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四章
40 王太子セルジュ
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トリスタンはルミエ王国の王太子、セルジュ殿下の腹心だった。
セルジュ殿下はルミエ王国の第二王子であり、第一王子が病死したのちに立太子した。側室の子であるために立場はあまり強くない。
小説のアリスティドは虚栄心を満たすために、金と権力にものを言わせてセルジュ殿下に取り入ろうと躍起になっていた。しかしセルジュ殿下が興味を示したのは、光の加護を持つシグファリスの方だった。プライドを傷つけられたアリスティドはシグファリスをさらに苛烈に虐待する、という流れだった。
この世界での僕は、魔王化を阻止するためにも自分からセルジュ殿下に近づこうとはしなかった。
オーベルティエ公爵家は正妃側の勢力を支持しているので、セルジュ殿下と僕には公式行事などで儀礼的に挨拶を交わす程度の関係性しかない。それに公爵家からはすでに叔父が正妃の側近として仕えている。さらに僕が宮廷で幅を利かせるようになれば、公爵家といえども他の貴族たちの反感を買うだろう。
情勢を考えても僕はセルジュ殿下と接触するべきではない。そう考えて距離を保っていたのに、セルジュ殿下の方から近づかれてしまっては無碍にできない。
セルジュ殿下の目的はもちろんシグファリスだ。「光の加護を持つ少年に一度会ってみたい」と打診されても、小説のアリスティドのように苛立つことはなかった。しかしシグファリスは平民なので王族に謁見することはできない。僕はセルジュ殿下の申し出を丁重にお断りせざるを得なかったのだが。
その数日後。王都の平民街にある教会で、セルジュ殿下と僕は柱の影からシグファリスの様子を見ていた。
「あれが光の加護を持つ少年か……案外普通の子供だね」
「はい。あらかじめ申し上げた通り、普通の平民です」
ルミエ王国の始祖は光の加護を持ち、悪魔から人々を救った英雄として敬われている。伝承では神の如き姿だの絶世の美貌だのと盛られに盛られている。過度な期待を寄せるのも仕方ない話だ。
シグファリスはまだ十歳。これから強くかっこよく成長する予定ではあるが、今はまだ普通の元気で明るい愛らしい少年だ。変なプレッシャーを与えないでほしい。
セルジュ殿下の傍に控えていた僕はこっそりとため息をついた。
平民のシグファリスと王太子であるセルジュ殿下が同じ空間にいる、というあり得ない状況が整ったのは、偶然の賜物だった。
まず、僕は父と顔を合わせた折に、「貴族の婦人たるもの、慈善活動ぐらいは当然の義務でしょうね。離れで遊んでいるだけの平民の女性には関係のないことですが」と、シグファリスの母であるエリアーヌを暗に侮辱した。意地でも自分の妻と息子を貴族として扱いたい父は当然ながら憤った。
そんな父の耳に偶然、「王都で慈善活動をしているが人手が足りない」と嘆く伯爵夫人の話が舞い込んでくる。平民を差別しない貴婦人がいてくださったら助かるのですけれど、という伯爵夫人の頼みを聞く形で、父はエリアーヌとシグファリスを連れて意気揚々と王都へ向かった。
そして王城にて。平民の暮らしを気にかける王太子殿下は、お忍びで城下街の視察に出かけることを家臣に告げる。視察先としてたまたま選ばれたのは平民街の教会で、視察当日は偶然にもエリアーヌが慈善活動に参加する日であり、その息子であるシグファリスも手伝いをしていた。
「それでは偶然に感謝して、たまたま目に止まった平民の少年に、王太子の身分を隠して声をかけるとしよう」
偶然は作れる。セルジュ殿下はいたずらっ子のような顔で僕にウィンクをして、柱の影から足を踏み出した。僕もその後に続く。しかし護衛騎士としてセルジュ殿下の側にぴたりと張り付いていたトリスタンは随行を許されなかった。
「お前はだめだ、体が大きすぎるし顔がこわい。そこで待っていろ」
「そんな! おひとりでは危険です」
トリスタンはセルジュ殿下の乳母の息子である。主人として敬愛しているし、兄弟のように親しんでもいる。常にそばにいて守りたいという気持ちもわかるのだが、トリスタンのような大柄な騎士を引き連れていればそれだけで高貴な身の上だとばれてしまう。それではお忍びの意味がない。
「この場にそれほどの危険があるとは思えない。それにひとりではないぞ。頼もしい魔術師がここにいるじゃないか」
セルジュ殿下が僕に水を向けると、トリスタンの物言いたげな眼差しが寄せられた。大切な主人を任せて良いものか、そう思案している顔だった。
無礼者め、この僕の力を侮っているのか? いくら剣の腕が立つといっても下位貴族の分際で王族に近づくなどと許し難い――と以前だったら激昂していたかもしれない。
トリスタンが僕を信用できないのも無理はない。表立って敵対しているわけではないが、僕とセルジュ殿下は本来派閥が違う。面従しているだけだと思っているのだろう。
「時間稼ぎぐらいならできる。下がりなさい」
もしもの時は僕が盾になる。僕の言葉に隠された意図が伝わったのか、トリスタンは意外そうに目を見開いてから、すぐさま膝を折って深々と頭を下げた。
セルジュ殿下はルミエ王国の第二王子であり、第一王子が病死したのちに立太子した。側室の子であるために立場はあまり強くない。
小説のアリスティドは虚栄心を満たすために、金と権力にものを言わせてセルジュ殿下に取り入ろうと躍起になっていた。しかしセルジュ殿下が興味を示したのは、光の加護を持つシグファリスの方だった。プライドを傷つけられたアリスティドはシグファリスをさらに苛烈に虐待する、という流れだった。
この世界での僕は、魔王化を阻止するためにも自分からセルジュ殿下に近づこうとはしなかった。
オーベルティエ公爵家は正妃側の勢力を支持しているので、セルジュ殿下と僕には公式行事などで儀礼的に挨拶を交わす程度の関係性しかない。それに公爵家からはすでに叔父が正妃の側近として仕えている。さらに僕が宮廷で幅を利かせるようになれば、公爵家といえども他の貴族たちの反感を買うだろう。
情勢を考えても僕はセルジュ殿下と接触するべきではない。そう考えて距離を保っていたのに、セルジュ殿下の方から近づかれてしまっては無碍にできない。
セルジュ殿下の目的はもちろんシグファリスだ。「光の加護を持つ少年に一度会ってみたい」と打診されても、小説のアリスティドのように苛立つことはなかった。しかしシグファリスは平民なので王族に謁見することはできない。僕はセルジュ殿下の申し出を丁重にお断りせざるを得なかったのだが。
その数日後。王都の平民街にある教会で、セルジュ殿下と僕は柱の影からシグファリスの様子を見ていた。
「あれが光の加護を持つ少年か……案外普通の子供だね」
「はい。あらかじめ申し上げた通り、普通の平民です」
ルミエ王国の始祖は光の加護を持ち、悪魔から人々を救った英雄として敬われている。伝承では神の如き姿だの絶世の美貌だのと盛られに盛られている。過度な期待を寄せるのも仕方ない話だ。
シグファリスはまだ十歳。これから強くかっこよく成長する予定ではあるが、今はまだ普通の元気で明るい愛らしい少年だ。変なプレッシャーを与えないでほしい。
セルジュ殿下の傍に控えていた僕はこっそりとため息をついた。
平民のシグファリスと王太子であるセルジュ殿下が同じ空間にいる、というあり得ない状況が整ったのは、偶然の賜物だった。
まず、僕は父と顔を合わせた折に、「貴族の婦人たるもの、慈善活動ぐらいは当然の義務でしょうね。離れで遊んでいるだけの平民の女性には関係のないことですが」と、シグファリスの母であるエリアーヌを暗に侮辱した。意地でも自分の妻と息子を貴族として扱いたい父は当然ながら憤った。
そんな父の耳に偶然、「王都で慈善活動をしているが人手が足りない」と嘆く伯爵夫人の話が舞い込んでくる。平民を差別しない貴婦人がいてくださったら助かるのですけれど、という伯爵夫人の頼みを聞く形で、父はエリアーヌとシグファリスを連れて意気揚々と王都へ向かった。
そして王城にて。平民の暮らしを気にかける王太子殿下は、お忍びで城下街の視察に出かけることを家臣に告げる。視察先としてたまたま選ばれたのは平民街の教会で、視察当日は偶然にもエリアーヌが慈善活動に参加する日であり、その息子であるシグファリスも手伝いをしていた。
「それでは偶然に感謝して、たまたま目に止まった平民の少年に、王太子の身分を隠して声をかけるとしよう」
偶然は作れる。セルジュ殿下はいたずらっ子のような顔で僕にウィンクをして、柱の影から足を踏み出した。僕もその後に続く。しかし護衛騎士としてセルジュ殿下の側にぴたりと張り付いていたトリスタンは随行を許されなかった。
「お前はだめだ、体が大きすぎるし顔がこわい。そこで待っていろ」
「そんな! おひとりでは危険です」
トリスタンはセルジュ殿下の乳母の息子である。主人として敬愛しているし、兄弟のように親しんでもいる。常にそばにいて守りたいという気持ちもわかるのだが、トリスタンのような大柄な騎士を引き連れていればそれだけで高貴な身の上だとばれてしまう。それではお忍びの意味がない。
「この場にそれほどの危険があるとは思えない。それにひとりではないぞ。頼もしい魔術師がここにいるじゃないか」
セルジュ殿下が僕に水を向けると、トリスタンの物言いたげな眼差しが寄せられた。大切な主人を任せて良いものか、そう思案している顔だった。
無礼者め、この僕の力を侮っているのか? いくら剣の腕が立つといっても下位貴族の分際で王族に近づくなどと許し難い――と以前だったら激昂していたかもしれない。
トリスタンが僕を信用できないのも無理はない。表立って敵対しているわけではないが、僕とセルジュ殿下は本来派閥が違う。面従しているだけだと思っているのだろう。
「時間稼ぎぐらいならできる。下がりなさい」
もしもの時は僕が盾になる。僕の言葉に隠された意図が伝わったのか、トリスタンは意外そうに目を見開いてから、すぐさま膝を折って深々と頭を下げた。
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