 どうやら見解の相違のようだ。
 溝は深い。

「命の巡りは神の御業。この魂を安らぎの園に導き給え」

 聖女の腕に嵌った、祝福されし四種とやらが光を帯びる。
 あれを使うのか?
 鈍い銀色だった祝福されし四種は、少しずつ青みがかった銀色の輝きを放ち始める。
 やがて、表面に彫られた文様に光が走り、それが、嵌った魔宝石それぞれに到達すると、腕輪全体の光が変わり始めた。
 脈動する光が赤く、青く、茶色く、染まり、その全ての光が集まって黄金に輝き、目前の悪霊レイスへとその光が飛び込んだ。

「グギャアアアアアア!」

 それまで、希薄な存在として、叫びの形に口を開けていたものの、声は聞こえなかった悪霊レイスだったが、いきなり、はっきりとした叫び声をあげた。
 あまりの怨嗟に満ちた声に、思わず耳を塞いでしまうが、対峙している聖女は、こゆるぎもせずに正面に立ち、鋭く言葉を発する。

「自らの死を受け入れ、神の御許へ還るのです!」
「アァ、アイツラがぁ! アイツラがぁ! ユルサナイ! ユルサナイ!」
「ここにいても、あなたの恨みが晴らされることはありませんよ?」

 驚くべきことに、白いモヤのようだった悪霊レイスの姿が、少しずつしっかりとした形を成して来た。
 それは、今の俺達と違い、布を交互に重ねるような服装をした男だった。
 森人の衣装に似ているが、素材は全く違うものに見える。
 あれはおそらく獣や、魔物の皮などを使っているのだろう。
 一度細かく裂いて編み上げたような、見たことのない、独特の作りとなっていた。

「どこだ! 連中はどこにいる! 裏切り者め!」
「もうどこにもいません。いえ、あえて言うならば、神の御許にいらっしゃるでしょう」
「神だと! それは何ものだ!」

 相手の問いに、聖女は衝撃を受けたようだった。
 まさか神を知らない者がいるとは思いもしなかったのだろう。

「神はこの世界をつかさどりし御方。いえ、この世界の意思です」
「世迷い事を。この世は空の厳しき風と、洞の温かき暗闇で出来ている。偉大なる樹の力によって、我ら人は生かされているのだ。……アアああ! 奴等は、奴等はどうした! 俺を嵌めやがった! 俺の女を、財を盗むために!」

 しばしの間、冷静に話をしていた悪霊レイスだったが、やがてまた姿が崩れだし、醜い歪んだ叫びを上げ出した。

「仕方ありません。あなたの未練はもはやこの地上のどこにもない。お眠りなさい、神の御許で」

 聖女は、花をかたどった神璽みしるしに手を触れ、歌うように語り出す。

「我らやがて還る、巡る環のなかに。ひとときの安らぎと、神の慈しみ。光となりて、闇となりて、眠りが我らを癒したもう」
「や、ヤメロオオオオッ! ユルサナイ! ユルサナイ!」

 身体を得た悪霊レイスは、腕を振り上げて襲い掛かった。
 当然、聖女の結界に阻まれる。
 だが、その身体を形成する、霧の粒のような光が、キラキラと輝きながら聖女の結界に貼り付き、揺らぎを生じさせた。

「かりそめの身体で、今一度の死を得るがいい!」

 勇者が、結界から滑り出て、悪霊レイスに剣で斬りつける。
 剣には、金色の炎が揺らぎ、悪霊レイスの肉体を分断しながら焼いた。

「ギィヤアアアアア!」
「お休みなさい」

 囁くような優しい声。
 おそらく、俺達には想像もつかないような、古い古い時代の悪霊レイスは、長い歳月の末にやっと本当の眠りに就いた。

 恨みのあまり眠ることを忘れたあの霊が、果たして神の御許に辿り着けるかどうかは知らん。
だが、死鬼リッチに対する前に、祝福されし四種を使った、形なき魂との対峙を経験出来たのは、よかったかもしれない。

 少しだけ気になることがあった。
 とりあえずその対策を取らなければならないだろう。
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