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第2章 新婚初夜は蜜色の企み
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目の前にいる男は一体、何がしたいのだろうと美園は思った。
思って、途端に何故かすっと気持ちが冷えた。
高坂がここにいるのは、父の妄執と彼の野心の結果で、そこに美園の意思も想いも何もなかった。
――この人が何を考えていても関係ない。私が彼の夫婦ごっこに付き合う必要がどこにある?
目覚めて、彼と風呂に入っているという異常な状況に、どこか混乱を残したまま会話していたせいで、すっかり高坂のペースに巻き込まれていた。
言葉や態度で、美園を翻弄しようとする男に、冷めた眼差しを向けてしまう。
彼が欲しいのは、美園との子どもで、その先に約束された地位だ。美園の自身じゃない。
父の行動が異常だとわかっていて、それでも父の命令に高坂は頷いたのだ。
父との話し合いの場で、俯いていた男の卑怯な姿を思い出せば、美園を懐柔しようとする今の態度は、ただ不快だった。
「……のぼせた。上がる」
風呂の湯はのぼせるほどに熱くはない。むしろ温すぎるくらいだ。ただ、纏わりつくような夏の湿度に、火照った肌にはちょうどよい温度ともいえた。これ位の温度であれば、後一時間は入っていられる。
だからのぼせたなんて、ただの言い訳だ。それは高坂もわかっているようだ。
名前を呼べという自分の要求に、答えを返さない美園に高坂が苦笑する。
その顔を見ていたくなくて、美園は彼の胸に手をついて、無言で立ち上がる。今度は高坂も阻まなかった。
急に不機嫌になった美園を見上げる男の表情は、聞き分けのない子どもの相手をする大人のものに見えて、忘れていたはずの腹立たしさが蘇る。
彼にとって自分はいつまでも、手のかかる妹分のまま――そう感じてしまえば、尚更に高坂と一緒にいるのが嫌になる。
あしらうことも簡単だと思っているのなら大間違いだ。
人は変わる――それは仕方ないことだと受け入れながらも、美園はやはり高坂を許せない。
けれど、言い訳のひとつでもしてくれれば、許してしまいそうな自分もいた。
彼を許したいのか、許せないのか、美園にもよくわからない。
自分の中にある矛盾した想いが、美園の心をかき乱す。乱高下する感情を持て余し、美園は高坂から離れたかった。
風呂から上がろうとする美園の手首を、高坂が掴んで引き止めた。
「私が夫なのが気に入りませんか?」
「どう気に入れと? 私の気持ちも全部無視して、こんなことして、私が大人しく受け入れると思うほうが、どうかしてる」
「まあ、そうですね。ですが、何度も言いますが、私達は夫婦だ」
「紙切れ一枚のことでしょう。私は認めない」
絡んだ二人の視線の間に、火花が散る。
「では、認めてもらえるように、努力しましょう」
熱を孕んだ眼差しで、そう宣言する男が、何を考えているのか本当にわからない。
「勝手にすれば?」
美園は高坂の手を振り払って、風呂から上がった。シャワーをざっと浴びる。
高坂がこちらの様子を窺うように、じっと見ていることには気づいていたが、構っていられなかった。
隠すものがないので、裸体をそのまま晒して美園は体を洗い、高坂に声もかけずに浴室を出た。
広い脱衣所に視線を巡らせる。脱衣所に設置された棚の中に、バスタオルや籠が置かれているのを見つけて、美園は歩み寄る。
どこかの旅館を模して造らせたらしい脱衣所は広い。同時に数人が整容出来るように、洗面所は三台も設置されているし、脱衣籠やバスタオルなどを収納できる大きな棚もある。
――おじいちゃんって本当にお風呂が好きだったよね……お風呂って言うか旅館か……
温泉好きで、旅館好きだった祖父を思い出す。美園が高校生の頃に癌で亡くなった祖父は、人生の最後は祖母とよく温泉巡りをしていた。自宅にいても、旅館気分を味わいたいと、母屋の方の風呂もかなり拘って作られている。
最近まで客人を泊めるためだけに使われていたこの洋館の客室には、それぞれユニットバスが完備されている。けれど、海外の客人にはこの大浴場が人気だった。
脱衣籠の中には、バスタオルと新しい下着、部屋着用のワンピースが入れてあった。
――もう荷物が運ばれてきたってことか。
普段、自宅のマンションで使っていたそれらに、本格的に自分はこの洋館に隔離されることになるらしいと悟る。知っていたことでも、心は陰鬱に曇る。
――アレックスもアベルに預けたままだ。仕事もどうしよう。
愛犬や仕事のことを思えば、焦りを覚えた。
アレックスはアベルが見ていてくれているから、大丈夫だとは思う。だが、長く離れているのは、心配だし寂しい。買付で長く日本を留守にすることもある。アベルの好意に甘えて、何とか飼っている状態だが、アレックスは美園にとって、家族なのだ。いつここから解放されるかわからない現状では、出来れば引き取りたかった。
仕事もそうだ。独立して、やっと色々なことが、軌道に乗ってきたところだったのだ。お嬢様の道楽と言われるのが嫌で、四宮の名は一切使わずに、地道に実績を積み重ねた。いくつかのセレクトショップから契約してもらえるようにもなった。父や高坂からしたら遊びに見えるかもしれないが、美園にとっては、大切な仕事なのだ。
ネットショップの商品の配送くらいなら許されるだろうか。
現地での買い付けは難しいかもしれないが、今の時代はネットでの買い付けも可能だ。ただ、美園は現地での買い付けに、拘って来ただけに悔しさが胸を過る。
自分の目で見て、触れて、欲しいと思ったもの、広がってほしいと思ったものを集めてきた。なのに――
――とりあえず仕事用のスマホを取り返して、取引先に連絡しなきゃ。ネットショップの方はしばらくは在庫があるし、続けられるかな? 後、アベルに連絡をしてアレックスを連れて来てもらおう。
バスタオルで、体を拭きながら、仕事の算段やアレックスのことを考えていると、高坂も風呂を上がって来た。
「スマホは返してもらえるのかしら?」
丁度良かったと問いかければ、高坂が器用に片眉を上げた。
「取り上げたつもりはありませんよ」
「そう。ならよかったわ」
「お仕事ですか?」
「それもあるけど、アベルに連絡を取りたいのよ」
美園の言葉に、高坂の顔が不快感そうに顔を歪めた。
「それは返すのをやめたくなりました」
※今週はシフトがきついので……次回更新目標 8月8日 21時
思って、途端に何故かすっと気持ちが冷えた。
高坂がここにいるのは、父の妄執と彼の野心の結果で、そこに美園の意思も想いも何もなかった。
――この人が何を考えていても関係ない。私が彼の夫婦ごっこに付き合う必要がどこにある?
目覚めて、彼と風呂に入っているという異常な状況に、どこか混乱を残したまま会話していたせいで、すっかり高坂のペースに巻き込まれていた。
言葉や態度で、美園を翻弄しようとする男に、冷めた眼差しを向けてしまう。
彼が欲しいのは、美園との子どもで、その先に約束された地位だ。美園の自身じゃない。
父の行動が異常だとわかっていて、それでも父の命令に高坂は頷いたのだ。
父との話し合いの場で、俯いていた男の卑怯な姿を思い出せば、美園を懐柔しようとする今の態度は、ただ不快だった。
「……のぼせた。上がる」
風呂の湯はのぼせるほどに熱くはない。むしろ温すぎるくらいだ。ただ、纏わりつくような夏の湿度に、火照った肌にはちょうどよい温度ともいえた。これ位の温度であれば、後一時間は入っていられる。
だからのぼせたなんて、ただの言い訳だ。それは高坂もわかっているようだ。
名前を呼べという自分の要求に、答えを返さない美園に高坂が苦笑する。
その顔を見ていたくなくて、美園は彼の胸に手をついて、無言で立ち上がる。今度は高坂も阻まなかった。
急に不機嫌になった美園を見上げる男の表情は、聞き分けのない子どもの相手をする大人のものに見えて、忘れていたはずの腹立たしさが蘇る。
彼にとって自分はいつまでも、手のかかる妹分のまま――そう感じてしまえば、尚更に高坂と一緒にいるのが嫌になる。
あしらうことも簡単だと思っているのなら大間違いだ。
人は変わる――それは仕方ないことだと受け入れながらも、美園はやはり高坂を許せない。
けれど、言い訳のひとつでもしてくれれば、許してしまいそうな自分もいた。
彼を許したいのか、許せないのか、美園にもよくわからない。
自分の中にある矛盾した想いが、美園の心をかき乱す。乱高下する感情を持て余し、美園は高坂から離れたかった。
風呂から上がろうとする美園の手首を、高坂が掴んで引き止めた。
「私が夫なのが気に入りませんか?」
「どう気に入れと? 私の気持ちも全部無視して、こんなことして、私が大人しく受け入れると思うほうが、どうかしてる」
「まあ、そうですね。ですが、何度も言いますが、私達は夫婦だ」
「紙切れ一枚のことでしょう。私は認めない」
絡んだ二人の視線の間に、火花が散る。
「では、認めてもらえるように、努力しましょう」
熱を孕んだ眼差しで、そう宣言する男が、何を考えているのか本当にわからない。
「勝手にすれば?」
美園は高坂の手を振り払って、風呂から上がった。シャワーをざっと浴びる。
高坂がこちらの様子を窺うように、じっと見ていることには気づいていたが、構っていられなかった。
隠すものがないので、裸体をそのまま晒して美園は体を洗い、高坂に声もかけずに浴室を出た。
広い脱衣所に視線を巡らせる。脱衣所に設置された棚の中に、バスタオルや籠が置かれているのを見つけて、美園は歩み寄る。
どこかの旅館を模して造らせたらしい脱衣所は広い。同時に数人が整容出来るように、洗面所は三台も設置されているし、脱衣籠やバスタオルなどを収納できる大きな棚もある。
――おじいちゃんって本当にお風呂が好きだったよね……お風呂って言うか旅館か……
温泉好きで、旅館好きだった祖父を思い出す。美園が高校生の頃に癌で亡くなった祖父は、人生の最後は祖母とよく温泉巡りをしていた。自宅にいても、旅館気分を味わいたいと、母屋の方の風呂もかなり拘って作られている。
最近まで客人を泊めるためだけに使われていたこの洋館の客室には、それぞれユニットバスが完備されている。けれど、海外の客人にはこの大浴場が人気だった。
脱衣籠の中には、バスタオルと新しい下着、部屋着用のワンピースが入れてあった。
――もう荷物が運ばれてきたってことか。
普段、自宅のマンションで使っていたそれらに、本格的に自分はこの洋館に隔離されることになるらしいと悟る。知っていたことでも、心は陰鬱に曇る。
――アレックスもアベルに預けたままだ。仕事もどうしよう。
愛犬や仕事のことを思えば、焦りを覚えた。
アレックスはアベルが見ていてくれているから、大丈夫だとは思う。だが、長く離れているのは、心配だし寂しい。買付で長く日本を留守にすることもある。アベルの好意に甘えて、何とか飼っている状態だが、アレックスは美園にとって、家族なのだ。いつここから解放されるかわからない現状では、出来れば引き取りたかった。
仕事もそうだ。独立して、やっと色々なことが、軌道に乗ってきたところだったのだ。お嬢様の道楽と言われるのが嫌で、四宮の名は一切使わずに、地道に実績を積み重ねた。いくつかのセレクトショップから契約してもらえるようにもなった。父や高坂からしたら遊びに見えるかもしれないが、美園にとっては、大切な仕事なのだ。
ネットショップの商品の配送くらいなら許されるだろうか。
現地での買い付けは難しいかもしれないが、今の時代はネットでの買い付けも可能だ。ただ、美園は現地での買い付けに、拘って来ただけに悔しさが胸を過る。
自分の目で見て、触れて、欲しいと思ったもの、広がってほしいと思ったものを集めてきた。なのに――
――とりあえず仕事用のスマホを取り返して、取引先に連絡しなきゃ。ネットショップの方はしばらくは在庫があるし、続けられるかな? 後、アベルに連絡をしてアレックスを連れて来てもらおう。
バスタオルで、体を拭きながら、仕事の算段やアレックスのことを考えていると、高坂も風呂を上がって来た。
「スマホは返してもらえるのかしら?」
丁度良かったと問いかければ、高坂が器用に片眉を上げた。
「取り上げたつもりはありませんよ」
「そう。ならよかったわ」
「お仕事ですか?」
「それもあるけど、アベルに連絡を取りたいのよ」
美園の言葉に、高坂の顔が不快感そうに顔を歪めた。
「それは返すのをやめたくなりました」
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