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第四章 世界の片隅で生きる者たち

314 糸紡ぎの老婆

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 夜が明けて首なし騎士も消えたので俺たちは町長宅に戻ることとした。
 明るくなったばかりだが、町の人々は既に動き出していて、畑へと急ぐ姿も多い。
 みな俺たちの姿を見ると、一瞬不思議そうな顔になるが、ああと何かを納得したようにうなずき、にこやかに挨拶をして通り過ぎる。
 どうやら余所者が滞在しているという噂が回っているようだ。

 町長宅では家人が忙しく立ち働いていて、町長も井戸のところで作業をしていた。

「おはようございます」
「おお、冒険者殿、おはようございます。どうでしたか?」

 町長に挨拶をすると、挨拶を返した後に不安そうに尋ねて来る。
 依頼の経過報告も仕事のうちなので、俺は安心させるようにうなずいて目撃したことを説明した。

「出ました。それほど悪いものではなさそうですが、どうやら幽霊のようですね。何か果たしたい未練があるようですが、この辺の歴史とかでそういう逸話は残っていませんか?」
「未練……ですか」

 町長は少し驚いたようだったが、しばし考え込むと俺の問いに答える。

「この近隣の歴史についてなら、糸紡ぎの婆さんが詳しいと思います。この町は実は五十年ほど前にこの形になったわりと新しい町なんです。その前の村時代からここに住んでいたあの婆さんなら何か知っているかもしれません」
「それなら後で訪問させていただきます。まずは少し休ませていただいていいですか?」
「もちろんですとも。家人にも客間周りは静かにするように言っておきますので、存分にお休みください」

 とりあえず報告を終え、必要な情報も確認出来たので、俺たちは部屋で休むことにした。
 何しろいつ出るかわからない首なし騎士を外で待ち続けたのだ。
 体は氷のように冷え切っているし、筋肉がカチカチに固まってキリキリと痛む。

「聞いただろ。みんなご苦労さま。昼過ぎまで休んでくれ」
「わかった」

 一番元気のいい勇者が答えただけで、メルリルと聖騎士はすでにふらふらで答える気力もないようだった。
 メルリルを女部屋に送り、モンクと聖女に後のことを任せて、男部屋に戻った俺は寝台に横になる勇者と、床に座り込むような姿勢で眠っている聖騎士を見つけた。

「仕方ないな」

 聖騎士は武装のままだったのでとりあえずマントだけ外して寝台に放り込み、俺は床に座ってしらばくうとうとして疲れを取った。
 疲れがだいたい消えたところではっきりと目を覚ますと、水の魔具からカップに水を注いで飲み干した。
 体を端から動かして筋肉をほぐし、血と魔力を体内に巡回させる。
 ややぼんやりしていた頭がすっきりとするのを感じた。
 俺は水の魔具からそこにあった水差しに水を入れ、テーブルにカップと共に置くと、水の魔具を持ったまま女部屋に向かう。
 控えめにノックをすると、すぐに返事があり、扉が開いた。

「お師匠さま」

 珍しく顔を出したのは聖女だった。

「テスタはどうした?」
「テスタねえさまは、みなさんが戻って来られるまで起きていたみたいで、メルリルさんと一緒に休んでます」
「そうか。水の魔具を持って来たが使うか?」
「家の方が汲み置きしてくださっている水桶がありますけど」
「そっちは顔や体を洗うのに使えばいい。水が合わないと体に響くから飲む分はこっちを使ったほうがいい」
「わかりました。お預かりします」

 そんなやり取りを経て聖女に水の魔具を手渡し、俺はそのまま表のほうへと向かった。
 まだ朝の時間なので人々は忙しく働いている。
 一日のうち、朝はもっとも人が働く時間だ。
 朝のうちに出来る仕事は全て終わらせて、日が高くなると休憩を入れる。
 昼から夕方までは急ぐ必要のない仕事を片付けるか、夕飯の準備に使う。
 食後は朝食の準備をして寝る。
 一般的な庶民の日常はそんな感じだろう。

「おお、冒険者の……」
「ダスターだ」
「ダスターさま」
「さまとかいらん。ただの冒険者だし」
「さようですか。ではダスターさん、もうお起きになられたので?」

 外周りの仕事を一通り終わらせたのか、何やら帳面を整理している町長が話しかけて来た。
 普通領主とかは専用の執務室などで仕事をするものだが、この町長は誰もが通る居間のようなところで書き物仕事を行っているらしい。

「ああ。ほかの連中はまだ寝ているんで起こさないでやってくれ」
「もちろんですとも。あ、糸紡ぎの婆さんですが、うちの小僧をやってみなさんのことを伝えておきました。こちらが住居になります」

 手渡されたのは走り書きのような地図だった。
 町長宅から糸紡ぎの婆さんとやらの家までの行き方を記してある。

「助かる」
「これぐらいは当然ですよ」
「大勢で押しかけるのもなんだし、今から行って来るか。相手は大丈夫か?」
「あの婆さんは特に急ぎ仕事は受け持っていませんから、問題ないでしょう。ですが、朝まだ食べておられないのでは? 皆さんご一緒にと思っていましたが、良かったら何か食べて行かれませんか?」
「いや、帰ってからでいい。ほかの連中が起きて来たら何か食べさせてやってくれ」
「承知いたしました」

 町長の描いてくれた地図はかなり簡素なものだったので少し迷ったが、近くまで行けばすぐに場所はわかった。
 町のなかでも端のほうにぽつんと建っている家なので目立つのだ。
 ほかの家が灰色の壁であるのに比べて、その家はレンガ造りとなっていて、その意味でも目立つ。
 俺は近くで遊んでいた子どもの一人に聞いて、間違いなくそこが糸紡ぎの婆さんの家であることを確認すると、扉を叩いた。

「開いているから勝手に入っておいで」

 婆さんというにはしっかりとした声で返事が届く。
 なんとなくうちの長屋の老人連中を思い出しながら俺はその家へと足を踏み入れた。
 家のなかには天井の梁から糸束がいくつもぶら下げられていて、染料らしき草の独特の匂いが漂っている。
 奥からはカタカタ、カタカタと糸車の音が響いていた。

「おはようございます。失礼します」

 とくに扉がある訳でもないので続きの部屋へとそのまま足を踏み入れながら挨拶をする。

「ああ、おはようさん。きりがいいとこまでやるんでちょっと待っておくれでないかい」
「俺にはおかまいなく。話を聞きに来ただけですから。何か手伝うことはありますか?」
「おや、いい男だね」

 灰色の髪を結い上げた頭が部屋に入った俺を振り向く。
 びっくりするほどシワが多い。
 そして丁寧になめした革のようなツヤツヤの肌。
 その両方から、俺は彼女がおそらく俺が知る限りではもっとも年老いた女性であると理解したのだった。
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