Fleurs existentielles

帯刀通

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恋路を辿る

01

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彼女と住んでいた部屋を後にしたコイツが持ち出したものは、段ボールひとつきり。文献や本はすべて研究室に送るという。服や日用品は、と尋ねれば買えばいいの一言。その潔さには惚れ惚れするけれど、そんな風にあっさりと思い出ごと置いていかれた彼女の切なさを思うとやりきれなかった。だからこそ俺の背負うべきものは重くて然るべきだ。彼女のためにも俺は、もう幸せから逃げないって決めたから。

一人になる彼女の元には管理官から介助者が派遣されると聞いて少しだけ安心した。誰でも良いから傍に人がいて欲しい瞬間はある。一日でも長く…と俺が願えた立場ではないけれど、許されるならどうか。

とりあえず俺の家に来るというコイツと、つかず離れずの距離で家までの道を辿る。持って帰りたいんだと何故か強固に主張した段ボールは俺が持つことにした。30cm四方程度の小さなソレは軽くて大した重さは感じない。嵩張りはするけれど苦ではないから小脇に抱えて持ったまま、何を話すでもなく黙々と歩く。電車に乗って、行先を告げるまでもなく最寄り駅まで辿り着いて、俺の少し先を歩いていく背中について行く。忘れてないんだな、と迷いのない足取りを見てじんわりと琥珀色の喜びが胸に染み渡る。

ドアの前で鍵を取り出し、ガチャっと開けて先に入れと促せば猫のようにスルリと中に身体を滑り込ませる。後ろ手にドアを閉めて、狭い玄関に立ったまま占拠している背中に声をかけようとして、先に放たれた一言に胸が詰まった。

「ただいま」

震える声で応える。

「…おかえり」

他に何が言えただろうか。

黙って靴を脱いで手を洗って、まるで今日もただ外出から帰ってきただけみたいな当たり前の顔をしてベッドに腰かけるまでの流れるようなルーティーン。感慨深さに目をつぶって一旦心を落ち着かせる。

どこか変わったところがないかとキョロキョロと視線を飛ばして、すぐに安堵したように表情を緩ませてベッドに寝転がる。ああ、そうだ。お前はそうやっていつもパーソナルスペースをいとも簡単に擦り抜けて自分の居心地のいいように人の心の隅っこに居場所を作り出すような奴だったよな。

だから俺もあえて何も言わずに当たり前のような顔をしてベッドに腰かけた。足下にはさっきまで抱えていた段ボール箱。

「なあ、これ開けないの?」

何が入っているのか興味半分もあった。何も要らないと云ったお前がわざわざ持ってきたがった物は何なのか知りたかったし、逢えないでいた間にお前の心を占めていた物が何なのか知っておきたい気持ちもあった。

「ん…いいよ」

眠たいんだか瞑想してるんだか、興味もなさそうに目を瞑って答えるぼんやりとした声。お許しが出たことで早速ベリっとガムテープを剥がして開いてみて、また涙腺が崩壊した。

目に飛び込んできた、オレンジ色のパーカー。
お互いの家を行き来していた頃、俺の荷物も当然コイツの家に置きっぱなしになっていて、でもあの日の別れ以来何のコンタクトも取らずに来てしまったから当然処分されていたと思っていた俺の服。思わず取り出して抱き締めれば、記憶にある匂いとは違っていた。これを何度も抱き締めては大事にしまうコイツの姿が容易に想像出来て、また顔を埋めて泣いてしまった。抱き締めて溢した恨み言がどれだけ浸み込んでいるんだろうか。その度に洗濯をして、またコイツの痛みを受け止めて、俺のいない時間を一緒に過ごして支えてくれたのだろうか。自分でも思うより余程愛されていることを知ってまた、後悔と懺悔の気持ちに苛まれた。

ひとしきり泣いて、顔を上げてもう一度箱の中を見て、また泣かされた。

何だかふにふにとしたぬいぐるみを大量に集めてはニコニコと愛でているのに若干のヤキモチを覚えた俺が、どうせ抱くならコレにして、と適当にゲーセンで取った猫のぬいぐるみを渡したことがあった。ソイツも箱の中に丸くなってスヤスヤと眠っている。二人で撮った数枚きりのポラロイドも、一緒に出かけたテーマパークのチケットも、ほんの些細な出来事さえ忘れずに抱えていてくれたことに、どうしようもなく胸が一杯になった。
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