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第六章 その祈り、届かなくとも……
452 犠牲に傾いた天秤は何をもって釣り合わせるのか
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ミャアは俺たちの天幕で茶を飲み、おやつを食べてごろごろしていたが、何やら気がかりなことがあるという顔をしていた。
おそらく身内に言いにくいことをよそ者である俺たちに聞いてもらいたいのだろう。
「何か言いたいことがあるんじゃないか?」
相手が言い出しにくいならこっちから切り出す。
関わり合いにならないようにするには世話になりすぎてるからな。
「祭事が、あるのです」
ミャアは少しためらった後切り出した。
「祭事? そういえば何かそんなようなことを言っていたな」
「私達は普段、それぞれの部族ごとに固まって暮らしています。ただ、暮らしやすい場所は少なく、昔はよりよい土地を巡って終わりのない戦いをしていたと聞きます」
「ってことは今は争いはなくなったのか?」
「いえ……いえ、そうですね。荒野が血で真っ赤に染まったと言われるようなむごい戦いはなくなりました」
戦いがなくなったという割には、ミャアの表情は晴れなかった。
「で、戦いの代わりになったのがその祭事という訳か?」
「そうです。私達は精霊の名の元に、不毛な争いを止め、それぞれの部族の代表同士の戦いで土地を選ぶ順番を決めることとなったのです」
「なるほどね。部族が全滅することを考えれば、犠牲が数人で済むならたしかに賢い選択と言えるかもしれないな」
「そう……ですよね」
俺はミャアをじっと見た。
「その祭事で人は死ぬのか?」
「えっ!」
「少ないにしろ犠牲が出るからそんな顔をしているんだろう?」
ミャアは真っ赤になって自分の顔を触る。
いや、表情なんて触ってわかるもんじゃないだろ。
ミャアはしばらくペタペタと自分の顔を触っていたが、やがてため息をついて茶をひと口飲む。
「そう……ですね。数で言えばとても少ない犠牲です。でも、やっぱりそれは殺し合いなんです」
ミャアは手のなかのカップをくるくると回す。
「私達は一つの部族だけでは豊かな暮らしは出来ません。この器やお茶、塩や野菜、そういうのは全部交易の場で交渉して手に入れるんです。交流があればお互いを知り、好意を抱くことだってある」
「ミャアの好きな人が死にそうなのか?」
俺がズバリと聞くと、ミャアはアワアワと手のなかのカップをあやうく落としそうになった。
そして真っ赤になりながら言う。
「もう! そういうのを下世話って言うんですよ!」
「悪かった。だがな、人が人を大切に想うことは恥ずかしがるようなことじゃない。人が幸せにあるためには、誰かを好きでいることはとても重要だ。俺はときどき思うのさ。好意を抱く相手がいないということこそが最悪の生なのかもしれない、と」
俺の言葉にミャアは首をかしげた。
「誰かに愛されることよりも愛するほうが幸せということですか? でも、愛するってときどきすごく辛くないですか?」
「そうだな。誰かを好きになると、その相手が喜べば自分もとても幸せになるが、相手が苦しいときには自分も苦しくなる。確かにいいことばっかりじゃないな」
ハハハと笑うと、横でメルリルがウンウンとうなずいている。
「好きな人が無茶をする人だとなおさらですね」
おおう。なにやら不穏な気配が……。
「それもあるけど、その、相手が自分を好きかどうか、わからないと、辛くないかなって」
ミャアがいいタイミングで話を変えた。
「相手が自分を好きじゃないのは確かに辛いな。嫌われているなら遠くから相手の幸せを祈るぐらいしか出来ないし」
「私がダスターを嫌うことなど有り得ません」
俺がちらっとメルリルを見ると、慌てたようにそう言った。
いや、別に嫌われたとか思ってないぞ。本当だぞ?
ミャアがコホンと可愛く咳払いする。
「ええっと、ごちそうさまでした。また、来ますね」
「ああ。何か吐き出したいことがあるんならいつでも聞いてやるぞ」
ミャアは器を床に置くと、入り口の垂れ幕をかき分けて出て行った。
それにしても、あんな小さいのにもう好きな人がいるのか。
女の子ってのは早熟だなぁ。
俺があの年だった頃は師匠にゴロゴロ転がされてたっけ。
泥だらけでガリガリで、女の子のことなんか思い浮かべることもなかった。
その後は、師匠の女遊びの後始末に奔走して、女性に抱いていた夢はこなごなに砕け散ったんだよな。
いかん、変なことまで思い出してしまった。
それにしても、戦争代わりの祭事、ね。
「部族全員が死ぬよりは、選ばれた戦士だけが死ぬほうがマシ、か。……間違いじゃないとは思うんだが」
「戦士……?」
「んー、つまりはそういうことだろ。あの鷹のダックのような戦士が部族の命運を賭けて戦う。だから尊敬されるし、その言葉が重い。普通は戦士なんて使い捨てだから長老との話し合いの場のようなところで意見を言えるはずがない。彼がこの部族の命運を握っているからその言葉が通るんだろう」
「ということは、ミャアちゃんはほかの部族の戦士が好きってこと?」
「そうなるな。因果なことだ」
俺は床をトントンと指で叩く。
「結局は勇者と同じだ。人々のために戦って傷ついて死ぬ。多くの人はそれを称えるだろう。だが、その勇者を一人の人として大切に思っている人間はどうだろうか? そんな立場に彼を追いやった世界を憎まないだろうか?」
「それは……もしかしてあの東の邪神だった人のこと?」
俺は驚いた。
メルリルはあの戦いの場にはいなかったはずだ。
なんで知っているのだろう?
「聞いていたのか?」
メルリルは風の精霊の力で遠く離れた音を聞くことが出来る。
それで聞いたのだろうか?
「全部じゃない。ミュリアの結界が壊れて、ダスターの声を探した。そのときに少し。あと、ダスター、寝ているときにときどき苦しそうに謝ってた」
「う、それは、知らなかったな」
俺はあの天守山の主を倒したときに特に罪悪感を覚えることはなかったはずだが、心の奥では気にしていたということなのだろうか?
確かに初代勇者の話を聞いたときには酷い話だと思ったが、あの勇者の父親は自業自得にすぎない。
もしかしたら、……あの最期の顔が、勇者を見たあの邪神のなかにいた年老いた男の顔が印象深かったのかもしれない。
哀しみと憎しみが消え去った後に浮かべた、あの、なんとも言えない安心したような顔。
ただの疲れ果てた老人がその目に浮かべた涙が。
おそらく身内に言いにくいことをよそ者である俺たちに聞いてもらいたいのだろう。
「何か言いたいことがあるんじゃないか?」
相手が言い出しにくいならこっちから切り出す。
関わり合いにならないようにするには世話になりすぎてるからな。
「祭事が、あるのです」
ミャアは少しためらった後切り出した。
「祭事? そういえば何かそんなようなことを言っていたな」
「私達は普段、それぞれの部族ごとに固まって暮らしています。ただ、暮らしやすい場所は少なく、昔はよりよい土地を巡って終わりのない戦いをしていたと聞きます」
「ってことは今は争いはなくなったのか?」
「いえ……いえ、そうですね。荒野が血で真っ赤に染まったと言われるようなむごい戦いはなくなりました」
戦いがなくなったという割には、ミャアの表情は晴れなかった。
「で、戦いの代わりになったのがその祭事という訳か?」
「そうです。私達は精霊の名の元に、不毛な争いを止め、それぞれの部族の代表同士の戦いで土地を選ぶ順番を決めることとなったのです」
「なるほどね。部族が全滅することを考えれば、犠牲が数人で済むならたしかに賢い選択と言えるかもしれないな」
「そう……ですよね」
俺はミャアをじっと見た。
「その祭事で人は死ぬのか?」
「えっ!」
「少ないにしろ犠牲が出るからそんな顔をしているんだろう?」
ミャアは真っ赤になって自分の顔を触る。
いや、表情なんて触ってわかるもんじゃないだろ。
ミャアはしばらくペタペタと自分の顔を触っていたが、やがてため息をついて茶をひと口飲む。
「そう……ですね。数で言えばとても少ない犠牲です。でも、やっぱりそれは殺し合いなんです」
ミャアは手のなかのカップをくるくると回す。
「私達は一つの部族だけでは豊かな暮らしは出来ません。この器やお茶、塩や野菜、そういうのは全部交易の場で交渉して手に入れるんです。交流があればお互いを知り、好意を抱くことだってある」
「ミャアの好きな人が死にそうなのか?」
俺がズバリと聞くと、ミャアはアワアワと手のなかのカップをあやうく落としそうになった。
そして真っ赤になりながら言う。
「もう! そういうのを下世話って言うんですよ!」
「悪かった。だがな、人が人を大切に想うことは恥ずかしがるようなことじゃない。人が幸せにあるためには、誰かを好きでいることはとても重要だ。俺はときどき思うのさ。好意を抱く相手がいないということこそが最悪の生なのかもしれない、と」
俺の言葉にミャアは首をかしげた。
「誰かに愛されることよりも愛するほうが幸せということですか? でも、愛するってときどきすごく辛くないですか?」
「そうだな。誰かを好きになると、その相手が喜べば自分もとても幸せになるが、相手が苦しいときには自分も苦しくなる。確かにいいことばっかりじゃないな」
ハハハと笑うと、横でメルリルがウンウンとうなずいている。
「好きな人が無茶をする人だとなおさらですね」
おおう。なにやら不穏な気配が……。
「それもあるけど、その、相手が自分を好きかどうか、わからないと、辛くないかなって」
ミャアがいいタイミングで話を変えた。
「相手が自分を好きじゃないのは確かに辛いな。嫌われているなら遠くから相手の幸せを祈るぐらいしか出来ないし」
「私がダスターを嫌うことなど有り得ません」
俺がちらっとメルリルを見ると、慌てたようにそう言った。
いや、別に嫌われたとか思ってないぞ。本当だぞ?
ミャアがコホンと可愛く咳払いする。
「ええっと、ごちそうさまでした。また、来ますね」
「ああ。何か吐き出したいことがあるんならいつでも聞いてやるぞ」
ミャアは器を床に置くと、入り口の垂れ幕をかき分けて出て行った。
それにしても、あんな小さいのにもう好きな人がいるのか。
女の子ってのは早熟だなぁ。
俺があの年だった頃は師匠にゴロゴロ転がされてたっけ。
泥だらけでガリガリで、女の子のことなんか思い浮かべることもなかった。
その後は、師匠の女遊びの後始末に奔走して、女性に抱いていた夢はこなごなに砕け散ったんだよな。
いかん、変なことまで思い出してしまった。
それにしても、戦争代わりの祭事、ね。
「部族全員が死ぬよりは、選ばれた戦士だけが死ぬほうがマシ、か。……間違いじゃないとは思うんだが」
「戦士……?」
「んー、つまりはそういうことだろ。あの鷹のダックのような戦士が部族の命運を賭けて戦う。だから尊敬されるし、その言葉が重い。普通は戦士なんて使い捨てだから長老との話し合いの場のようなところで意見を言えるはずがない。彼がこの部族の命運を握っているからその言葉が通るんだろう」
「ということは、ミャアちゃんはほかの部族の戦士が好きってこと?」
「そうなるな。因果なことだ」
俺は床をトントンと指で叩く。
「結局は勇者と同じだ。人々のために戦って傷ついて死ぬ。多くの人はそれを称えるだろう。だが、その勇者を一人の人として大切に思っている人間はどうだろうか? そんな立場に彼を追いやった世界を憎まないだろうか?」
「それは……もしかしてあの東の邪神だった人のこと?」
俺は驚いた。
メルリルはあの戦いの場にはいなかったはずだ。
なんで知っているのだろう?
「聞いていたのか?」
メルリルは風の精霊の力で遠く離れた音を聞くことが出来る。
それで聞いたのだろうか?
「全部じゃない。ミュリアの結界が壊れて、ダスターの声を探した。そのときに少し。あと、ダスター、寝ているときにときどき苦しそうに謝ってた」
「う、それは、知らなかったな」
俺はあの天守山の主を倒したときに特に罪悪感を覚えることはなかったはずだが、心の奥では気にしていたということなのだろうか?
確かに初代勇者の話を聞いたときには酷い話だと思ったが、あの勇者の父親は自業自得にすぎない。
もしかしたら、……あの最期の顔が、勇者を見たあの邪神のなかにいた年老いた男の顔が印象深かったのかもしれない。
哀しみと憎しみが消え去った後に浮かべた、あの、なんとも言えない安心したような顔。
ただの疲れ果てた老人がその目に浮かべた涙が。
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