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第六章 その祈り、届かなくとも……

583 立てこもった者達

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 南の辺境砦の主として、父である辺境伯から砦を預かってやっと二年になろうかというこのときに、辺境伯の次男であるニラナイカには不幸が次々と降りかかることとなった。

 最初の不幸、と言ってしまうのは不敬になるが、ことの始まりは、間違いなく父であるダイナ卿から砦の兵士の半分を中央に派遣するようにという命を受けたことだろう。

 この数年、彼の母国であるアンデルは不運続きだった。
 先王陛下が狩りの最中に突然の事故でみまかり、たった一人の跡継ぎであるキュイシュナ殿下が若干十二歳で王位に就いた。
 まだ若年ということもあり、先王陛下の直臣であった大臣がその補佐の座に収まる。
 この大臣はもともと評判がいまいちであったが、特に何か罪を犯したこともないので、無難であろうということで中央で決定されたらしい。
 ことなかれ主義の中央らしい考え方だ。

 そしてその大臣が専横を振るい、税制を変更して農園への締め付けを始めたのである。
 ニラナイカの家は辺境伯を賜っていて、身分的には大臣と同等とされているのだが、立場的には農園主に近い。
 中央の専横時代にはひっきりなしに父の元へ嘆願書が舞い込んだものだ。
 手紙ではなまぬるいと感じたのか押しかけて来た農園主も多い。

 農園主という名前だけ見れば穏やかなものに見えるが、実は農園主というのは武力集団のトップであり、独自の騎士団を持っている。
 そして豊かな農地と民を抱えた城主でもあるのだ。
 彼らは誇り高い。
 中央の書類仕事しかしない連中に舐められたと感じて、多くの者が憤っていた。

 それがとうとう限界に来て、中央へと武力侵攻したのが去年。
 佞臣が陛下を軟禁して王権をわが物のように扱い、あまつさえ隣国であるタシテと図って国を売り渡さんとしていたことが判明し、城を脱出して自ら立った陛下と農園主たちが共に悪しき者たちを成敗した。

 やっとまともな国政が始まると安心したところへタシテと大公国による言いがかりでしかない宣戦布告。
 父から要請された派兵は、この二国連合との戦のためのものだった。
 本当は自分がその兵を率いて参戦すべきであったニラナイカであったが、長子である兄が辺境軍を率いるとのことで、命令系統を統一するために彼は砦に残ったのだ。

 そこまでの出来事に対して、ニラナイカ自身としては大きな不満はなかった。
 彼の任された砦は、魔物を監視するためのものであり、近年は大きな魔物被害もなく平和であったから半分の兵力でも困ることはないと思ったからだ。

 そもそもニラナイカ自身はあまり武力自慢ではなく、戦記を読むのは好きだが、剣で戦うのは苦手というタイプなので、戦場で役に立つとは思えなかったということもある。

「近隣の街から魔物の群れが現れたという報告があがって調査に兵を出してみれば、傭兵団か何かのような連中に攻め込まれるとはな。もはやこの砦にまともに戦える戦力などないというのに」

 ぼやいてみても仕方がない。
 丁度調査のための騎士団の本体が出発するところを狙われてしまい、入り口を閉ざすことも出来ずに乱戦になった。
 その時点で、ニラナイカは残った者達全員に奥の大広間での籠城戦を命じたのだ。
 助けが期待出来ない籠城戦など単なる時間稼ぎでしかなく悪手だとはわかってはいたが、部下を無為に死なせるのに耐えられなかったということもある。

「私は意気地なしだな」

 口のなかで呟き、弱音をそれっきりと自分に喝を入れた。
 指揮官が絶望した集団など自滅するだけだ。

「外の様子はどうだ?」
「依然として静まり返っています。攻め込んで来る気配はないですね」

 ということは敵の目的は砦の物資であり、砦の占拠ではないかもしれない。
 見た目の通り傭兵崩れの盗賊団だったのだろうかとニラナイカは考えた。

「先に魔物の調査に出した部隊が何も知らないまま戻って来るという心配はないか?」
「一応ご命令通り裏から伝令は出しましたから、無事に合流出来ていれば、砦の外で様子を見ているかと」

 ニラナイカはため息を吐きそうになるのをぐっとこらえ、必要な確認をしていく。

「食料と水は?」
「大広間に続きの厨房に保管されていた分だけですね。貯蔵庫は外ですし」
「何日持ちそうだ?」
「うんと節約して二日でしょうか」
「……そうか」

 ニラナイカは迷った。
 食料も水も少ない。
 相手が攻めて来ないなら、様子を見るために外に出てみるべきか。
 だが扉を開けた途端に伏せていた賊に皆殺しにされてはたまらない。
 大扉は一度開けたら完全に開け放たれてしまう仕組みなので、少人数だけ出るという加減が出来ないのだ。

「使用人のための通路は使えそうか?」
「どうやら通路の先の貯蔵庫に火を放たれたようで、煙が充満して使えません」
「……よし大扉を開けよう。第一騎士団が入り口をふさぐ形で陣形を組み、敵がいたら前に出てその間に扉を閉める。撤退合図を出したら滑り込め」
「はっ!」

 そうは言ったものの、もし扉の先に敵がいたら第一騎士団は全滅するかもしれない。
 だが、騎士の家族や使用人たちという非戦闘員を危険にさらさないためにはそうせざるを得なかった。
 そして最後までニラナイカは生き残らねばならない。
 この局面をなんとかやり過ごしたとしても、責任を取る者がいなくなれば砦を守れなかった全員が死罪を賜る可能性があるからだ。

「……すまない」
「何をおっしゃいますやら」

 からりと笑う部下に心のなかで頭を下げつつ顔には出さずに指揮を執る。
 だが、彼らにはさらなる絶望が待っていた。

「主殿! やべえぞ、扉の前になんか積んでやがる。開かねえ」
 
(ここで、飢え乾いて死ぬのか。こんなことなら最期まで戦って死ぬべきであったか)

 閉じ込められて一昼夜、水も食べ物も最低限にしているが、それでも五日は持つまい。
 ニラナイカは部下たちに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 こんなみじめな死に方をさせてしまうとは。
 しかもここには非戦闘員である女子どもや老人もいる。
 
 弱気に全身が侵食され、いっそ自死を選ぶかと思ったときだった。
 突然、扉の隙間から炎が噴き出し、暗く閉ざされた大広間を赤く照らし出したのだ。

「な、なにごとだ!」

 ギギギと、どこかが歪んだのか、扉が少しきしみながら開いて行く。

「おい、生きてるか?」

 気力だけで立った騎士達が武器を構えるなか、炎を掲げた輝かしい青年が、暗闇を照らして姿を現したのだった。
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