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閑話

リリーとムーンの休憩時間③

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    1

 ムーンは家に近い森の中で立っていた。手には小型のナイフを持っている。置物のように動かず、好機を待ち続ける。
 ムーンは視界に頼るのではなく、温度や空気といった気配を読む。狙っていたものが十メートル先にいる。ナイフを持ったムーンの腕が狙いを定める。次の瞬間――目にも止まらぬ速さで腕を振り上げ、ナイフを投げた。ナイフは真っ直ぐな線を描いて獲物まで飛んでいく。獲物は何が起こったのか分からなかっただろう。気配を感じずに突然の衝撃が襲ったのだから。状況を理解できずに意識を失ってその場に倒れた。
 ムーンは勝ち誇るわけではなく、淡々としていた。冷静に獲物に歩み寄り、しゃがむ。もう呼吸がないことは遠くからでも確認ができている。躊躇なく首元に刺さったナイフを引き抜く。動かなくなった獲物の後ろ足を掴んで持ち上げた。大切な食料であり栄養源である野生動物の肉だ。絶命した獲物――野うさぎを持って近くの小川を探した。
 野生動物を捕獲したら、すぐに血抜きをしなければならない。既に大きな血管を傷つけているから、流水につけて肉体に血が回らないように洗う。次に腹を裂いて内蔵を抜く。こうすることで肉が悪くなるのを防ぐ。中も洗い、下処理を済ませた。あとは家に帰って続きをすることにする。ムーンは後ろ足を掴んで来た道を戻っていった。
 狩りのコツを掴んだのは、町で的当てをしてからだ。それまでは力の加減ができずに失敗続きだった。昔は勝手に狩りをできなかった――のだと思う。狩りは貴族たちのたしなみで特権である認識がムーンの中にはあった。
 リリーに確認すると、平民に禁じられてはいないのだという。ただ仕事で忙しい平民には野生動物を追いかけ回している時間はなく、罠を張っておくだけで精一杯。それに狩りは取れる日も取れない日もある博打ばくちのようなものだというのが平民の共通認識らしい。家畜を育てる方が効率がいい。そういうことで、平民が狩りをすることは少なかった。
 ムーンは違反していないことが分かると、狩りをする方法を自分で編み出していった。鍛冶屋のスミスから薪と交換でナイフを手に入れた。自分の手のように扱う方法のコツは掴んでいたので、あとは実際に狩りをして学んだ。身体を傷つけると肉が悪くなる。無駄に苦しませないためにも頭部を狙う。血抜きはすぐに行う。一つ一つ覚えていき、鹿まで取れるようになった。
 それもこれもリリーのためだった。肉はあまり食べれないご馳走だ。食堂の山猫亭で出るのも安価な内臓肉ホルモンだ。肉は手っ取り早い栄養源になるという。栄養が足りずに体調を壊す患者を見てきたことから、肉を取らなければと考えていた。もちろん、ムーンには食事の必要はない。
 狩りで動物が取れるとリリーは喜んだ。普段は野草と庭で取れる野菜中心で満足をしているといっても、肉が食べられるのは嬉しいのだという。喜んでいるリリーを見ていると、ムーンも心の底が温かくなるのを感じた。普段は患者中心で薬草と共に生活を送っているリリーだから、少しくらい贅沢をしてもいいのだろうとムーンは考えていた。

    2

 家に帰ると、リリーに成果を報告し、台所で解体作業に移った。後ろ足に縄をかけてうさぎを吊るし、切り込みを入れる。川で開けた腹の切れ目からナイフを入れると、簡単に皮が剥がれる。皮は皮で町で毛皮として売れるから洗って干しておく。
 森を彷徨っていた頃は人間らしい生活をしていなかったのもあり、手先すらも金属の鎧であるムーンは今でも細かい作業が苦手だ。それでも、リリーとの生活を経て、できることは少し広がった。
 肉の加工はリリーに任せる。一部はスープに使い、残りは保存食にしてしまうことが多い。肉から余計な脂を取り除き、酒と薬草、少量の塩を馴染ませて一晩置く。薬草は、肉の臭みを取って長持ちをさせる効果がある。ローレルやタイム、ローズマリー、セージなどがそうだ。
 一晩浸け置きしたものを今度は包丁で叩いてミンチにする。それに酒や塩、卵、砕いた木の実を混ぜ、また一晩置く。ミンチにするのは根気のいる作業だが、ムーンの力ではまな板ごと切ってしまうので見守ることしかできない。
 三日目には再び薬草を敷いて蒸し焼きにする。できたパテは密閉容器に入れ、外の保存棚に置いて保管する。この季節は気温が低い。食べ物を保存しておくのにちょうどいい。
 二、三日保管したパテは薄く切ってパンに乗せたり、サラダに合えたりして少しずつ食べる。
 パテを食べてるときのリリーを見ていると、また取ってこようという気になる。自分の口には入れないが、満たされていると感じた。

    3

 夕食後にハーブティを煎れながらリリーが口元を緩める。
「今日も美味しいご飯をありがとうございます」
 ムーンはいつもの調子で抑揚なく言葉にする。
「作ったのは君だ。私はただ狩ってきただけだ」
 素っ気ないとさえ思える口振りに、リリーは笑みを絶やさない。
 テーブルに煎れたてのハーブティを置き、ムーンの前には湯が入った大きな器を用意する。薬草がそこへ浮かべられる。
「ラベンダーとセージとカモミールの芳香浴です。ゆっくり休めますように。お疲れ様でした」
 清らかな色が湯を包み込んでいる。
「ありがとう」
 緩やかに二人の時間は過ぎていった。



CASE 10 外傷・切創せっそう
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