3 / 109
3. 令嬢、当て馬であったと自覚する3
しおりを挟む
(これは一体、どういう状況なのかしら…)
アイリーシャは、自宅へと帰る馬車の中で自分の置かれている状況が飲み込めず困惑していた。
彼女の目の前には、何故かミハイルが座っているのだ。
あの後、サロンに残されたアイリーシャは、一人になり再び涙に暮れていた。このような場所で、一人泣いている姿を誰かに見られてしまっては困ると分かっては居たが、涙を止める事は出来なかった。
実はミハイルは、サロンを出る時に使用人に、
“自分が戻るまで誰もサロンには近づけるな”
と言い付けていた為、このサロンに人が訪れる事はなく彼女のその心配は杞憂に終わったのだが、これで一人家に帰り、周囲の目を気にせずに悲しみに浸れると安堵したのも束の間、ミハイルはアイリーシャを馬車の乗り場迄案内し、停めてあった馬車に彼女を乗せると、
“体調の悪い女性を一人で帰らせるような真似、出来ませんよ”
と言い、そのまま一緒に馬車に乗り込んだのだった。
そして、冒頭の困惑に繋がる。
(夜会会場で、私を助けてくださったのは、この方が王太子殿下の側近で主催者側であり、あの祝賀の場を滞りなく進行するために、体調を悪そうにしている私が、あの場で倒れられては困るから連れ出したんだろうけれども、私が目の前で泣き出してしまったから、きっと見て見ぬふりが出来ずに気を遣わせてしまったんだわ…。)
アイリーシャは、自分の体調を気遣い、家までついてきてくれるミハイルの行動を、同情による物だと位置付けた。
そして、自分の中でこの状況に結論を出すと、彼女の困惑はミハイルに大層な迷惑をかけてしまった事への申し訳ない気持ちへと変わった。
馬車に向かい合って座ってはいるが、二人の間に会話はなく、ミハイルは夜の暗闇で景色など何も見えない窓の外を眺め、ただアイリーシャの前に座っていた。
このような泣き顔を見ないでいてくれる彼の紳士的な態度が、アイリーシャには有り難かった。
沈黙の馬車は夜道を静かに進む。
サロンから涙を流し続けていたので、アイリーシャの気持ちは幾分か落ち着いてきていた。
改めて今の状況を顧みる位の余裕は出てきたので、彼女は本人に気づかれぬよう、目の前の男性を眺めた。
自分の目の前に座るのは、王太子殿下の側近を務めるメイフィール公爵家の嫡男ミハイル様。
今まで、王太子殿下とお会いする場に後ろに控えては居たので面識はあるが言葉を交わしたのは今夜が初めてだ。
烏の濡れ羽色のような漆黒の髪に、翡翠のような切長の瞳を合わせ持つこの美丈夫に憧れる令嬢も多くいる事は知っていた。
(外見だけでなく、このような紳士的な振る舞いが出来るとは内面まで完璧なお方だったのね。流石王太子殿下の腹心には優秀な方を選んでいるわ。)
ふと思いがけず、王国の人選審美眼の有能さに感心してしまった。
「…アイリーシャ様、一つ尋ねても良いでしょうか?」
アイリーシャが、落ち着いた気配を察知したのか、ミハイルが声を掛けた。
相変わらず、視線は窓の外を見たままで。
「はい。私に答えられる事でしたら。」
急に声をかけられて、アイリーシャは驚いたが、反射的に返事をした。
特に聞かれて困るような事はないけれども、ミハイルが何を聞きたいのかは皆目検討もつかなかった。
その為、彼の口から出た質問に再び心を揺さぶられるとは想像もしなかった。
「貴女は先程、自分は王太子殿下の特別ではないかと思っていたと仰っていましたが、貴女にそう思わせる、何かがあったのでしょうか?」
不意打ちとはまさにこの事だろう。
そのような質問が出てくる事は全く持って予想外であった為、アイリーシャは固まった。
ミハイルは窓の外を見たままだが、チラリとこちらの反応を盗み見られたような気もする。
予想外の問いに、アイリーシャは咄嗟に言葉が出てこなかった。
再び馬車に沈黙が訪れる。
ミハイルは、アイリーシャが何か言葉を発するのをただ静かに待っていた。
そしてアイリーシャは、ミハイルの質問に対しての回答を考えあぐねいていた。
この事はミハイルには言うつもりはなかった。自分で抱えて、雁字搦めにして心の奥底に沈めようと思っていた想い出だからだ。
「その…私たち側近の預かり知らぬ所で、殿下と貴女とは交流があったのだろうか?」
黙ってアイリーシャの言葉を待っていたミハイルだったが、アイリーシャが答えやすくなるように質問を変えた。
基本、王太子殿下と婚約者候補の令嬢達との交流の場には側近の人達が常に伴っていた。
彼らは空気に徹していて、離れた場所で待機をしていたが常に王太子殿下の側に控えている。
その為、婚約者候補の令嬢と王太子殿下が二人で会うなんて事は絶対にない筈であった。
(ミハイル様はお立場上、私の発言を見逃せなかったのだわ…。)
王太子殿下が、婚約者に決まった女性以外と親密な交流を持っていたとしたら側近としては事実関係を把握し、対処する必要があるのかもしれない。
そのような考えに思い至り、アイリーシャはこれ以上ミハイルに迷惑はかけれまいと意を決して静かに自身の中の想いを語り始めたのだった。
アイリーシャは、自宅へと帰る馬車の中で自分の置かれている状況が飲み込めず困惑していた。
彼女の目の前には、何故かミハイルが座っているのだ。
あの後、サロンに残されたアイリーシャは、一人になり再び涙に暮れていた。このような場所で、一人泣いている姿を誰かに見られてしまっては困ると分かっては居たが、涙を止める事は出来なかった。
実はミハイルは、サロンを出る時に使用人に、
“自分が戻るまで誰もサロンには近づけるな”
と言い付けていた為、このサロンに人が訪れる事はなく彼女のその心配は杞憂に終わったのだが、これで一人家に帰り、周囲の目を気にせずに悲しみに浸れると安堵したのも束の間、ミハイルはアイリーシャを馬車の乗り場迄案内し、停めてあった馬車に彼女を乗せると、
“体調の悪い女性を一人で帰らせるような真似、出来ませんよ”
と言い、そのまま一緒に馬車に乗り込んだのだった。
そして、冒頭の困惑に繋がる。
(夜会会場で、私を助けてくださったのは、この方が王太子殿下の側近で主催者側であり、あの祝賀の場を滞りなく進行するために、体調を悪そうにしている私が、あの場で倒れられては困るから連れ出したんだろうけれども、私が目の前で泣き出してしまったから、きっと見て見ぬふりが出来ずに気を遣わせてしまったんだわ…。)
アイリーシャは、自分の体調を気遣い、家までついてきてくれるミハイルの行動を、同情による物だと位置付けた。
そして、自分の中でこの状況に結論を出すと、彼女の困惑はミハイルに大層な迷惑をかけてしまった事への申し訳ない気持ちへと変わった。
馬車に向かい合って座ってはいるが、二人の間に会話はなく、ミハイルは夜の暗闇で景色など何も見えない窓の外を眺め、ただアイリーシャの前に座っていた。
このような泣き顔を見ないでいてくれる彼の紳士的な態度が、アイリーシャには有り難かった。
沈黙の馬車は夜道を静かに進む。
サロンから涙を流し続けていたので、アイリーシャの気持ちは幾分か落ち着いてきていた。
改めて今の状況を顧みる位の余裕は出てきたので、彼女は本人に気づかれぬよう、目の前の男性を眺めた。
自分の目の前に座るのは、王太子殿下の側近を務めるメイフィール公爵家の嫡男ミハイル様。
今まで、王太子殿下とお会いする場に後ろに控えては居たので面識はあるが言葉を交わしたのは今夜が初めてだ。
烏の濡れ羽色のような漆黒の髪に、翡翠のような切長の瞳を合わせ持つこの美丈夫に憧れる令嬢も多くいる事は知っていた。
(外見だけでなく、このような紳士的な振る舞いが出来るとは内面まで完璧なお方だったのね。流石王太子殿下の腹心には優秀な方を選んでいるわ。)
ふと思いがけず、王国の人選審美眼の有能さに感心してしまった。
「…アイリーシャ様、一つ尋ねても良いでしょうか?」
アイリーシャが、落ち着いた気配を察知したのか、ミハイルが声を掛けた。
相変わらず、視線は窓の外を見たままで。
「はい。私に答えられる事でしたら。」
急に声をかけられて、アイリーシャは驚いたが、反射的に返事をした。
特に聞かれて困るような事はないけれども、ミハイルが何を聞きたいのかは皆目検討もつかなかった。
その為、彼の口から出た質問に再び心を揺さぶられるとは想像もしなかった。
「貴女は先程、自分は王太子殿下の特別ではないかと思っていたと仰っていましたが、貴女にそう思わせる、何かがあったのでしょうか?」
不意打ちとはまさにこの事だろう。
そのような質問が出てくる事は全く持って予想外であった為、アイリーシャは固まった。
ミハイルは窓の外を見たままだが、チラリとこちらの反応を盗み見られたような気もする。
予想外の問いに、アイリーシャは咄嗟に言葉が出てこなかった。
再び馬車に沈黙が訪れる。
ミハイルは、アイリーシャが何か言葉を発するのをただ静かに待っていた。
そしてアイリーシャは、ミハイルの質問に対しての回答を考えあぐねいていた。
この事はミハイルには言うつもりはなかった。自分で抱えて、雁字搦めにして心の奥底に沈めようと思っていた想い出だからだ。
「その…私たち側近の預かり知らぬ所で、殿下と貴女とは交流があったのだろうか?」
黙ってアイリーシャの言葉を待っていたミハイルだったが、アイリーシャが答えやすくなるように質問を変えた。
基本、王太子殿下と婚約者候補の令嬢達との交流の場には側近の人達が常に伴っていた。
彼らは空気に徹していて、離れた場所で待機をしていたが常に王太子殿下の側に控えている。
その為、婚約者候補の令嬢と王太子殿下が二人で会うなんて事は絶対にない筈であった。
(ミハイル様はお立場上、私の発言を見逃せなかったのだわ…。)
王太子殿下が、婚約者に決まった女性以外と親密な交流を持っていたとしたら側近としては事実関係を把握し、対処する必要があるのかもしれない。
そのような考えに思い至り、アイリーシャはこれ以上ミハイルに迷惑はかけれまいと意を決して静かに自身の中の想いを語り始めたのだった。
1
お気に入りに追加
1,438
あなたにおすすめの小説
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。
とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」
成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。
「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」
********************************************
ATTENTION
********************************************
*世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。
*いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。
*R-15は保険です。
【完結】どうして殺されたのですか?貴方達の愛はもう要りません
たろ
恋愛
処刑されたエリーゼ。
何もしていないのに冤罪で……
死んだと思ったら6歳に戻った。
さっき処刑されたばかりなので、悔しさも怖さも痛さも残ったまま巻き戻った。
絶対に許さない!
今更わたしに優しくしても遅い!
恨みしかない、父親と殿下!
絶対に復讐してやる!
★設定はかなりゆるめです
★あまりシリアスではありません
★よくある話を書いてみたかったんです!!
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる