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幼女に踊らされた幼い王子

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がちゃん

暗く、黴臭い牢屋の金属の扉が閉まった音を聞いて、ジルベルトはなぜこんなことになったのかを考えていた。
クリスティーナの最後のあの言葉は、自分のせいではない、いや、本当はああしていれば…いや、アイツが悪い…だが…と思考を混乱させていた。

そうして牢屋の隅っこに膝を抱えて座って考えていた。

クリスティーナの家、ハウゼン公爵家は王家の血も入っている由緒正しい家柄だ。先代公爵夫人は隣国の王女で、先代公爵に一目惚れして国を出奔、押しかけ女房同然でやってきて慌てた両国と公爵家がすったもんだの攻防の末、国元と先代公爵が折れて正式に嫁いできた情熱家だ。
現当主であるクリスティーナの父は宰相を務めている。
この家の出身者は文か武のいずれかに優れているものを多く輩出し、長年王家を支えてきた。金銭的にも裕福で、領民を大切にすることから、民の支持は厚いという。

しかし、権力を持ちすぎることを嫌う傾向があったようで、現公爵も本当なら領の運営に力を注ぎたかったらしい。今は嫡男である次期公爵が領地運営をしているという。宰相を継ぐつもりはないようだ。
そんな領と領民を大切にしてきた公爵家は王家との縁組より、ほかの、例えば事業がらみだったり領を発展させるための縁組を優先させることが多かった。

そのため、彼らの家から王妃を輩出したのは数代も前のことで、クリスティーナは久しぶりにハウゼン公爵家から迎えられるはずの女性だった。王家は久方ぶりの縁組に金銭的にも後見的にも期待を抱いていた。

特にジルベルトは正妃の子ではあるものの、正妃は伯爵家出身で、公爵家出の側妃に比べて格が低い。能力的にも側妃の子である第二王子ギルバートと比べたら劣っている。そこで野心家な正妃の実家はハウゼン公爵家をジルベルトの後見に据えるため、クリスティーナとの婚姻を正妃に強請らせた。

可愛いモノや綺麗なモノが大好きな正妃はクリスティーナを一目見て気に入っていたため、彼女が義娘になるってなんて素敵なの!と、深く考えずに実家の思惑通りに王に強請る事にした。

王は可愛い正妃の願いと、確かにハウゼン公爵家の力を欲していたこともあって了承した。

正妃はそれに喜んだ。正妃の実家はジルベルトにクリスティーナを王子妃に迎える意味をしっかりと説明したが、あいにくとジルベルトの脳みそは正妃と似ていたため、背景は頭に入ってもその意味をきちんとは理解できていなかった。
ジルベルトが正妃から受け継いだ能力は能天気さだけ。ある意味で貴重な能力だが、執務をこなす能力も、外交も、社交も、勉学も、全てがギルバートに劣っていたため何の後ろ盾もなく王として立つには厳しいものがあった。

王はそれをきちんとわかっていて、そしてクリスティーナの能力の高さも知っていたため、ジルベルトの伴侶として丁度いいと考えた。
今回のことは王にとって頭の痛い問題だったために何とか盛り返そうとしたが、最終的にはクリスティーナの掌の上で踊らされることになった。その事に気づいていないあたり、やはり王も為政者としては凡庸な人間だったと言える。宰相の存在がなければ普通の王ですらいられず、愚王と評されていたかもしれない。

さて、そんな背景をすっかりうっかり忘れていたな第一王子は、学園で可愛い女の子と出会って恋をした。そして、父親同様、にころころと転がされて今に至っているわけだ。二人とも気づいていないけど。

――そういえば、今思えばクリスティーナは相当に怖い女だった。なんで忘れていたんだろう…。

幼少期に想いを馳せれば忘れていた事実が多い事に気づく。

当時すでにクリスティーナは社交界で白百合と名高い母譲りの美貌と、優秀さが知れ渡っていた。
ジルベルトはひと目見てその美しさにポッとなった。恐らく初恋だったと思う。

一方でクリスティーナと言えば、幼い王子とその側近候補と顔を合わせた時、コレが次代を担うことになるなどとんでもないと考えていた。
同時に、こいつらの尻拭いをする羽目になるだろう自分の未来を嘆いて、父に早急に解消に動くよう働きかけた。
もともと乗り気ではなかったこの縁組。それも愛しい妻そっくりの、可愛い愛娘による珍しいお願い。
叶えたいに決まっている。
とはいえ、一応臣下である立場で王の決定に背くのはなかなか難しい。そこで父は言葉巧みに王にの婚約を承諾させ、その条件は王子、特に王妃には知らせないよう釘をさした。

王妃と王子はお花畑なことが多かったから、きっと放っておけばいろいろやらしてくれると踏んでのことだった。まあ条件を報せたところで、やらかしたことには変わりなかったと思うが、正妃の野心家な実家が面倒だったのだ。

そうして調った婚約をクリスティーナは思う存分利用することにした。

まずは、王妃教育で本来なら知りえない情報を得ること。そして、人脈を築き、目ぼしい人材がいないか探す事。
ついでに、何かあったときのために、念のため第一王子を最低限の状態に持っていくこと。

順調な日々の中、王子の教育だけが相当に難儀した。
王子はそもそもが素直なお馬鹿さんで、低年齢の男児ならではの乱暴さを持っていたのだが、王族としての教育で治すことができなかったのだ。
クリスティーナは何とか少ない取り柄である麗しい顔をせめて情報収集で活用できるようにと頑張ったが、無理なものは無理だったため早々に手を引き、自身が成すべきことに集中することにした。


ーーお粗末って言ってたけど…思い返せば普通にやり返されてたよな…?


一度目はクリスティーナの美しさに何だか恥ずかしくなって誤魔化すためにうっかり暴言を吐いた。回りの大人の顔を青と赤にさせ、すぐに父に思いっきり叱られた。
ぶすっとしながら茶と菓子が用意されたテーブルに移動していたとき、微笑んだ顔のクリスティーナが転びそうになって足を思いっきり踏んずけられ、グリグリされた。
痛みに悶絶していると即座に謝られ、心配され、申し訳なさそうな顔で涙をポロっとこぼされたら、もう何も言えなくなった。

二度目は遊んでいたのに侍女に呼ばれたことに苛立って足元にあった水たまりを蹴っ飛ばした。すると水と少しの泥が跳ね、侍女とそのすぐ後ろに居たクリスティーナの服に泥が着いた。しまった…!と後悔して青ざめていると、侍女が慌てて拭くものや着替えやらを用意するために離れ、護衛騎士の一部は顔を青くして王に報告に行った。
慌ててやってきた父と宰相に向き合ったクリスティーナはポロっと涙をこぼして叱らないであげてほしいと言った。ジルベルトが年下の女児に庇われたばつの悪さを感じながら移動していると、誰からも見えない角度で足を引っかけられた。生憎と前日の大雨で地面のあちこちにはまだ水分が目立っていたのだが、最悪なことに転んだ先にあったのは泥が混じった水たまり。
クリスティーナ以上に泥だらけになったことで、侍女は悲鳴を上げ、父からは粗忽さを嘆かれ、母はやっぱり大笑いした。

三度目は教師から逃げ、客室の一つに隠れていたときだ。
なぜかクリスティーナに見つかり、目の笑っていない笑顔で首根っこをつかまれた。年下の女児になぜこんな力がと思うほどの力強さだった。それに驚いていたらなんと思いっきり近くのソファに投げられ、恐ろしいほどの無表情で「いいから勉強しろ」と静かに怒られた。なぜか反抗できずに怯えながら手を引かれて教師の元に戻るはめになった。
教師はクリスティーナに心の底から感謝をして、静かに椅子に座ったジルベルトに大いに喜んだ。
その様子を見てさすがにクリスティーナに暴力を振るわれたのだとは言えなかったが、その代わりに母に投げられたと言いつけた。
しかし母は「あんなにも可憐なクリスティーナにそんな力があるわけがない。もし本当に投げられたのなら情けなさすぎる話ね」と大笑いし、取り合ってくれなかった。その日から剣術をちょっとだけ真面目に習う事にした。
その後しばらくしてクリスティーナに喧嘩を売ったのだが、たまたま居合わせた彼女の兄に止められ、そこで彼女が文武両道であることを知った。
本気で戦慄した。なんか絶対に勝てない気がしたのだ。

そうした攻防が数年に渡って行われている間、側近候補を含めた茶会が幾度か行われた。
毎回自分達の内の誰かがふざけていて、どこかの令嬢をからかって泣かせ、どこかの令息にいたずらを仕掛けて泣かせ、給仕する使用人を困らせた。
そうしたら毎回どこからともなくクリスティーナがやってきて、あの笑顔で理路整然と詰められ、怖くなって逃げだした。隠れた先もなぜか見つかって、連帯責任として全員が口には出せない恐ろしいお仕置きに遭う羽目になった。
しかしそれを誰かに告げ口したところで、大人は誰も信じないだろうと全員が気づいていたし、逆に怒られる事が分かっていた。それにお仕置きも怖かったので口をつぐみ、茶会で困った行動をするのは控えるようにした。そうしたらちょっとモテるようになった。嬉しかった。

そんなことを数年続けていたら、クリスティーナが忙しくなったのか、ある時から姿をあまり見せなくなり、悪さをしても何も言わなくなった。
関わってこないことに安堵して、また遊ぶ日々が続いて、この恐ろしい日々を全員がすっかり忘れ去っていた。その頃にはクリスティーナの姿を見ることは偶然行き交う以外では無くなっていた。

あの夜会の場でクリスティーナに恐怖を覚え、こうしてあの幼き日々を振り返り、夜会での出来事を思い出した今、体が震えた。

なぜクリスティーナを怒らせるようなことをしたのだろうか。もうこの一言に尽きるのだ。
あのクリスティーナが自分達の企みに気づかないわけがない。あの計画を立てた時点できっと知っていて、自分達の排除に向かっていたはずだ。きっと何もしなければ立太子はできなくてもそこそこ平穏に暮らさせてくれただろう。

今思えば、あの頃は多少の逃げ道を用意してくれていたように思う。だが、今回はもう許してはくれないであろうことは明白だった。

ジルベルトは確かにあほの子だ。だが、同時に素直でもある。
そして、クリスティーナに調教された日々を思い出した今、クリスティーナに従順なのだ。

――ああ、きっと全部クリスティーナの思惑通りなんだろうなあ。お仕置き怖いな…。

そんな思いを抱き、自分に待つ未来をいくつか予想して、ぶるっと震えた。

ーーとにかくもう寝よう…。

危機感の薄いのんきな健康優良児が早々に思考を放棄したため、この夜はここで終わりを迎えたのだった。
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