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第四章 世界の片隅で生きる者たち

289 宿替え

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 安宿というものはだいたい二種類ある。
 一つは倒壊寸前の違法な宿屋。
 こういうタイプの安宿は下手をすると盗賊宿であり、泊まったら最後荷物も命も奪われて終わりということになりかねない。
 もう一つは設備と人員を出来るだけ省いたほぼ素泊まりの宿。
 冒険者が利用するのはそういう簡素な宿が多い。
 同じ安宿でもまともかどうかを見分けるポイントは、掃除が行き届いているかどうかだ。
 客商売で見た目だけでも気持ちよく見せようという努力のない宿は、客のことを全く考えていない。
 俺は勇者たちを酒場で待たせておいて、宿を探して歩いた。
 そして酒場で聞いた噂を元に絞り込んだ五軒のなかから一番まともそうな宿を選んだ。
 道がわかりにくいこの街のなかでも、やたら入り組んだ路地の奥にあった宿だ。
 この一画は小さな店が多く、どうやらその宿は冒険者というよりも商人向けの宿のようだった。

「大部屋というから雑魚寝かと思ったが、ちゃんとベッドがあるんだな」
「ああ、二段ベッドが三台、丁度六人部屋があったから都合がよかった」

 大部屋という名前に反して実に狭っ苦しい部屋を勇者が物珍しそうに見渡して言った。それに答えながら、俺はベッドの状態を確認する。
 シーツが清潔で虫の気配がない。
 これはいい宿を引いたな。
 窓は外側に押し上げるタイプのもので、二つ並んでついていた。
 開けてみると窓枠には鉢植えが吊り下げてあり、花が咲いている。
 
「可愛い」

 メルリルがうれしそうに言った。
 森育ちのメルリルからしてみれば、植物が少ない場所はあまり落ち着かないのだろう。
 少しでも心が安らぐならよかった。
 こういう目立たない場所に手を入れている宿は気持ちよく過ごせることが多い。

「狭いですけど、心地よさそうなお部屋です」

 聖女も気に入ったらしく、いくつか置いてある端切れを組み合わせたような大きなクッションのなかから自分好みの柄を一生懸命選んでいた。
 暖房は暖炉ではなくストーブだ。天板では調理も出来る。
 燃料は別料金かな?
 また、この街らしいのは、作り付けの本棚に多くの本が並んでいることだ。
 ゴワゴワの薄っぺらい本だが、表紙には絵が描かれていてなかなか中身が気になる。

「小さな英雄~りんごの谷のケイン~、現代若者論、人はなぜ生きるのか、メリッサとザック、数の真理、工場を警戒せよ! 、魔法使いと竜の話……本の種類が雑多すぎてかえって面白いな」

 勇者がさっそく本のタイトルを読み上げた。
 たしかにタイトルを聞く限り、子ども向けから専門書までごちゃ混ぜになっているようだ。

「あ、ここの一画は勇者関連本のコーナーのようですよ。初代から前代までの勇者さまの英雄譚が並んでいます」

 部屋の片隅にクッションを設置して読む本を探していたらしい聖女が、本棚の一画をチェックして声を上げた。
 一瞬勇者が顔をしかめるが、自分の本はないとわかるとどこか安心したような顔になる。
 お前まだ本にまとめられるような活躍してないだろ。だが、いずれ溢れかえった英雄譚で恥ずかしい思いをすることになるだろうな。まぁがんばれ。
 しかし勇者の本はほかのと違って立派な作りだな。表紙とか頑丈で布張りだし、刺繍で精密に描かれた絵が入っている。お、ケースもついてるじゃないか。
 やっぱ人気があるんだな、勇者の物語は。

「荷物はワードローブにまとめて入れておくか?」

 宿の大部屋は基本的に鍵がない。
 荷物の管理は自分たちでしなければならないのでベッドに持ち込むのが普通だ。
 しかしこの大部屋は俺たちの貸し切りだし、すぐに使わない荷物はまとめておいて、外出のときには魔法を使って封印しておくということも可能だ。
 そうするとベッドが広く使える。

「ああ、それでいいだろ。何日借りたんだっけ?」
「言っただろ? とりあえず三日、それ以上手間がかかりそうならその都度延長させてもらうって」
「そうか」

 あ、勇者、受け答えがおかしいと思ったらすでに何か本を読み出しているぞ。
 文章の決まりがどうとかブツブツ言ってやがる。
 すっかり自分の心地いい場所を作ってクッションに沈み込んでいる聖女と、立ったまま本を物色している勇者、モンクは窓を全部開けて外の様子を窺っているし、聖騎士は武装を解いて身軽な格好になり、荷物をワードローブに片付けている。
 おっと、一人に任せてしまったな。

「悪いクルス」
「いえ、このぐらい大したことありませんよ」

 メルリルはストーブの焚口を覗き込み、火かき棒を突っ込んでいた。

「おき火はあるみたい。薪もひと晩分ぐらいはあるみたいよ」
「そうか、火を起こしておいてくれるか?」
「はい」

 どうやらこの狭い大部屋が気に入らない人間はいないようだ。

「キュ」

 バサッと羽音を立てて俺の頭から飛び立ったフォルテは、高い天井の下にある梁の上に止まって羽繕いを始めた。

「お前も気に入ったか」
「クルル」

 それぞれにくつろいでいる様子に思わず笑みが浮かぶ。
 さて、俺も茶を淹れる準備をするか。
 昨日はつい立ち寄った小さな市場で、初めて見る穀物を挽いた粉を思わず買ってしまったが、これで何か作ってみるのもいいな。
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