上 下
440 / 885
第六章 その祈り、届かなくとも……

545 知者と愚者

しおりを挟む
「たとえばだよ。君が身一つで何も持っていなかったとする。何かを手に入れたいときにはどうするかね?」
「労働ですね。田舎のほうでは金銭よりもむしろ労働のほうが喜ばれる場合もあります」
「さすが君は話が早いね。貴族にはそういうことがどうも理解出来ないらしくてね」
「つまりドラゴンにとっては盟約が労働の代わりということですか?」
「確かに不思議なことかもしれない。労働は相手に対して提供するものだが、ドラゴンが世界と取り交わしたという盟約は、何もしないということだ。だが、力関係を考慮に入れてみるとどうだ? もしドラゴンとこの世界の力の差が大人と子どもほどもあるとしたら?」

 学者先生の言葉に俺は息を呑んだ。
 にわかには受け入れがたい話だ。

「それはつまりドラゴンには神を滅ぼす力があるということですか?」
「仮にそう考えると盟約に価値が出て来る。さっきの君の真似をして人間に言い換えてみると、大人が子どもに対して絶対に殴らないと約束したようなものだ。これなら価値があるだろう?」
「まさか。確かにドラゴンの力は強大ですが、神を世界を滅ぼすほどなど……」
「確かに信じがたい話だ。もしこの考察が真実なら、私たちはまさに薄氷の上に立っていることになる。ドラゴンの気分という薄い安全だ」
「いや、だが、盟約は魂に刻まれる。破ることは出来ないものだ。そうでしょう?」
「そう、かな? これも仮定だが、そもそも盟約という制度をこの世界に持ち込んだのがドラゴンだとしたら? ルールを決めたのは彼らということになる。作ったルールは破ることも出来る」
「先生。それ以上は。……いくらなんでも異端な考えとして排除されてしまいますよ」

 俺は慌てて学者先生の言葉を止めた。
 今この場には俺だけではなく勇者たちもいるのだ。
 荷車の音がうるさく響いているとは言え、体に魔力を通して集中すれば目的の声だけ拾うことも可能であることは俺が一番よく知っている。

 勇者が学者先生を告発するということがないにしろ、何かの拍子にこの会話が話題に出るかもしれない。
 異端な思想は強い反発を生む。
 学者先生のような立場の人にとって、それは致命傷になりかねないのだ。

「いやこれは、少々突飛すぎる考えになってしまったかな? 君に諭されるのは久しぶりだな。懐かしいよ」

 学者先生は朗らかに笑う。
 実に楽しそうだ。
 この人は、知らないことを知ることに生涯を捧げている。
 国での立場とか、他人の思惑とか、そういうことが理解出来ないような人ではないが、優先順位では好奇心が一番上に来るのだ。
 昔もそれで危うい場面があった。

「先生はほんと、変わりませんね」

 はぁと息を吐く。

「いやいや、私だって歳月によって変わったよ。昔よりもずっと消極的になった。昔の私だったらとっくにドラゴンの営巣地に行って、その話を聞いているところだ。……いや、そうか! そうだ、直接聞けば早いな。うむ!」
「簡便してください。俺に案内させるおつもりでしょう? 絶対嫌ですからね。ドラゴンには触れるべきではない。それでいいじゃないですか」
「君は保守的だなぁ。冒険者なんだからもっと冒険心を持たねばならないだろう?」
「自殺志願者じゃないですから」

 道中そんな会話をしているうちに、野営の時間となってしまった。
 やれやれ、学者先生といると飽きないな。

 そんな調子で二日が過ぎ、いつの間にやら学者先生はフォルテや若葉と打ち解けてしまった。
 フォルテはともかく若葉のほうの正体は話してないのだが、自明の理だったらしい。

「それでフォルテくんは人間の食事にたいへんな価値があるとそう言うのだね」
「キュルッ、ルルル」
「ガフン」『僕も同意見だ。人間はその感覚が複雑で繊細だ。味覚や嗅覚、触覚などを駆使した料理というものは、万物のことわりを覆すような技能だよ』

 なにか真面目な顔で訳のわからない議論を展開している。
 そして学者先生は普通にフォルテや若葉との会話方法を身に着けてしまった。
 俺たちのようになぜかわかるという段階ではなく、フォルテや若葉がいかなる方法で人間とコミュニケーションを取っているのかということを解明して、専用の術式を構築して勇者に魔力付与させた魔道具を作ってしまったのだ。
 恐るべきは知者である。

「師匠。ザクト師はとんでもない賢者だな」
「今頃わかったのか」
「魔法というのはつまるところ使用する者の感覚頼りのところがある。だが、ザクト師は魔法を使えないのに原理を理解して魔力を使って奇跡を成すための道具を考案してしまった。とてつもない理解力だ」

 勇者の感心のしかたはまた独特だが、学者先生を尊敬したようなのでまぁよしとする。

「大聖堂が学者というものを気にしている理由がわかった」
「大聖堂が?」

 何やら気になることを言い出した。

「昔、クソ導師が言っていたんだ。およそ知者とされる者たちは我々が管理するべきであると。俺はバカがたわごとを言っていると相手にしなかったがな。そもそも知者という連中は国の庇護下にある。国をよりよく運営する為に王に知恵を貸すのが役割だ。大聖堂は政治に介入しないのが約束。それなのに知者を管理するなどと言い出したらその大原則が揺らいでしまう」
「ああ、あの導師なら言いそうなことだな」

 もう亡くなった相手を悪く言うのもなんだが、俺はあの人が嫌いなので、どうしても評価が低くなってしまう。
 というか、勇者よ、いくらなんでもクソ導師はやめろ。
 人に聞かれたらお前の人格が疑われるぞ。
 本質はどうあれ、表面はちゃんと勇者としての憧れられる姿を保っていてくれ。
しおりを挟む
感想 3,670

あなたにおすすめの小説

攫われた転生王子は下町でスローライフを満喫中!?

伽羅
ファンタジー
 転生したのに、どうやら捨てられたらしい。しかも気がついたら籠に入れられ川に流されている。  このままじゃ死んじゃう!っと思ったら運良く拾われて下町でスローライフを満喫中。  自分が王子と知らないまま、色々ともの作りをしながら新しい人生を楽しく生きている…。 そんな主人公や王宮を取り巻く不穏な空気とは…。 このまま下町でスローライフを送れるのか?

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

2年ぶりに家を出たら異世界に飛ばされた件

後藤蓮
ファンタジー
生まれてから12年間、東京にすんでいた如月零は中学に上がってすぐに、親の転勤で北海道の中高一貫高に学校に転入した。 転入してから直ぐにその学校でいじめられていた一人の女の子を助けた零は、次のいじめのターゲットにされ、やがて引きこもってしまう。 それから2年が過ぎ、零はいじめっ子に復讐をするため学校に行くことを決断する。久しぶりに家を出る決断をして家を出たまでは良かったが、学校にたどり着く前に零は突如謎の光に包まれてしまい気づいた時には森の中に転移していた。 これから零はどうなってしまうのか........。 お気に入り・感想等よろしくお願いします!!

間違い召喚! 追い出されたけど上位互換スキルでらくらく生活

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕は20歳独身、名は小日向 連(こひなた れん)うだつの上がらないダメ男だ ひょんなことから異世界に召喚されてしまいました。 間違いで召喚された為にステータスは最初見えない状態だったけどネットのネタバレ防止のように背景をぼかせば見えるようになりました。 多分不具合だとおもう。 召喚した女と王様っぽいのは何も持っていないと言って僕をポイ捨て、なんて世界だ。それも元の世界には戻せないらしい、というか戻さないみたいだ。 そんな僕はこの世界で苦労すると思ったら大間違い、王シリーズのスキルでウハウハ、製作で人助け生活していきます ◇ 四巻が販売されました! 今日から四巻の範囲がレンタルとなります 書籍化に伴い一部ウェブ版と違う箇所がございます 追加場面もあります よろしくお願いします! 一応191話で終わりとなります 最後まで見ていただきありがとうございました コミカライズもスタートしています 毎月最初の金曜日に更新です お楽しみください!

公国の後継者として有望視されていたが無能者と烙印を押され、追放されたが、とんでもない隠れスキルで成り上がっていく。公国に戻る?いやだね!

秋田ノ介
ファンタジー
 主人公のロスティは公国家の次男として生まれ、品行方正、学問や剣術が優秀で、非の打ち所がなく、後継者となることを有望視されていた。  『スキル無し』……それによりロスティは無能者としての烙印を押され、後継者どころか公国から追放されることとなった。ロスティはなんとかなけなしの金でスキルを買うのだが、ゴミスキルと呼ばれるものだった。何の役にも立たないスキルだったが、ロスティのとんでもない隠れスキルでゴミスキルが成長し、レアスキル級に大化けしてしまう。  ロスティは次々とスキルを替えては成長させ、より凄いスキルを手にしていき、徐々に成り上がっていく。一方、ロスティを追放した公国は衰退を始めた。成り上がったロスティを呼び戻そうとするが……絶対にお断りだ!!!! 小説家になろうにも掲載しています。  

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!

ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。 悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。

スキルポイントが無限で全振りしても余るため、他に使ってみます

銀狐
ファンタジー
病気で17歳という若さで亡くなってしまった橘 勇輝。 死んだ際に3つの能力を手に入れ、別の世界に行けることになった。 そこで手に入れた能力でスキルポイントを無限にできる。 そのため、いろいろなスキルをカンストさせてみようと思いました。 ※10万文字が超えそうなので、長編にしました。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。