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第21話 落涙

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 ベルの推測を聞いたヒイロは、今後について穏健派の長と話し合う必要があると言った。それには自分たちの意見を先にまとめなくてはならないとも。
 穏健派の長老は長い年月を生きているだけあって一筋ではいかないらしい。上っ面だけの意見では、見抜かれてしまうとのことだった。八千年前から生きているのだというから驚きだ。人間が石器を作っていた時代になるのではないだろうか。ベルは前世でもっと歴史の本を読んでおくべきだったと悔いた。
 それからヒイロは一人で考え事をするようになった。

    *

 アオとアカは世界を破滅に導いている人間のことは今でも気に入らないらしい。大人しくしていなければならない状況にストレスを感じているようだった。
 そこでベルは暇を持て余している二人に頼み、魔族たちの住み処を案内してもらうことにした。もちろん勉強の意味もある。
 二人が使役する魔獣に乗って世界のあちらこちらへ行く。アオは丁寧で分かりやすい説明をし、アカは取って置きの珍しい場所を案内してくれた。
 人間が足を踏み入れていない場所は、興味を引かれるところばかりだ。海にぽっかりと空いた穴、雲よりも上空にある世界最高峰の山頂、長い時間をかけて内部が削られて迷路のようになった渓谷、壁に貼りつくたくさんの光るコウモリが夜空の星々を作り出す鍾乳洞——どれも、人間では辿り着けない場所だった。
 ベルがどこへ行っても喜ぶので、アオとアカは競い合って代わる代わる面白い場所へ連れていった。いつの間にか、どちらがよりベルを喜ばせるかが勝利条件になったようだ。どこへ行っても退屈はしない。
 魔族たちは隠れ里のように集まって暮らす者もいれば、一人で暮らす者もいた。共通しているのは我が強いことだ。強者の二人に喧嘩を売ることはなかったが、最初に威嚇をしてくることは多い。
 二人が「妖精の前で見苦しいことはやめろ」と言うと、魔族たちはベルの存在に気がつき、敵意を忘れて目を輝かせた。
「光の者は我らからすれば戦友のようなもの。創造神より同じ使命を授かった片割れと言ってもいいでしょう。戦友が戻ってきたと喜んでいるのですよ。がさつな者たちですが、ベル殿の存在はそれほど特別なものなのです」
 アオはそう説明してくれた。人間たちとの扱いの違いに、ベルはただただ呆気に取られていた。

    *

 ヒイロはベルのために草花が生い茂る部屋の隣にもう一つ部屋を作った。子どもたちが遊ぶようになって狭いだろうとの配慮だった。
 岩壁に手を当てたヒイロが手に力を入れると、次の瞬間には大きな音と共に奥行きのある空洞がぽっかりと空いていた。人間が百人入っても問題なさそうな旅館の宴会場ほどの広さ。
 瞬く間に岩壁をくり貫いたヒイロの技量にベルは拍手をする。
「穴を開けただけだ。我らは、魔力は高くとも繊細に操ることはできない。ベルの仲間たちの方がその点では上手かった。草花を咲かせるのは、かなり繊細な魔法だ。力の調節を間違えれば、逆に枯らしてしまう」
 空洞の壁を握りこぶしで叩きながらヒイロは言う。壁は硬度を保っていて叩かれたところでびくともしない。叩くたびに重い音がする。
「よし。問題ない。ここも好きに使ってくれ」
「ありがとう」
 ベルは新しい部屋を見渡しながら、会ったことのない仲間に想いを馳せた。緑を愛し、人間と争わずに姿を消した仲間。もしかしたら、今もベルのことをそっと見守っているのかもしれない。アカとアオを蘇らせたときに感じた気配は——。
「ベル」
 低い声に呼びかけられ、ベルは我に返る。ヒイロが物言いたげに見つめていた。下方を飛んでいるベルに対して長いまつ毛を伏せている。変な顔をしていたのかもしれない。ベルは何でもないと言うように、明るい調子で答えた。
「なに?」
「仲間が恋しいか?」
 問いかける表情は真剣だ。ベルは自分の気持ちを探りながら言葉にする。
「恋しい……っていう気持ちなのかな……? 会ったことがないから分からない。話してみたいとは思うけど……」
 ふわふわと宙を飛びながら、会ったことのない仲間を想像する。人間と戦うことより姿を消すことを選んだ優しい仲間たち。家族というなら、今のベルにとっては一緒に育った獣のイッカクたちがそうだ。そちらの方が親しみがある。けれど、出自というものには興味があった。
「ベル、お前には友を蘇らせてくれた恩がある。私にできることなら何でも望みを叶えよう」
 ヒイロはベルを手に乗せて見つめる。こうしていつも小さなベルに高さを合わせて話してくれる。誠意を感じた。今まで人間たちの間ではベルの方が飛んで合わせていた。ほんの少しの違いだが、ベルにとっては嬉しい。
「そもそも、わたしが魔族のみんなを……」
「それは気にするなと言ってるだろう? 我らは力の強いものが生き残るという考えの基に生きている。負けるのは己が弱いからだ。誰もお前のことを責めはしない」
 悲しげなベルにヒイロは穏やかな声で言った。相手を思いやる優しさが低い声に表れている。それがベルの長い耳に届く。落ち着くような声の調子。耳が自然と下がり、力が抜けていることを示した。
「望み……というほどじゃないんだけど、ヒイロはたまにアトラルの城下街に行ってるんだよね?」
 ベルは言葉を選びながら口にする。ヒイロは人間を好まない。人間の話をするには注意が必要だ。
「ああ……」
「あの……今、街はどうなってるの? わたし、ずっと人間と暮らしていたから気になって。変わったことはなかった?」
 魔王討伐隊とは魔王城への往復で一年近く寝食を共にした。何も言わずに離れてしまったのを、ベルはずっと気にかけていた。
 ヒイロは顎に手を当てて、少し考える素振りを見せてから、
「魔王を倒した、とずっとお祭り騒ぎだぞ。式典などあったのだろうが、私は人間の行事には疎いから詳しくは分からない。勇者一行はこれからも祭り上げられるのだろうな」
 話し方に人間に対する嫌悪感は見られない。ベルは手の上に乗せられたまま、近くでヒイロの顔を見つめる。負の感情はないようだ。
 ヒイロは会話の流れを区切り、「ああ」と思い出したように声を上げた。
「勇者とやらの戴冠式が行われるらしい。今すぐにではないがな。きっと、様々な規則やしきたりがあるんだろう。古くからの決まり事に振り回されるのは、人間たちも変わらないのだな」
 そこまで言ったところでベルが俯いていることに気がつき、ヒイロは自身の手を持ち上げる。小さなベルの顔を見ると、長い耳が伏せるようにして下向きになっている。
「どうした?」
「……あのね」
 ベルの声がか細く震えている。今にも消えてしまいそうな声を聞き取るべく、ヒイロは耳を傾ける。
「好き、だったの。……その人のこと」
 小さな雫がヒイロの手に落ちる。ぽつりぽつり、と。俯いて見えづらい顔でも、何が起こっているか分かる。
「その人の力になれることが幸せだった」
 ベルの声が悲しみに濡れている。心情を吐露とろすることで、心の底から感情が泉のように湧き出る。涙が次から次へと溢れてくる。
「ご、ごめ……なさい。こんなこと……」
 きっとヒイロは戸惑っているだろう。こんなことを言うつもりはなかった。「勇者」という単語が今もなお心を痛める。はこの世界の拠り所だった。顔を手で覆って耐えようとするが、一度せきを切った感情はなかなか止められない。
「我は夜の眷属けんぞくなり。この者に静かなる夜のとばりを下ろしたまえ」
 ヒイロの声が囁かれると、ベルの周りから音も光も消えた。真っ暗闇に落とされたよう。しかし、温かみに包まれている。乱れた感情が落ち着き、安らかな眠りに誘われていく。
「疲れているだろう。思考を中断し、今はゆっくり休め。いい夢を」
 遠くでヒイロの声が聞こえる。それを最後にベルの意識は遠退いた。
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