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プロローグ

途切れた旋律

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夏川なつかわくん、今どんな気持ち?」

薄暗い廊下。古びた蛍光灯の光が、ぼんやりと周囲を照らしている。冷たい静寂に包まれたこの空間に今、カツン、カツンと小気味良い音が響いていた。音の正体は、前を行く桜海おうみ先輩のヒール。そのヒールが、床とぶつかって、跳ねる音。それは彼女の歩みに合わせ、規則正しいテンポでもって、次々とこの空間に刻まれていく。

「どんな、と言われましても」

「もう。しゃきっとしなさいよ、しゃきっと。遂に独り立ちの日が来たっていうのに」

白衣を身にまとった先輩がこちらを振り向く。セミロングの髪が、彼女の動きに合わせてふわりと揺れた。

「まぁ、緊張するのも分かるけどね。私も最初はそうだったなぁ。懐かしい」

「先輩も緊張とかするんですね」

真顔で返すと苦い顔をされた。再び進行方向に向き直った先輩が、大袈裟にため息を吐くのが分かる。そのあとに続いた「可愛くないなぁ」という言葉の方は聞かなかったことにしよう。数秒の沈黙を挟み、特段俺からのレスポンスがないとみると、先輩は一方的に話を続けた。

「でも安心して。初心な後輩くんのために、最初の“担当被験者”は私がきっちり吟味して選んだから」

「桜海先輩が選んだんですか」

思わず聞き返してしまう。それなら安心だ、と特に自信を持ってそう思わせてくれないのがこの先輩だ。

「うん。さ、着いたよ」

話しているうちに目的地に到着した。扉横に取り付けられたセンサーに、首から下げているIDカードをかざす。ピピッという軽快な音が鳴って、ロックが解除された。重苦しい開閉音と共に目の前の扉が開く。桜海先輩が数歩、俺の正面から横に体をずらし、片手で研究室の中を指し示した。

「さ、中の彼にご挨拶。被験者番号141、雪加蛍琉せつかほたるくんです」

廊下と同じく、薄暗い研究室の中央に置かれた、無機質で、堅そうな鉄製のベッド。そこに静かに横たわる彼の姿を見た時に、心臓が、止まるかと思った。



*** ***



この物語は、俺、夏川蒼馬なつかわそうまと、彼、雪加蛍琉せつかほたるの“二度目の”再会から始まる。
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