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第四章 世界の片隅で生きる者たち

317 氷翠の花

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 遅い朝食も終わり、俺たちは全員で噂の湖へと向かうことになった。
 その湖、アリカ湖は、ここアリカ湖町の名前の由来となっているほど町と縁の深い湖だ。
 ここいら一帯の水源となっているのである。
 この町は井戸ではなく、湖から水路を引いてその水を使っているのだ。
 かなり大きくて、美しい湖らしい。

「お屋敷跡ですか? 今の時期なら冬に咲く氷翠の花が見れますよ。風のない晴れた日には湖のなかほどにある島が湖面に映って、それは美しいんです。子どもたちもよく遊びに行っています」

 アリカ湖のことを尋ねると、町長がにこやかにそう教えてくれた。
 そして、糸紡ぎの老婆に聞いた、アリカ湖のほとりの屋敷で起こった出来事を話すと。

「そうですか、あの屋敷跡にそんな謂れがあったとは知りませんでした。今度、安らかに眠れるようにきれいにしてあげたほうがいいかもしれませんね」

 と、胸の前で神との約束の聖印を切り、しばし目を閉じて死者に祈りを捧げていた。
 アリカ湖へは旧街道を通って行くのが早いということでのんびりと荒れ果てた道を歩いて進んだ。
 背の高い草がまばらに生えているだけでなく、大きな石があったり、穴が開いていたりと、普通に馬を走らせたら馬の足が傷みそうそうな道だ。
 首なし騎士にもし実体があったらここを走ろうとは思わなかったかもしれない。
 しばらく進むと、聞いた通りに右手に曲がる脇道があった。
 道はそれなりの広さがある。
 貴族の屋敷があったのだから馬車が通りやすいように整備していたのだろう。
 屋敷への引き込み道を辿ると、大きな湖が目の前に広がった。

「おお、美しいな」

 勇者が一見して声を上げた。

「ほんとうに」

 聖女も感動したように同意する。
 確かにその湖は美しかった。
 湖面はわずかに緑色に近い色合いに見えるが、それは周囲の木々が写り込んでいるからなのかもしれない。
 この辺りでは冬にも枯れない木々が多いようで、天に向かってまっすぐに伸びた木々が緑の葉を茂らせていて、その影を湖に落としている。
 さらに道を進むと、今度は元貴族の屋敷跡というのが見えて来た。
 ところどころ崩れてはいるものの、規則正しく積まれた四角く切り取られた石の形は、自然のものではないので、人の手の入っていないこの場所にあってとても目立つ。
 それでいながらびっしりとツタや苔などに覆われて茶色くくすんだ屋敷跡は、これ以上なくその風景に相応しいようにも見えた。

「あ、これが氷翠の花ですね、きれい!」

 聖女が珍しくはしゃいだように走る。

「走ったら危ないよ!」

 旧街道を通るときにはなにやら落ち着かない様子だったモンクだったが、さすがに反応が早く、走る聖女をすぐに追った。
 まぁ聖女については任せておけばいいだろう。
 それにしても聖女の言う通り、氷翠の花とやらは廃墟となった元貴族の屋敷跡を美しく彩っていた。
 決して豪華な花ではなく、足元に咲くとても小さな花の集まりにすぎないのだが、だからこそ、地面を覆うように咲き誇り、青い色合いで目の前の世界を色鮮やかに輝かせている。
 悲劇の舞台であるはずの屋敷跡が、どこか穏やかで優しい場所のようにすら見えた。

「ここは、とても調和が取れています」

 メルリルが嬉しそうに言った。

「ということは、こっちはもう未練なく世界の輪のなかへ戻ったということか」

 皮肉なことだ。
 罪人であったはずの元貴族の一家が死を受け入れ、それを助けたかった騎士が未練を残す。
 そんなことを考えていたら、バサッとフォルテが俺の頭から飛び上がり、自分の色合いに近い花の上をトントンと跳ね歩きはじめた。
 色が被っているから保護色になって見つけにくいな。
 そんなフォルテを微笑ましそうに見ていたメルリルは、湖をちらりと見て、唐突に笛を取り出して曲を奏で出す。
 響く音色は静かでやさしく、気づくと木々を揺らしていた風が止んでいた。

「師匠、湖!」

 勇者が湖を指さした。
 風が止んだ湖は波一つなく静まり、空と周囲の風景を映し出す。
 湖の中央近くにある島は、緑と黄色の彩りにこんもりと盛り上がっているのだが、その色合いがそのまま湖に映り、虚実の姿が合わさって丸い円を描いた。
 それは現実でありながら幻想のような光景だった。
 そんな美しい景色を眺めていると。

「師匠は見ていたんだよな、首なし騎士の消えるところ。それで何かそいつが納得して世界の輪に還る方法を思いついたんじゃないか? だから何か考えがあってここに来たんだよな」

 勇者が唐突にそんなことを言い出した。
 勇者の信頼が重い。
 そして首なし騎士に勇者が言及した途端に、モンクがビクッと体を震わせた。 

「ああ。首なし騎士は周囲が明るくなると馬の足を早めた。暗闇では全速で走れなかったからだと思う。空が白んで完全に日が昇るまでそれなりに時間はあるんだが、やがて日が昇ってしまって無念そうに消えていった。だから、もし目的地が近いなら、最初から全速で馬を走らせていたら間に合ったんじゃないかと思ってな」
「最初から全速力で馬を走らせるのか。帝都からだとちょっと無茶だが、あの町のところからならいけそうだな」

 勇者は俺の言葉にうなずくと、聖女を見た。

「ミュリア、どうにかなるものなのか?」
「そう、ですね。幽霊というのは魔の力の影響を強く受けるものなので、日の光には弱いのですが、月の光には逆に力を得ます。月光を利用すればもしかしたら導けるかもしれません」

 勇者の言葉を受けて、聖女が説明する。
 月光の力ね。

「あの……」

 と、メルリルが言葉を挟んだ。

「言いたいことがあるならどんどん言ってくれよ。俺には思い浮かばないようなこともメルリルなら思いつくことがあるだろ。それぞれ違う知識を持った者同士が知恵を出し合うところにパーティの強さがあるんだからな」
「あ、うん。あの、もしよかったら、この氷翠の花を使ってみたらどうかな?」
「氷翠の花を?」

 メルリルの提案に聖女が首をかしげる。

「ええ。私たち巫女メッセリの術のなかには、花を使って光を灯す術があるのだけど。その光というのは月の光なの」
「あ、そうか!」

 思い出した。
 そう言えば、メルリルの住んでいた森の集落の家には、光る花が照明として使われていたっけな。

「そんな術があるんですね。森人の魔法はわたくしたちとは違っていて、不思議です」
「私からすれば、平野の人たちの使う魔法のほうが不思議だけど」

 聖女とメルリルが顔を見合わせて笑う。
 森の力を使う巫女メッセリであるメルリルにとって、植物を使うことは得意中の得意ということか。
 聖女もメルリルも頼もしいな。
 後は実行可能な計画に仕上げるだけだ。
 さて、なんとか、首なし騎士の願いを叶えてやらないとな。
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