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07 治療院への襲撃
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王国最北の地であるグラティア聖教会本部には巡礼の旅人が多く訪れる。
教会の敷地内にある治療院では聖女による治癒術を無償で受けられるとあって、辺境の地でありながらも傷病人とその家族が続々と集まっていた。
ほとんどは神と聖女を敬愛する信徒だが、誰もが善人とは限らない。聖女が民衆と接する際には、護衛の騎士が必ず傍に控えている。
その日治療院での治療にあたっていた聖女は四人。そのうちのひとり、筆頭聖女のマレルダは、嫌な顔一つせず手伝いに励むエアネストに微笑みかけた。
「エアネストがいてくださると、とても助かりますわ。いつもありがとう」
周囲の警戒は怠らないが、エアネストは治療院での護衛の際は積極的に看護師の仕事を手伝っていた。担架で運ばれてきた重傷者を治療台へ載せたり、錯乱して暴れる患者を押さえつけたりと、力を使う場面は案外多い。
賛辞に浴したエアネストは優雅に腰を折って礼をした。
「少しでも聖女様のお役に立てるならば、光栄です。なんなりとお申し付けください」
本心からの言葉ではある。しかし内勤を頑張りすぎると「やはりエアネスト卿は護衛に向いている」「なんなら騎士を辞して司祭の道へ進むのもよいのでは」などと総長に説得されて戦場から遠ざけられてしまうので考えものなのだが、手を抜くこともできない。
治療院での護衛任務ではエアネストのように物腰の柔らかい騎士たちが重宝されていた。武骨な騎士がうろうろしていると威圧感があり、患者を怯えさせてしまうからだ。常にエアネストの傍に控えているウォルフも、この時ばかりは治療院の外で警護に当たっている。
エアネスト自身は騎士としてウォルフのような貫禄が欲しいのだが、こればかりは努力で身につくものでもない。
――ない物ねだりをしている暇があるなら、目の前の任務に励むべきだ。
内心で気合を入れなおすエアネストとは対照的に、マレルダは時折浮かない表情を見せていた。
「今日は早めに診療を切り上げましょう」
患者が途切れた時を見計らって声をかけると、マレルダははっと顔を上げて両手を頬にあてた。
「いつも通りで問題ありません、お気遣いありがとう。……いやだわ、顔に出ていたかしら」
マレルダが王太子の婚約者と正式に定められたのは、つい先日の事だった。
平民出身の聖女が多い中、マレルダは侯爵家の生まれであり、最も優れた聖女として民衆から尊崇を集めている。見目麗しく、所作も美しい。彼女であれば未来の王妃として申し分ない。
王太子がマレルダに深く惚れこんでいるために結ばれた婚約だが、当然ながら他の意図がある。
王家は魔獣退治をグラティア聖教会に丸投げしている。しかしグラティア聖教会が求心力を高めすぎるのは望ましくない。筆頭聖女を王妃として迎え入れることで、民衆の支持をかすめ取りたい――という政治的な思惑があった。
「納得はしているのです。それでも、わたくしは神に嫁いだつもりでいたのに。これでは重婚ね」
冗談めかして笑うマレルダに、エアネストは励ますように微笑み返す。
嫁いだとしても聖女の力が失われるわけではない。それでも立場上、今のように平民の患者に治癒を施す事は出来なくなるし、その他にも様々な制限が課される。教会を訪れる事さえ難しくなるだろう。聖女という役割に誇りを持っていたマレルダには酷な仕打ちだが、王族との婚姻に異を唱えられるはずもない。
エアネストとマレルダの間には、似通った境遇である者同士のほのかな連帯があった。王太子の婚約者に望まれるマレルダほどの重責ではないが、エアネストも侯爵家の子息。血統と家格を重んじる貴族社会で個人の意思が尊重される事は稀である。エアネストは家族の理解を得て騎士になる事ができたが、いつ家に引き戻されてもおかしくはない。
慰めの言葉を思いつく前に、診療時間の終了を告げる鐘が鳴り響く。エアネストはうつむきがちなマレルダに恭しく手を差し伸べた。
「本日もお疲れ様でございました。庭園にお茶の用意が整っております」
「素敵。きっとバラが見頃ね」
辛い境遇にあるにもかかわらず、マレルダは気丈に微笑んだ。
ほんの少しでも慰めになるのならば、お茶だろうがダンスのお相手だろうが喜んで勤めようと、エアネストは改めて胸に誓った。
マレルダを伴い奥の扉から退出しようとした時、にわかに診療所の入り口が騒がしくなった。
「どうか、どうかお願いします、聖女様にお目通り叶いませんでしょうか。せめて一目だけでも」
「診療時間は終わりだ。帰れ」
無理やり入り込もうとしている老人を、治療院の入り口で警護にあたっていたウォルフが止めている。急患であれば優先されて通されるはずだが、それほどひっ迫した様子もない。
治療院を訪れる者の中には、健康であるにもかかわらず「聖女様の御尊顔を拝見したい」という理由で押し掛けてくる手合いがいた。ウォルフのような強面はそんな不心得者を蹴散らすのに便利だったが、それでも押し通ろうとするとはなかなか肝が据わっている。
慈悲深いマレルダは不定愁訴だろうが人生相談だろうが、自分の休憩時間を削って相手をしてしまう。エアネストはさりげなく歩調を早めたが、マレルダは老人の存在に気づいてしまった。
「かまいませんよ。お通ししてください」
マレルダの厚意によって目通りの叶った老人は、にたりと笑った。
ただの笑顔のようにも思えたが、エアネストは嫌な予感がした。
特に変わったところのない、ごく普通の平民にしか見えない。気配を探っても魔術を使えるほどの力は感じられない。教会の敷地に入る前に入念な検査が行われるので、武器などを隠し持っている可能性もない。
だが、マレルダは王太子の婚約者となった。そこには政治的な駆け引きや権力闘争が絡んでいる。中には聖女を王家に迎え入れることを快く思わない立場の者もいるはずだ。
何の確証もなかったが、エアネストは直感に任せ、マレルダに縋り付こうとする老人の前に身を投げ出した。
その瞬間、老人の手元が怪しく光った。
「――――ッ!」
赤黒い邪悪な閃光に目がくらむ。下腹に焼かれるような痛みが走る。何をされたのかわからないが、明らかにマレルダを狙った襲撃だった。
周囲から悲鳴が上がる。顔を歪ませた老人が唸る。
「おのれ、邪魔だてをしおって……!」
目の前が霞む。脚がふるえる。手に力が入らず、剣を抜くことができない。マレルダにお逃げくださいと告げることさえできない。それでもエアネストは力を振り絞り、マレルダを背に庇って両手を広げた。
二撃目が加えられても、エアネストは怯まなかった。
――ここで死のうとも、あと数秒持ちこたえればいい。
何の心配もない。
もう既に、黒い竜巻が老人の背後に迫っている。
ウォルフが老人を切り伏せるのを見届けてから、エアネストはその場にくずおれた。
教会の敷地内にある治療院では聖女による治癒術を無償で受けられるとあって、辺境の地でありながらも傷病人とその家族が続々と集まっていた。
ほとんどは神と聖女を敬愛する信徒だが、誰もが善人とは限らない。聖女が民衆と接する際には、護衛の騎士が必ず傍に控えている。
その日治療院での治療にあたっていた聖女は四人。そのうちのひとり、筆頭聖女のマレルダは、嫌な顔一つせず手伝いに励むエアネストに微笑みかけた。
「エアネストがいてくださると、とても助かりますわ。いつもありがとう」
周囲の警戒は怠らないが、エアネストは治療院での護衛の際は積極的に看護師の仕事を手伝っていた。担架で運ばれてきた重傷者を治療台へ載せたり、錯乱して暴れる患者を押さえつけたりと、力を使う場面は案外多い。
賛辞に浴したエアネストは優雅に腰を折って礼をした。
「少しでも聖女様のお役に立てるならば、光栄です。なんなりとお申し付けください」
本心からの言葉ではある。しかし内勤を頑張りすぎると「やはりエアネスト卿は護衛に向いている」「なんなら騎士を辞して司祭の道へ進むのもよいのでは」などと総長に説得されて戦場から遠ざけられてしまうので考えものなのだが、手を抜くこともできない。
治療院での護衛任務ではエアネストのように物腰の柔らかい騎士たちが重宝されていた。武骨な騎士がうろうろしていると威圧感があり、患者を怯えさせてしまうからだ。常にエアネストの傍に控えているウォルフも、この時ばかりは治療院の外で警護に当たっている。
エアネスト自身は騎士としてウォルフのような貫禄が欲しいのだが、こればかりは努力で身につくものでもない。
――ない物ねだりをしている暇があるなら、目の前の任務に励むべきだ。
内心で気合を入れなおすエアネストとは対照的に、マレルダは時折浮かない表情を見せていた。
「今日は早めに診療を切り上げましょう」
患者が途切れた時を見計らって声をかけると、マレルダははっと顔を上げて両手を頬にあてた。
「いつも通りで問題ありません、お気遣いありがとう。……いやだわ、顔に出ていたかしら」
マレルダが王太子の婚約者と正式に定められたのは、つい先日の事だった。
平民出身の聖女が多い中、マレルダは侯爵家の生まれであり、最も優れた聖女として民衆から尊崇を集めている。見目麗しく、所作も美しい。彼女であれば未来の王妃として申し分ない。
王太子がマレルダに深く惚れこんでいるために結ばれた婚約だが、当然ながら他の意図がある。
王家は魔獣退治をグラティア聖教会に丸投げしている。しかしグラティア聖教会が求心力を高めすぎるのは望ましくない。筆頭聖女を王妃として迎え入れることで、民衆の支持をかすめ取りたい――という政治的な思惑があった。
「納得はしているのです。それでも、わたくしは神に嫁いだつもりでいたのに。これでは重婚ね」
冗談めかして笑うマレルダに、エアネストは励ますように微笑み返す。
嫁いだとしても聖女の力が失われるわけではない。それでも立場上、今のように平民の患者に治癒を施す事は出来なくなるし、その他にも様々な制限が課される。教会を訪れる事さえ難しくなるだろう。聖女という役割に誇りを持っていたマレルダには酷な仕打ちだが、王族との婚姻に異を唱えられるはずもない。
エアネストとマレルダの間には、似通った境遇である者同士のほのかな連帯があった。王太子の婚約者に望まれるマレルダほどの重責ではないが、エアネストも侯爵家の子息。血統と家格を重んじる貴族社会で個人の意思が尊重される事は稀である。エアネストは家族の理解を得て騎士になる事ができたが、いつ家に引き戻されてもおかしくはない。
慰めの言葉を思いつく前に、診療時間の終了を告げる鐘が鳴り響く。エアネストはうつむきがちなマレルダに恭しく手を差し伸べた。
「本日もお疲れ様でございました。庭園にお茶の用意が整っております」
「素敵。きっとバラが見頃ね」
辛い境遇にあるにもかかわらず、マレルダは気丈に微笑んだ。
ほんの少しでも慰めになるのならば、お茶だろうがダンスのお相手だろうが喜んで勤めようと、エアネストは改めて胸に誓った。
マレルダを伴い奥の扉から退出しようとした時、にわかに診療所の入り口が騒がしくなった。
「どうか、どうかお願いします、聖女様にお目通り叶いませんでしょうか。せめて一目だけでも」
「診療時間は終わりだ。帰れ」
無理やり入り込もうとしている老人を、治療院の入り口で警護にあたっていたウォルフが止めている。急患であれば優先されて通されるはずだが、それほどひっ迫した様子もない。
治療院を訪れる者の中には、健康であるにもかかわらず「聖女様の御尊顔を拝見したい」という理由で押し掛けてくる手合いがいた。ウォルフのような強面はそんな不心得者を蹴散らすのに便利だったが、それでも押し通ろうとするとはなかなか肝が据わっている。
慈悲深いマレルダは不定愁訴だろうが人生相談だろうが、自分の休憩時間を削って相手をしてしまう。エアネストはさりげなく歩調を早めたが、マレルダは老人の存在に気づいてしまった。
「かまいませんよ。お通ししてください」
マレルダの厚意によって目通りの叶った老人は、にたりと笑った。
ただの笑顔のようにも思えたが、エアネストは嫌な予感がした。
特に変わったところのない、ごく普通の平民にしか見えない。気配を探っても魔術を使えるほどの力は感じられない。教会の敷地に入る前に入念な検査が行われるので、武器などを隠し持っている可能性もない。
だが、マレルダは王太子の婚約者となった。そこには政治的な駆け引きや権力闘争が絡んでいる。中には聖女を王家に迎え入れることを快く思わない立場の者もいるはずだ。
何の確証もなかったが、エアネストは直感に任せ、マレルダに縋り付こうとする老人の前に身を投げ出した。
その瞬間、老人の手元が怪しく光った。
「――――ッ!」
赤黒い邪悪な閃光に目がくらむ。下腹に焼かれるような痛みが走る。何をされたのかわからないが、明らかにマレルダを狙った襲撃だった。
周囲から悲鳴が上がる。顔を歪ませた老人が唸る。
「おのれ、邪魔だてをしおって……!」
目の前が霞む。脚がふるえる。手に力が入らず、剣を抜くことができない。マレルダにお逃げくださいと告げることさえできない。それでもエアネストは力を振り絞り、マレルダを背に庇って両手を広げた。
二撃目が加えられても、エアネストは怯まなかった。
――ここで死のうとも、あと数秒持ちこたえればいい。
何の心配もない。
もう既に、黒い竜巻が老人の背後に迫っている。
ウォルフが老人を切り伏せるのを見届けてから、エアネストはその場にくずおれた。
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