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第22話 生まれてきた意味

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 深い眠りから覚めたベルはすっきりとしていた。頭の靄が晴れ、負の感情が薄れ、前向きになっていた。自分で植えた草花に包まれて起床し、清々しい気分だ。
 造ったばかりの新しい部屋に行き、まだがらんどうのそこを整えることにした。前と同じ要領で植物が育ちやすくなる環境に変える。
 植物の種を植え、魔力を注ぎ込む。いくら妖精の力といえど、洞窟内は植物の育成に適していない。今回は育てやすい低木を選んだ。あっという間に芽が出て育っていく。背が高くなり、葉が豊かになる頃には、赤や黒の小さな実がなっていた。清涼感がある甘い匂いが漂う。前世のブルーベリーやスグリ、クワ、ラズベリー——。何種類かの小さな果実。
 匂いに釣られて子どもたちが部屋を覗いていた。ベルが手招きをすると、子どもたちは嬉しそうにやって来てベリーの実を眺める。
 妖精であるベルも魔族である子どもたちも、栄養を食べ物から摂らない。食事というよりは自然の力を吸収するという感覚だ。果物も食べる必要がないもの。だが、自然由来の嗜好品として楽しむことができる。子どもたちは喜んでベリーを摘んだ。
 植物たちは実を食べられることには頓着とんちゃくしない。実を動物たちに食べてもらうことが種を運ぶ手段だからだ。自然界ではそうやって命を繋いでいく。
「よろしいのですか? また子どもたちにお与えになられて」
 子どもたちを微笑ましく眺めているベルの隣に立つアオが語りかけた。
 アカは子どもたちを肩車したり、振り回したりして面倒を見ている。前世で見た近所の公園の風景と変わらない。
「いいの。みんなが喜んでくれたら嬉しい。それより長老さんとの話し合いはどうなったの?」
 アオは眉間に皺を寄せ、首を横に振る。
「会談の日取りは決まりましたが、幽玄渓谷のゆうげんけいこく当主は私たちの意見は受け入れないでしょう。古い家系の年寄りだけにたちが悪い。自分自身は若い頃好き勝手にやっておいて、隠居する年齢になれば若者たちまで墓場に引き連れようとする。そもそも連絡を取った時点で主様を揶揄からかう態度で……まったく傲慢極まりない——」
 話す口が頬まで裂け、鋭い牙が伸びる。いつも冷静な顔から獰猛さがあらわになる。魔族の本性が垣間見えた。が、すぐにこめかみを手で押さえて息を吐き、元の姿に戻る。それでも苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「申し訳ありません。取り乱してしまいました」
 ベルはアオの怒りの形相に口元を歪めながらも無理やり笑顔を作って頷く。
「そんなに厳しい状況なの?」
「ええ。主様はずっと頭を痛めておいでです」
 最近のヒイロはずっと考え事をしている様子だったが、感情を顔に出していなかった。だから、ベルは順調なのだとばかり思っていた。ヒイロは歴史の古い家に生まれた義務感を強く持っているようだ。だから、魔王も務めた。魔族の今後を背負う重荷にずっと耐えられているのだろうか。
 子どもたちの楽しそうな笑い声を聞きながら、ベルの顔は神妙になっていった。

*****

 ベルがヒイロを呼び出したのは、その晩のこと。行きたい場所があると伝えたところ、明朝出発することになった。魔族は夜を支配する者だ。朝より夜の方が動きやすいのでは、とベルは時間の変更を提案した。それに対する答えは、ある程度の力のある者ならば昼間でも問題ないという婉曲えんきょく的な辞退の言葉だった。
 翌朝、ヒイロは隠れ里の出入口の近くで怪鳥ロックを呼び出した。ロックは以前と同じように大人しくヒイロを乗せて上昇した。ベルはヒイロの胸元だ。峡谷の上空まで辿り着くと、ヒイロが片手を翳し、魔法を唱えた。紫色の魔力がロックの魔力を包む。
「これで人間には私たちの姿は視認できない」
「見えなくなるってこと?」
「そうだ。人間の視認範囲は狭い。そもそも全体的に動物だ。他の動物が気がつく自然の変異にも気がつかない。ベルの話からすると、進化の過程で知性を得る代わりに動物としての本能を捨ててしまったのかもしれない。私たちが当たり前に見えるものが見えないのだ」
 ベルは首を傾げる。なまじ人間として生きた記憶があるから、ヒイロの説明を呑み込めない。当時は視野が狭い感覚はなかった。見えない世界など、あったのだろうか。
「魔力をほとんど持たない野生動物でも、空気の流れや気圧の変化は感じ取れる。それこそ匂いなどの些細なことも。個体差の違いはあるだろうが、人間はそれらすべてが他の動物より圧倒的に衰えている。鈍感、というのも才能かもしれないが……」
 ロックは晴れ渡る空を悠々と飛んでいく。既に峡谷は遥か後方だ。森林地帯をあっという間に越えようとしている。その先にあるのは小さな町だ。人間の住居地帯になる。
 ヒイロは困惑気味のベルに丁寧に説明をする。
「見えている世界がすべてではない。ベルの視覚と私の視覚でも違うはずだ。世界は無数の層から成り立っている。生物によって見える層は異なる。ロックにかけた魔法は人間が視認できない領域までその層をずらすもの。簡単に言えば、人間だけが何も見えない状態だ」
「人間が見えない……。そういえば、私は生物の魔力が見えるけれど、普通の人間たちは見えないみたい。そういうこと?」
 最近のベルは人間と生活を共にしていたため意識的に見ないようにしていたが、本来は簡単に魔力の色や強さまで視認することができる。ボッカが巨大な魔力を持っていることに気がついたときもそうだ。耳も遠くの声や植物の声まで聞こえる。ヒイロの説明で今までのことがに落ちた。
「そうだ。妖精は我らより視覚領域が広い。私には見えないものをベルは見ているはず」
 ベルが記憶を遡っているうちにいくつかの町を越え、次第に人の気配が少なくなってきた。賑やかな町から畑が広がる村へ。最後には深い緑が生い茂る場所へ辿り着いた。
 ロックは翼をゆっくりと羽ばたきながら地上に降りた。まだ人の手が入ってない森。多種多様な植物が活き活きと育ち、動物が平穏に暮らしている。生命力に満ちた森——ベルの故郷。
 久々に訪れた今ならよく分かる。どれほどこの土地が恵まれているか。ベルは目を瞑り、静かに息を吸ってから、もう一度目を開けた。今度は意識をしてる——。
 すべての生物が淡い光を灯している。植物も虫も動物も。色はそれぞれ違う。まるで太陽の下で輝くイルミネーションか蛍のよう。大きな光も小さな光も懸命に瞬いている。その根底にはどこか懐かしい力が宿っている気がする。
 ベルは理解した。生まれ故郷の豊かさを。この世界に送り出してくれた今は静かに眠る仲間たちに感謝をした。この素晴らしい自然を失いたくない。
 一方で人間としての記憶もある。特別な魔法がなくても、支えあって生きていける力がある。幼い頃に優しく接してくれた祖父母の温かさは、今でも覚えている。
「わたしの故郷、素敵でしょ?」
 後ろを振り返り、両手を広げてヒイロに微笑む。
「ああ。清らかな場所だな。片割れたち——光の者が今もまだ住んでいるような気さえする」
 ヒイロは辺りを見渡しながら、どこか懐かしげな顔をする。そこに植物たちは寄り添っているようだ。風で揺れながらヒイロに挨拶をしているらしい。「ウレシイ」「コンニチハ」微かな笑い声が聞こえる。
「わたし、長老さんとの話し合いに参加したい」
「ベルが?」
 虚を衝かれたヒイロは呆気に取られた顔をしている。
「この世界を失いたくない。みんながわたしに考えがあるの——」
 ベルはどうしてこの世界で生まれたのか分かった気がした。人間だった自分にできること。この世界にしてやれること。同胞たちの力に後押しされた最後の妖精は、決意に満ちた顔をしていた。
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