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エピローグ
60 新婚
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街の外まで出向いて、マリーとトリスタンを乗せた馬車を見送る。これから他の街を観光しながら王都まで戻るそうだ。今回こうして僕たちに会いに来たのは新婚旅行も兼ねているらしい。
幾重にも丘が重なり、花で溢れた街道をゆく馬車が見えなくなるまで見送って、一息つく。
「行ってしまったな……」
「ああ。口うるせえのがいなくなってほっとする」
シグファリスはそう言って、「悪い奴らじゃねえけど」と付け足した。
彼らの善良さは僕にもよくわかる。そして彼らがいい人であればあるほど、深く後悔が胸を刺す。
本来ならシグファリスは彼らと共に生きていたはずだ。トリスタンが言っていた通り、シグファリスはもっと報いられるべきなのだ。
僕が捨てさせてしまった栄光を思うと、深い湖の底に宝石を投げ出してしまったような気持ちに駆られる。水底に見えるその輝きは、拾おうとさえすれば手が届くはずなのに。
「なんかつまらねえこと考えてねえか?」
「……大切なことだ」
少し屈んで僕の顔を覗き込むシグファリスから目を逸らすと、風に吹かれて空に舞い上がるいくつもの花びらが見えた。
僕は自分だけが死んだことにして、命が尽きるまで瘴気祓いの旅を続けるつもりでいた。だがシグファリスはけして僕から離れようとはせず、結局こうして二人で旅をすることになってしまった。
――不本意ではあるけれど、正直言ってシグファリスがいなければ僕に旅などできなかった。
地図は一応読める。だが移動手段や寝食の確保、その他旅に必要な知識の一切を僕は持ち合わせていなかった。現世は貴族育ち、前世は都会育ちの僕が辺境をひとりで旅しようなどという考えがそもそも甘すぎたのだ。旅慣れたシグファリスがいなかったら早々にのたれ死んでいたかもしれない。
それに僕はあまりにも体力がない。時折大きな街に戻っては静養し、回復してから再び瘴気祓いのために辺境へ赴く。その繰り返しだった。
僕はため息をついてシグファリスと視線を合わせた。
「僕がしていることは、罪滅ぼしにもならない。ただの自己満足だ。それにシグを付き合わせてしまって――」
「いいんだよ。もう死んでもアリスから離れないって俺が決めたんだから」
僕が言い切らないうちにシグファリスが僕を抱き寄せる。あたたかな抱擁に身を任せながらも、思う。誰もが僕を許してくれたとしても、多くの犠牲の上に立っていることをけして忘れてはならない。
自己満足に過ぎないとしても、できる限りのことはしたい。しかしシグファリスのことも幸せにしたい。死んでも僕から離れまいとするシグファリスをどうやって幸せにしたらいいのかと想いを巡らせている間に、シグファリスは僕のヴェールを押し上げた。ごくごく自然に唇を合わせようとしてくるシグファリスからあわてて顔を背ける。
「こら、人目があるのに……!」
「ん? 別に周りも同じような感じなんだから気にすることねえと思うけど、密室で二人っきりでしたいならもちろんそれでも構わねえよ?」
「そういう意味で言ったのではない!」
わたわたと周囲を見れば、花畑には親しげな二人連れで溢れていた。線が引かれているわけでもないのにそれぞれが一定の距離を取り、二人だけの世界に浸っている。
この街は元々新婚旅行向きの観光地として栄えていた。他人の目には、僕たちも恋人同士、あるいは婚姻を結んだ間柄に見えるだろう。だが僕とシグファリスはそういう関係ではない。そういう関係ではないのだが――かなり際どい関係と言えた。
「僕たちは、兄弟なのだから……こういうことは……」
「こういうことって?」
「だ、だから……親しすぎるするのは、よくないというか……」
シグファリスの望みならなんでも叶えてやりたい。しかし、シグファリスが僕に寄せる愛情には性的な感情も含まれていて。こればかりは受け入れることができない。できないと言いつつ毎回なし崩しになってしまうのだが。
「まあ、今更だけどな。挿れる以外は一通りやりまくってるんだし」
「声が大きい……!」
口を塞ぐつもりが、力が入りすぎてシグファリスの口元をばちんと叩いてしまう。それでもシグファリスは大したダメージを受けず、僕の手を掴んで意地悪そうに笑った。
「マリーと俺のこと、ずっと気にしてたもんな」
気にするどころの話ではない。小説では二人は結ばれるはずだった。僕が変えてしまった事柄はいくつもあったが、これだけは譲れないと思っていた。
いずれシグファリスだけでも王都に帰ってもらいたい。そしてマリーと結ばれたらいい。そう思いながらも僕はシグファリスに求められると抵抗しきれず、最後の一線を守るだけで精一杯だった。
「だから言っただろ。マリーとは兄妹みたいなもんだって」
シグファリスは事もなげに僕の耳元で囁いて、頬に唇を寄せる。くすぐったさに身を捩りながら、僕はため息をついてしまった。まさかマリーがトリスタンと結ばれる展開が待っていようとは思いもしなかった。
「俺が嫌いか?」
真剣な声音につられて顔を上げると、シグファリスの瞳が不安げに揺らいでいた。
「嫌いじゃない、けど……困る」
僕にとってシグファリスは、大好きだった物語の主人公で。この世界に転生して、幼いシグファリスに出会ってからは、それはもうかわいくてかわいくて仕方がなくて。成長した今は、小説の挿絵以上に格好良くなってしまって。
「俺がアリスを困らせてるのか?」
「い、いや、そうではないが……」
――正直に言えば、愛情を寄せられるのは満更でもないのだ。だが、毎回、シグファリスに求められるたびに、困ってしまう。
「……シグに抱きしめられたり、口付けられたりすると……すごく、気持ちいいから……僕はまだ悪魔のままなのかもしれないと不安になる……」
悪魔だったときに味わった、シグファリスから魔素をもらった時の愉悦を、口付けられるたびに思い出してしまう。あのときと同じぐらい。もしかしたら、それよりもずっと、気持ちがよくて、不安になる。
ヴェールの影からシグファリスの様子を伺う。しばらく硬直していたシグファリスは、突然僕を抱き上げて走り出した。
「うわ! な、なんだ突然――!」
「だって不安なんだろ」
難なく僕を横抱きにして、街道をすたすたと走りながらシグファリスが口を開く。
「――アリスが本当に人間に戻ったのか、俺が体の隅々までじっくり調べてやるから安心してくれ」
「い、いい! そんなことしなくていい! まだ陽も高いのに!」
「別にやましいことをしようってんじゃないから構わないだろ。それともアリスはやましいことをするつもりなのか?」
「そうじゃないけど! まずは降ろせ、とにかく降ろせ!」
いわゆるお姫様抱っこで往来を駆けているのである。周囲の人々の、新婚夫婦を見守るような生温かい視線が痛い。
僕の要望は叶わないまま、宿に着いてしまった。
幾重にも丘が重なり、花で溢れた街道をゆく馬車が見えなくなるまで見送って、一息つく。
「行ってしまったな……」
「ああ。口うるせえのがいなくなってほっとする」
シグファリスはそう言って、「悪い奴らじゃねえけど」と付け足した。
彼らの善良さは僕にもよくわかる。そして彼らがいい人であればあるほど、深く後悔が胸を刺す。
本来ならシグファリスは彼らと共に生きていたはずだ。トリスタンが言っていた通り、シグファリスはもっと報いられるべきなのだ。
僕が捨てさせてしまった栄光を思うと、深い湖の底に宝石を投げ出してしまったような気持ちに駆られる。水底に見えるその輝きは、拾おうとさえすれば手が届くはずなのに。
「なんかつまらねえこと考えてねえか?」
「……大切なことだ」
少し屈んで僕の顔を覗き込むシグファリスから目を逸らすと、風に吹かれて空に舞い上がるいくつもの花びらが見えた。
僕は自分だけが死んだことにして、命が尽きるまで瘴気祓いの旅を続けるつもりでいた。だがシグファリスはけして僕から離れようとはせず、結局こうして二人で旅をすることになってしまった。
――不本意ではあるけれど、正直言ってシグファリスがいなければ僕に旅などできなかった。
地図は一応読める。だが移動手段や寝食の確保、その他旅に必要な知識の一切を僕は持ち合わせていなかった。現世は貴族育ち、前世は都会育ちの僕が辺境をひとりで旅しようなどという考えがそもそも甘すぎたのだ。旅慣れたシグファリスがいなかったら早々にのたれ死んでいたかもしれない。
それに僕はあまりにも体力がない。時折大きな街に戻っては静養し、回復してから再び瘴気祓いのために辺境へ赴く。その繰り返しだった。
僕はため息をついてシグファリスと視線を合わせた。
「僕がしていることは、罪滅ぼしにもならない。ただの自己満足だ。それにシグを付き合わせてしまって――」
「いいんだよ。もう死んでもアリスから離れないって俺が決めたんだから」
僕が言い切らないうちにシグファリスが僕を抱き寄せる。あたたかな抱擁に身を任せながらも、思う。誰もが僕を許してくれたとしても、多くの犠牲の上に立っていることをけして忘れてはならない。
自己満足に過ぎないとしても、できる限りのことはしたい。しかしシグファリスのことも幸せにしたい。死んでも僕から離れまいとするシグファリスをどうやって幸せにしたらいいのかと想いを巡らせている間に、シグファリスは僕のヴェールを押し上げた。ごくごく自然に唇を合わせようとしてくるシグファリスからあわてて顔を背ける。
「こら、人目があるのに……!」
「ん? 別に周りも同じような感じなんだから気にすることねえと思うけど、密室で二人っきりでしたいならもちろんそれでも構わねえよ?」
「そういう意味で言ったのではない!」
わたわたと周囲を見れば、花畑には親しげな二人連れで溢れていた。線が引かれているわけでもないのにそれぞれが一定の距離を取り、二人だけの世界に浸っている。
この街は元々新婚旅行向きの観光地として栄えていた。他人の目には、僕たちも恋人同士、あるいは婚姻を結んだ間柄に見えるだろう。だが僕とシグファリスはそういう関係ではない。そういう関係ではないのだが――かなり際どい関係と言えた。
「僕たちは、兄弟なのだから……こういうことは……」
「こういうことって?」
「だ、だから……親しすぎるするのは、よくないというか……」
シグファリスの望みならなんでも叶えてやりたい。しかし、シグファリスが僕に寄せる愛情には性的な感情も含まれていて。こればかりは受け入れることができない。できないと言いつつ毎回なし崩しになってしまうのだが。
「まあ、今更だけどな。挿れる以外は一通りやりまくってるんだし」
「声が大きい……!」
口を塞ぐつもりが、力が入りすぎてシグファリスの口元をばちんと叩いてしまう。それでもシグファリスは大したダメージを受けず、僕の手を掴んで意地悪そうに笑った。
「マリーと俺のこと、ずっと気にしてたもんな」
気にするどころの話ではない。小説では二人は結ばれるはずだった。僕が変えてしまった事柄はいくつもあったが、これだけは譲れないと思っていた。
いずれシグファリスだけでも王都に帰ってもらいたい。そしてマリーと結ばれたらいい。そう思いながらも僕はシグファリスに求められると抵抗しきれず、最後の一線を守るだけで精一杯だった。
「だから言っただろ。マリーとは兄妹みたいなもんだって」
シグファリスは事もなげに僕の耳元で囁いて、頬に唇を寄せる。くすぐったさに身を捩りながら、僕はため息をついてしまった。まさかマリーがトリスタンと結ばれる展開が待っていようとは思いもしなかった。
「俺が嫌いか?」
真剣な声音につられて顔を上げると、シグファリスの瞳が不安げに揺らいでいた。
「嫌いじゃない、けど……困る」
僕にとってシグファリスは、大好きだった物語の主人公で。この世界に転生して、幼いシグファリスに出会ってからは、それはもうかわいくてかわいくて仕方がなくて。成長した今は、小説の挿絵以上に格好良くなってしまって。
「俺がアリスを困らせてるのか?」
「い、いや、そうではないが……」
――正直に言えば、愛情を寄せられるのは満更でもないのだ。だが、毎回、シグファリスに求められるたびに、困ってしまう。
「……シグに抱きしめられたり、口付けられたりすると……すごく、気持ちいいから……僕はまだ悪魔のままなのかもしれないと不安になる……」
悪魔だったときに味わった、シグファリスから魔素をもらった時の愉悦を、口付けられるたびに思い出してしまう。あのときと同じぐらい。もしかしたら、それよりもずっと、気持ちがよくて、不安になる。
ヴェールの影からシグファリスの様子を伺う。しばらく硬直していたシグファリスは、突然僕を抱き上げて走り出した。
「うわ! な、なんだ突然――!」
「だって不安なんだろ」
難なく僕を横抱きにして、街道をすたすたと走りながらシグファリスが口を開く。
「――アリスが本当に人間に戻ったのか、俺が体の隅々までじっくり調べてやるから安心してくれ」
「い、いい! そんなことしなくていい! まだ陽も高いのに!」
「別にやましいことをしようってんじゃないから構わないだろ。それともアリスはやましいことをするつもりなのか?」
「そうじゃないけど! まずは降ろせ、とにかく降ろせ!」
いわゆるお姫様抱っこで往来を駆けているのである。周囲の人々の、新婚夫婦を見守るような生温かい視線が痛い。
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