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第二部

8. 街歩き

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「どうかしらエレノア、変じゃ無いかしら?」
アイリーシャは自室の鏡の前で、自身の格好を入念に確認していた。

この後ミハイルと共に街歩きをするので、アイリーシャはなるだけ動きやすく簡素な格好として、白い木綿のシャツに黒いフレアスカートを合わせた至ってシンプルなコーディネートに身に包んでいたのだ。

「お嬢様は何を着てもお似合いです。この格好もとても愛らしくて素敵です。これに後、ストールを羽織ると良いと思います。」
そう言ってエレノアは、モスグリーン色のストールをアイリーシャの肩に羽織らせた。
これで、今日のコーディネートは完成である。

そして約束通り昼下がりにミハイルがメイフィール家の馬車で迎えに来たので、彼に手を引かれながらアイリーシャは街へと出掛けて行ったのだった。


「ミハイル様と馬車に乗るのは二回目ですわね。とても、不思議な感覚ですわ。」

前回アイリーシャがミハイルと一緒に馬車に乗ったのは、王太子殿下の婚約者が発表された夜会の日の帰り道だった。
あの時のアイリーシャは、王太子殿下の婚約者に選ばれなかった悲しみに打ちひしがれて涙で頬を濡らしていたけれども、今となっては何故あんなにも絶望したのか不思議でならない。それくらい、今が幸せなのだ。

「そうですね、あの時は私は気が気じゃなかったですから、こうして穏やかな心で貴女と馬車に乗れて嬉しいです。」
ミハイルも当時の心境を思い出し、あの時の気持ちを苦笑混じりに吐露した。

「まぁ、そうだったんですの?」
「えぇ。あの時の貴女は王太子殿下を想って泣いていましたからね。とても酷い気分でしたよ。」
「でもそれは幻想でしたわ……」
「えぇ、よくよく話を聞いたら、自分の行動の所為だと分かり、まぁ、その、とても複雑な気分でした。でも今は違う。とても幸せな気分です。」
そう言うとミハイルは、正面に座るアイリーシャの目を真っ直ぐに見つめた。

「そちらへ……隣に座っても良いですか?」
「……はい。」
アイリーシャが恥ずかしそうに頷くと、ミハイルはゆっくりと立ち上がって、彼女の横に寄り添うように座り直した。

「直ぐ着きますけども、それまでの間、こうさせてください。」

そう言って、ミハイルは隣に座ったアイリーシャの手の上に、自身の手をそっと重ねたのだった。


*****


王都の中心街へ着くと、二人は馬車を降りて散策を始めた。
アルバートに言われた通りに、ミハイルは彼女の手をしっかりと握っていたのでアイリーシャは少し恥ずかしかったが、それよりも彼と一緒に共に街を歩ける喜びの方が何倍も大きくって彼女の顔は嬉しさで溢れかえっていた。

「ミハイル様あそこの人だかりは何かしら?」
「あれは、薬売りの実演販売ですね。遠方の国の商人で、剣で自分の体に傷を作って見せては、商品の薬で血を止めて見せてその効力を見せ物にしているんですよ。」
「まぁ、そんな危険な物の売り方があるのですか?!」
「えぇ。まぁ見せ掛けですよ。彼らもプロですから危険がないように演じているので大丈夫ですよ。」
「そうなのですね。あっ、ミハイル様アレは何かしら?すごく大きな……魚?ですか?」
「あぁ、アレは珍しい深海魚ですね。私も生で見るのは初めてですが、吊るし切りで今から解体するみたいですね。」

普段滅多に街に来ないアイリーシャにとって、市井の暮らしは珍しい物ばかりだった。

だからついつい、色々な物に興味を惹かれて他愛もない質問を次々にミハイルに投げかけてしまっていたが、ふと我に帰ってアイリーシャは自分ばかりがはしゃいでいる事を恥じたのだった。

「あっ、すみませんミハイル様。私ばかり質問してしまって……」
「いいですよ、構いません。貴女が楽しそうにしている姿を隣で見れるのは役得です。」
恐縮するアイリーシャを宥めるように柔らかく笑いながらミハイルは答えた。

周囲を物珍しそうに見渡すアイリーシャの様子をミハイルは目を細めて見つめていたので、彼は彼なりに十分に楽しんでいたのだ。

「それに夕方の鐘まではまだ時間がありますから、もっと色々見て回りましょう。何処か行ってみたいところはありますか?案内しますよ。」
「それでしたら、私は市場が見たいですわ!」
そう言ってアイリーシャがミハイルの事を期待に満ちた眼差しで見上げるので、彼は可愛い婚約者の為に、その手を引いて市場の中へと誘った。

シュテルンベルグ王都の中央広場は、さまざまな地方や外国の商人たちが、路面店を連ねていて活気が溢れている。
外国の珍しい小物や、織物、地方の特産品、工芸品……とにかくあらゆる物がここに集まっているのだ。

ミハイルははぐれないようにと、よりしっかりとアイリーシャの手を握って、彼女が興味を持ちそうな物を中心に中央市場を案内して回ったのだった。

真偽不明のミューズリ王朝の古書、南の地方で採れる果物の乾物、少数民族の伝統工芸であるお面、遠い外国の変わった製法で色が出された織物。珍しい物がそこかしこに溢れていて、アイリーシャはすっかり夢中で辺りを見回していた。

「どうです?何か気に入った物はありましたか?」
「はい。私あの工芸品のブローチが……」
一通り市場を見て回って、アイリーシャは特に強く興味を惹かれた正面の露店の鳥と花を組み合わせたモチーフのブローチを指さそうとしたその時だった。

「リーシャ?」
不意に後ろから名前を呼ばれたのだ。

驚いて後ろを振り向くと、そこには従姉妹のマグリットが立っていたのだった。
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