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調律と戦慄
01
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バンッ。
平生の僕では考えられない粗暴なドアの開け方をする。
これは宣戦布告なのだ。
恋は戦争だと、誰かが宣った。蓋し名言である。
「お祖父様。僕は決めました。美澄は返して戴く。アレは僕の、北白川真愛の番なのです」
燦々と日の溜まる出窓の前に腰掛け、箱庭を眺めていた祖父がゆっくりと此方を振り返る。軽く眉を上げながら、面白そうな顔で僕をじっくりと値踏みする。
「…ようやっと気持ちが定まったようだのう」
僕の後ろに控えていた筈の門倉が音もなく現われ、揺れる空気に芳しい香りが漂う。祖父のお気に入りの紅茶をセッティングし終えて、またすっと気配を消す。祖父の背後に控えていた召使たちは既に姿を消し、祖父は自身の手で電動車椅子を操ると、あるべき場所に収まった態でテーブルへと着いた。僕も向かいのソファに腰を下ろす。
暫く無言で紅茶を愉しむ祖父を観察しながら、僕もカップに口を付けた。この紅茶は美澄も好きだと云っていたことをふと思い出した。
「運命とはのう、万人に平等に厳しく出来ておる」
何処か遠い目をしながら静かに語り出す祖父の、年老いた口元を見詰める。
「我が家に生れ落ちた者は、誰もが羨む出生を持つ。生まれながらに銀の匙を咥え我が北白川の家で育つということは、何万何百万という他者の負の感情に耐えるということ。妬み、嫉み、憎しみ、怒り、中には見当違いの逆恨みもあるだろう。
だが、その感情を踏み台に一分の隙も無く、優雅な笑みをくれてやる気概もない人間などこの家には不要じゃ。潰される末路が見えておるからのう」
怠惰な莫迦は論外じゃがの、と小さく笑いながら付け加えた。
「幸い、其方達は誰一人脱落することなく北白川の人間として育った。貰い子の美澄も然り。生まれも性別も名前すら偽っても、あの娘はよくやっておるよ」
祖父のお気に入りの孫娘であるために、美澄がしてきた努力は如何程のものであったか。北白川の一員として認められるために、あの幼な子は何を犠牲にしてきたか。今此処で問うても詮無いことだ。
「あの娘を守る為に、其方たちの一人と妻合わすことにした。まあ、不足はないだろうと思うてな、大人になれば其々の意思で上手くやるだろうと思うておった」
それは無言の信頼。僕達兄弟に対して、そして美澄に対しても。解り難い愛情の形だ。
「……幼き頃よりあの娘は其方に心を奪われておったが、其方が微塵も靡きもせぬことは明白だったしのう。真雪相手では、日陰者になることは自明であったし、なかなか茨の道を進むことよと思うておった。
だが、あの娘は道を違えた。あの娘の中におる輩はのう、儂に云いおった。
『あの美しい男を、その一族を、完膚なきまでに滅ぼし尽くしてやる』とな。
ーーーあの輩が何者であるのか、何が目的であるのか、瑣末なことは如何でもよい。じゃがのう…」
白銀に輝く手入れの行き届いた顎鬚を撫で擦りながら、ついと目を細める。半眼で捉えたのは、祖父にとっての”在るべき世界の在り方”なのだろう。
「この北白川の一族を滅ぼす、と吐かしおってのう。ほほほ、儂の代でこの北白川を身代を潰すなど論外じゃよ。この北白川真兼を敵に回すとは、見上げた根性ではあるがの」
決して笑っていない目には、この国を動かす財閥の長として長きに亘り実権を握り続けてきた男の威圧が漲っている。この男は、年古る枯れた好々爺などではない。今尚、この国の頂点に君臨する眉雪の覇者なのだ。
平生の僕では考えられない粗暴なドアの開け方をする。
これは宣戦布告なのだ。
恋は戦争だと、誰かが宣った。蓋し名言である。
「お祖父様。僕は決めました。美澄は返して戴く。アレは僕の、北白川真愛の番なのです」
燦々と日の溜まる出窓の前に腰掛け、箱庭を眺めていた祖父がゆっくりと此方を振り返る。軽く眉を上げながら、面白そうな顔で僕をじっくりと値踏みする。
「…ようやっと気持ちが定まったようだのう」
僕の後ろに控えていた筈の門倉が音もなく現われ、揺れる空気に芳しい香りが漂う。祖父のお気に入りの紅茶をセッティングし終えて、またすっと気配を消す。祖父の背後に控えていた召使たちは既に姿を消し、祖父は自身の手で電動車椅子を操ると、あるべき場所に収まった態でテーブルへと着いた。僕も向かいのソファに腰を下ろす。
暫く無言で紅茶を愉しむ祖父を観察しながら、僕もカップに口を付けた。この紅茶は美澄も好きだと云っていたことをふと思い出した。
「運命とはのう、万人に平等に厳しく出来ておる」
何処か遠い目をしながら静かに語り出す祖父の、年老いた口元を見詰める。
「我が家に生れ落ちた者は、誰もが羨む出生を持つ。生まれながらに銀の匙を咥え我が北白川の家で育つということは、何万何百万という他者の負の感情に耐えるということ。妬み、嫉み、憎しみ、怒り、中には見当違いの逆恨みもあるだろう。
だが、その感情を踏み台に一分の隙も無く、優雅な笑みをくれてやる気概もない人間などこの家には不要じゃ。潰される末路が見えておるからのう」
怠惰な莫迦は論外じゃがの、と小さく笑いながら付け加えた。
「幸い、其方達は誰一人脱落することなく北白川の人間として育った。貰い子の美澄も然り。生まれも性別も名前すら偽っても、あの娘はよくやっておるよ」
祖父のお気に入りの孫娘であるために、美澄がしてきた努力は如何程のものであったか。北白川の一員として認められるために、あの幼な子は何を犠牲にしてきたか。今此処で問うても詮無いことだ。
「あの娘を守る為に、其方たちの一人と妻合わすことにした。まあ、不足はないだろうと思うてな、大人になれば其々の意思で上手くやるだろうと思うておった」
それは無言の信頼。僕達兄弟に対して、そして美澄に対しても。解り難い愛情の形だ。
「……幼き頃よりあの娘は其方に心を奪われておったが、其方が微塵も靡きもせぬことは明白だったしのう。真雪相手では、日陰者になることは自明であったし、なかなか茨の道を進むことよと思うておった。
だが、あの娘は道を違えた。あの娘の中におる輩はのう、儂に云いおった。
『あの美しい男を、その一族を、完膚なきまでに滅ぼし尽くしてやる』とな。
ーーーあの輩が何者であるのか、何が目的であるのか、瑣末なことは如何でもよい。じゃがのう…」
白銀に輝く手入れの行き届いた顎鬚を撫で擦りながら、ついと目を細める。半眼で捉えたのは、祖父にとっての”在るべき世界の在り方”なのだろう。
「この北白川の一族を滅ぼす、と吐かしおってのう。ほほほ、儂の代でこの北白川を身代を潰すなど論外じゃよ。この北白川真兼を敵に回すとは、見上げた根性ではあるがの」
決して笑っていない目には、この国を動かす財閥の長として長きに亘り実権を握り続けてきた男の威圧が漲っている。この男は、年古る枯れた好々爺などではない。今尚、この国の頂点に君臨する眉雪の覇者なのだ。
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