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26. 予期せぬ再会

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 ルーフェスが無下にあしらわれてから数時間後。アンナは一人で先程の家の前にこっそりと戻り、周囲を見渡して誰にも見られていない事を確認すると、緊張の面持ちでドアをノックした。

 コンコン

 すると中から「はい」と言う気だるい声が聞こえて、先程と同じ中年女性が応対に出てきたのだった。

「突然の訪問、すみません。」

 アンナは先ずは急な訪問の非礼を謝って、それから神妙な面持ちでその女性と向き合うと、相手の顔色を伺いながら、恐る恐る尋ねた。

「あの……。貴女、マチルダよね……?」

 そのアンナの問いかけに、マチルダと呼ばれた女性は一瞬息が詰まった様だった。それから、目の前のアンナを上から下まで眺めると、目を丸くして驚き、そして急に泣き出した。

「あぁ!やっぱりアンナお嬢様!!昼間チラリとお見かけした時そうじゃないかなと思っていました。ご無事だったんですね!」
「マチルダ!やっぱりマチルダなのね!!こんな所で会えるとは思ってもいなかったわ!!」
「私もです!本当に、本当にご無事で良かった……」

 そう言って彼女はアンナの手を取って泣き崩れた。このマチルダという女性は、アンナが男爵令嬢だった頃の乳母であったのだ。

「心配してくれていたのね、有難う。私も、エヴァンも元気よ。」

 アンナは目に涙を浮かべながらマチルダの手を握り返して、彼女を落ち着かせようと優しく声をかけた。

 思いもよらない再会に二人は心の底から喜び合った。

「さっきはごめんなさいね、突然あんな風に逃げ出してしまって。一緒に居た彼には私の本当の身分を明かしていないから、マチルダと私の関係を知られたく無かったの。」
「そうだったんですね。急に走り去ってしまったので驚きましたが、こうしてまた会いに来てくださって嬉しいです。こんな玄関先での立ち話も何ですから、とりあえず、中へお入りください。」
「有難う、お邪魔するわ。」

 マチルダに手引きされて、アンナは彼女の家の中へと入った。
 アンナの借りている家とほぼ同じ様な間取りの質素な住宅には、客間なんてものは無く、アンナは玄関入って直ぐに広がるリビング兼ダイニングに通されて、勧められるがままに食卓の椅子に腰を下ろした。

「申し訳ございませんアンナお嬢様。今お茶の葉を買う余裕がない故、白湯しかお出しする事が出来ません……」

 そう言って、マチルダは申し訳なさそうに、ティーカップに注いだ白湯を差し出した。

「有難う、気を使わなくても良いのよ。」

 見るとテーカップも、ところどころ柄が薄れて消えかかっていて、あまり良い暮らしぶりじゃない事が手にとる様に見てとれた。

「……この暮らしぶりだと、今はもう男爵家には勤めていないのかしら?」
「はい。母の介護もありましたし、何より先代様がお亡くなりになられ、アンナ様とエヴァン様が行方不明になった後、ラディウス家には先代の弟様が入られたのですが……領民との折り合いが悪く領地の財政が悪化しまして……。それで、大勢の使用人は暇を出されたんです。」
「そう……だったの……」

 自分たちが逃げ出した後のラディウス領の噂は聞いた事があり何となく財政が思わしくない事は知っていたが、当事者からの実情を聞いて、アンナは少なからずショックを受けた。

 子供だった自分が、もしあのまま領地に居ても何も力になれなかったと思うが、それでも、前領主の娘として、疲弊してしまった使用人や領民のことを思うと胸が痛んだのだ。

「それで、アンナお嬢様は今まで一体どうやって暮らしてこられたのですか?」

 アンナが男爵家から逃げ出したのはまだ彼女が十二歳、弟のエヴァンが七歳の時であった。子供二人で一体今までどうやって暮らして来たのか、過酷な状況に身を置いて来たであろう目の前の少女を見て、マチルダは心配そうな顔を向けたのだ。

「冒険者ギルドに登録して、ギルドの仕事で生計を立てて来たわ。幸いお父様の形見の剣は持ち出せていたし、私には剣術の心得もあったから。」
「お嬢様がそんな危険な事しなくてはならなかったなんてっ!!あぁ、今までご無事で本当に良かったです!」
「私達姉弟は幸運だったのよ。周りの人たちに恵まれたわ。それなりにちゃんとやってこられたのよ。だから、ほら、マチルダ泣かないで?」

 アンナは、自分の境遇を聞いて再び泣き出してしまったマチルダの手をさすって彼女を宥めた。彼女が自分たち姉弟に心を配って涙を流してくれるのは嬉しくもあるが心苦しくもあった。

(……左腕に大きな傷を負ってしまっている事は、黙って居た方が良いわね……)

 自分の身を案じ、啜り泣くマチルダの姿を見て、これ以上彼女を泣かせまいと腕の傷については何も語らず、アンナはただ優しく彼女の手を握った。



「……ところで、昼間マチルダのお母様に話を聞きに来た男性が居たでしょう?彼に何を話したか教えて貰えるかしら?」

 マチルダが落ち着いた頃合いを見計らって、アンナは気になっていた事を彼女に尋ねた。

 マチルダを再度訪ねたのは、単に彼女に会いたかったからだが、ルーフェスが真実に近づく手がかりを手にする事が出来たのかも気になっていたので、その顛末がどうなったか聞いておきたいと思ったのだ。

 けれども、マチルダの口から出た説明は、アンナが期待していたものとは全く違ったのだった。

「それが……、母は病に臥せっているので話すこともままならない状態なんです。なので事情を説明してお引き取りいただきました。」
「そんな……」

 その説明に、思わずアンナは言葉を失った。アンナは、ルーフェスは無事にカーラさんから聞き取りを終えて、真実にまた一歩近づいているものだと思っていたのだ。

 しかし実際は、真実どころか暗礁に乗り上げて、もう少しで手が届くと思われていた彼の願いが叶わなかったことを知り、アンナは唖然としたのだった。

「会話出来ない程って、お母様はそんなに重い病気なの?」
「はい……。ここ数日は特に咳が酷くって、起きている間は大抵咳き込んでいます……」
「それは……なにか、回復させる手立てはないの?薬とか。」

 何とか彼女の母親と会話が出来ないかと、アンナは必死に可能性を模索する。

「治療薬はあるのですが、その……とても高価で、私どもには到底買える様な代物じゃ無いんです……」
「もし、薬を買う事ができたら、お母様に話を聞くことが出来るのかしら?」
「はい、咳が改善されれば可能だと思いますが……」

 それを聞くと思い詰めた表情でアンナは押し黙り、十分に思案し、そして覚悟を持って口を開いた。

「分かったわ。薬代、なんとか工面してみるわ。」

 アンナは、自分が薬代を肩代わりする事を決心したのだった。

 目の前で苦しんでいる老婦人を助けたいという気持ちも勿論あるが、何より、ルーフェスの力になりたいという思いが強く彼女を突き動かしたのだ。

「しかしお嬢様、こんな高額を一体どうやって?!」
「大丈夫よ、何とかするわ。」

 今迄の会話で、アンナ達の暮らしにも余裕があるとは到底思えなかったので、マチルダは驚きと不安を隠せなかったが、そんな彼女を安心させる為にアンナはニッコリと笑うと、数日中に薬を届けると約束をしたのだった。

(うん、アレを討伐出来れば薬を買えるわ……)

 安請け合いなどでは無く、アンナにはお金の工面に当てがちゃんとあった。それは数日前からギルドの掲示板に貼られている上級モンスターの討伐依頼だ。

 上級モンスターの討伐は、大体大人一人が一ヶ月生活出来る位の報酬が貰えるので、ルーフェスと二人で倒したとしても、薬を買うのに充分なお金が稼げる筈だと、そう算段したのだ。

(今まで上級モンスターの討伐はした事がないけれども、ルーフェスと一緒ならばきっと大丈夫。絶対に上手くいくわ。)

 そう思って、アンナは翌日早速ルーフェスに上級モンスターの討伐を持ちかけた。

 そして……

 開口一番彼に叱られたのだった。
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