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第六章 その祈り、届かなくとも……

527 思い出を語る人

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 舟は湖の中央を斜めに横切る形で進んで、本来の対岸よりもかなり東寄りの対岸に到着した。
 大巫女様の言うには、この湖は広げた鳥の翼のような形をしていて、今到着した場所は中央のくぼみ部分に当たるらしい。
 そこが大巫女様の部族である「風舞う翼」の治める街になる。

「風舞う翼……か」
「不思議。ちょっと前に来たはずなのにとても久しぶりに来たような気がする。あまり外に出なかったからうろ覚えだけど、こんな風景じゃなかったような」

 メルリルが不思議そうに周囲を見回した。
 どうやらメルリルはまだ俺たちが過去の大連合に飛ばされていたらしいということに考えが至っていないようだ。
 そりゃあそうだろうな。
 俺だって未だに信じられない。

 見覚えのある部族の紋章の入った布を見ると、その向こうからミャアや鷹のダックが顔を出すんじゃないかという気さえする。

「そうだ、な。俺たちがいた頃・・・は、湖なんてなかったからな」
「あ、もしかして、この湖ってあのときの? でも、それだと変だよね?」

 メルリルが首をかしげた。
 湖が最後に目にした滝から出来たのだと理解したのだろう。
 そしてそれにしては人々が湖に馴染みすぎていることに気づいたのだ。

 そうだよな。
 人は時間をさかのぼって過去を訪れたり出来ないものだ。
 だが、おそらくは精霊界がそれを可能にしてしまった。
 そしてその俺たちがはまり込んだ時間の歪みから聖女が神の盟約の力を使って引っ張り出してくれた。
 それがきっと起こった全ての出来事なんではないかと思う。

 しかし、メルリルにそれを説明するのはなんとなくはばかられた。

「ずっと気になっていたの。ミャアは大丈夫だったかって。あんな酷いケガをしたんだからまだ治療中だろうけど」
「……メルリル。そのことで話が……」
「おおっ!」

 俺が意を決してメルリルに事の次第を説明しようと思ったときだった。
 船着き場から少し進んだ場所は少し小高くなっていて、たくさんの木が植えられている。
 その木の間から一人の爺さんがよろよろと歩み出て来たのだ。
 その爺さんの目はふらふらとさまよっていたが、ふと俺と目が合った途端、ぼんやりとしていた視線がはっきりとした意思を持った。

「あんた、あんた、おぼえとるぞ! あんときの、あの瓶をイメリダに贈ったら感激してくれてのう。婚姻の誓いを交わしてくれたんだよ。今でも大事に飾ってるんだよ。ちょっとヒビが入ってしまったけどなぁ」

 意外と力強く走って来た爺さんは俺の手をガシッと掴むと抱擁した。

「ありがとう、ありがとう、ずっと礼を言いたかったんだ」
「爺さん!」

 面食らっている俺たちの前に、もう一人その爺さんを追うように一人の青年が姿を現した。

「すんません爺さんボケちまって。若い頃に精霊王とその依代と巫女のお二人に会ったとかで、知らない人がいると急に話しかけたりするんです」
「あの……」
「おわっ、よく見たらあんたら外からの客人か? す、すまない。うちの部族に変な印象持たないでくれよ」

 俺の手が離れた途端、爺さんの目から知性の輝きが消え失せた。
 どこを見ているかわからないような目を青年に向けている。

「ん? 婆さんはどこだ? メシの用意をしてもらわんと」
「ったくお婆ちゃんは先に精霊の野に導かれて行っただろ。それにメシなら朝に食ったじゃないか」
「さっき起きたところだろ?」
「いやいや」

 少しボケた老人と孫。
 二人はそういう関係だろう。
 だが、その老人の姿に、俺には別の姿が重なって見える。

 元気で、好奇心の強い物怖じしない若者。
 そう、ちょうど目前の青年とよく似ていた。

「ダスター、もしかしてこの人」

 メルリルも気づいたようだった。

「大巫女様、アルフ、ちょっと寄り道していいか?」
「……どうしました? その者がなにかそそうを?」
「なんだ?」

 俺の言葉に不思議そうにする二人に、なんでも無いがちょっとやることが出来たと告げる。
 二人は同時に首をかしげながらも、了解してくれた。
 そして大巫女様は目立つ大きな建物を指差してそこにいるからと教えてくれる。

 許可を取った俺は、去ろうとしていた二人を呼び止めた。

「すまない」
「はい?」

 大巫女様を見て慌てて頭を下げて去ろうとしていた青年は、俺とメルリルを不思議そうに見る。

「申し訳ないが、その、お爺さんと少し話をさせてもらっていいか?」
「へ? でも、爺さんはその……」
「迷惑はかけないから」

 俺は以前フォルテと一体化したときに、自分の翼から光のように散って行く魔力の塊を何かに使えないかと取っておいたことがある。
 それは俺の手のなかで何の変哲もない一枚の羽根に変わった。
 何の変哲もないと言っても、それはまるで青い水晶で作られたかのように美しくはあったのだ。
 なんとなく懐に入れていたその羽根の一枚を取り出し、俺は青年に差し出す。

「迷惑料代わりにこれをやるからさ。想い人に飾りでも作ってやれ」
「お? おおおっ、青い羽根か! 俺たちの部族のシンボルと一緒だな。これをやったらヒヨナ、よ、喜ぶだろうな」
「な?」
「まぁいいか。爺さんどうだ?」
「おお。お客人と話すのは久しいなぁ」

 ニコニコと笑う爺さんに安心したのか、青年は俺たちを自分の家に招待してくれた。

「好きなだけいてくれていいし、いつ出て行ってもいいけど、爺さんが勝手に抜け出さないように扉は閉めておいてくれよな」
「わかった」

 爺さんの孫は何やらニヤニヤしながら俺たちと爺さんを残して家を後にする。
 不用心だなと思うが、そういう部分はあまり変わってないのだろう。
 俺たちを軟禁していたときだって、出入り自由だったしな。
 爺さんは相変わらずボーッとした様子でニコニコと笑っていた。

「ダスター、もしかしてこの人、あのときの?」
「ああ……あ、これか」

 昔見張りの少年に渡した珍しい瓶入りの酒。
 その瓶だけが棚の上に大事そうに飾ってある。
 古びて、少しだけヒビが入ってはいたが、見覚えがある形と色だった。

「その瓶、精霊がいます」
「へ?」

 メルリルの言葉に驚く。
 振り向くと、メルリルが涙をこぼしていた。

「この家の人たちを見守って来た精霊。そのお爺さんと今は亡くなった連れ合いの方が結婚を誓ったときに生まれたと言っています」
「それは、さすがに驚いたな」
「そんな、……そんなことが起こるなんて……」

 俺はその瓶に触れることなくよろめくメルリルに寄り添いつつ爺さんの前に戻って座った。

「覚えているか?」
「もちろん。あの後大変だったんですよ。ずっとお祭り騒ぎのようで、楽しかったなぁ」

 爺さんの精神は、ぼんやりした様子とはっきりと目が覚めている状態をゆらゆらと揺れ動いているようだった。
 俺と話しているときにはまるで青年の頃に戻ったような若々しい表情を見せる。
 気づくと、フォルテが髪の間から姿を現して、元の見た目に戻っていた。

「ピャッ!」
「おお、ありがたや、生きて再び精霊王様にお目にかかれるとは。精霊の野に行ってから婆さんに話してやることが増えたなぁ」

 フォルテの青い光が舞い散るようにその部屋に降り注ぐ。
 爺さんはどうやら完全に正気に戻ったようだった。
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