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四章
35 癒しの天使
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「こんな怪我、君らしくないよ」
何人もの怪我人を診てきたマリーには、他者から受けた傷と自分でつけた傷の見分けがつくのだろう。シグファリスの両腕に刻まれているのは、僕に血を与えるために自らナイフで切りつけた跡だ。そんな事情を知らないマリーからすれば自傷行為にしか見えない。
「天国のお母さんも悲しむよ。せっかく魔王を倒して仇を取ったんだし、自分のことも大切にしなくちゃ」
「ああ……まあ、な……」
顔をあげ、励ますように微笑むマリーからシグファリスは顔を背けた。
僕が――魔王アリスティドが生きていると知っているのは、フロレンツをはじめとしたごく少数の仲間たちだけのようだった。殺せない事情があるにせよ、魔王がまだ生きているなどと知れたら、人々は再び恐怖し混乱を呼ぶ。隠しておく他ない。
「心配なことがあるなら、なんでも私に話して。そりゃ私なんかができることなんて少ししかないけど……ほら、昔みたいに、君がいじめられて泣いてたら、私がガツンと言ってやるから!」
「いじめられて泣いてたんじゃねえよ! あれは母さんが……」
「そうそう、君のお母さんを貴族の愛人だってバカにした子供達を片っ端から殴ってたら、お母さんに『何でもかんでも暴力で解決しようとするな!』って叱られて泣いてたんだっけ。懐かしいな」
「うるせえな……ってゆうか泣いてねえ……」
「ふふ、そうだね。今や救国の勇者様だもの。君をいじめられる人なんてそういないだろうし」
マリーは昔を懐かしむように語る。シグファリスも態度こそ悪いが、内心ではマリーに心を許しているのだろう。
癒しの天使と持ち上げられても、マリーは「天使なんてとんでもない! 私なんてまだまだ未熟者です!」と否定していた。薬師としての腕は確かだが、シグファリスと同じ十九歳。他にも医師はいるし、元王国軍の中には癒しの魔術を得意とする者もいる。
だが外から見ているとよくわかる。平民の医師と貴族の医療魔術師との間にわだかまりがないのは、マリーがいち早く重症者を見分けて、優先的に診てもらえるよう説得しているからだ。前世でいうトリアージである。
怪我人のため、方々に頭を下げ続けるマリー見ていた患者たちが、やがて「私は軽症だから先に重症者を診てやってくれ」と譲り合うようになり、物資が少ない中でも分け隔てなく手当てを施すことのできる環境が整っていった。
救護所で回復し、復旧作業に合流するようになった者たちは、そんなマリーの働きに感化されている様子だった。
――今は身分の差にこだわらず、協力し合う時だ。彼らがそう主張することで、大きな衝突に至らずに済んでいた。
だがマリーには彼らに影響を与えている自覚はないだろう。ただただ精一杯、自分にできることをする。そんな健気なマリーは、きっとシグファリスにとっても大きな支えになっているはずた。
「大丈夫、今まで散々酷い目に遭ってきたんだもの、あとは幸せになるしかない。きっとこれから楽しいことがいくらでも待ってるよ」
包帯を巻き終えたマリーが明るく微笑む。シグファリスの表情は僕には見えないが、二人の関係は小説通りのようだった。魔界召喚が成されなかったこの世界でも、きっとシグファリスはマリーを愛するだろう。
「ヴリュソール。他の場所に移動してくれ」
これ以上覗きを続けるのは野暮というものだ。声をかけたが、ヴリュソールは一向に動く気配がない。それどころかじりじりとシグファリスに接近している。やがて画面の中心に据えられたのは、診察台の傍に無造作に置かれたシグファリスの武器。――呪いの双剣だった。
「……おい、ヴリュソール。まさかとは思うが」
〈勇者、メスに夢中。この隙に、やれる〉
女性のことをメスって言うなこの邪竜。
受け取る場面は見ていないが、シグファリスは鍛治師カグヤが鍛えた呪いの双剣を受け取ったらしい。
小説とは違い、武器として使用するためではなく、危険物の管理のために否応なく携行しているのだろう。僕はため息を飲み込んでヴリュソールに語りかけた。
「無茶をするな。それ以上近づけばシグファリスは絶対に気づくし、そもそも回収する手段がないだろう?」
〈気合いでなんとか〉
気合いでなんとかなる問題ではない、と言いたいが、ヴリュソールには召喚されてもいないのに気合いで魔界から自力でやってきたという実績がある。
だがこればかりは無理だ。例えシグファリスに気づかれなかったとしても、僕がいる牢獄に辿り着くまでに誰かしらに発見されてしまうだろう。
「……ああ、そういえば、鍛冶場に僕の角のかけらが残っているのではないかな?」
真っ向からヴリュソールを説得するのは諦めて、他の話題を振ってみる。
悪魔の角は第一級の危険物だ。他はともかく武器に関しては一流の職人であるカグヤがそんなミスを犯すとは思えない。悪魔の角を双剣の素材に錬成する時も細心の注意を払っただろう。けれどヴリュソールの気を逸らすために言ってみると、食いしん坊のちび竜は興味を惹かれたようだった。
〈角の、かけら……〉
「剣ほどではないが、それがあれば僕の力も多少は戻るだろう。もしかけらが小さすぎるようなら、その時はヴリュソールが食べてしまっても構わない」
〈――食べる! 角、ぜったい美味しい! ふんす!〉
ヴリュソールは興奮して首をぶんぶんと上下に振った。首尾よく双剣から注意を逸らせたようだ。僕はぶれまくる画面から視線を逸らしながら安堵のため息をついた。
一通り興奮を発散してから、ヴリュソールは意気揚々と鍛冶場に向けて方向転換した。その視界の端で、シグファリスが動いた。
その動きはあまりに早すぎた。シグファリスに気づかれたのだと僕が察した時には、ヴリュソールは投げナイフの餌食になっていた。
何人もの怪我人を診てきたマリーには、他者から受けた傷と自分でつけた傷の見分けがつくのだろう。シグファリスの両腕に刻まれているのは、僕に血を与えるために自らナイフで切りつけた跡だ。そんな事情を知らないマリーからすれば自傷行為にしか見えない。
「天国のお母さんも悲しむよ。せっかく魔王を倒して仇を取ったんだし、自分のことも大切にしなくちゃ」
「ああ……まあ、な……」
顔をあげ、励ますように微笑むマリーからシグファリスは顔を背けた。
僕が――魔王アリスティドが生きていると知っているのは、フロレンツをはじめとしたごく少数の仲間たちだけのようだった。殺せない事情があるにせよ、魔王がまだ生きているなどと知れたら、人々は再び恐怖し混乱を呼ぶ。隠しておく他ない。
「心配なことがあるなら、なんでも私に話して。そりゃ私なんかができることなんて少ししかないけど……ほら、昔みたいに、君がいじめられて泣いてたら、私がガツンと言ってやるから!」
「いじめられて泣いてたんじゃねえよ! あれは母さんが……」
「そうそう、君のお母さんを貴族の愛人だってバカにした子供達を片っ端から殴ってたら、お母さんに『何でもかんでも暴力で解決しようとするな!』って叱られて泣いてたんだっけ。懐かしいな」
「うるせえな……ってゆうか泣いてねえ……」
「ふふ、そうだね。今や救国の勇者様だもの。君をいじめられる人なんてそういないだろうし」
マリーは昔を懐かしむように語る。シグファリスも態度こそ悪いが、内心ではマリーに心を許しているのだろう。
癒しの天使と持ち上げられても、マリーは「天使なんてとんでもない! 私なんてまだまだ未熟者です!」と否定していた。薬師としての腕は確かだが、シグファリスと同じ十九歳。他にも医師はいるし、元王国軍の中には癒しの魔術を得意とする者もいる。
だが外から見ているとよくわかる。平民の医師と貴族の医療魔術師との間にわだかまりがないのは、マリーがいち早く重症者を見分けて、優先的に診てもらえるよう説得しているからだ。前世でいうトリアージである。
怪我人のため、方々に頭を下げ続けるマリー見ていた患者たちが、やがて「私は軽症だから先に重症者を診てやってくれ」と譲り合うようになり、物資が少ない中でも分け隔てなく手当てを施すことのできる環境が整っていった。
救護所で回復し、復旧作業に合流するようになった者たちは、そんなマリーの働きに感化されている様子だった。
――今は身分の差にこだわらず、協力し合う時だ。彼らがそう主張することで、大きな衝突に至らずに済んでいた。
だがマリーには彼らに影響を与えている自覚はないだろう。ただただ精一杯、自分にできることをする。そんな健気なマリーは、きっとシグファリスにとっても大きな支えになっているはずた。
「大丈夫、今まで散々酷い目に遭ってきたんだもの、あとは幸せになるしかない。きっとこれから楽しいことがいくらでも待ってるよ」
包帯を巻き終えたマリーが明るく微笑む。シグファリスの表情は僕には見えないが、二人の関係は小説通りのようだった。魔界召喚が成されなかったこの世界でも、きっとシグファリスはマリーを愛するだろう。
「ヴリュソール。他の場所に移動してくれ」
これ以上覗きを続けるのは野暮というものだ。声をかけたが、ヴリュソールは一向に動く気配がない。それどころかじりじりとシグファリスに接近している。やがて画面の中心に据えられたのは、診察台の傍に無造作に置かれたシグファリスの武器。――呪いの双剣だった。
「……おい、ヴリュソール。まさかとは思うが」
〈勇者、メスに夢中。この隙に、やれる〉
女性のことをメスって言うなこの邪竜。
受け取る場面は見ていないが、シグファリスは鍛治師カグヤが鍛えた呪いの双剣を受け取ったらしい。
小説とは違い、武器として使用するためではなく、危険物の管理のために否応なく携行しているのだろう。僕はため息を飲み込んでヴリュソールに語りかけた。
「無茶をするな。それ以上近づけばシグファリスは絶対に気づくし、そもそも回収する手段がないだろう?」
〈気合いでなんとか〉
気合いでなんとかなる問題ではない、と言いたいが、ヴリュソールには召喚されてもいないのに気合いで魔界から自力でやってきたという実績がある。
だがこればかりは無理だ。例えシグファリスに気づかれなかったとしても、僕がいる牢獄に辿り着くまでに誰かしらに発見されてしまうだろう。
「……ああ、そういえば、鍛冶場に僕の角のかけらが残っているのではないかな?」
真っ向からヴリュソールを説得するのは諦めて、他の話題を振ってみる。
悪魔の角は第一級の危険物だ。他はともかく武器に関しては一流の職人であるカグヤがそんなミスを犯すとは思えない。悪魔の角を双剣の素材に錬成する時も細心の注意を払っただろう。けれどヴリュソールの気を逸らすために言ってみると、食いしん坊のちび竜は興味を惹かれたようだった。
〈角の、かけら……〉
「剣ほどではないが、それがあれば僕の力も多少は戻るだろう。もしかけらが小さすぎるようなら、その時はヴリュソールが食べてしまっても構わない」
〈――食べる! 角、ぜったい美味しい! ふんす!〉
ヴリュソールは興奮して首をぶんぶんと上下に振った。首尾よく双剣から注意を逸らせたようだ。僕はぶれまくる画面から視線を逸らしながら安堵のため息をついた。
一通り興奮を発散してから、ヴリュソールは意気揚々と鍛冶場に向けて方向転換した。その視界の端で、シグファリスが動いた。
その動きはあまりに早すぎた。シグファリスに気づかれたのだと僕が察した時には、ヴリュソールは投げナイフの餌食になっていた。
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