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クララ、風邪をひくのこと

ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記 超訳版第65回  クララ、風邪をひくのこと

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 今回分は、雅楽稽古所の開所式の話、日曜学校のある一日と勝家の話、そして風邪を引いたクララの話がメインとなります。
 解説では日本の音楽教育の源流を遡ります。実はこちらは、お逸が非常に関係してまして。

明治11年12月9日 月曜日 
 大鳥氏が新しい家に昨日来訪され、滝村氏もみえた。
 滝村氏は会長の岩田氏から次のような招待状を持ってきて下さったのだ。
「牛込の音楽協会の開会式に出席して下さいませんか」
 音楽協会の正式な名前は『雅楽稽古所』というらしい。
 それで午後の一時に家の人力車に乗って商工所に出かけていった。
 着いてみると建物の周りには天皇の御紋を染め抜いた紫の幕が張り巡らされていた。
 内庭には皇后様の立派な馬車から、安物の人力車にいたるまで、ありとあらゆる乗物が一杯。
 大広間には洋服を着た偉そうに見える紳士方が大勢。
 正直入って行くのが気がひけた。
 けれど、滝村氏が持って来て下さった招待状を示し、会長の岩田氏の歓迎を受けた。
 案内されたのは、美しく着飾った日本人の女性の大勢集まっている部屋。
 柔らかい美しい絹の着物を着た中村夫人とお嬢様が進み出て来られて、私たちを席に案内して下さった。
 ドイツ人と思われる外国人女性が一人この中にいたが、後できいたところ松野氏という日本人の奥様であった。
 大変陽気な人で、盛んに笑ったり喋ったりしていた。
「彼女がミス・ワシントンですか?」
 中村氏のお嬢様に私のことをそう聞いてきたそうだ。毛皮のコートからそう思ったのだろう。
「皆様、大広間においで下さい」
 そんなアナウンスがあり、行ってみると笙、琵琶、和琴、琴、ひちりき、笛、太鼓、羯鼓、鉦鼓などの演奏が始まっていた。
 椅子に腰掛けた演奏者はみんな洋服姿。
 けれど建物も、飾りつけも、楽器も全て日本のものなので、正直洋装はそぐわない。
 最初のは私の知らない曲で、十分味わうことが出来ず残念。
 でも次の曲は私にはずっと面白かった。
 しかも、さっきまで黒い服を着ていた演奏者が、今度はまるで芝居の舞台以外に見たこともないような絢爛豪華な衣装を着ていたのだ。
 演奏者はみんな兜を被り、ローマの戦士のような感じ。
 ことに髭を生やしている人は、その感じが一層強かった。
 琵琶を弾いている真っ白の髭のご老人は実に立派に見えた。
 演奏が始まると、豪華な衣装を纏い、頭に兜のような冠のようなものを載せた少年がしずしずと入って来た。
 その後に、同様の服装の少年が三人続いた。
 いずれも刺繍のある真っ赤な着物を着て片肌を脱ぎ、下から同じく華麗な刺繍のある白と赤の着物が見えていた。
 また数メートルの長さの裳裾を引きずっていた。
 この少年たちは非常に込み入った踊りを実に正確に優雅に踊った。
 踊り終わって再びしずしずと引き上げた後、外の外国の楽隊が「エジンバラから一マイル」を演奏し始めた。
 次いで「アニー・ローリー」その他、スコットランドの歌を沢山演奏した。
スコットランドの歌ばかり演奏したのは不思議だけど、なかなか上手ではあった。

 その次に始まったのは十六、七歳と思われる少年の剣舞。
 彼は紋織りのトルコ風のズボンを履き、白いベルトを締めていた。
 頭には白鉢巻きをし、その額のところに黄色い菊の花束を二つさしていた。
 手に持つのは、煌めく長い槍。
 この槍に、明るい銀色の紋章の着いた綺麗な小さい吹き流しが結びつけてあった。
様々な槍術の型が披露された。
 それは日本の人には面白いのかも知れない。
 けれど、正直私にはただ滑稽でしかなかった。
 あまりにおかしい踊りで、しかもご当人は大真面目。
 私は笑いを堪えるのに一苦労することになった。
 これが終わったところで、もう遅くなってきたので帰ろうとしたら、岩田氏ほか三人の人が駆け寄ってきて懇願された。
「是非もう少しゆっくりして、歌を聞いて行って下さい」
 それで少しだけいることにしたところ、歌ではなくご馳走が出てきた。
 テーブルの周りには二十五人ほどの人が腰掛けたが、外国人はサイル先生、松野夫人と私たちだけ。
 日本人はみな高位高官の方々ばかりだった。
 皇后様の叔父上に当たる方もおられたし、海軍卿のほか何人かの高い官職の方もおられた。
 皇后様は昼間の間おいでになったが、「お茶にはお残りにならない」とのことであった。
 お客様の中の二人が歌を作り、空腹の演奏者が“お客様の口の中へ消えてゆくご馳走を恨めしげに眺めながら”それを演奏する光景が見えた。

明治11年12月10日 火曜日
 勝家の方々は、とても親切にくださって毎日必ず何回も訪ねて下さる。
 でも引っ越し以来、まだ勝氏にだけはお会いしていない。
「クララだけじゃなくて、家族である私たちだって会ってないんだよ」
 とは、お逸の弁。
 勝氏は訪ねて来る人には必ずお会いになる。
 けれど、それ以外は書斎に閉じこもっておられるそうだ。
 しかし誰もが勝安房守の気高いご性格のことを褒めている。
 私はド・ボワンヴィル夫人のお伴をして、三河台のベイリー夫人の家へクリスマスキャロルの練習に行った。
 ベイリー夫人は、私たちの家からそう遠くないところにある素敵な家に住んでいる。
 古い大名屋敷で、美しい日本式の庭園がある。
 室内の木材は漆塗り。唐紙には金箔を貼り、昔の宮廷人を絹地に描いた絵がかけてある。
集まったのはそう大勢ではなかった。
 ウィラン夫妻、ベトン氏と背の高い美人の夫人、ショー先生夫妻、ディクソン氏、ターリング氏に私たちである。
 楽しい練習を終えて十時に帰ってきた。
 ディクソン氏が私たちを送って下さるとと仰ったが、ド・ボワンヴィル氏が迎えに来て下さったので、一緒に歩いて帰った。
 ド・ボワンヴィル氏が私とド・ボワンヴィル夫人の間に入り、ディクソン氏とターリング氏がその両側に一人ずつという横隊である。
 月が美しく、外は気持ちが良かったし、愉快な方々と一緒だったのでとても楽しい行進だった。
「この辺りは貴族階級の屋敷町なのですよ、虎ノ門に近いですから」
 ディクソン氏がそんな説明もしてくれた。
 家の玄関まで私を送って下さって皆さんはお帰りになった。

明治11年12月14日 土曜日
 日がどんどん過ぎていく。
 しかし、クリスマス準備は一向にはかどらず、私は時々気が滅入ってしまう。
 近くの人たちがしょっちゅう訪ねて来る。
 勿論会うのは嬉しいのだけれど、一日が細切れになってしまう。
 大山夫人は毎朝十時にきちんと勉強に来られ、よくおできになる。
 夜になって、お逸、梅太郎、おせき、アディと私でテーブルの周りでゲームをしている時に玄関の銅鑼が鳴った。
「奥様にお目にかかれますか」
 ドアを開けると、ディクソン氏が日本語でそう云った。
 どうやら、瞬間的に私が誰だか分からなかったらしい。
 この後はディクソン氏も仲間に加わって、ゲームをしたり、お話をしたり、歌を歌ったりして楽しい夕べを過ごした。
 ディクソン氏は馬車の事故でひどい擦り傷ができていた。

明治11年12月15日 日曜日
『あらゆる変化に備えるように』
 ミーチャム先生が「人は草の花の如し」のテキストを使ってそんな説教をなさった。
 おやおさんがおすみと家来である小泉氏を伴って日曜学校に来られた。
 小泉氏は相変わらずの黄色い肌をして、生意気で憎らしい男であった。
 おやおさんは背も伸び、一段と美しくなって、本当にお姫様のよう。
 みんなが口々にそう褒め称えた(実際にお姫様だし)。
 残念ながら、お逸はお母様と一緒に出かけて留守だったため、おやおさんには会えなかった。
「今度の金曜日、お母様の“殿様夫人”とご一緒に是非おいで下さいね」
 私はおやおさんに、そう申し上げた。
 日曜学校から帰ってきたら、お逸の甥っ子である玄亀ちゃんが庭で遊んでいたので、彼を連れてきて聖書の物語をして聞かせた。
 そのうちに大きい男の子たちが『夜明け』を勉強しに来たが、玄亀ちゃんは私の横にじっと腰掛けて聞いていた。
 とても可愛いらしい子で、私は大好きだ!
 私を見かけるといつも「クララさん」とか「おクララさん」とか呼ぶ。
 私の昔から好きなお話をして聞かせる良い機会だった。
 途中からやって来た梅太郎も宗教に感心がある様子だ。
「僕も教会に行ってもいいかな?」そう尋ねてきた。
 友達の中に三回受洗した人がいるらしい。
 梅太郎的には「その人は非常に頭がよい」と思っているようだけど。
「……私は一回しか受洗していないんだけどね」

明治11年12月16日 月曜日
 ひどい風邪を何処かでひいてしまって、一日中寝ていた。
 鼻風邪は不快で気分が滅入ってしまう。
 でも母とアディに相手をして貰い、裁縫の本を読んだり、昨日松平夫人が持ってきて下さったお菓子を頂いたりして、結構楽しく過ごした。
 大山夫人は二階に上がってきて勉強をなさり、終わってから話をしてゆかれた。
 感じの良い方である。金曜日においで下さるようご招待した。
 勝夫人が来られて「たとえ病気でも、寝てばかりいては駄目ですよ」そうお叱言を頂戴した。
 代わって、お逸が長いこと話をして行った。
 本当に良い人で、私はこれほど親しい友達はかつて持ったことがない。
 彼女は少女でもあり淑女でもあって、勝安房守の令嬢に相応しい人だ。
 一日中床に就いていると退屈するけれど、完全に元気をなくしてしまうわけではない。

【クララの明治日記  超訳版解説第65回】
「今回の最初の日記で、明治当初の日本音楽の在り方の方向性が少し見えますわね」
「他の分野は欧米文明を徹底的に追従したのに対し、音楽は“和魂洋才“とする予定だった、ということみたい。
 雅楽稽古所の開所式に外国の音楽隊は外国の音楽を演奏したのに対して、日本側は洋服で雅楽の演奏、なんて不思議な取り合わせ。
 こちらの方向で日本の音楽界が進んでいったらどうなったか、興味深いかも? 
 なんで方針転換して、そっくりそのまま西洋風の音楽教育になっちゃったんだろ?」
「それをよりによって貴女が云いますの、貴女が!?」
「えっ? なんで私が関係あるわけ???」
「貴女の未来の旦那様でしょうが、この国の音楽教育の方向性を決定づけたのはっ!」
「…………ああ、なるほど(ポン)」
「まったく貴女って人は! お逸が頼りにならないので、わたくしが解説しますわ。
 東京音楽学校、つまり現在の東京芸大の初代校長は伊沢修二という人物なのですけれど、 この方が明治十年ハーバード大学留学中に、全く個人的にメーソンという教師の方に音楽を師事して貰いましたの。
 その時の経験に基づいて書かれたのが“学校唱歌に用ふべき音楽取調べの事業に着手すべき見込書”。
 彼はこの提案書を、当時のアメリカ留学生監督官の目加田種太郎――つまり、お逸の未来の旦那様との連名で提出することになりますわ。
 そしてこの提案書が後の日本の音楽教育の道筋を決定づけることにことになりますの。
 ちなみに何故連名なのかと云えば、伊沢氏と一緒に目加田氏もメーソン氏に音楽教育を受けていたからのようね。
 つまり、現在の日本の音楽教育の源流はこの二人の経験とその師であるメーソン氏によるもの、ということですわ」
「なるほど、なるほど(ポンポン)」
「……この娘が父上と同じくらい筆まめだったら、明治史の研究もさぞ進んだことでしょうに。。。」
「そっか。だから、クララの得意曲の、当時は特別に有名でもなかったスコットランド民謡が、『蛍の光』として日本の音楽教科書には必ず載るようになったんだ」
「ええ、貴女から旦那様に伝わった、もしくは再来日後のクララから直接、後の目加田男爵に伝わったと考えるのが無理ない道筋でしょうね。“蛍の光”については」
「意外なところで意外な結びつきがあるもんだねぇ」
「……確かにその通りですけれども、貴女がそれを云うのは色々な意味で納得しかねますわ」
「なんだか物凄くバカにされた気がするけど、気にしないで今週のところはこんなもので。
 次回は1878年のクリスマス編……になるのかな?」
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