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[9]地獄の棋譜編

-80-:僕は逃げたんだ

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 6月11日20:30頃―。
 “鈴木くれは”がおバカな例えをして猪苗代・恐子いなわしろ・きょうこの頭を悩ませていた時間よりも12時間ほど遡り―。


 宿題を終えたライク・スティール・ドラコーンがリビングルームへと降りてきた。
「神父様、また飲んでいらっしゃるのですか?」

 ワイングラスを傾けながら、霜月神父はライクへと視線を移した。
「一緒に飲む相手がいてくれると、もっと美味く飲めるのだけどね。どうも君の部下たちは仕事熱心なご様子で」

「主として気の利かない部下たちの不手際、謝罪致します」
 告げつつ、ライクは霜月神父の前のソファーへと静かに腰掛けた。

 いやいやと、小さく手をかざす神父に、ライクは切り出す。

「神父様、懺悔ざんげをしたいのですが」

「いいのかい?君たちの神様は“こちらの世界”の神様じゃないよ。もっとも、主は誰であろうと信じる者は分け隔て無く御救いになられるがね」
 空けたワイングラスをテーブルの上に置いた。と、すぐさまグラスにワインを注ぐ。この勢いだと30分もしないうちにボトルを空けてしまいそうだ。

「主に向かわれるのは敬謙な姿勢ではあるけど、君の犯した罪は思いつめるほど重いものなのかい?」
 遠まわしに“懺悔”なるものを“軽く扱わないで欲しい”と嗜めた。罪とは償うべきものではあるけれど、一生背負って行かねばならないものだと、今の彼には知ってもらわねば。

 だが、ライクの答えは。

「はい。僕が犯した罪は、自身に対して一生償えない失態でした」

 少し趣が違う。
 彼は“この世界”の神たる“主”でも“彼らの世界”の神でもなく、自分自身に懺悔したいと申し出ているようだ。

「聞こうか」霜月神父はライクの話に耳を傾けた。

 すると、ライクはチェス盤を持ち出してくると駒を並べ始めた。
 初期配置では無く、途中の盤面を再現してみせた。

「これは?君たちの行っているグリモワール・チェスの盤面かい?」
 霜月神父が訊ねた。

「はい。第23手現在を再現したものです。丁度、昨日の夜の時点でこの状態でした」
 そう言えば、深海霊シーゴーストのカムロが訪ねてきた時に、「明日か明後日」にアンデスィデが発生するとか言っていたのを思い出した。

 ライクが魔道書グリモワールのチェス盤を開いて見せてくれた。
 第24手現在の盤面。
 2つの盤面の違いは…。

 白側ココミの手は、f4の白ビショップをe5へと移動。f6黒ナイトに攻撃が効いている。
 対してライクは、f6黒ナイトをh5へと移動、避難させている。

 特別ルールの“アンデスィデ”が発生したならば2騎のビショップ相手に不利な戦いを強いられるのだから、この場は逃げるのが妥当なのだが…。

 「これが?」
 訊ねずにはいられない。

「正直に申し上げます。僕は逃げたんだ。ココミを恐れて逃げてしまったのです」

「何を言っているのかな?」
 確かに逃げているね。だけど、彼が何を悔しがっているのか?まるで掴めない。

「今日、ツウラから連絡があったのです。マスター条件を満たしている人物が、天馬学府高等部には3年生に“5人”、2年生に“鈴木・くれは”と“猪苗代・恐子“そしてすでにマスターの “高砂・飛遊午たかさご・ひゅうご”とトモエの“4人”、一年生に“御陵・御伽みささぎ・おとぎ”、“御手洗・達郎みたらい・たつろう”の他にオロチのマスターも含めて“3人”いたとの報告がありました」

「12人かぁ。あれ?トモエちゃんは天馬のだったのか…。いや、それでも11人だとすると、ははっ、こいつは参ったな。これじゃあ、まるで天馬と黒玉との戦いじゃないか」
 霜月神父は膝を叩いて声を上げて笑った。「それで?」不謹慎にも笑いながら訊ねた。

「白のビショップが黒のナイトに迫ってきた時、僕はこの中の誰かが、すでに白のビショップと契約を結んでいるものと思い、恐れをなして黒のナイトを避難させたのです。今日はあのベルタを3対1で叩きのめすハズだったのに」

 妥当な手だとは思うのだが。

 黒のナイトを避難させたのが、そんなに悔しいのか?気持ちは解らないでもないが、理由にするには少し弱い。何か他にも理由がありそうだ。

 人間とは案外下らない事でつまづくものだ。中にはそれを一生引きずる人もいる。
 こんな少年期にどんな挫折を味わったのか?理由さえ分かれば、今後の道標みちしるべになるかもしれない。

 とは思うものの、彼の過去を詮索するべきではない。何しろ彼は異なる世界の住人なのだから。違う文化や思想を安易にこちらの世界のそれと比較してはいけない。

 やっぱり“神サマ”に任せてしまおうか?いや、それでは“投げっぱなし”になってしまうな。
(こういう自分に真剣に向き合っているヤツとかゾク(暴走族の事)には居なかったんだよなぁ…)
 何だかんだ言っても、今まで出会ってきた連中は、他人と何ら変わらぬ“形”にハマった人生を送っている。世の中のしがらみに縛られるのがイヤだと暴れていても、結局は組織内の上下関係にキッチリ縛られていたし、それこそ他の人と変わらぬ生活を送っている。
 むしろ世の中“普通カタギ”に生きている人こそ“自由”に生きている気すらする。

 大人になれば観えないモノでもあるのかな?ガキの目線で考えろ…自身に言い聞かせつつ考えてみるも、やはり解らない。
 ま、しょうが無ぇや。ここは一緒に考えている“フリ”をして乗り切ろう。

「ライク君。私は今まで通りこれからも君たちのグリモワール・チェスには干渉するつもりは無いよ。でも、差し支え無ければ今までの経緯を教えてくれないか?」
 とりあえず話をさせておけば、そのうち気分が紛れるだろう。

 ライクは頷くと、盤を初期配置へと並べ直した。

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