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Chapter 7

01 王子さま

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 紅葉が美しい季節。空は高くなり、一雨ごとに気温がぐっと下がっていく。いつまでもしつこかった残暑が気配を消すにつれて、夏の間に落ちていた客足も戻ってくる。
 そして秋といえば栗。ラパンではこの時期限定の、和栗を贅沢に使ったモン・ブランがおすすめだ。お芋や葡萄、いちじくなどを使った季節のアシェットデセールも人気がある。

 これからホリデーシーズンに向けて徐々に忙しくなっていく。もう既にハロウィンの準備で労働時間が延びてきているし、シュトーレンの仕込みも始まっている。本格的に繁忙期に入る前に休暇を取るよう、矢幡さんはパティシエたちに呼びかける。体調を崩すことなど許されない、地獄のように忙しい日々が間近に迫っている。

 そんな嵐の前の休日を利用して、僕は日本橋の百貨店を訪れていた。ここの催事場で、霧谷英志の初画集の発売を記念した原画展が開催されている。ラパンに来た霧谷さんに「絶対に観て欲しい絵があるから絶対に来て」とチケットをもらってしまっていた。
 べつに行くつもりはなかったんですけど。せっかくチケットをもらったから無駄にしたらもったいないし。ここの百貨店には有名なパティスリーが沢山出展しているから、勉強として食べに来て、そのついでに寄ってみただけだし。

 自分に言い訳をしつつ、原画展を見て回る。平日の午前中なら人も少ないだろうと思っていたけれど、様々な年齢層の人たちで混雑していた。その隙間を縫って就学前の小さな子供たちが楽しそうに声を上げて駆け回っている。
「遊べる原画展」という触れ込みの通り、展示場の中央に置かれた大きなどろんどのぬいぐるみに触れたり、大型のパズルを組み合わせて作品を完成させたりと、楽しい仕掛けがたくさん施されていた。しんと静まり返った美術館だったら緊張してしまうけれど、こんな風に賑やかに見られる方が僕もありがたい。

 壁面には絵本の原画が飾られていた。印刷されて製本された状態とはまた違った良さがあって、もう何度も読んだ絵本なのに目を奪われる。
 素晴らしい作品ばかりだけれど、特に画集のために描き下ろされた作品は圧巻だった。今までは動物をモチーフにした絵が多かったけれど、新しく描かれた絵は人間の子供が中心になっている。しゃがみこんで植木鉢をひっくり返す少年。文鳥をにぎる赤ん坊。口をあけて歯の抜けた場所を指差す少女。ふてくされたり退屈だったり不満だったり、そんな気取りのない一瞬の表情を切り取った絵は、彼らが本当に存在しているみたいだ。

 印刷よりも立体的で、色鮮やかな直筆の絵を、絵の具の匂いがしそうなぐらい間近に観られて感動する。と同時に頭の片隅でつい「あの人ちゃんと仕事してたんだな」なんて失礼なことを考えてしまう。

 僕は絵のことは詳しくないけれど、手間も時間もかかっているということはわかる。きっと忙しかっただろうに、僕なんかの為に時間を使ってくれていたなんて。いやべつに僕が頼んだわけじゃないんだから申し訳なく思う必要なんてないんだけれど。

 そんな言い訳めいたことを考えていた僕の頭の中は、最後に飾られている絵を目にした瞬間、真っ白く塗りつぶされた。

 王冠を戴いた小さな男の子の絵。
 霧谷さんが「絶対観て」と言っていたのはこれだと直観する。
 目の周りが赤い。瞳は星のようにきらきら輝いて、でもその表情は晴れやかで、屈託なく微笑んでいる。

 ――英志くんの、王子さま。

 勢いよく駆けてきた子供が僕の足にぶつかる。母親らしい女性が僕に「すいません」と頭を下げて、走り去ってしまった子供を追いかける。目の端でそんな光景を捉えたけれど、まるで他人事のように、僕は絵に見入ったままだった。

 英志くんに王子さまと呼ばれていた頃の僕。
 でも今の僕は、王子さまなんかじゃない。

 ――僕は名前をなくしてしまった。
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