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第六章 その祈り、届かなくとも……

454 弱さと残酷さ

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 その日、俺は朝一番に響いた悲鳴に、半分眠っていた意識を叩き起こされた。
 ただの悲鳴ではない。
 命の危険を感じさせる切羽詰まった悲鳴だ。

「何事だ!」

 入り口の覆いを跳ね除けて見張りをしている少年達に尋ねる。
 少年達は険しい顔をして答えた。

「裏切りだ」
「許せねえ!」

 憤りのあまり彼らの顔は真っ赤だった。
 再び悲鳴が響く。
 女の、それもまだ幼い声。

「ダスター、ミャアの名前が聞こえる」

 メルリルが気遣わしそうに言った。
 風を使って現場の声を拾ったのだろう。

「そうだ、あいつが裏切った! 風舞う翼の巫女のくせに!」
「どういうことだ?」

 俺はまず落ち着いて問いただした。
 こっちが慌てると相手も興奮してしまう。
 そうなると人は感情でしか話をしなくなる。
 問題が発生したときこそ落ち着いた言葉が必要なのだ。

「お、俺達も詳しくは知らないんだけど、ミャアの奴が、あの裏切り者が、ダックさんに毒を盛ったって」
「なんだと!」

 思わず叫んだ俺に少年達が怯む。
 いかん。落ち着け落ち着け……。

「それは、有り得ないだろ。ミャアはみんなが豊かに暮らせることを祈っていた。誰かを傷つけるような娘じゃない」
「俺達もそう思ってたさ。だけど、全部嘘だったんだ!」

 なるほど。
 信じていた相手に騙されたと思ったときに、人の反応は過激になる。
 彼らには今何を言っても無駄だろう。
 誰かがミャアを庇えば庇う程、憎しみがつのるはずだ。

「出るぞ!」
「はい」
「ピャッ!」

 俺は自分達に充てがわれた天幕ゲルを飛び出す。

「ちょ、おい! 駄目だって!」
「ちょっと待て!」

 少年達は初動で俺を取り押さえそこねた。
 今の今まで逃げ出すそぶりも見せなかったので、どこか気が緩んでいたのだろう。
 まぁ罪人じゃなくて客人だと言われてたんだろうしな。

 集落中の人が集まっているとも思える人だかりの中央に、入り口の巨大な文様が刻まれた柱に吊るされたミャアの姿があった。
 両手はしばられ、足と共に関節が砕かれているようだ。
 さらに何度も石をぶつけられたのだろう。あちこち充血したり、出血したりしている。

 今も何人もの人が石を握って投げつけていた。

「裏切り者!」
「許さない!」
「死ね!」

 そんな言葉と共に、当たりどころによっては人を殺すことも出来る石がぶつけられる。
 俺は人混みをかき分けるとミャアの真下に出た。
 周囲の人たちはぎょっとしたように身を引いた。

 集落の半分以上の人間は俺とメルリルとフォルテを見ていない。
 いきなり見知らぬ人間が集落のなかから現れたら驚くだろうな。

「話を聞きたい」
「てめえ! よそ者のくせにしゃしゃり出やがって! ……いや、案外こいつをそそのかしたがお前なんじゃないか?」

 ギラギラとした嫌な目つきの少年、確かナルボックと言ったか。

「ナルボック。族長はどこだ? 長老は?」
「うっせ、きさまに……」
「答えろ!」

 腹から出した声に魔力を乗せる。
 衝撃にナルボックがひっくり返った。
 魔力の放出がほとんど出来なくても、もともと人の体が放出するものに魔力を乗せることなら出来る。
 やろうと思えば魔物を一瞬ひるませることも出来る冒険者の技術だ。

「き、きさま……」
「答えろ!」
「ぐっ、鷹のダックのところだ。なんとか毒を吐かせたが、身体の状態が悪いらしい」

 ナルボックは、仕方なく答えた。
 状態が悪いということは、鷹のダックは死んではいないということか。

「聞けナルボック。お前ミャアと仲がよかっただろう、ミャアはお前を兄と呼んでいた」
「そいつは親なしでうちで一緒に育ったから」
「それならわかるだろう。ミャアは人を傷つけたりする娘じゃないと」
「でも、実際にそいつは鷹のダックに毒を盛った!」
「事情は聞いたのか?」
「聞いたさ、でも何も答えなかったんだ! 親父が手足を砕いて手引きをした奴を吐かせようとしたが、それでも何も言わねえ。なら、もうその身で罪をあがなうしかねえだろうが!」
「その理屈は納得出来ない」

 俺は低く言って周囲を睥睨した。
 周りを囲んだ人々は、突然の出来事に一時的に興奮状態から冷めて行動を決めかねているようだ。

「フォルテ!」
「ピッ!」

 俺の肩から飛び立ったフォルテはその翼でミャアを吊るしているロープを断ち切った。
 俺は落ちてきたミャアをなるべく衝撃を感じないように受け止める。
 腕のなかに抱えた少女はぐったりと動かず、呼吸も酷く細い。

 ここに聖女がいたならと、俺は切実に思った。
 ミュリアなら今のミャアの状態でも、痛みを和らげ、傷を回復させることが出来ただろうに。
 俺にはただ優しく撫でてやることしか出来ない。

「貴様!」

 殴りかかって来るナルボックを片腕で跳ね飛ばす。

「裏切り者に罪を償わせろ!」
「よそ者は去れ!」

 一部の我に返った人々が今度は俺に向かって石を投げる。

「風は渦となり、愛し子をそのかいなにいだきたもう」

 メルリルの優しい声が響き渡り、風が俺たちの周囲を覆った。
 石も人もその風の渦に弾き飛ばされる。

「ありがとう、メルリル」
「私も、怒ってるから」
「ダスター……さん? 風の王の主」
「クルルル……」

 驚くべきことに、ミャアは意識を取り戻し、俺を認識した。
 肩に戻って来たフォルテが俺と共に傷だらけのミャアの顔を覗き込む。

「なぜだ。なぜ理由を話さなかった。誰を庇っている?」
「えへへ。隠し事、出来ない、ね。でも、違うの、きっと、何か、間違いが……あったの。だって、友好のために、特別に、……お酒、……それで殺し合わない……戦いに……」

 ミャアの声が震える。
 おそらくはミャア自身もうわかっているのだ。
 自分が騙されたことを。
 優しい思いを利用され、踏みにじられたことを。
 それでも相手を信じようとしている。

「ずっと……ずっと、苦しかった。わたし、たちの、豊かな暮らしの、影に、……飢え乾いて死ぬ人が、いる、の」
「勝者と敗者がいる限り、結局は苦しむ者がいる」

 持たない者から見れば、勝者の優しさは傲慢な施しに見える。
 ミャアはきっと、酷く憎まれたのだろう。
 だから騙したのだ。

「人間がこの大陸で豊かに生きるために必要なのは強さじゃない。強さは結局その場を凌ぐ力でしかない。ミャア、この国の人々が豊かになる手助けをするために、苦しい生を選ぶ勇気がお前にあるか?」
「もし、それが見れるなら……生きたい……生きたいよぉ!」
「フォルテ!」

 ミャアの魂の叫びを聞いて、俺はフォルテを体内に呼び寄せる。
 
「メルリル、あの聖地に飛ぼう。あそこの豊富な魔力ならミャアは自分で自分を癒せる」
「わかった。あそこは薬草も豊富みたいだから」






 罪人を囲んで裁きを行っていた風舞う翼の民は、突然の闖入者に戸惑いと怒りを感じていた。
 しかし、異邦人の体から放たれた青い光と共に巫女のロープが切れ、一つところに留まる不思議なつむじ風が発生すると、彼らは畏れを感じる。
 もしかすると、自分達は恐るべき存在を目の前にしているのではないか? と。

「精霊の怒り?」

 誰かの呟きはさざなみのように広がり、恐怖は伝染する。
 そして、まるで風の繭から羽化するように輝く青の翼を背負った男が飛び立つ。

 人々はただ呆然と、飛び去るその姿を眺めるしかなかったのである。 
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