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クララ、ディクソン氏と・・・のこと
ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記超訳版第98回 クララ、ディクソン氏と・・・のこと
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今回分は、横山氏との面白い会話、森夫人のイギリス出発の模様、そしてディクソン氏との仲の決定的な……な話がメインとなります。長い間、クララと親しくしていたディクソン氏でしたが、今回分で。。。
明治12年11月19日 水曜
今朝起きると、真っ先に目に入ったのは、ベッドの足下に置いてあった一反の美しい絽。
添えてあったカードで、森夫人から母へのお別れのプレゼントと分かった。
とても幅が広くて、ドレスをつくるのに十分で嬉しい贈り物だ。
以前、若い徳川家達公からとても白い絽を一反頂いたことがある。
貴族の間ではこの絹布を贈るのが習慣らしい。
しかし普通はとても幅が狭いのだ。
授業が終わり、ちょうど食事を始める前に、横山氏が訪ねてきた。
バージニア神学大学の卒業生で、アメリカで知り合った変な人だ。
一年以上も会っていなかったが、ひどい病気だったそうで、まだ完全に治っていないのではないかと思う。
なにしろ、振る舞いがとてもおかしい。
「ご結婚はまだですか?」
「誰も結婚してくれる人がいなくて」
私が冗談めかして聞いた答えがこれだ。
「きっと誰にも申し込まないからでしょう」
「いえいえ、したことはあるんですよ。
そうだ! 今度はあなたに申し込みましょうか?」
「いえ、結構ですわ」
私は慌てて答える。
「ほら、これでお分かりでしょう?
ご婦人方はプロポーズさせておいて、冷たく『いえ、結構ですわ』と云うんですからね。
これじゃどうやって結婚できるんです?
ああ、そうだ。では、貴女が駄目なら妹さんに聞いてみましょう。
妹さんだったら『いえ、結構』とは云わないでしょうからね。
どうですか、アディ?」
おかしさに笑い転げながら、それならハレルヤ――横山氏はこの人形がとても好きなのだ――に申し込んだらいいのに、と私は云った。
横山氏は米国聖公会の宣教師のくせに、牧師のことを「衣を着たペテン師だ」と非難している。
二時に、森夫妻の見送りに新橋へ行った。
駅は夫妻の友人で一杯で、その中にはとても偉い人たちが大勢いた。
一方に坐っていたのは神田孝平元兵庫県令、田中文部大輔、大久保一翁元老院議官で、そのほか同じように重要な人々があちこちに見えた。
森家の近親者は部屋の中央に集まっていて、有祐さんは軽い旅行着を着ていた。
叔父と同行するのだが、凛とした若紳士ぶりだ。
横山家の小さい男の子たちとそのお母様に、おひろさん、森夫人の父親である広瀬氏もいた。
森夫人は子供を連れて後から入ってきて、とても綺麗だったが、青ざめた顔をしていた。
初めは威厳を保っていたが、じきにこらえきれなくなって婦人専用の待合室に逃げ込み、親戚の女の人たちに囲まれて、ワッと泣き出した。
そっとしておいてあげなくては。
私はそう思い、ただ二言、三言話しかけ、今朝の贈り物のお礼と、良い旅でありますようにと云った。
「ありがとうございます。ほんのつまらないものでございます」
奥様は悲しみの中ですら礼儀を忘れず、そう云われた。
私が退くと、母が代わって別れを告げた。
それから森氏と有祐さんと握手をし、人力車に乗って浅草の深沢勝興氏の家に行ったが、お留守だった。
ちなみに、昨日は大鳥家、津田家の二件を訪ねた。
夕方、お茶の後、ディクソン氏とアンガス氏がドイツ語の復習にみえた。
しかしお喋りに忙しく、勉強はそっちのけ。
マーシャル氏が結婚するという。
あと、三週間で妻となる若い婦人がスコットランドから到着する予定だ。
ディクソン氏はミス・キャンベルの存在など全然気づかず、マーシャル氏がずっと文通していて、写真までアルバムに貼っていたことを今まで知らなかったという。
これでマーシャル氏がどうして家を綺麗にしていたのか訳が分かった。
皆、独身男性が何故あんなに家に気を遣うのかおかしいと思ったのだが、本人は結婚するつもりはさらさら無いと断言していたのだった。
工部大学校の教授連は毎日「キャンベル一家がやってくる。フレー、フレー」と歌っているという。
明治12年11月20日 木曜
ウィリイが明日まで帰らない予定だったので、今日のYMCAの親睦会にはディクソン氏が連れて行って下さることになっていた。
けれども彼はとても早く行かなければならないので、代わりに弟さんが来て下さった。
ジェイミーは私たちに忠実に付き添って他の人には目もくれなかったが、それはあまり慰めにはならなかった。
というのは、ディクソン氏が普段話さない人にまで陽気に話しかけ、私たちの方をチラチラと見るのに近寄ろうとしないのだ。
彼を怒らせるようなことは何もしていない。
なのに、どうしてそうされるのか全く分からない。
私たちはひどく傷ついた。
誤解かもしれないが。
明治12年11月21日 金曜
今日のお昼、松平おやおさんが、いつものお供であるおすみと小泉氏を連れずにみえたので驚いた。
昼食が終わるとすぐにみえ、四時までいらっしゃった。
村田夫人もみえ、富田夫人も朝からいらっしゃったので、お逸、疋田夫人も加えて、賑やかな裁縫教室が始まった。
おやおさんはとても綺麗で、いやな小泉氏がいないので、とても自然に振る舞った。
いつもの賛美歌を歌い、お喋りをはじめた。
おやおさんは今週、皇居に菊を見に行ったそうだ。
美しく手入れされた庭の様子や、そこにお住まいの皇后様に敬意を表するため、門番小屋で下駄を脱ぎ、草履で入っていったことなどを、生き生きと話してくれた。
明治12年11月22日 土曜
今日は悲しいことが起こり、相反する二つの思いに胸が張り裂ける思いだ。
こんな個人的出来事を書くことが賢明であるとしたら、本当に悲劇的なシーンを描写できるのだが。
母は身体の調子がとても悪い。
そして私たちはアメリカに帰らなければならない。
帰ったとしてよくなることは少ししかないのに。
朝中ずっとつらい思いで過ごしたが、雲はなく、外の陽ざしは明るかった。
だが賢い神は、結局私たちに良い一日をお授け下さった。
「目黒の近くの有名な池と庭に、ディクソン兄弟と一緒に行きましょう」
アンガス氏がそう誘って下さったのだ。
勿論、お兄さんの方は来ず、母は悔しがったし、私はまたも傷つけられた。
静かな田舎道につくと、人力車を降り、私たちはじきに機嫌がよくなった。
こんなに空は明るく、空気はすがすがしいのに、どうして塞いでいられるだろうか。
私は男の人たちに何事もないと思わせるように、できるだけ陽気にお喋りした。
親切に私たちを誘って下さったのだから、私もできるだけ気持ちよくしてあげなくてはと思ったのだ。
帰りに大鳥氏の家に寄り、可哀想なおゆきさんに大好物のパンを届けた。
明治12年11月23日 日曜
今夜、ディクソン氏はいつもより早く、疲れた様子でいらっしゃった。
客間で長い間母と話をしておられたが、私はお目にかかりたくなかったので、食堂のストーブのそばにずっと座っていた。
今日、私ははからずも自分の心の底をのぞき、少しずつ気づかぬうちにそこに育ってしまっていたものを見てしまったのだ。
苦しかった。
しかし今はすっかり切り取って捨ててしまった。
時折、はるかな思い出として私の胸を刺すことはあっても、もう私を悩ますことはないだろう。
明治12年11月24日 月曜
今朝、富田夫人と倉庫に預けてあるトランクにしまっておいた駝鳥の羽根をとりに行った。
夫人はとても愛想よくもてなしてくださり、茶の間の火鉢のそばに私たちを坐らせ、おいしいお菓子やお茶を出して下さった。
森夫人の出発のこと、ディクソン氏の弟のこと、私たちの帰国の予定のことなどいろいろなことをお喋りした。
「“オスシ”と“ヨーカン”の作り方を習いにいらっしゃい」
習うのはきっと楽しいだろう。
午後はドイツ語の勉強をしたが、全部終わらないうちにマーシャル氏がみえた。
婚約していると知ったので、気楽に大変楽しくお喋りした。
どんなに愛想良くしても誤解されることはないし、私が「好かれようとしている」と疑われることもないからとても楽だ。
私はとても変だ。
結婚相手となりそうな人は気をつけて避け、可能性のなさそうな人とばかり親しくする。
【クララの明治日記 超訳版解説第98回】
「………………………………………………」
「………………………………………………」
「…………お逸、貴女、クララの一番の親友なのでしょう? 何か云いなさいよ!」
「親友だからって、なんでも云えるわけないじゃないの!
……しかし、それにしても何の脈絡もなしの“破綻”じゃない?
ディクソン氏、何でいきなりクララに対する態度が変わったわけ?」
「伏線はあるにはあったでしょう?
正確な日にちはクララの日記に直接的な記述がないので分からないけれど、一家揃ってアメリカに帰ることに決めたのはこの日から一ヶ月も前ではないでしょう?
それもこの時点では日本に戻ってくることを前提としていない、永帰国で」
「ああ、なるほど(ポン)。
もしクララが一家とは“別の道”を歩くことになるとすれば“帰国を決める前に”それを決めてないといけないのに、少なくともクララの日記を読む限り、ディクソン氏と相談した形跡はないもんね」
「そういうことでしょうね。
ディクソン氏的には家族ぐるみのつきあい&“お互い結婚を意識して”付き合ってきたつもりなのに、いつの間にかホイットニー家はアメリカ帰国を決めてしまっていた、自分には何の相談もなく。
クララに対しても、ホイットニー家に対しても、随分と思うところがあったと思いますわよ」
「……そこのところ、全く理解しているふうには見えないよね、クララも、アンナ先生も。
ああ、ちょっと違うか。クララの方は少しは意識していたんだ、11月23日の日記を読む限り」
「ただ客観的に観察すると、クララの中で恋愛感情がイコール結婚で繋がっていたようにはみえませんわね。
クララ本人の“理想”は“修道女のような生き方”だったのでしょうけれど、本人の実際の生活態度からしたら、とても修道女になれるとは思えませんもの。
勿論、それくらいのことはクララ本人も気づいていたでしょうけれど、日本という“隔離社会”に思春期に入った頃からずっと滞在していた影響と、母親であるアンナさんの影響でしょうね、決定的なところで“浮世離れ”していたのだと思いますわよ、あの娘は」
「……う~ん、となると、ディクソン氏はある意味で“被害者”って云えちゃうわけ?
クララの親友としては、なんだか複雑な気分だけど」
「事実は事実として認めなさい。
それと今回のクララ自身の話を読んだ後、冒頭の横山氏との会話を読み直すと、不思議な感慨に浸れますわよ」
明治12年11月19日 水曜
今朝起きると、真っ先に目に入ったのは、ベッドの足下に置いてあった一反の美しい絽。
添えてあったカードで、森夫人から母へのお別れのプレゼントと分かった。
とても幅が広くて、ドレスをつくるのに十分で嬉しい贈り物だ。
以前、若い徳川家達公からとても白い絽を一反頂いたことがある。
貴族の間ではこの絹布を贈るのが習慣らしい。
しかし普通はとても幅が狭いのだ。
授業が終わり、ちょうど食事を始める前に、横山氏が訪ねてきた。
バージニア神学大学の卒業生で、アメリカで知り合った変な人だ。
一年以上も会っていなかったが、ひどい病気だったそうで、まだ完全に治っていないのではないかと思う。
なにしろ、振る舞いがとてもおかしい。
「ご結婚はまだですか?」
「誰も結婚してくれる人がいなくて」
私が冗談めかして聞いた答えがこれだ。
「きっと誰にも申し込まないからでしょう」
「いえいえ、したことはあるんですよ。
そうだ! 今度はあなたに申し込みましょうか?」
「いえ、結構ですわ」
私は慌てて答える。
「ほら、これでお分かりでしょう?
ご婦人方はプロポーズさせておいて、冷たく『いえ、結構ですわ』と云うんですからね。
これじゃどうやって結婚できるんです?
ああ、そうだ。では、貴女が駄目なら妹さんに聞いてみましょう。
妹さんだったら『いえ、結構』とは云わないでしょうからね。
どうですか、アディ?」
おかしさに笑い転げながら、それならハレルヤ――横山氏はこの人形がとても好きなのだ――に申し込んだらいいのに、と私は云った。
横山氏は米国聖公会の宣教師のくせに、牧師のことを「衣を着たペテン師だ」と非難している。
二時に、森夫妻の見送りに新橋へ行った。
駅は夫妻の友人で一杯で、その中にはとても偉い人たちが大勢いた。
一方に坐っていたのは神田孝平元兵庫県令、田中文部大輔、大久保一翁元老院議官で、そのほか同じように重要な人々があちこちに見えた。
森家の近親者は部屋の中央に集まっていて、有祐さんは軽い旅行着を着ていた。
叔父と同行するのだが、凛とした若紳士ぶりだ。
横山家の小さい男の子たちとそのお母様に、おひろさん、森夫人の父親である広瀬氏もいた。
森夫人は子供を連れて後から入ってきて、とても綺麗だったが、青ざめた顔をしていた。
初めは威厳を保っていたが、じきにこらえきれなくなって婦人専用の待合室に逃げ込み、親戚の女の人たちに囲まれて、ワッと泣き出した。
そっとしておいてあげなくては。
私はそう思い、ただ二言、三言話しかけ、今朝の贈り物のお礼と、良い旅でありますようにと云った。
「ありがとうございます。ほんのつまらないものでございます」
奥様は悲しみの中ですら礼儀を忘れず、そう云われた。
私が退くと、母が代わって別れを告げた。
それから森氏と有祐さんと握手をし、人力車に乗って浅草の深沢勝興氏の家に行ったが、お留守だった。
ちなみに、昨日は大鳥家、津田家の二件を訪ねた。
夕方、お茶の後、ディクソン氏とアンガス氏がドイツ語の復習にみえた。
しかしお喋りに忙しく、勉強はそっちのけ。
マーシャル氏が結婚するという。
あと、三週間で妻となる若い婦人がスコットランドから到着する予定だ。
ディクソン氏はミス・キャンベルの存在など全然気づかず、マーシャル氏がずっと文通していて、写真までアルバムに貼っていたことを今まで知らなかったという。
これでマーシャル氏がどうして家を綺麗にしていたのか訳が分かった。
皆、独身男性が何故あんなに家に気を遣うのかおかしいと思ったのだが、本人は結婚するつもりはさらさら無いと断言していたのだった。
工部大学校の教授連は毎日「キャンベル一家がやってくる。フレー、フレー」と歌っているという。
明治12年11月20日 木曜
ウィリイが明日まで帰らない予定だったので、今日のYMCAの親睦会にはディクソン氏が連れて行って下さることになっていた。
けれども彼はとても早く行かなければならないので、代わりに弟さんが来て下さった。
ジェイミーは私たちに忠実に付き添って他の人には目もくれなかったが、それはあまり慰めにはならなかった。
というのは、ディクソン氏が普段話さない人にまで陽気に話しかけ、私たちの方をチラチラと見るのに近寄ろうとしないのだ。
彼を怒らせるようなことは何もしていない。
なのに、どうしてそうされるのか全く分からない。
私たちはひどく傷ついた。
誤解かもしれないが。
明治12年11月21日 金曜
今日のお昼、松平おやおさんが、いつものお供であるおすみと小泉氏を連れずにみえたので驚いた。
昼食が終わるとすぐにみえ、四時までいらっしゃった。
村田夫人もみえ、富田夫人も朝からいらっしゃったので、お逸、疋田夫人も加えて、賑やかな裁縫教室が始まった。
おやおさんはとても綺麗で、いやな小泉氏がいないので、とても自然に振る舞った。
いつもの賛美歌を歌い、お喋りをはじめた。
おやおさんは今週、皇居に菊を見に行ったそうだ。
美しく手入れされた庭の様子や、そこにお住まいの皇后様に敬意を表するため、門番小屋で下駄を脱ぎ、草履で入っていったことなどを、生き生きと話してくれた。
明治12年11月22日 土曜
今日は悲しいことが起こり、相反する二つの思いに胸が張り裂ける思いだ。
こんな個人的出来事を書くことが賢明であるとしたら、本当に悲劇的なシーンを描写できるのだが。
母は身体の調子がとても悪い。
そして私たちはアメリカに帰らなければならない。
帰ったとしてよくなることは少ししかないのに。
朝中ずっとつらい思いで過ごしたが、雲はなく、外の陽ざしは明るかった。
だが賢い神は、結局私たちに良い一日をお授け下さった。
「目黒の近くの有名な池と庭に、ディクソン兄弟と一緒に行きましょう」
アンガス氏がそう誘って下さったのだ。
勿論、お兄さんの方は来ず、母は悔しがったし、私はまたも傷つけられた。
静かな田舎道につくと、人力車を降り、私たちはじきに機嫌がよくなった。
こんなに空は明るく、空気はすがすがしいのに、どうして塞いでいられるだろうか。
私は男の人たちに何事もないと思わせるように、できるだけ陽気にお喋りした。
親切に私たちを誘って下さったのだから、私もできるだけ気持ちよくしてあげなくてはと思ったのだ。
帰りに大鳥氏の家に寄り、可哀想なおゆきさんに大好物のパンを届けた。
明治12年11月23日 日曜
今夜、ディクソン氏はいつもより早く、疲れた様子でいらっしゃった。
客間で長い間母と話をしておられたが、私はお目にかかりたくなかったので、食堂のストーブのそばにずっと座っていた。
今日、私ははからずも自分の心の底をのぞき、少しずつ気づかぬうちにそこに育ってしまっていたものを見てしまったのだ。
苦しかった。
しかし今はすっかり切り取って捨ててしまった。
時折、はるかな思い出として私の胸を刺すことはあっても、もう私を悩ますことはないだろう。
明治12年11月24日 月曜
今朝、富田夫人と倉庫に預けてあるトランクにしまっておいた駝鳥の羽根をとりに行った。
夫人はとても愛想よくもてなしてくださり、茶の間の火鉢のそばに私たちを坐らせ、おいしいお菓子やお茶を出して下さった。
森夫人の出発のこと、ディクソン氏の弟のこと、私たちの帰国の予定のことなどいろいろなことをお喋りした。
「“オスシ”と“ヨーカン”の作り方を習いにいらっしゃい」
習うのはきっと楽しいだろう。
午後はドイツ語の勉強をしたが、全部終わらないうちにマーシャル氏がみえた。
婚約していると知ったので、気楽に大変楽しくお喋りした。
どんなに愛想良くしても誤解されることはないし、私が「好かれようとしている」と疑われることもないからとても楽だ。
私はとても変だ。
結婚相手となりそうな人は気をつけて避け、可能性のなさそうな人とばかり親しくする。
【クララの明治日記 超訳版解説第98回】
「………………………………………………」
「………………………………………………」
「…………お逸、貴女、クララの一番の親友なのでしょう? 何か云いなさいよ!」
「親友だからって、なんでも云えるわけないじゃないの!
……しかし、それにしても何の脈絡もなしの“破綻”じゃない?
ディクソン氏、何でいきなりクララに対する態度が変わったわけ?」
「伏線はあるにはあったでしょう?
正確な日にちはクララの日記に直接的な記述がないので分からないけれど、一家揃ってアメリカに帰ることに決めたのはこの日から一ヶ月も前ではないでしょう?
それもこの時点では日本に戻ってくることを前提としていない、永帰国で」
「ああ、なるほど(ポン)。
もしクララが一家とは“別の道”を歩くことになるとすれば“帰国を決める前に”それを決めてないといけないのに、少なくともクララの日記を読む限り、ディクソン氏と相談した形跡はないもんね」
「そういうことでしょうね。
ディクソン氏的には家族ぐるみのつきあい&“お互い結婚を意識して”付き合ってきたつもりなのに、いつの間にかホイットニー家はアメリカ帰国を決めてしまっていた、自分には何の相談もなく。
クララに対しても、ホイットニー家に対しても、随分と思うところがあったと思いますわよ」
「……そこのところ、全く理解しているふうには見えないよね、クララも、アンナ先生も。
ああ、ちょっと違うか。クララの方は少しは意識していたんだ、11月23日の日記を読む限り」
「ただ客観的に観察すると、クララの中で恋愛感情がイコール結婚で繋がっていたようにはみえませんわね。
クララ本人の“理想”は“修道女のような生き方”だったのでしょうけれど、本人の実際の生活態度からしたら、とても修道女になれるとは思えませんもの。
勿論、それくらいのことはクララ本人も気づいていたでしょうけれど、日本という“隔離社会”に思春期に入った頃からずっと滞在していた影響と、母親であるアンナさんの影響でしょうね、決定的なところで“浮世離れ”していたのだと思いますわよ、あの娘は」
「……う~ん、となると、ディクソン氏はある意味で“被害者”って云えちゃうわけ?
クララの親友としては、なんだか複雑な気分だけど」
「事実は事実として認めなさい。
それと今回のクララ自身の話を読んだ後、冒頭の横山氏との会話を読み直すと、不思議な感慨に浸れますわよ」
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