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クララのとある一日のお宅訪問記録のこと
ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記 超訳版第69回 クララのとある一日のお宅訪問記録のこと
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マッタリな感じの今回分は「梅太郎、勉強ス」「アーネスト・サトウの歴史講話」そして「クララのとある一日のお宅訪問記録」な話がメインとなります。
明治12年1月13日 月曜日
今朝から授業を始めたが、三人の生徒が現れた――お逸、こまつ、そして梅太郎である。
「工部大学校に入ってディクソン氏に習いたいんです」
梅太郎はその準備として勉強に来るのだが、それがどんなに大変なことか彼は全く分かっていない。
入学試験は四月の三日から六日までだが、彼には無理だと思う。
けれども大いに張り切って毎日勉強に来ている。
午後には、家で開催することになっている音楽会の打合せのためディクソン氏がみえたが、上機嫌だった。
陸軍省の関係の翻訳のことで佐々木氏が手伝って欲しいと頼みに来た。
彼はアブダル・カーンに関する本を訳していて『ルソファイル』、字義通りに云えば『ロシアびいき』という言葉の意味を聞かれたのだけれど、私にとっても聞いたことのない言葉である。
アマーマン氏とネリーもみえて次の土曜日のパーティーにアディを招待して下さった。
明治12年1月14日 火曜日
午後、母と一緒に湯島聖堂のアジア協会に行った。
早く着いたので、ディクソン氏、ホートン夫人、ミス・ジョンソンだけしかまだみえていなかった。
しかし間もなく他の方たちもみえて会は始まった。
書記が前回の記録を読み、マレイ氏は近く帰国されるため、会長の役をサイル氏に譲られた。
マレイ氏は大変有能な会長だったから、彼を失うのは極めて残念だ。
次に英国公使館のアーネスト・サトウ氏が、次のような話をされた。
ジェズイット派の宣教師が昔大勢の改宗者を得た島原と長崎で見つかったキリスト教徒の墓に、奇妙な文章が刻まれていたというのだ。
三千三百三十三人<と云われている>キリスト教徒が打ち首にされ穴に放り込まれたが、親切な大名<長州の殿様だったと思う>がその墓の上に大きな石碑を建てたのだそうだ。
『キリストによって迷わされた彼らの魂が地獄の火によって清められ、遂には仏の極楽浄土に入ることを許されますように』
石碑にはそんな意味のことが記され、彼らのために仏教の祈りの言葉「南無阿弥陀仏」が記されているということであった。
この後、サイル先生、マレイ先生、サトウ氏、ハリー・パークス卿によって討論が行われた。
ついで品川のジェームズ船長が古代日本史から二つの物語を読んだ。
一つは山田長政の話。
山田長政は滝と太田という二人の商人を連れて台湾に、更にシャムに渡って、巧みな戦術の心得によって王に認められ、王女を妻に与えられた。
後に摂政になったが、幼君の母親に毒殺された。
もう一つの話は浜田弥兵衛が台湾の要塞のオランダ人司令官ピーター・ノイツと戦った話である。
ノイツはひどい悪人で、あらゆる機会に日本人の財産を強奪したのだ。
英国の国会議員のリード氏という方が今日本に来て、海軍を組織しているが、彼と息子さんもアジア協会にみえていた。
ユーイング氏によると、リード氏は世界各国の海軍を組織しているということだった。
明治12年1月15日 水曜日
午後大鳥閣下を白金の豪邸に訪ねた。
おゆきさんや他のお子さん方もご在宅だったので、一緒に遊ぶことが出来た。
閣下は工部大学校のイタリア人教授フォカタネージ氏に油絵の肖像画を描いて貰っておられる。
同教授の手になる奥様の胸像は大変よくできている。
昨年結婚された長女のおひなさんは困り者で、閣下も手を焼いておいでになるという噂だ。
明治12年1月16日 木曜日
母とアディは会合に出かけたので、私は大好きなロマンス文学に読み耽ることができた。
ド・ボワンヴィル夫人、アンダーソン夫人、ミス・ジョンソンが訪ねて来た。
ミス・ジョンソンとは楽しい話し合いができた。
とても気の良い方で、日本にいるのがそぐわない感じだ。
彼女は東京に落とされたアメリカの一片である。
「たびたび遊びに来て下さい」
そう仰ったので、そうしたいと思う。
ジュエット氏が夕食後にみえてずっといた。
ウィリイから葉書と電報と小包が届いた。
福井に着いて、四日市で買ったお茶碗や茶瓶を送ってくれたのだ。
夕べはひどい雷で思わずベットから飛び起きた。地震の前触れかと思ったのだ。
梅太郎は工部大学校に入りたいのにひどく怠け者だ。
もともと頭は良いが、怠けるので思うように進歩しない。
明治12年1月18日 土曜日
またひどい風邪をひいてしまった。
まるで咳をし続けるのが私の運命であるかのようだ。
午前中にちょっと内田夫人のところへ行って、彼女と耳の聞こえないおば様としばらくお話をしてきた。
それから勝家に回る途中で岡田のオバサンに出会い、お天気のことなどを立ち話をしてからうちまで送っていった。
時々晩に出かける時に私は提灯を持って岡田さんを家まで送ってあげる。
「冬は寒くて暖を取るのが難しいから嫌いだ」
彼女はしばしばそうぼやく。
確かに夏は暑いけれども、何処か涼しい場所を探すことができるからだ。
お逸と二人でしばらくコタツに入って、爪先から暖めてから二階の彼女の部屋に案内された。
ベルギー製の絨毯が敷いてあり、箪笥や机に、柳や梅の枝を活けた花瓶があった。
気持ちの良い小さい部屋でバルコニーがついている。
お祖母様の写真や、彼女とお母様と一緒の写真などを見せて貰った。
それからお母様が若い時に使われた美しい櫛を出して見せて下さった。
大きくて彫り物がいっぱいある櫛だ。
材料は昔は櫛に使われなかった鼈甲であった。
明治12年1月19日 日曜日
昨晩、江戸ホテルが焼失した。
なんと持主が名を売るためだけに放火したのだった。
居留地全体が助かったのは奇跡だ。
ミス・マクニールの家の屋根とマクラレン氏の屋根が燃えたが、ごく一部分で、あれほど近いのに他の建物は無事だった。
今日の日曜礼拝ではディクソン氏が『サウル』の中の「死の行進」を演奏してくれた。
「天国に昇っていくような気持ちがするわね」
そう云ったお逸は「自分のお葬式の時にその曲を弾いて貰えるなら死にたい」とまで云った。
「カフサラムの写しが欲しい」
私がアンガス氏にそう云ったことを伝え聞いたディクソン氏は、私がそんなものを欲しがったり、カトリックの聖アグネスが好きになったりしておかしいと思ったそうだ。
明治12年1月20日 月曜日
朝、窓から外を見たら、この冬二度目の綺麗な雪が地面を覆っていた。
でもあまり熱心に私が眺めたせいかどうか知らないが、雪は間もなく解けてしまった。
十時にお逸とマレイ夫人を訪ねた。
小鹿さんも昨日訪問されたのだが、お逸は同行を断ってしまったのだ。
とにかくマレイ夫人はお逸の来訪を大変喜び、専ら彼女に話しかけた。
といっても、私が全部引き取って彼女の代わりに返事をしたのだけど。
マレイ先生もご在宅で、いつもと変わらず愛想がよくハンサムだった。
マッカーティ夫妻やユウメイも同席していた。
お逸は綺麗な着物を着てとても可愛く見え、みんなからちやほやされた。
次に私たちは森夫人を訪ねたが、彼女は和服姿でお元気そうだった。
夕べは川村純義海軍中将のところへ行かれて、国会議員のリード氏にお会いになったとのことだった。
このあと大山夫人のところに寄った。
外務省の構内にある素敵な西洋館に住んでいらっしゃる。
客間はとても綺麗で、張り出し窓が付いており、壁紙が貼ってあり、絨毯が敷いてある。
いくつか立派な銅や陶器の置物がある。
夫人は愛想が良く快活で、近くまた勉強に来ると仰った。
今日はご主人が熱海から帰って来られるのを待っておられる。
そのあと富田氏のところに寄って長いこといろんな人や物についてお話をした。
富田氏は高木三郎氏の奥様が嫌いだ。
高木夫人は傲慢で、ご両親がみえた時でも、自分は椅子に腰掛けて、ご両親は床に坐らせていた。
勝家を訪問した時の話も聞かされた。
お互いお辞儀をして「ゴキゲンヨウ」とか「ハジメマシテ」とか「ドウゾココロヤスク」とかいう言葉を勝氏の方で云われたのに対し、彼女は形式的にお辞儀をするだけで、返礼の言葉も云わず、三郎氏のアメリカ行きの費用を勝氏が出しておあげになったお礼も云わなかった。
勿論これは十年前のことだ。
しかし、それだから尚更お礼を云うのが礼儀というものだ。
母は人力車から落ちた時に傷めた背中が痛むと云う。
【クララの明治日記 超訳版解説第69回】
「今回分は冒頭の予告通り、まったりとした展開でしたわね」
「チッチッチッ、甘い甘い。実は隠れたところで、重大な証言が潜んでいるんだな、これが。
メイ、大鳥圭介氏の娘の三姉妹、知ってるわよね?」
「大鳥ひなさん、ゆきさん、きくさんですわよね。長女のひなさんは確か米沢藩の上杉茂憲氏と結婚されたのでしたっけ?」
「そう、結婚式は明治11年5月13日の記載で、ちゃんと記録が残ってるわ。幕府最後の陸軍奉行の家と米沢上杉藩との結婚と云うことで、お互いにネームバリューは抜群。
でも、この結婚は一般には“なかったこと”になってるの」
「? どういうことですの?」
「世間一般では人気のない、というより影が薄くて、せいぜい新撰組ファンから函館戦争の時に土方歳三と対立したことで嫌われている大鳥圭介氏だけど、維新後は工部大学校長として日本のテクノクラート制度の基礎を作ったとして結構実績を残しているの。
思想的にも当時としては相当リベラルで、結構生徒たちからも慕われていたみたい。ただ日清戦争の際の外交官としての働きは賛否両論あるみたいだけど。
ということで、人物伝が何冊も出版されていて、家族構成からその後の人生まで結構分かるのだけれど、ひなさんの結婚相手は上杉氏じゃないんだよね、これが。
で、丁度少し前にNHKの歴史番組で上杉茂憲氏について、ほんの少しだけ、でも“上杉鷹山の子孫”に相応しい善行の持ち主ということで取り上げられていたので少し調べてみたんだけど、上杉茂憲氏関係の資料にも載ってないんだよね<大鳥ひなさんとの婚姻について」
「歴史から黙殺された、というわけですの?」
「歴史と云うほど大袈裟な話じゃないけどね。ただ実は彼女の人生も結構波瀾万丈で、本格的に調べてみたら面白いかも?
ちなみに、森有礼夫人とは開拓使女学校の時の同級生だったりするんだけど……クララの日記中にはそれらしき記述はないかな?
ともあれ、結婚の話については専門家たちは当然把握しているんだろうけど、多分一般人が普通に読める文章だと、このクララの日記だけじゃないのかな、二人の結婚の記録が残っているのは?」
「ホイットニー家や勝家に関する記録は一部削除したと思われる節があるのに、他家の家庭内事情に関してはスルーですの?<クララの日記の記述」
「……いや、それは、その……クララの日記を翻訳した人も勝海舟の孫だからね。。。わたしからすると、姪の子供だけれど」
「もう宜しいですわ。確かにこれ以上はゴシップになってしまいますから、次の話題に映りますわよ。
アーネスト・サトウ氏、流石に日本人以上に日本の歴史に詳しいと云われただけのことはありますわね。
会合に参加されていた他の方も負けず劣らずで、山田長政はともかく、今時の少し歴史に詳しい程度の日本人では、浜田弥兵衛の名前は出てこないでしょう」
「当時の一流外交官や一流知識人の知識は本当に凄いよねー。大学の一般課程での日本史講義レベルでは到底太刀打ちできないレベルだもの。
もっとも名著といわれる本――例えば『大君の都』――でも、とんでもない事実誤認とかあったりするけど。この辺は長くなるので、また機会を改めて。
とりあえず、本日の所はこの辺で……」
「お待ちなさい、ここの部分の説明をしてからになさい、幕を閉じるのは。
『「天国に昇っていくような気持ちがするわね」
そう云ったお逸は「自分のお葬式の時にその曲を弾いて貰えるなら死にたい」とまで云った。』
……貴女、本当に良家のお嬢様ですの?」
「人の趣向に良家も何もないと思うんだけど。まあ、表現が過激なのは認めるけどさ」
明治12年1月13日 月曜日
今朝から授業を始めたが、三人の生徒が現れた――お逸、こまつ、そして梅太郎である。
「工部大学校に入ってディクソン氏に習いたいんです」
梅太郎はその準備として勉強に来るのだが、それがどんなに大変なことか彼は全く分かっていない。
入学試験は四月の三日から六日までだが、彼には無理だと思う。
けれども大いに張り切って毎日勉強に来ている。
午後には、家で開催することになっている音楽会の打合せのためディクソン氏がみえたが、上機嫌だった。
陸軍省の関係の翻訳のことで佐々木氏が手伝って欲しいと頼みに来た。
彼はアブダル・カーンに関する本を訳していて『ルソファイル』、字義通りに云えば『ロシアびいき』という言葉の意味を聞かれたのだけれど、私にとっても聞いたことのない言葉である。
アマーマン氏とネリーもみえて次の土曜日のパーティーにアディを招待して下さった。
明治12年1月14日 火曜日
午後、母と一緒に湯島聖堂のアジア協会に行った。
早く着いたので、ディクソン氏、ホートン夫人、ミス・ジョンソンだけしかまだみえていなかった。
しかし間もなく他の方たちもみえて会は始まった。
書記が前回の記録を読み、マレイ氏は近く帰国されるため、会長の役をサイル氏に譲られた。
マレイ氏は大変有能な会長だったから、彼を失うのは極めて残念だ。
次に英国公使館のアーネスト・サトウ氏が、次のような話をされた。
ジェズイット派の宣教師が昔大勢の改宗者を得た島原と長崎で見つかったキリスト教徒の墓に、奇妙な文章が刻まれていたというのだ。
三千三百三十三人<と云われている>キリスト教徒が打ち首にされ穴に放り込まれたが、親切な大名<長州の殿様だったと思う>がその墓の上に大きな石碑を建てたのだそうだ。
『キリストによって迷わされた彼らの魂が地獄の火によって清められ、遂には仏の極楽浄土に入ることを許されますように』
石碑にはそんな意味のことが記され、彼らのために仏教の祈りの言葉「南無阿弥陀仏」が記されているということであった。
この後、サイル先生、マレイ先生、サトウ氏、ハリー・パークス卿によって討論が行われた。
ついで品川のジェームズ船長が古代日本史から二つの物語を読んだ。
一つは山田長政の話。
山田長政は滝と太田という二人の商人を連れて台湾に、更にシャムに渡って、巧みな戦術の心得によって王に認められ、王女を妻に与えられた。
後に摂政になったが、幼君の母親に毒殺された。
もう一つの話は浜田弥兵衛が台湾の要塞のオランダ人司令官ピーター・ノイツと戦った話である。
ノイツはひどい悪人で、あらゆる機会に日本人の財産を強奪したのだ。
英国の国会議員のリード氏という方が今日本に来て、海軍を組織しているが、彼と息子さんもアジア協会にみえていた。
ユーイング氏によると、リード氏は世界各国の海軍を組織しているということだった。
明治12年1月15日 水曜日
午後大鳥閣下を白金の豪邸に訪ねた。
おゆきさんや他のお子さん方もご在宅だったので、一緒に遊ぶことが出来た。
閣下は工部大学校のイタリア人教授フォカタネージ氏に油絵の肖像画を描いて貰っておられる。
同教授の手になる奥様の胸像は大変よくできている。
昨年結婚された長女のおひなさんは困り者で、閣下も手を焼いておいでになるという噂だ。
明治12年1月16日 木曜日
母とアディは会合に出かけたので、私は大好きなロマンス文学に読み耽ることができた。
ド・ボワンヴィル夫人、アンダーソン夫人、ミス・ジョンソンが訪ねて来た。
ミス・ジョンソンとは楽しい話し合いができた。
とても気の良い方で、日本にいるのがそぐわない感じだ。
彼女は東京に落とされたアメリカの一片である。
「たびたび遊びに来て下さい」
そう仰ったので、そうしたいと思う。
ジュエット氏が夕食後にみえてずっといた。
ウィリイから葉書と電報と小包が届いた。
福井に着いて、四日市で買ったお茶碗や茶瓶を送ってくれたのだ。
夕べはひどい雷で思わずベットから飛び起きた。地震の前触れかと思ったのだ。
梅太郎は工部大学校に入りたいのにひどく怠け者だ。
もともと頭は良いが、怠けるので思うように進歩しない。
明治12年1月18日 土曜日
またひどい風邪をひいてしまった。
まるで咳をし続けるのが私の運命であるかのようだ。
午前中にちょっと内田夫人のところへ行って、彼女と耳の聞こえないおば様としばらくお話をしてきた。
それから勝家に回る途中で岡田のオバサンに出会い、お天気のことなどを立ち話をしてからうちまで送っていった。
時々晩に出かける時に私は提灯を持って岡田さんを家まで送ってあげる。
「冬は寒くて暖を取るのが難しいから嫌いだ」
彼女はしばしばそうぼやく。
確かに夏は暑いけれども、何処か涼しい場所を探すことができるからだ。
お逸と二人でしばらくコタツに入って、爪先から暖めてから二階の彼女の部屋に案内された。
ベルギー製の絨毯が敷いてあり、箪笥や机に、柳や梅の枝を活けた花瓶があった。
気持ちの良い小さい部屋でバルコニーがついている。
お祖母様の写真や、彼女とお母様と一緒の写真などを見せて貰った。
それからお母様が若い時に使われた美しい櫛を出して見せて下さった。
大きくて彫り物がいっぱいある櫛だ。
材料は昔は櫛に使われなかった鼈甲であった。
明治12年1月19日 日曜日
昨晩、江戸ホテルが焼失した。
なんと持主が名を売るためだけに放火したのだった。
居留地全体が助かったのは奇跡だ。
ミス・マクニールの家の屋根とマクラレン氏の屋根が燃えたが、ごく一部分で、あれほど近いのに他の建物は無事だった。
今日の日曜礼拝ではディクソン氏が『サウル』の中の「死の行進」を演奏してくれた。
「天国に昇っていくような気持ちがするわね」
そう云ったお逸は「自分のお葬式の時にその曲を弾いて貰えるなら死にたい」とまで云った。
「カフサラムの写しが欲しい」
私がアンガス氏にそう云ったことを伝え聞いたディクソン氏は、私がそんなものを欲しがったり、カトリックの聖アグネスが好きになったりしておかしいと思ったそうだ。
明治12年1月20日 月曜日
朝、窓から外を見たら、この冬二度目の綺麗な雪が地面を覆っていた。
でもあまり熱心に私が眺めたせいかどうか知らないが、雪は間もなく解けてしまった。
十時にお逸とマレイ夫人を訪ねた。
小鹿さんも昨日訪問されたのだが、お逸は同行を断ってしまったのだ。
とにかくマレイ夫人はお逸の来訪を大変喜び、専ら彼女に話しかけた。
といっても、私が全部引き取って彼女の代わりに返事をしたのだけど。
マレイ先生もご在宅で、いつもと変わらず愛想がよくハンサムだった。
マッカーティ夫妻やユウメイも同席していた。
お逸は綺麗な着物を着てとても可愛く見え、みんなからちやほやされた。
次に私たちは森夫人を訪ねたが、彼女は和服姿でお元気そうだった。
夕べは川村純義海軍中将のところへ行かれて、国会議員のリード氏にお会いになったとのことだった。
このあと大山夫人のところに寄った。
外務省の構内にある素敵な西洋館に住んでいらっしゃる。
客間はとても綺麗で、張り出し窓が付いており、壁紙が貼ってあり、絨毯が敷いてある。
いくつか立派な銅や陶器の置物がある。
夫人は愛想が良く快活で、近くまた勉強に来ると仰った。
今日はご主人が熱海から帰って来られるのを待っておられる。
そのあと富田氏のところに寄って長いこといろんな人や物についてお話をした。
富田氏は高木三郎氏の奥様が嫌いだ。
高木夫人は傲慢で、ご両親がみえた時でも、自分は椅子に腰掛けて、ご両親は床に坐らせていた。
勝家を訪問した時の話も聞かされた。
お互いお辞儀をして「ゴキゲンヨウ」とか「ハジメマシテ」とか「ドウゾココロヤスク」とかいう言葉を勝氏の方で云われたのに対し、彼女は形式的にお辞儀をするだけで、返礼の言葉も云わず、三郎氏のアメリカ行きの費用を勝氏が出しておあげになったお礼も云わなかった。
勿論これは十年前のことだ。
しかし、それだから尚更お礼を云うのが礼儀というものだ。
母は人力車から落ちた時に傷めた背中が痛むと云う。
【クララの明治日記 超訳版解説第69回】
「今回分は冒頭の予告通り、まったりとした展開でしたわね」
「チッチッチッ、甘い甘い。実は隠れたところで、重大な証言が潜んでいるんだな、これが。
メイ、大鳥圭介氏の娘の三姉妹、知ってるわよね?」
「大鳥ひなさん、ゆきさん、きくさんですわよね。長女のひなさんは確か米沢藩の上杉茂憲氏と結婚されたのでしたっけ?」
「そう、結婚式は明治11年5月13日の記載で、ちゃんと記録が残ってるわ。幕府最後の陸軍奉行の家と米沢上杉藩との結婚と云うことで、お互いにネームバリューは抜群。
でも、この結婚は一般には“なかったこと”になってるの」
「? どういうことですの?」
「世間一般では人気のない、というより影が薄くて、せいぜい新撰組ファンから函館戦争の時に土方歳三と対立したことで嫌われている大鳥圭介氏だけど、維新後は工部大学校長として日本のテクノクラート制度の基礎を作ったとして結構実績を残しているの。
思想的にも当時としては相当リベラルで、結構生徒たちからも慕われていたみたい。ただ日清戦争の際の外交官としての働きは賛否両論あるみたいだけど。
ということで、人物伝が何冊も出版されていて、家族構成からその後の人生まで結構分かるのだけれど、ひなさんの結婚相手は上杉氏じゃないんだよね、これが。
で、丁度少し前にNHKの歴史番組で上杉茂憲氏について、ほんの少しだけ、でも“上杉鷹山の子孫”に相応しい善行の持ち主ということで取り上げられていたので少し調べてみたんだけど、上杉茂憲氏関係の資料にも載ってないんだよね<大鳥ひなさんとの婚姻について」
「歴史から黙殺された、というわけですの?」
「歴史と云うほど大袈裟な話じゃないけどね。ただ実は彼女の人生も結構波瀾万丈で、本格的に調べてみたら面白いかも?
ちなみに、森有礼夫人とは開拓使女学校の時の同級生だったりするんだけど……クララの日記中にはそれらしき記述はないかな?
ともあれ、結婚の話については専門家たちは当然把握しているんだろうけど、多分一般人が普通に読める文章だと、このクララの日記だけじゃないのかな、二人の結婚の記録が残っているのは?」
「ホイットニー家や勝家に関する記録は一部削除したと思われる節があるのに、他家の家庭内事情に関してはスルーですの?<クララの日記の記述」
「……いや、それは、その……クララの日記を翻訳した人も勝海舟の孫だからね。。。わたしからすると、姪の子供だけれど」
「もう宜しいですわ。確かにこれ以上はゴシップになってしまいますから、次の話題に映りますわよ。
アーネスト・サトウ氏、流石に日本人以上に日本の歴史に詳しいと云われただけのことはありますわね。
会合に参加されていた他の方も負けず劣らずで、山田長政はともかく、今時の少し歴史に詳しい程度の日本人では、浜田弥兵衛の名前は出てこないでしょう」
「当時の一流外交官や一流知識人の知識は本当に凄いよねー。大学の一般課程での日本史講義レベルでは到底太刀打ちできないレベルだもの。
もっとも名著といわれる本――例えば『大君の都』――でも、とんでもない事実誤認とかあったりするけど。この辺は長くなるので、また機会を改めて。
とりあえず、本日の所はこの辺で……」
「お待ちなさい、ここの部分の説明をしてからになさい、幕を閉じるのは。
『「天国に昇っていくような気持ちがするわね」
そう云ったお逸は「自分のお葬式の時にその曲を弾いて貰えるなら死にたい」とまで云った。』
……貴女、本当に良家のお嬢様ですの?」
「人の趣向に良家も何もないと思うんだけど。まあ、表現が過激なのは認めるけどさ」
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