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木々のまにまに。
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翌日から始まった仕事は案の定、暇の極みだった。
そもそも日々の疲れを忘れるために訪れている場所で、夜空には満天の星。なのに、わざわざ日中プラネタリウムを訪れる人間などいるだろうか。と思ったのだが、実際にはいた。暇か。
手を繋いだ熟年カップル、大学生くらいの集団、女子会らしきOLたち…意外にも森の中の僻地では時間を潰す方法が限られているらしく、日に数回の投影に通ってくる人たちは後を絶たなかった。
入れ替わる度に違う面々かと思えば、中にはパスを持って通ってくるというツワモノもいた。施設利用者じゃなければ入れないのではないかと初日に会った初老の男性に確認すると、年パス利用者は除外されるらしい。
「なにせ田舎は娯楽が少ないからね。かと言って見ず知らずの輩を招き入れるのも防犯上の問題があるだろうってことでさ、こんな僻地のプラネタリウムに通ってくるような身元の割れた物好きなら、ってんで折衷案だわな」
首にかけたタオルで汗を拭きふき、バックヤードで冷たい麦茶をゴクゴクと呷る彼は地元で雇われたそうで、定年退職後の自由時間を労働に宛がっているという何とも奇特な人だった。
「ぼうっとしてちゃあ、頭も体も鈍りそうでさあ。てめぇの食い扶持稼ぐくらいはね、しといたってバチは当たらないやね」
日に焼けた肌と快活な口調、優しい眼差し。その健やかで満ち足りた人生の姿に、憧れがないと言えば嘘になる。どうやったって辿り着けそうもない、世に言うところの「しあわせ」の風景には僕の入る余地はない。麦茶とお菓子をご馳走になりながら、フムフムと頷く僕に気の好い彼はほんの少し声を潜めて告げた。
「ここだけの話ね、キャンプ場なんかじゃたまにいるんだよ、いわゆる盗っ人っていうのかねぇ。所詮野外ってこともあってさ、テントに押し入られたり、知らない間に貴重品を盗まれたり、そんなニュースも聞いたりするよ。ここだって高級グランピングなんて言っても鍵がかかるわけじゃないだろう?」
テントはいわゆるティピー型という三角形をしていて、真っ白な布が夜目にも眩しいくらいライトに照らされているのを何度も目にしていた。
「チャックをビーってやったら入れちゃうもんなぁ。そこがロッジなんかとは違うんだよ。まあ、おかしなヤツらが入って来ないように柵を設けたり、入り口やなんかは夜の間は施錠してるし、防犯カメラなんぞもつけてるけどね。なんだって百パーセントってわけにゃぁいかないわな。見回りするくらいしか手立てがないのが実情さ」
もうすぐここを離れる僕にとっては完全に他人事とはいえ、そんな話を聞いてしまうとどことなく居心地が悪い。何かあった日には寝覚めが悪い。
「…見回り、手伝います、か?」
自分の仕事には含まれないその業務に名乗りを上げた理由に、明確な形などない。薄ぼんやりとした不安、恐れ、偽善と自己防衛、そんなところだ。深い意味なんてない、と自分に言い聞かせる。
唐突な申し出に一瞬面食らった顔をしてから、男性は破顔して痛いほどに肩を叩いてきた。
「よっしゃ、あんちゃん、そしたら今日の夜俺と行くか!」
いつの間にかお兄さんからあんちゃんにグレードがアップしたのか、ダウンしたのか、男性は夕飯後に落ち合おうと時間を決めると嬉しそうに何度も頷いた。叩かれ過ぎた肩が熱を持っていた。
「よっ、来たな!ほれ、コイツがあんちゃんの相棒だ」
男性、もとい高塚さんから手渡されたのは直径二十センチほどの黒い円筒で、スイッチを切り替えれば三段階に光の形が変わるのだと自慢げに見せてくれた。尻のポケットに突っ込んできた小型のライトの出番はなさそうだ。
「そいでな、万が一の時はコレ吹きな」
手のひらに乗せられた銀のホイッスル。
「暗いしな、人間ってのはホントに切羽詰まった時にゃ声なんか出せねぇもんだよ。だからさ、困ったらコイツ吹きゃあ遠くまで聞こえるもんでよ」
恐怖に直面した人間がどうなるのか、なんて。
身をもって知ってる、嫌という程鮮烈にまだ、憶えている。
「アンタに腕っぷしは期待してねえやな。逃げ足はどうだい?」
「それだけは、べらぼうに速いです」
「ははっ、そうかい!そいつぁ頼もしい。でもなぁ…いいか、あんちゃん」
少しだけ声を低くして真っ直ぐと僕の目を見る、皺の寄った柔和な目尻が細められた。
「いざとなったら全力で逃げろ。命あってのものだねだ。オレもこの老体で何でもかんでも守れるたぁ、思っちゃねぇよ。だからさ、お互い命大事に行こうや」
「はい」
正直な人だと思った。有事の際に互いを頼れるほどの信頼関係がまだ構築されていない僕たちでは、自衛するほか術がない。美しい自己犠牲なんてクソくらえだ。手の中の円筒をぐっと握りしめる。じっとりと滲む汗は夏の暑さのせいだ、きっと。
そもそも日々の疲れを忘れるために訪れている場所で、夜空には満天の星。なのに、わざわざ日中プラネタリウムを訪れる人間などいるだろうか。と思ったのだが、実際にはいた。暇か。
手を繋いだ熟年カップル、大学生くらいの集団、女子会らしきOLたち…意外にも森の中の僻地では時間を潰す方法が限られているらしく、日に数回の投影に通ってくる人たちは後を絶たなかった。
入れ替わる度に違う面々かと思えば、中にはパスを持って通ってくるというツワモノもいた。施設利用者じゃなければ入れないのではないかと初日に会った初老の男性に確認すると、年パス利用者は除外されるらしい。
「なにせ田舎は娯楽が少ないからね。かと言って見ず知らずの輩を招き入れるのも防犯上の問題があるだろうってことでさ、こんな僻地のプラネタリウムに通ってくるような身元の割れた物好きなら、ってんで折衷案だわな」
首にかけたタオルで汗を拭きふき、バックヤードで冷たい麦茶をゴクゴクと呷る彼は地元で雇われたそうで、定年退職後の自由時間を労働に宛がっているという何とも奇特な人だった。
「ぼうっとしてちゃあ、頭も体も鈍りそうでさあ。てめぇの食い扶持稼ぐくらいはね、しといたってバチは当たらないやね」
日に焼けた肌と快活な口調、優しい眼差し。その健やかで満ち足りた人生の姿に、憧れがないと言えば嘘になる。どうやったって辿り着けそうもない、世に言うところの「しあわせ」の風景には僕の入る余地はない。麦茶とお菓子をご馳走になりながら、フムフムと頷く僕に気の好い彼はほんの少し声を潜めて告げた。
「ここだけの話ね、キャンプ場なんかじゃたまにいるんだよ、いわゆる盗っ人っていうのかねぇ。所詮野外ってこともあってさ、テントに押し入られたり、知らない間に貴重品を盗まれたり、そんなニュースも聞いたりするよ。ここだって高級グランピングなんて言っても鍵がかかるわけじゃないだろう?」
テントはいわゆるティピー型という三角形をしていて、真っ白な布が夜目にも眩しいくらいライトに照らされているのを何度も目にしていた。
「チャックをビーってやったら入れちゃうもんなぁ。そこがロッジなんかとは違うんだよ。まあ、おかしなヤツらが入って来ないように柵を設けたり、入り口やなんかは夜の間は施錠してるし、防犯カメラなんぞもつけてるけどね。なんだって百パーセントってわけにゃぁいかないわな。見回りするくらいしか手立てがないのが実情さ」
もうすぐここを離れる僕にとっては完全に他人事とはいえ、そんな話を聞いてしまうとどことなく居心地が悪い。何かあった日には寝覚めが悪い。
「…見回り、手伝います、か?」
自分の仕事には含まれないその業務に名乗りを上げた理由に、明確な形などない。薄ぼんやりとした不安、恐れ、偽善と自己防衛、そんなところだ。深い意味なんてない、と自分に言い聞かせる。
唐突な申し出に一瞬面食らった顔をしてから、男性は破顔して痛いほどに肩を叩いてきた。
「よっしゃ、あんちゃん、そしたら今日の夜俺と行くか!」
いつの間にかお兄さんからあんちゃんにグレードがアップしたのか、ダウンしたのか、男性は夕飯後に落ち合おうと時間を決めると嬉しそうに何度も頷いた。叩かれ過ぎた肩が熱を持っていた。
「よっ、来たな!ほれ、コイツがあんちゃんの相棒だ」
男性、もとい高塚さんから手渡されたのは直径二十センチほどの黒い円筒で、スイッチを切り替えれば三段階に光の形が変わるのだと自慢げに見せてくれた。尻のポケットに突っ込んできた小型のライトの出番はなさそうだ。
「そいでな、万が一の時はコレ吹きな」
手のひらに乗せられた銀のホイッスル。
「暗いしな、人間ってのはホントに切羽詰まった時にゃ声なんか出せねぇもんだよ。だからさ、困ったらコイツ吹きゃあ遠くまで聞こえるもんでよ」
恐怖に直面した人間がどうなるのか、なんて。
身をもって知ってる、嫌という程鮮烈にまだ、憶えている。
「アンタに腕っぷしは期待してねえやな。逃げ足はどうだい?」
「それだけは、べらぼうに速いです」
「ははっ、そうかい!そいつぁ頼もしい。でもなぁ…いいか、あんちゃん」
少しだけ声を低くして真っ直ぐと僕の目を見る、皺の寄った柔和な目尻が細められた。
「いざとなったら全力で逃げろ。命あってのものだねだ。オレもこの老体で何でもかんでも守れるたぁ、思っちゃねぇよ。だからさ、お互い命大事に行こうや」
「はい」
正直な人だと思った。有事の際に互いを頼れるほどの信頼関係がまだ構築されていない僕たちでは、自衛するほか術がない。美しい自己犠牲なんてクソくらえだ。手の中の円筒をぐっと握りしめる。じっとりと滲む汗は夏の暑さのせいだ、きっと。
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