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第六章 その祈り、届かなくとも……

613 最悪のその先に

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 富国公をむさぼった化け物は、次の獲物を狙うかのようにうねうねと体をうねらせながら周囲を探っている。

「ここから飛んで斬りかかったとしても、一撃で終わらせることが出来なければ湖に落ちて行動不能になってしまう。無駄死にだな」

 ディスタス大公国の英雄サーサム卿は、苦々しく笑った。
 今いる場所から打つ手がないのだ。
 大きさから考えれば、下に浮かんでいる化け物に飛び乗って戦うという選択もありだと思えるが、相手の能力がはっきりとしない内から博打を打つ訳にもいかない。

「むっ?」

 巨大な蛆虫のような魔物の、ぶよぶよに見える白い体に黒い縞模様のようなものが浮かび、体の表面を移動する。
 魔物は上空の一点を見つめているようだ。

「シャッ!」

 細かい牙がびっしりと生えた口が開き、空気が鋭く噴き出すような音がした。
 
「ギャッ、ギャッ、ギャッ!」

 すると今度は上空から何かの声が聞こえる。

「む? あれは……確かダスター殿の使役獣の鳥……フォルテと言ったか? ここからギリギリ見えるか見えないかというほど高い場所にいるのに、こ奴それを狙ったのか」

 目という器官があるようにも見えないが、かなり察知能力が高いと考えるべきだろう。
 ますますどう倒していいかわからなくなり、ディスタス大公国の英雄、サーサム卿は焦りを感じ始めていた。

 一方、丁度フォルテが攻撃されたとき、ダスターは空など見えない場所にいた。
 邪魔な富国公の護衛を排除し終わって、通路を走っていたのだ。
 とは言え、とっくに走り去った富国公を追うのは困難ではあったが、ところどころにある破壊の痕跡と、逃げ惑う使用人の逃げて来る方向から割り出して、なんとか先を急ぐ。

 その途中、突然ダスターが倒れた。

「うっ、うおっ!」
「ダスター!」

 慌ててメルリルが走り寄る。

「師匠っ! どうした? 魔法攻撃か? 罠か?」

 遅れて勇者が周囲を警戒しながら駆け寄った。
 モンクはすかさず聖女をカバーし、聖騎士が全体を警戒する。

「突然視界が切り替わった。って、か、くそっ、ものすごく気持ち悪い魔物の姿がいきなり見えて、……くそっ、フォルテか?」
「魔物だと?」

 ダスターの言葉に、勇者が慌てて周囲を見回す。
 と、いきなり聖女とメルリルがびくりと体を硬直させた。

「な、何か、邪悪なモノが!」
精霊メイスが悲鳴をあげています!」

 よろめいた聖女をモンクが支え、倒れ掛かったメルリルを膝を突いていたダスターが受け止めた。

「城の外、湖だ。湖の上にとんでもない魔物がいきなり出現してるぞ。くそっ、何がどうなっているんだ? フォルテがどうも興奮しているようで、頭が痛い」
「外か。ってことは出口を探すか? いや、さっき庭があったよな、上に木の枝はあったが、外に通じてるようだった」
「おいおい、天井を壊して出るつもりか? お前以外置いてきぼりだぞ」

 勇者の提案を、ダスターは首を振って否定する。
 そしてしばらく目を閉じると、一つうなずく。

「この城の正面入り口もだいたい道は覚えているが、こっちからなら裏口が近い。さっき城主館に移動する途中に一度湖を見渡せる高台に出た。そこから湖に向かおう」
「さす……師匠は頼りになるな!」
「おべんちゃら言っている暇があればミュリアをなんとかしてやれ。……メルリル、大丈夫か?」

 行動方針を指示すると、ダスターは共に立ち上がったメルリルの顔を覗き込んだ。
 メルリルはうなずいて、じっと通路の先を見ている。

「その魔物に触れると、人間でいうところのやけどみたいな痛みがあるみたいで、精霊メイスがてんでに悲鳴をあげていて、それが耳元で叫ばれているようで辛いだけ。私は大丈夫」
「……どんな化け物だよ、そりゃあ」

 ダスターがため息を吐く。
 やれやれといった表情だ。
 だが、その顔に恐怖や焦りはない。
 いつもの、面倒事が増えたという顔だった。
 聖女の魔力を自分の魔力と同調させながら、そんな師を見て勇者が不適な笑みを浮かべる。

「どんな化け物だろうと、やることは一つ、だろ?」
「好戦的だな」
「勇者として力を尽くすまでだ」

 そして、ダスターの先導で城の裏口に向かう。

「それにしても、ここの城主を追っていたと思ったら、いきなり化け物が出て来たようだが、肝心の城主はどうなったんだ?」
「案外、その化け物に食われたのかもしれないぞ」
「そりゃあ凄いな、いきなり神罰か」

 ダスターの言葉に勇者がムッとした顔になる。

「神は人を罰しない。人を罰するのは人だ。だから勇者が必要なんだ」
「ふーん。その考えはいいな。うん。さすが真の勇者さまだ」
「師匠はさすがって言っていいのか、不公平だ!」
「そういうことに文句を言う奴を初めて見たよ」

 勇者の不平をダスターが苦笑いして受け流す。
 そんな彼らを、何が起こっているのかわからずに、ただ通路や部屋の隅に固まって震えている使用人たちが見送る。

「恐ろしい飢えを感じる。怖い」
「ミュリア、大丈夫。私がついている」

 震える聖女と手を繋いで走るモンクが、安心させるように請け合った。

「違うの、わたくしのことではないの、命を、食らい尽くすような、果てのない飢えが、とても、恐ろしいの。世界のことわりのなかで生まれた命ではない。何か、とても歪んでいる」

 そんな聖女の言葉を聞いて、ダスターは勇者を見た。

「……アルフ、覚えてるか? 人工迷宮のなかにいた、あの怪物のようなスライムを」
「っ! なるほど、ここがあの魔道具を作らせた元締めなら、ここに完成した人工迷宮があってもおかしくないってことか」
「ああ。まぁ正解はわからないが、あれよりひどい魔物の可能性は考えておいたほうがいいな……っ!」

 ダスターが頭を押さえた。

「師匠大丈夫か?」
「どうもフォルテがその魔物に狙われているようで、パニック状態なんだ。意識がうまくつながらないし、こっちに一方的に視界やら恐怖心やら怒りやらが送り付けられて来て、視界はブレるわ、頭は痛いわ、くそっ!」
「フォルテは鳥なんだから飛んで逃げればいいんじゃないか?」
「いや、どうもそいつも浮いているようなんだよな」
「浮いている? 飛んでいるんじゃなくって?」
「ああ。まぁ俺も視界がはっきりしないんで、よくわからんが、湖の上にいて沈んでいないのは確かだ」
「うわぁ」

 勇者が嫌そうな声を出した。
 湖の上空にいる敵と戦うということを考えたのだろう。
 だが、勇者の悪い予想をさらに上回る、これまでで最悪の条件での戦いとなることを彼らはまだ知らなかった。
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