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CASE 8 お別れの仕方
【緩和療法】
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1
町の外からやって来た荷馬車が一軒の民家の前で止まる。荷台から明るい髪の少女と無骨な甲冑が降り、足早に民家の中に入っていく。髪を高く結わえた少女は薬草師のリリー。布で口元を覆って身なりを正す。その表情は固い。後ろに続く甲冑――ムーンは木箱を幾つも抱えている。
家の中には収容人数を上回る人間が集まっていた。中年から幼い子どもまで十人以上だ。リリーが深くお辞儀をすると、十歳に満たない男児が無警戒に近づいてきて、スカートにしがみつく。
「お姉ちゃん! 魔女だよね? おばあちゃんを治してくれるんだよね??」
リリーは困ったような笑顔を浮かべる。答えを吟味している間にその男児の母親と思わしき女が近づいてきて「ごめんなさい」と口早に言って男児の腕を引く。
顔見知りのキャロルがリリーを部屋の奥へ案内する。個人部屋まで辿り着くとドアを開けた。
リリーはベッドまで歩き、跪いてベッドに横たわる人物に話しかけた。相手に寄り添う優しい声で。
「おばあちゃん。アリスおばあちゃん。リリーが来たよ」
老婆の瞼が震え、目が薄く開く。
「リリー……ちゃん」
嗄れた弱々しい声だった。それでも嬉しそうに口元に笑みが浮かぶ。
「少し具合を見させてね」
リリーは棒状の聴診器で胸の音を聞いたり、腕を取って脈を測った。それからキャロルに目配せをすると、笑顔を残して部屋を出ていった。
それから、居間に大人だけ集め、三十分ほど話し合いをした。黙ってそばにいたムーンには部屋は灰色と青色が混じった重々しい空気で充満しているのが見えた。
アリスの部屋に荷を下ろし、薬草の準備を始めた。足りない器はキャロルに申し出て、家のものを借りた。昼が近づいていたので、よく潰した少量のポリッジをアリスの口に運ぶ。そうしているうちに、アリスの親戚が集まったと知らせが入り、再び居間に移動する。
広間には大人も子どもも含めて二十人近くが集まっていた。町で商売を営む者、村で農業を営む者、様々だ。リリーは口元の布を取り、深々とお辞儀する。
「こんにちは。わたしは薬草師です。アリスさんには子どもの頃からお世話になっています。わたしは医者ではありませんので、特効薬をお出しすることはできません。これから行うのは、緩和療法です。アリスさんからなるべく苦痛を取り除き、残された時間を穏やかに過ごしていただくよう最善を尽くします」
大人たちは沈痛な面持ちで頷き、幼い子どもたちはきょとんとした顔で大人たちの顔を見上げていた。
2
リリーはアリスの隣の部屋を借りて寝泊まりすることになった。孫娘のキャロルなど親戚が代わる代わる手伝う。
寝たきりになると床擦れを起こし、血行不良で肌が壊死してしまうので、身体の位置を変えながらマッサージをする。
薬草に関しては、手に入りにくいものをブルネット商店から取り寄せて用意していた。貴族の庭園などでしか取れないバラから抽出した芳香蒸留水を使い、身体を洗浄する。痛みを訴えることがあれば、ミントでハーブティを作り、口に運ぶ。足の浮腫にはサイプレスを使った。
時折アリスは小さな声でありがとうと口にし、目を閉じている時間が長くなった。
リリーは夜間になると隣の部屋で仮眠を取った。ムーンが何かあればすぐに起こすと約束をし、半ば倒れるようにしてベッドに横になった。
そうして、三日三晩ほとんど休まず世話を続け、アリスは昏睡状態になった。呼吸が止まったのはそれから半日後、昼前のことだった。眠っているように静かで安らかな表情だった。部屋にいた手伝いの親戚たちは泣き崩れ、悲しみが場に広がった。リリーはアリスに黙祷を捧げ、寝姿を整えてから部屋を出た。
「先ほど、アリスさんは永眠いたしました……」
リリーは居間に集まった親戚たちにそう告げた。途端に涙を流す大人たち。子どもたちはその様子を目の当たりにしてから、アリスにもう会えないことを察して親にしがみつく。
「とても安らかにお眠りにつきました。部屋でどうぞご挨拶を……」
親戚の子どもの一人が声を上げた。リリーを「魔女」と呼んだ子どもだった。
「どうして? どうして治してくれなかったの?!」
母親が泣きながら諌めても、言葉は止まらなかった。大粒の涙を溢しながら「大ばあちゃん……!!」と叫ぶ。
リリーは黙って頭を下げていた。
3
別れの挨拶のために慌ただしくなったので、リリーとムーンは片づけをして家から出た。ブルネット商店は真昼は忙しいから馬車が出るまで時間がある。
すぐにキャロルが追いかけてきてリリーに頭を下げた。
「ありがとう。無事に祖母を送ることができたわ。そして、子どもが失礼なことを言ってごめんなさい……。幼すぎて受け止められなかったんだと思うの。大人たちは去年の冬の時点で覚悟していたから、みんなあなたに感謝してる……。あなたのお陰で祖母と過ごす時間ができたの」
目元を押さえて礼を繰り返し、最後は「祖母はあなたのことも可愛がってた。葬儀に是非出席してね……」と言葉を締めた。
リリーは丁寧に挨拶をしてアリスの家をあとにした。目立つわけにはいかないと路地を歩く。このまま時間を潰しても、山猫亭で食事をしてもいい。
「わたしができることは少ないです。動物が持つ自然治癒力を高める手伝いをするだけ……。例え医者であっても、寿命を伸ばすことばできない」
リリーは静かな口調で言った。石畳を歩く乾いた音が単調にコツコツと響く。ムーンはそれを無言で聞いている。
「わたしが最初に看取ったのはおじいちゃんでした……。おじいちゃんは死期が近づくのが分かると、わたしにできるだけ知識を授けてくれました。苦しかっただろうに……。最後に教えてくれたのが、緩和療法です。きちんと患者さんを見送れるようにしてくれました。でも――」
リリーの足が止まる。石畳にぽたりと雫が落ちた。
「慣れないの……! どうしても……。お別れのときはいつだって悲しい……!!」
エメラルドの瞳に薄い膜が張り、ぽたぽたと涙が流れる。唇がわなわなと震えている。
「……おばあちゃんは幼いわたしに歌を唄ってくれたり、家事を教えてくれたりしました。もう、おばあちゃんのパン、食べられないの……。医療が発達したら、こんなに悲しいことなくなるのかな……?」
リリーの細い肩が頼りなさげだった。
ムーンは硬質な声で語りかけた。
「私は君が何度も様子を見に家を訪れていたのを知っている。薬草も欠かさず届けていた。よく頑張った。アリス婦人も君に礼を言っていた。君に見届けてもらって喜んでいると思う」
「ムーンさん……」
リリーは言葉を失くし、あとは啜り泣きが路地に響いた。
ムーンの中に初めてアリスと出会ったときの記憶が甦る。『できたら、リリーちゃんを守ってあげてくれないかしら? あの子のことが心配なの』優しい老婆の言葉にはリリーへの思いやりが込められていた。
ムーンは黙ってリリーが泣き止むまでそばに立っていた――。
*****
少年は曾祖母が亡くなり、家の裏で膝を抱えていた。いつでも優しかった曾祖母。両親と喧嘩したときは何も聞かずに匿ってくれた。初めて経験する身内の死。いつでもそばにいてくれる気がしていたから余計に受け入れられなかった。大人たちが葬儀の準備をしていることも、まだ理解ができなかった。鼻を啜り、何度も嗚咽を繰り返す。
「な……なんで……ま、まじょ……。大ばあちゃ……死んじゃ……った……」
哀しみに暮れている中、背後から声がかかった。
「ねえ、ボク? その話聞かせてくれない?」
薄ら笑いを浮かべた兵士がいつの間にかそこに立っていた。
次回→CASE 9 繋ぐ光
※サイプレス→セイヨウヒノキ、聖なる木
町の外からやって来た荷馬車が一軒の民家の前で止まる。荷台から明るい髪の少女と無骨な甲冑が降り、足早に民家の中に入っていく。髪を高く結わえた少女は薬草師のリリー。布で口元を覆って身なりを正す。その表情は固い。後ろに続く甲冑――ムーンは木箱を幾つも抱えている。
家の中には収容人数を上回る人間が集まっていた。中年から幼い子どもまで十人以上だ。リリーが深くお辞儀をすると、十歳に満たない男児が無警戒に近づいてきて、スカートにしがみつく。
「お姉ちゃん! 魔女だよね? おばあちゃんを治してくれるんだよね??」
リリーは困ったような笑顔を浮かべる。答えを吟味している間にその男児の母親と思わしき女が近づいてきて「ごめんなさい」と口早に言って男児の腕を引く。
顔見知りのキャロルがリリーを部屋の奥へ案内する。個人部屋まで辿り着くとドアを開けた。
リリーはベッドまで歩き、跪いてベッドに横たわる人物に話しかけた。相手に寄り添う優しい声で。
「おばあちゃん。アリスおばあちゃん。リリーが来たよ」
老婆の瞼が震え、目が薄く開く。
「リリー……ちゃん」
嗄れた弱々しい声だった。それでも嬉しそうに口元に笑みが浮かぶ。
「少し具合を見させてね」
リリーは棒状の聴診器で胸の音を聞いたり、腕を取って脈を測った。それからキャロルに目配せをすると、笑顔を残して部屋を出ていった。
それから、居間に大人だけ集め、三十分ほど話し合いをした。黙ってそばにいたムーンには部屋は灰色と青色が混じった重々しい空気で充満しているのが見えた。
アリスの部屋に荷を下ろし、薬草の準備を始めた。足りない器はキャロルに申し出て、家のものを借りた。昼が近づいていたので、よく潰した少量のポリッジをアリスの口に運ぶ。そうしているうちに、アリスの親戚が集まったと知らせが入り、再び居間に移動する。
広間には大人も子どもも含めて二十人近くが集まっていた。町で商売を営む者、村で農業を営む者、様々だ。リリーは口元の布を取り、深々とお辞儀する。
「こんにちは。わたしは薬草師です。アリスさんには子どもの頃からお世話になっています。わたしは医者ではありませんので、特効薬をお出しすることはできません。これから行うのは、緩和療法です。アリスさんからなるべく苦痛を取り除き、残された時間を穏やかに過ごしていただくよう最善を尽くします」
大人たちは沈痛な面持ちで頷き、幼い子どもたちはきょとんとした顔で大人たちの顔を見上げていた。
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リリーはアリスの隣の部屋を借りて寝泊まりすることになった。孫娘のキャロルなど親戚が代わる代わる手伝う。
寝たきりになると床擦れを起こし、血行不良で肌が壊死してしまうので、身体の位置を変えながらマッサージをする。
薬草に関しては、手に入りにくいものをブルネット商店から取り寄せて用意していた。貴族の庭園などでしか取れないバラから抽出した芳香蒸留水を使い、身体を洗浄する。痛みを訴えることがあれば、ミントでハーブティを作り、口に運ぶ。足の浮腫にはサイプレスを使った。
時折アリスは小さな声でありがとうと口にし、目を閉じている時間が長くなった。
リリーは夜間になると隣の部屋で仮眠を取った。ムーンが何かあればすぐに起こすと約束をし、半ば倒れるようにしてベッドに横になった。
そうして、三日三晩ほとんど休まず世話を続け、アリスは昏睡状態になった。呼吸が止まったのはそれから半日後、昼前のことだった。眠っているように静かで安らかな表情だった。部屋にいた手伝いの親戚たちは泣き崩れ、悲しみが場に広がった。リリーはアリスに黙祷を捧げ、寝姿を整えてから部屋を出た。
「先ほど、アリスさんは永眠いたしました……」
リリーは居間に集まった親戚たちにそう告げた。途端に涙を流す大人たち。子どもたちはその様子を目の当たりにしてから、アリスにもう会えないことを察して親にしがみつく。
「とても安らかにお眠りにつきました。部屋でどうぞご挨拶を……」
親戚の子どもの一人が声を上げた。リリーを「魔女」と呼んだ子どもだった。
「どうして? どうして治してくれなかったの?!」
母親が泣きながら諌めても、言葉は止まらなかった。大粒の涙を溢しながら「大ばあちゃん……!!」と叫ぶ。
リリーは黙って頭を下げていた。
3
別れの挨拶のために慌ただしくなったので、リリーとムーンは片づけをして家から出た。ブルネット商店は真昼は忙しいから馬車が出るまで時間がある。
すぐにキャロルが追いかけてきてリリーに頭を下げた。
「ありがとう。無事に祖母を送ることができたわ。そして、子どもが失礼なことを言ってごめんなさい……。幼すぎて受け止められなかったんだと思うの。大人たちは去年の冬の時点で覚悟していたから、みんなあなたに感謝してる……。あなたのお陰で祖母と過ごす時間ができたの」
目元を押さえて礼を繰り返し、最後は「祖母はあなたのことも可愛がってた。葬儀に是非出席してね……」と言葉を締めた。
リリーは丁寧に挨拶をしてアリスの家をあとにした。目立つわけにはいかないと路地を歩く。このまま時間を潰しても、山猫亭で食事をしてもいい。
「わたしができることは少ないです。動物が持つ自然治癒力を高める手伝いをするだけ……。例え医者であっても、寿命を伸ばすことばできない」
リリーは静かな口調で言った。石畳を歩く乾いた音が単調にコツコツと響く。ムーンはそれを無言で聞いている。
「わたしが最初に看取ったのはおじいちゃんでした……。おじいちゃんは死期が近づくのが分かると、わたしにできるだけ知識を授けてくれました。苦しかっただろうに……。最後に教えてくれたのが、緩和療法です。きちんと患者さんを見送れるようにしてくれました。でも――」
リリーの足が止まる。石畳にぽたりと雫が落ちた。
「慣れないの……! どうしても……。お別れのときはいつだって悲しい……!!」
エメラルドの瞳に薄い膜が張り、ぽたぽたと涙が流れる。唇がわなわなと震えている。
「……おばあちゃんは幼いわたしに歌を唄ってくれたり、家事を教えてくれたりしました。もう、おばあちゃんのパン、食べられないの……。医療が発達したら、こんなに悲しいことなくなるのかな……?」
リリーの細い肩が頼りなさげだった。
ムーンは硬質な声で語りかけた。
「私は君が何度も様子を見に家を訪れていたのを知っている。薬草も欠かさず届けていた。よく頑張った。アリス婦人も君に礼を言っていた。君に見届けてもらって喜んでいると思う」
「ムーンさん……」
リリーは言葉を失くし、あとは啜り泣きが路地に響いた。
ムーンの中に初めてアリスと出会ったときの記憶が甦る。『できたら、リリーちゃんを守ってあげてくれないかしら? あの子のことが心配なの』優しい老婆の言葉にはリリーへの思いやりが込められていた。
ムーンは黙ってリリーが泣き止むまでそばに立っていた――。
*****
少年は曾祖母が亡くなり、家の裏で膝を抱えていた。いつでも優しかった曾祖母。両親と喧嘩したときは何も聞かずに匿ってくれた。初めて経験する身内の死。いつでもそばにいてくれる気がしていたから余計に受け入れられなかった。大人たちが葬儀の準備をしていることも、まだ理解ができなかった。鼻を啜り、何度も嗚咽を繰り返す。
「な……なんで……ま、まじょ……。大ばあちゃ……死んじゃ……った……」
哀しみに暮れている中、背後から声がかかった。
「ねえ、ボク? その話聞かせてくれない?」
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