影牢 -かげろう-

帯刀通

文字の大きさ
上 下
7 / 94
秘密と夜会

01

しおりを挟む
最後はやや重苦しい雰囲気で終わってしまった朝食の場から、早々に退散して自室に戻った。

雪兄さまの予測は正しい。そろそろ発情期が迫っている。抑制剤を使っても、堪えきれなくなる衝動は、徐々に増している気がする。

第二次性徴と呼ばれる時期を過ぎて、今は高校一年の初夏。去年よりますます事態は深刻になっている。そして、心はますます壊れていく。

僕はそもそも北白川の直系である後継者候補の伴侶となれるような人間ではない。北白川を飛び出した娘の産んだ子、いわゆるどこぞの『馬の骨』の子なのだ。

一般的にいえば父はごく普通の人間であり、むしろ裕福な出自だといえるのだが、北白川から見れば蟻のようなものだ。ゴミといっても差し支えないレベルの人間だ、ということだろう。北白川の本家のお嬢様だった母は、大学時代の講師だった父を生涯の伴侶に選び、実家を飛び出した。

母という人は花のように可憐で美しく、その心根は天使のようだったらしい。

らしい、というのは僕に母の記憶がほとんどないからだ。ついでにいえば父の記憶もない。

物心つく前に、事故で死んでしまった。
時任 清史郎 享年33歳。
時任 美澄 享年25歳。

母は旧姓を、
ーーー北白川 美澄 という。

かくして突然両親がなくなり、引き取られた幼子は死んだ母の名を与えられ、偽りの性別を与えられ、籠の鳥となったわけだ。そして、北白川の後継者と結婚することを義務として生存することを許されている。何不自由なく、惜しみなく与えられる有形無形のものたち。僕は確実に恵まれている。

養父である北白川真時は、実母の従兄弟だそうだ。実の妹のように可愛がっていた、と懐かしそうに僕を見る。その目には、僕は『女の子』として映っているのだろう。性別はどうあれ、実子である兄たち同様、可愛がってもらっていることは間違いない。

養父である真時父様に拾ってもらえなければ施設行き確定だったらしいから、現状に不満など言えるはずもない。養母である美羽みはね母様も、娘が欲しかったのよ!と大層可愛がってくれている。ていのいい着せ替え人形ともいうが。

ともかく、僕は恵まれているのだが。

必ず名前の一字に『真』の字をいただく男子と、『美』の字をいただく女子という北白川家の命名ルールのもと、僕の本名は消え去った。戸籍的には存在しているのだろうが、誰も僕を本当の名前では呼ばない。僕自身ですら忘れそうになる。

時任泉、15歳。男。それが本来の、生身の僕だ。

養い子としての僕には重大な欠陥があった。

まず、僕は男だった。
そして、僕はΩだった。

北白川にあるまじき存在、Ω。
常に他者の上に君臨することを旨として存続してきた北白川にあって、本家の娘が産んだ男子がΩとは、とんだお笑い草だ。


ーーー生き恥を晒したくなければ、
               徹底的に演じきれ。


養父である父様は、そう言った。忘れもしない、小学校の入学式前夜だった。

良家の子女が入学する有名校は、性別すらプライバシーになる。
本人の申告をもとに生来の性にとらわれず生活できる、という体制が主流になった今では、更衣室も全個室完備、トイレもユニセックスのスペースがあるくらいだ。裸体を衆目に晒す機会は消滅し、外見しか判断する術がないのは僕にとって好都合だった。僕の身体はΩだというだけでなく、未分化でもあったからだ。

遺伝子的には男ではあるものの男性ホルモンの分泌は著しく少なく、若干の女体化が見られる。Ωではあるものの妊娠の可能性が極めて低い、という存在価値のまるでない身体だった。

この事実を知った時は、幼いながらもさすがに絶望した。

αで生まれること。それが大前提の北白川家において、孤児かつΩかつ妊娠できない男子。

一体何重苦なんだ。笑いさえでてこない。
しおりを挟む

処理中です...