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17 天使

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「子羊ちゃんが来た……」

 入団したばかりの新人を見てきたという同輩がつぶやいた言葉に、ウォルフは眉をしかめた。「子羊ちゃん」というのは従士たちの間でひっそりと言い交わされる俗語で、聖女の騎士という肩書欲しさにやってくる高位貴族のお坊ちゃんの事を指していた。

 彼らがすることといえば聖女の御機嫌うかがいのみ。お茶の相手をしたりダンスのレッスンをしたり、聖女を称える詩を書いたり。聖なる職務に勤しむ聖女を慰撫する、かわいいペットの子羊ちゃんだ。
せっかく騎士が補充されると思ったのに期待外れだった。

 エーデルシュタイン王国最強と名高い聖寵騎士団だが、実のところ戦力にはあまり余裕がない。民衆の支持が篤いグラティア聖教会が力を持ちすぎることを王家が警戒し、人員を制限しているせいだ。
 数が少なくとも精鋭ぞろいであれば問題ない。指揮官である騎士が有能であればウォルフたち従士も生き延びる確率が上がる。逆に身分だけの足手まといが上官になった日には悲劇である。

「まあ、子羊ちゃんなら俺らには関係ねえな」

 彼らが戦場に出る機会は極端に少ない。聖女の傍にべったり張り付いているか、より安全な王国各地の教会支部へ移っていく。

「いや、違うんだ。ほんとに……子羊ちゃんみたいにかわいいのが来た……いやあれは妖精か……?」

 熱のこもった目で力説する同輩に首をかしげはしたが、その時のウォルフは大して気にも留めなかった。



 ウォルフが初めてエアネストの姿を見たのは、叙任式でのことだった。
 グラティア聖教会の大聖堂で行われる叙任式は格式高く、本来であれば騎士や司祭などの身分の高い者しか参列できない。ウォルフが末席に連なることができたのは、この一年でより多くの魔獣を倒したという功績を認められての事だった。
 名誉で腹はふくれない。褒賞なら金か酒でもらいたかった。

「後で飯かなんか出るのか」
「馬鹿、静かにしろ!」

 ウォルフに付き添っていた大隊長の怒鳴り声に驚いた周囲の騎士たちが振り向く。

「ジジイの方がうるせえし……」

 大聖堂での騒ぎはご法度である。いつもよりは幾分控えめに文句を言うと、大隊長が深々とため息をついた。

「お前はその態度さえ何とかすりゃあ、騎士になるのだって夢じゃないだろうによ」

 そんなもんに興味はない、とは騎士たちの手前、さすがに口に出しては言えない。
 大隊長は剣の腕一本で平民から騎士になりあがった叩き上げである。似た境遇にあるウォルフに目をかけているのだが、ウォルフにとっては「口うるさい上に遠慮なくぼこすか殴って来るクソジジイ」だった。

 やがて叙任式が始まり、ウォルフは取り繕ったすまし顔で儀式の様子を眺めた。従士の仲間たちへ土産話ができるように大まかな内容を覚えておこうと思ったのだが、司祭の長ったらしい話が始まると同時に眠気が襲ってきた。
 ウォルフにもそれなりの信仰心がある。聖女様のおかげで比較的安全に魔獣と戦えて、働きに見合った金がもらえる。戦死すれば天国へ行ける。生き残れば酒屋に行ける。ありがたいと思ってはいるが、小難しい話に興味はない。

 あくびをかみ殺すのにも飽きた頃、大聖堂の扉が開いた。
 総長を先頭に、若い従騎士たちが後に続く。今回の叙任式では貴族子弟が三人という事だったが。

 ――天使。

 総長のすぐ後ろにいた青年を目にして、最初にウォルフの頭に浮かんだ言葉はそれだった。
 エアネスト・フォン・ベルンシュタイン。
 宮内長官や王室家政長官などの官職を務めてきた、ベルンシュタイン侯爵家の三男――そういう情報は後から大隊長に教えてもらった。その時のウォルフは、ただただエアネストの姿に釘付けになっていた。

 貴族の子弟は大体なよなよしていて、生白い顔をしている。エアネストも日焼けとは無縁の、手入れの行き届いた美しい肌をしていた。だがけして弱々しい印象ではない。銀色に輝く鎧をまとって颯爽と歩く姿が様になっていた。
 凛とした眼差しでまっすぐに前を見据える横顔は、ウォルフが今までに見たどんなものよりも純粋で、無垢な美しさをたたえていた。
 妖精みたいにかわいい子羊ちゃん。
 同輩が言っていたのはエアネストの事だったのだと確信した。

 ぼんやりと見惚れている間に儀式が進んでいく。
 祭壇の前で跪いた若い従騎士たちに、年老いた高位司祭が滔々と語る。
 神のもたらした恩寵。聖女が起こした七つの奇跡。教会の定める十の訓戒。
 聖寵騎士団の紋章が入ったマントを与えられ、拍車と剣を授けられる。装いを新たにした彼らが再び跪くと、筆頭聖女のマレルダが進み出た。
 総長に促され、最初にエアネストが誓いの言葉を述べた。

「天上にまします神よ、慈悲深き聖なる乙女よ――この身と魂を捧げると誓います。邪悪なる獣の牙を砕く為、か弱き民衆を護る為、剣をふるう事をお許しください」

 繊細な姿に似合った澄んだ声音が、大聖堂に響く。
 エアネストの言葉を受けて、マレルダが白銀の剣を捧げ持つ。

「――エアネスト・フォン・ベルンシュタイン。汝の誓いを受けましょう。心理を尊び、祈り働く人々を守護し、我が剣となりてその身を捧げ給え」

 剣の平でエアネストの肩を軽く打つ。従騎士だったエアネストはこの時をもって正式に騎士の位を得た。
 聖女に騎士と認められたからといって、特別に強い力を授かるわけではない。この手の儀式は教会の権威を誇示するためのパフォーマンスだと思っていた。だがこの時のウォルフは厳かな雰囲気に完全に吞まれていた。
 ――穢れなき聖女と、聖女を護る美しき騎士。
 その光景は信仰心の薄いウォルフの目にも神聖なものとして焼き付いた。



 聖寵騎士団に籍を置いているからといって、従士の身では聖女の姿を拝見する機会は少ない。大怪我をした時に治療をしてもらえるぐらいだ。聖女の傍にいるエアネストとウォルフが関わる機会などない――はずだった。

「俺が護衛に向いてるわけねえだろ!? そもそもあんな細っこいお坊ちゃんを戦場に出すんじゃねえ、死なせてえのか」

 エアネストの護衛として指名を受けた時、ウォルフは一も二もなく断った。
 ウォルフのような下っ端が、総長直々に下された命令を断れるはずがない。それでもウォルフは粘りに粘った。

「お前はいい加減口の利き方をどうにかしろ……」

 ごねるウォルフに、総長はやれやれとばかりに首を振る。

「どうしても戦場に立ちたいというエアネスト卿の願いを無下にはできぬ。良くも悪くも、お前は団の中で一番の実力者だ。護衛として不足はない。それにお前は最悪に口が悪い。お前みたいに無礼な強面ばかりだと知れば、エアネスト卿もうんざりして戦場に出たいなどと思わなくなるだろう」
「はあ? 要はチンピラをけしかけてビビらせようってことか? そんなのかわいそうだろ、あんたは騎士なんだから正々堂々正直に説明してやれよ。お前は顔で採用したお飾りの騎士なんだから大人しくしてろって」
「それができたら苦労しとらんわ!」

 総長は頭を抱えて執務机に突っ伏した。
 ウォルフには細かいことはわからないが、裏には金や権力が絡んだ政治的な駆け引きがあるのだろう。

「それにあの容姿だ……のぼせ上がった阿呆どもを蹴散らすにもお前はうってつけだ。お前は色恋よりも剣を振り回している方が好きだろ」

 総長の言葉にウォルフは喉を詰まらせる。総長の言う通り、今のところウォルフには戦場で魔獣と一戦交える以上に楽しいことはなかった。

「……どうなったって知らねえっすからね」

 これ以上ごねても仕方ない。ウォルフは渋々受け入れたが、全く気は進まなかった。
 ――容姿は綺麗だが、中身は貴族の権威を振りかざして我を通す阿呆のボンボン。
 総長との話の中で、ウォルフはエアネストにそんな印象を抱いたのだが、実際はもっと厄介だった。
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