恋の罠 愛の檻

桜 朱理

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第1章 再会は罠の始まり

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 時代錯誤も甚だしい父の言葉に、美園は愕然とする。
 ――期待した私が馬鹿だった……
 この離れに来るまでに、持っていた淡い期待や希望すらも打ち砕かれた。
 分かりあえなくても、二人きりの家族として、歩み寄ることは出来るかもしれないと、夢みていた数分前の自分が、哀れで仕方ない。
 地面が崩れていくような錯覚を覚えた。同時にひどい眩暈が美園を襲った。立っていられずに、ふらつく美園の腕を、父が掴んで支えた。縋るような眼差しで、見上げても父の表情は変わらない。
 嘘だと言ってほしかった。いくら男尊女卑な思考を持つとはいっても、ここまで娘の人権も意思も、平然と踏みつぶすような真似をするなんて、信じられなかった。
「子どもを産めって……しかも、男の子……?」
 呻くような美園の声にも、誰も反応しない。
 助けを求めるように、視線を彷徨わせ、ソファに座る高坂に辿り着く。
 もう一人の当事者は、父と美園の話が聞こえているはずなのに、姿勢よくソファに座っている。伏し目がちな男が、今何を考えているのか、美園には読み取れない。
 卑怯にもこちらを見ようとしない男に、この場に美園の味方は誰一人いないことを知る。
 ――どうして……? 何で……?
 その想いだけが、美園の頭の中を駆け巡る。いや、いやというように美園は首を横に振った。
「私の意思はどこよ……」
 掠れた呟きが唇から零れた。
「お前をあのフランス人の翻訳家と結婚させるつもりはない」
「……アベルは今、関係ないじゃない」
 何故この場で、アベルの話が出てくるのはわからないが、反射でそう答える。
 アベルと美園は友人だ――彼は大切な親友だ。父が考えている関係じゃない。
「そうだな。だが、お前の自由にさせれば、どこの馬の骨ともわからない人間を連れてくることは、目に見えている。だから、私が相手を選んだのだ」
「それを感謝しろって……?」
「今、そこまで言うつもりはないが、いずれお前も私に感謝することになるだろう」
「ふざけないでよ!」
 父の傲慢な言葉に、美園の中にふつふつとした怒りが湧き上がってくる。美園は父の腕を振り払った。
「冗談じゃないわ! 結婚も出産もあなたの思うとおりになんてしないわ!」
 やっとまともに声が出た。ここで負けてしまえば、美園の人生が滅茶苦茶になる。
 両足でしっかりと立ち、父の能面のような顔を、睨み付ける。
「これは決定事項だ。お前に拒否権はない」
「絶対にいや!」
「お前に拒否権はないと言っているだろう。お前が私の言うことを聞かないというのなら、こちらにも考えがある」
「何よ考えって……」
 父の言葉に、美園は不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
「お前と、あのフランス人、そして智也が共同出資で行っていた慈善事業。そう言えばわかるだろう」
「なっ!」
 父が言う共同事業は、親に恵まれない子どもたちへのケアや就学支援を、三人で行っていたものだ。
 祖母が残してくれた四宮グループの株を元手に行っているもので、事業とも言えないほどに小さなものだ。
 いつか仕事で成功すれば、徐々に規模を大きくしたいと思っている。美園のささやかな夢――
 父が感知しているとは思っていなかった。
 それはかつて、大切に出来なかったものへの美園なりの贖罪を兼ねた行為だった。
 美園の想いに、兄とアベルが賛同して手伝ってくれたいたもので、美園にとっては聖域ともいえるものだった。
 たとえ家族であっても、不用意に触れて欲しくはなかった。
 父は何も知らないはずだ。兄がすべてを処理してくれた。アベルと兄と、美園しか知らないはずの秘密――それにかかわる慈善事業の名を出されて、美園の心は恐怖に竦む。
「四宮の名で圧力をかければどうなるか。賢いお前であれば、理解できるだろう」
「卑怯者!」
「なんとでも言え。それにこれはお前にとっても悪い話じゃない。無事に男子を産めたら、智也が出資していた分を、私が出してやろう。事業を拡大したいのなら、その手伝いもしてやる」
「でも、私が反抗すれば、容赦なく潰すってことでしょう? そんなことしまで、後継者が欲しいわけ?」
「そうだ。私にとってはそれは悲願だからな」
 妄執とも呼べる父の信念に、吐き気がしてきた。
 会話を交わせば、交わすほどに怒りと絶望が、美園の中で渦巻いて行く。
 直系にこだわらないのであれば、親族の中にも優秀な人間はいくらでもいる。そうじゃなくても、四宮ほどのグループであれば、優秀な人間はそれこそはいて捨てるほどにいるはずだ。
 その中から、後継者を探して、育てることだってできるはずだ。
 なのに、父が選んだ手段が娘の人権も意思もを無視したこんな方法で、怒りと情けなさに目の前が真っ赤に染まる気がした。
 でも、今の美園に父に対抗する手段がない。日本国内で、四宮の名が通じない場所は、どこにもない。
 今のグループの勢いであれば、国外に逃げてもすぐに連れ戻されることは容易に、想像できた。
「安心しろ。子どもを産みさえすれば、お前は自由にしてやる」
「どういう意味よ?」
「子どもは私と高坂で、四宮の後継者としてふさわしい教育をする。子どもさえ産んでくれるのなら、お前があのフランス人とどこに行こうが、何をしようが問うことはない。高坂もそれで納得している」
 異常すぎて、もう何をどこから突っ込めばいいのかわからない。
 ただ一つ、分かっていることは、美園がこの場から逃げられないってことだけ――
「狂ってる」
 吐き捨てた美園の言葉に、父が初めて微笑んだ見せた。その冷たい微笑みに、美園の背筋をぞっとしたものが滑り落ちた。
「話は以上だ。この離れは新婚の祝いとして、二人に贈ってやる。おまえのマンションも荷物も、今日中に処分させる。今日からここで、高坂と暮せ」
 







 



 



 


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