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三章

22 魔術師ジュリアン

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 玉座の間は特にひどい有様だった。かろうじて屋内としての体を保っているが、壁は半壊し、応急処置として布が張り巡らされている。外からでは中の様子を知ることができない。兵士たちが厳重に警備している隙を縫って、小さなヴリュソールは容易く侵入を果たした。
 かつて煌びやかに飾られていた内装は見る影もない。王国の紋章が刺繍されたタペストリーは引き裂かれ、玉座も調度品も砕け散っている。もはや廃墟と化した薄暗い空間の中央には、巨大な魔法陣が妖しい光を放っていた。
 ――ディシフェルが魔性の知識を注ぎ込んで練り上げた最高傑作。
 魔界を召喚するという前代未聞の魔法を発動させるために編まれたこの魔界召喚陣は、これまでの常識が一切通用しない。本来平面である円形の魔法陣が角度や大きさを変えて複雑に絡み合い、球体に近い形状になっている。
 全体の大きさは直径三メートルほど。空中に浮かぶ異色の魔法陣を、たった一人で見上げている人物がいた。ヴリュソールは柱から柱へと移動しながら、慎重に接近していく。やがて画面にその人物の顔が映る。目深にローブをかぶっているその青年は、魔術師のジュリアンだった。
 ジュリアンはシグファリスの仲間のひとり。大きな丸眼鏡がトレードマーク。十歳の時に史上最年少で魔術博士号を取得した、王国きっての天才。今はシグファリスと同じ十九歳になっているはずだ。
 魔界召喚陣から放たれる光がぼんやりと明滅している。その光に照らされたジュリアンは、口を半開きにしたまま食い入るように魔界召喚陣を見つめていた。微動だにしないが、瞳だけは忙しなく動いている。魔界召喚陣を解除するために構造を解析しているのだと思われた。

 末端貴族であるジュリアンの魔力はそれほど強くない。驚異的なのはその頭脳だ。魔素の消費を極限まで抑え、なおかつ最大限の火力を発現させるための術式の研究に励んでいた。その研究の成果は魔術具の開発において特に目覚ましい功績をあげた。
 魔術具とは魔素を原動力とした器具であり、一般的に照明や通信具などがよく使われている。
 石炭や油などを燃料にするランプは平民にも扱えるが、魔素を消費する魔術具のランプは貴族でなくては扱えない。魔術具のランプはほんの少しの魔素を注ぎ込めば長時間の使用にも耐えるし、火事になる心配もない。いちいち魔法陣を構築して魔法を使わなくて済むので、貴族たちは補助的に魔術具を使っていた。
 しかしジュリアンが開発した魔術具は従来のものと決定的に違っていた。
 一番の特徴は魔素を蓄えておけるという点。
 これまでの常識では、魔素というものは魔術に転換せずに放出すればすぐに霧散してしまうものだった。僕の母上が好んでいた薔薇の品種改良などにも魔素が使われるが、あれは対象が植物だからこそできた技。しかも定期的に魔素を注いで世話をしなければ枯れてしまう。しかしジュリアンが開発した魔術具は無機物に、それも長期間魔素を蓄えておけるというものだった。
 まさに革命的な発明といえる。だが同時に大きな問題を抱えていた。
 魔素を蓄えておけるのだから、使用時に魔素を注ぎ込まなくてもいい。つまり使用者が平民であっても構わないということ。ジュリアンが試作した第一号機は、平民が使用することを前提に作られた、畑を効率よく耕すための魔術具。――前世でいう耕うん機だった。
 この発明に貴族社会は激震した。
 畑を耕すなどという平民の仕事に魔術を使うという発想がまずあり得ない。神聖な魔術を平民に行使させるなど言語道断。神への冒涜である。それに魔素蓄積型魔術具は兵器開発に転用できる。平民の反乱が起こりかねない。貴族社会の秩序維持を脅かす大問題だった。
 ジュリアンは才能を認められながらも、著しく倫理観に欠けた危険思想の持ち主として貴族社会から激しく糾弾され、ついには投獄されてしまった。
 やがてジュリアンはシグファリスと聖女エステルに救出され、共に世界を救うための戦いに身を投じる。ジュリアンが制作した魔術具は魔王アリスティドに立ち向かうための大きな武器となった。

 その天才が今、悪魔ディシフェルが残した魔界召喚陣を見つめていた。
 小説には登場しなかったが、今僕の首に嵌められている魔封じの首輪もジュリアンが作ったものだろう。首元に手をやりながらジュリアンに注視する。相変わらず微動だにしない。よく観察すれば衣服はところどころ焦げて、丸いメガネにはヒビが入り、腕には痛々しく包帯が巻かれている。勇者シグファリスを魔王アリスティドの元へ送り込むため、ジュリアンをはじめとした仲間たちも相当の苦戦を強いられたはずだ。まだ本調子ではないだろうに、驚異的な集中力だ。
 この魔界召喚陣に仕込まれた罠――シグファリスか僕が死亡することで術式が発動するということを突き止めたのもジュリアンに違いない。これなら僕が思っている以上に早く術式を解除できるのではないだろうか。
 僕の出る幕はなさそうだと安堵した時、画面が大きく揺れた。人の気配を察知したヴリュソールが素早く移動したらしい。やがて視界が安定を取り戻すと、新たに二人の人物がジュリアンに接近しているのが見えた。
 ひとりはシグファリス。もうひとりは長髪の男性。吟遊詩人のフロレンツだった。
「ジュリアン、食事を持ってきたよ」
 フロレンツが声をかけてもジュリアンは無反応だった。集中が深すぎて聞こえていないらしい。それでもフロレンツは気分を害することなく微笑んでいる。
 フロレンツもまたシグファリスと共に魔王アリスティドに立ち向かった仲間のひとりだ。吟遊詩人は仮の姿で、その正体はアリスティドによって滅ぼされた隣国の王子。小説では癖の強い仲間たちのまとめ役として立ち回ることが多かったフロレンツは、この世界でも同じ役割を負っているようだった。
「ジュリアン、根をつめすぎてもよくない。そろそろ休憩に――」
 フロレンツが言い終わるよりも、シグファリスがジュリアンの口にサンドイッチを突っ込む方が早かった。
 そこまでされればジュリアンの深い集中も流石に途切れる。眉間に皺を寄せ、一通り咀嚼して嚥下し終えたジュリアンはシグファリスに抗議の声を上げた。
「今のキュウリ入ってたんだけど。やめてくんないかなこうやって僕に無理やり食べさせもがあ」
「うるせえ黙って食え。餓死するならやるべきことを全部終わらせてからにしろボケが」
「んぐぅ、ぐ、わかったよ、食べるからキュウリだけは抜んぐう」
 抵抗も虚しく、ジュリアンの口には有無を言わさずサンドイッチが詰め込まれていく。
「何回見ても可哀想な食事風景だなあ」
「こいつにまともな人間の生活を期待しても無駄なんだよ。放っておいたらブッ倒れるまで飯を食わねえし風呂も入らねえ」
「まあ倒れられるよりはいい、のかな……」
 フロレンツはため息をついたが、シグファリスを止める気はないらしい。穏やかな顔立ちに苦笑を浮かべ、肩をすくめた。
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