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第六章 その祈り、届かなくとも……

634 それぞれの朝2

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 聖女であるミュリアの朝は祈りから始まる。
 神璽みしるしを手に、世界を見守る神に、人々をお守りくださいと願うのだ。
 実のところ、神へのその願いは既に叶っている。
 神の盟約こそが、人に施された神の慈悲そのものだからだ。

 だが、神の盟約はただ存在するだけでは意味がない。
 人が使いこなせなければ、人を守る力とはならないのだ。
 願いと感謝と、導き。
 盟約の民の祈りは、この三つに集約される。

「ミュリアの髪は本当に綺麗ね」

 祈りの間に髪を梳いてくれていたテスタが、そんなことを言った。
 ミュリアの髪は彼女の一族の特徴でもある銀髪で、少しうねうねと波打っている。
 本人としてはさらさらでまっすぐな、テスタの髪をこそ、うらやましいと思うのだが、人からの賛辞をむやみに否定してはいけないと教育されているミュリアは、微笑んで「ありがとう」と言った。

 それに結ってしまえば、ウエーブも目立たない。
 テスタの器用な指は、素早く正確に髪を結ってくれるので、ミュリアは安心して任せることが出来た。

「テスタねえさまは結わないのですか?」
「私の髪だと結んでもすぐにほどけて、結び紐も落ちちゃうんだよね。こういう髪って可愛らしさがなくってつまんない」
「わたくしは好きですよ!」

 少々勢い込んでミュリアはテスタにそう言った。
 自分がうらやましく思っているものを、当の本人が不満に思っているというのが、少し悲しかったのかもしれない。

「ありがと。ミュリアは優しいな」
「そんなんじゃないです」

 そう言うミュリアの頭を、テスタはポンポンと軽く叩いた。

「ほら出来た」
「ありがとうございます」
「私が好きでやってるんだから、お礼なんていらないよ」
「そういう訳にはいきません。他人に何かをしてもらったらお礼を言うのは当たり前のことですから」
「ふふっ」

 そんなミュリアを見て、テスタは少しまぶしそうにしながら笑った。

「なんですか?」
「ううん。こっちこそありがとうね、ミュリア」
「わたくしは本当に何もしていないのですけど……」
「そんなことないよ。信じることが出来る相手が一人でもいるってことは、特別なことだよ。だから、ありがとう、ミュリア」

 テスタが大聖堂に来る前に、そして大聖堂で奉仕をしていたときに、辛いことがあったのを今ではミュリアも知っている。
 人生には、どれだけ祈っても届かないことがある。
 ミュリアはときどき思うのだ。
 もし、もしも、自分が、テスタの妹の生きているときにすでに聖女であったなら、なんとしても彼女の妹を救っただろう。
 そうすれば、テスタは今も幸せに家族と共に暮らしていたはずだ。
 もしかしたら、共に生きようと心に定めた人に嫁いで、幸せな花嫁となっていたのかもしれない。

 だが、その頃は、ミュリアはまだ大聖堂に連れて来られたばかりだ。
 ミュリアがもしテスタに出会っていたとしても、きっと何も出来はしなかっただろう。

「ままならないことを嘆くのは、神の意に反していますね。今を前向きに生きなければ」

 どれほど修行して、盟約の民として世のことわりを理解したつもりでいても、思い煩ってしまうこともある。
 人はままならない生き物だ。

「きっと、だからこそ、人は傲慢にならずに済むのでしょう。世界の全ては意味なきものではないのですから」
「ミュリアは、ときどき難しいことを言うよね」
「あ、ごめんなさい」
「いいって。そういうところもミュリアらしさだもの。ミュリアはミュリアらしく、伸び伸びと生きてくれればいいよ。私にその手伝いをさせてくれると、うれしい」
「はい。ありがとうございます。テスタ」
「ううん、やっぱり、なんでもないことにお礼を言われるとこそばゆいね」
「ふふっ。わたくしは気持ちがあたたかくなりますよ」
「あはは。うん。確かに私もそう、かな?」

 そう言って、二人は顔を見合わせて笑ったのだった。

 ◇◇◇

「ダスターがいない」
「ピャッ!」
「今日こそはダスターよりも早く起きて、お茶を淹れてあげたり、顔を拭くお水を用意してあげたりしたかったのに」
「クルル……」
「私、この調子で、本当にダスターのお嫁さんになれるのかな?」
「ピャゥ?」
「フォルテはいいな。最初からダスターの半身として生まれたんだから」
「ギャッ、ピャゥ! ジジッ!」
「最初から上手く行っていた訳じゃない、と言いたいの?」
「ピッピッ、キュウ」
「あ、もしかして慰めてくれてる?」
「ギャッギャッ」
「照れなくてもいいのに。そういうところはダスターに似ていると思う」

 メルリルは、朝目覚めて、隣の寝台に既にダスターの姿がなく、触れてみてもぬくもりすらも残されていないことに、寂しい思いをしていたのである。
 もちろん、メルリルがダスターに自分も起こして欲しいと言っておけば、ダスターは起こしてくれただろう。
 だが、それではダメだとメルリルは思うのだ。
 
 仮にも、ダスターはメルリルを相棒と呼んでくれた。
 相棒というのは対等な存在だ。
 実力不足なのは仕方ないとしても、相手を当てにしてしまうのは違うのではないか? そう考えていた。
 もちろんダスター本人が聞けば、考えすぎだと言っただろう。
 しかし、メルリルは真剣である。

 とは言え、フォルテは、いつもぐーすか寝ているし、我がまま一杯に日々を過ごしている。
 そこを比べれば、相棒としてメルリルのほうが優れていると言っていいだろう。
 しかし優れているところでは比べず、劣っている部分で比べてしまうのが、メルリルの悪い癖だ。

 メルリルは、森人の郷にいた頃から、優秀な兄を仰ぎ見て育ち、自分の不出来な部分を卑下しながら生きて来た。
 たぐいまれな巫女メッセリの資質を持ち、未知なる外界に飛び出して郷の仲間を救う勇気を持つという、自分の美点を高く評価することが出来ない。
 そういった性格が、メルリル自身を生き辛くさせていたのだが、本人はなかなか自覚出来ないものだ。

 それでも、ダスターを好きになってからは、メルリルもかなり変わった。
 ダスターは、他人の好意や評価に鈍感で、それとなくアピールしても、見事に受け流してしまう。
 それは、一切の楽観を排除して、一人で生き抜いて来た男の本能的な精神性だった。
 楽観はたやすく人を殺す。
 だからダスターは楽観しないのだ。

 森人としてある程度の共感能力があるメルリルには、なんとなくダスターの在り方がわかる。
 しかし、わかるからと言っても、それに対処出来る訳ではない。
 メルリルは多少自分でも意地になっているな、と思うぐらい、積極的に自分の気持ちを伝えるようにして来た。
 そんな努力が最近は少しずつ報われつつある。

 とは言え、それだけ頑張っても、未だフォルテには敵わないなと思うのだ。

「フォルテはズルいです」
「ピャウ!」

 まぁ自分が第一の相棒だからなと、フォルテが言った。
 正確には言っているように感じる。
 とは言え、メルリルは精霊メイスの曖昧な意識を読む訓練をしているので、フォルテの考えについては、かなり正確に理解出来ていると自負していた。

「負けませんよ!」
「ピッ!」

 挑戦はいつでも受ける! と、フォルテは堂々としたものだ。
 なんら努力をしていないフォルテのこの自信を、メルリルも見習うことが出来たら、彼女の人生ももっと違っていたであろうことは確かだ。
 だが、そんなメルリルをダスターが好きになったかどうかはわからない。
 人生とは複雑で、面白いものなのだ。
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