天色の遺言書

古海彰

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第一部 一

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 鬱陶うっとうしい目覚ましの音ともに有馬の1日は始まる。乱暴にスマホのアラーム機能を止めると、そのまま一階に下りて朝食の席に着く。


「早く食べないと日和ちゃん、また待たせちゃうわよ」


 母の恭子きょうこがパンの盛り付けられた皿を並べながら急かしてくる。


「いいよー。あいつ勝手に待ってるだけだから」


「またそんなこと言って」


 有馬はさっさとパンを口に頬張ると、そのまま部屋に戻って制服に着替える。


「行ってきまーす」


 そう言って家を出ると、門の前には佐藤日和さとうひより──有馬の向かい側の家に住む幼なじみ──が待っていた。


「おはよっ! はるか!」 


 大きなタレ目に浮かぶ、その黒くて大きな瞳は太陽の光を反射させ、キラキラと輝いている。


「先に行ってりゃいーのに」


「家近いし、どうせ同じ学校行くならいいでしょ?」


 有馬は、クスッと笑う日和を無視して歩きだした。日和はそれに何も言わずについてくる。


 今は八月。夏真っ盛りで蝉の鳴き声がうるさい。太陽がアスファルトに反射して、下からも熱気が漂う。いつもは表に出てきている野良猫も、今は車の下の陰になっている部分で暇を弄んでいる。


 有馬と日和はいつも他愛のない話をして登校をしている。


 この日も昨日やっていたテレビの話や学校であったことなどを話していた。


 有馬はそんな登校中のやり取りででる、小さな笑いが嫌いではなかった。


 話ながらふと日和の腕に目をやると、小さなあざができていた。気になるほどのことでもないが、会話の種にでもなるだろうと思い聞いてみることにした。


「日和。腕に痣できてるけど、大丈夫か?」


「え?」


「だから、腕に痣」


「あ、あー。これ? 大丈夫大丈夫。ちょっと転んだだけだから」


「そうか」


「うん」


「……」


「……」


 日和は笑顔で取り繕って見せたが、その表情はどこか暗く感じた。会話も続きそうになかったので、これ以上痣のことを詮索するのは止めた。


 有馬は通学路の景色を眺めることにした。


 道路ではハンドルの無い自動車が規則正しく走っている。一寸の乱れもなく走る自動車は、さながら軍隊のようだ。


 六〇年前は全て手動で運転していたなんて、想像もつかない。今やコンビニ、飲食店の接客業は全てAIだ。昔と変わらないものと言えば──


「あっ。着いたよ」


「ん」


 有馬はぶっきらぼうに返事をすると、門をくぐり、さっさと校舎へ入っていった。


「おはよーっす。遥」


「うーっす」


 有間が教室に入り一番に挨拶をしてきたのは、渋谷舜しぶやしゅんだ。有馬とは小学校からの付き合いであると同時に、数少ない友人でもある。


「毎日毎日二人で登校して。熱いねー」


「そんなんじゃねーよ」


 舜を軽くあしらうと、有馬は席について授業の準備を始めた。


「それにしても、日和ちゃんかわいいよなー」


 舜は隣の席からなにやら駄弁だべってくる。


 肩のラインまで伸びているボブヘア。大きなタレ目に大きな瞳。顔は少し童顔で、確かに日和はかわいいと有馬も思っている。


「そーだなー」


 舜に適当に返事をして授業の準備を続けた。


 周りの生徒たちは皆準備を終え、既に勉強を始めている。


 有馬も勉強に取り掛かろうとしたとき、ガラリと教室の前のドアが開いた。


「みんないるなー。朝のホームルーム始めるぞー」


 担任の関隼人せきはやとだ。年齢はまだ二三で、新卒だ。教師歴はまだたったの八ヶ月。


「お前らは来年受験も控えてる。今日から八月に入るが、ここ踏ん張んないと一生後悔することになるからな」


 この言葉は決して脅し文句なんかではない。来年の大学受験に落ちれば、文字通り、一生後悔することになる。そんなことはここにいる学生、いや、全国の学生が一番分かっている。 


 今から六〇年前の二〇三〇年、有馬がまだ生まれていない頃、少子高齢化の対策の一環で時の総理大臣、原田有礼はらだありのり首相が学校改革を始めた。


 原田有礼首相は少子高齢化の原因を子供の出生率の低下にあるとみて、どうしたら子供がもっと増えるかを考えた。その結果辿り着いたのが、教育費の無償化。


 政府は全ての教育費を無償化したのだ。その代わりに従来の教育制度を一新した。


 まず、義務教育を小学校に入る一年前から開始とし、終了を小学六年までの計七年間とした。その後、中学校に上がるために「学力共通試験」を設けた。 


 この試験に合格しないと小学校から中学校に上がることができず、「教育失敗」という形で工事現場や農場での労働に移る。


 高校に上がるときも「学力共通試験」を受け、これに落ちた者も同様、労働になる。


 大学受験に失意した者は少し特殊で、一年間の猶予を貰うことが出来る。この間の費用は実費だが、国が指定した予備校で、次の年に向けての勉強をすることが出来る。


 しかし、それでも落ちた者は、看護予備校や警察予備校などの職業訓練校に通うことができ、それらの予備校を卒業すれば、その職業に就くことができる。だが、この段階を踏んで就職したものは一生昇進することは出来ない。


 そして、これらの制度を統括する為の、教育省を設置した。


 有馬はこの教育制度を良く思っていない。有馬が祖父からこの改革以前の、自由に進路を選べる時期の話をよく聞いているからだ。


 さらに有馬が良く思わない問題点がもう一つある。それは、教育費の無償化などと言っておきながら、大学入学までの試験に落ちた者は、それまでの教育費を払わなければならないということだ。彼らの言う教育費無償化とは、大学までいった者へのものなのだ。


 しかも、落ちた者はその教育費を一括で払わなければならない。小卒の段階で一五〇〇万円。中卒の段階で二〇〇〇万円。高卒の段階で二五〇〇万円。一括で払うことが出来なければ、借金という形で残ることになる。


 大学に進学できる者は全生徒合わせて約十%。高校まで進学できるものは約六〇%。残りの三〇%は中卒以下である。 


 そして、この約三〇%は借金を返済し終わったあとも正規の仕事に就くことができず、そのまま下流階級と呼ばれ、世間から差別されることになる。


 現在の日本ではこの下流階級の人達が就くことのできる職は殆どなく、それこそ風俗だったり低賃金、重労働の土木関係の仕事しかない。


 さらに問題なのが、この下流階級者達による、児童の身売りである。残った借金を返すために子供を産み、それが女だったら売り飛ばすのだ。


 こういった社会問題も発生しているが、マスコミなどのメディアは政府に買収されているのか報道はせず、一部の反学校改革派によって、インターネットなどで取り出されている。


 しかし政府はこれを統制し全て無かったことにしているのだ。


 有馬にはこういったことが許せなかった。しかし、自分を産んでくれた親のためにも受験に落ちるわけにはいかない。取り敢えず安全圏である高校までは進学したが、受験に落ちてしまえば借金が残る。それだけは何としても避けたい。


 授業も終わり自習を終え、有馬は家に帰ろうとしたところ、舜が声を掛けてきた。


「このあと遊ばね? カラオケとかいこーぜ」


「バカかよ。今の時期に遊べるわけ無いだろ。お前もちゃんと勉強しろ」


「いーじゃん。行こーよ」


 そう言ったのは舜ではなく、有馬の後ろに、いつの間にか居た日和だった。


「ほらー。日和ちゃんも行きたいっていってるじゃん!」

「は? 待て日和──」


 日和の方を振り向くと、彼女はまるで玩具をねだる子供のように、その大きな瞳をキラキラとさせて有馬のことをじっと見つめていた。


「決まりだな!」


 舜はそう言って有馬を強引に連れていった。


 有馬にとってカラオケはあまり居心地の良いところではない。というより、いい思い出がない。中学生の頃に一度だけ来たことがあったが、あまりにも歌が下手だったため、皆にからかわれ、それ以来トラウマになっていた。


「よーっし! じゃあまずは遥から歌えよ!」


「なんで俺からなんだよ! お前が誘ったんだからお前から歌え!」


「じゃあ、私とならいいでしょ?」


「え……?」


「おぉーいーじゃん! デュエットデュエット!」


「ね?」


「分かったよ。ったく、しょーがねーな」


 有馬は渋々了承すると、日和と一緒に歌いだした。歌っている日和の顔は楽しそうで、さっきまで乗り気ではなかった有馬まで、気づけばノリノリで歌っていた。


「わーっ! 楽しかったね! ね? 遥!」


「そうだな」


「今度は俺と一緒に歌おうよ!」


「いいよ! 渋谷くん!」


 いつ振りだろうか。日和のこんな楽しそうな顔を見るのは。思えば最近はずっと笑ってなかったような気がする。


「日和! 舜! 次は俺も混ぜろ!」


 結局この日はみんなで門限ギリギリの時間までカラオケで過ごした。


 舜と別れたあとの帰り道、日和は深刻そうな顔をしていた。


「ねぇ遥」


「どうした? 日和」


「……やっぱりなんでもないや」


 朝と同じ顔。ふと有馬は朝の通学路での出来事を思い出した。


「なぁ日和。今度はその、ふ、二人でどっか遊びに行かないか?」


 日和は一瞬呆気に取られたような顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。


「いいよいいよ! どこ行く?」


「お、おう。そーだなぁ……」


「じゃあさ……。小学校の時に一緒に行った遊園地に行きたい!」


 有馬が考え込んでいるところに日和が提案してきた。また懐かしい所を。確か日和はその遊園地で迷子になってたっけ?


「また迷子になって泣くんじゃねーぞ」


「もぉー。もう高校三年生だよ? バカにしないで!」


 そう言うと、二人は一緒に笑いあった。


 こうやって笑いながら日和と過ごしていると、今の教育制度のこととか、受験のことだかを忘れられる。有馬はそう考えていた。


「久しぶりだなぁー。どんな服着てこうかなぁー」


 日和が笑っている間は有馬も笑っていられる。有馬はそんな気がしていた。 


「そうだ。日にちとかどうする?」 


「そうだねー。うーん」


「じゃあ、日和の誕生日とかどう?」


「あ、いーよー! 九月の四日だね!」


「うん。じゃあその日で」


「あと一ヶ月ちょっとかー……。早くこないかなー?」


 そうこうしているうちに、家の前まで着いてしまった。


「じゃあ、また明日学校で」


「何言ってんの? 明日も明後日も毎日ここからだよ!」


「はいはい」


 有馬と日和は「おやすみなさい」と言って、それぞれ家の中へ入っていった。午後九時を回っていた。


「ただいまー」


「おかえりなさい。夕飯はまだ?」


 中へ入ると恭子が出迎えてきた。


「うん。食べてないよ」


「丁度お父さんも帰ってきたから、一緒に食べちゃいなさい」


「ん」


 有馬は促されるまま、夕御飯の席に着いた。父の雅治まさはるは既に夕飯を食べ始めていた。


「勉強の方は順調か?」


「まぁ、なんとかね」


「そうか。あまり無理はするなよ。金ならある」


「もう、お父さんったら。そんなこと言わないの」


 有馬の両親は受験について楽観的であった。というのも、有馬の父親は大学卒業のエリートであり、お金ついては困っていないからだ。


 一方の母親は高卒で看護予備校出身だが、その借金も全て返している。


 有馬にとっては何不自由無い、恵まれた環境だった。


 有馬は夕食を食べ終えると二階の自室へ戻った。


「さて、勉強しないとな」


 机に向かい参考書を広げようとしたところ、部屋のドアがノックされた。


「どうしたー? 母さん?」


「あたしー。未来だよー」


 有馬の部屋のドアをノックしたのは妹の未来みらいだった。


「入るよー?」


「おう」


 未来は学校の教材を手にもって部屋に入ってきた。


 未来は現在中学二年生。来年は受験生だ。


「おにーちゃん。分かんない問題あんだけど。教えてよ」


「お前頭良かったろ?分かんない問題とかあんのかよ」


 未来は頭が良い。有馬とは理解の速度が格段に違った。その為、今も学力共通試験のための勉強をしている。


「この数学の問題なんだけどー」


「あー、これか。これはな──」


 一度解き方を教えるだけですぐに自分のものにしてしまう。有馬はわが妹ながら、恐ろしいと感じていた。


「ありがと!おにーちゃん!」


「あぁ、また分かんないとこあったら来いよー」


 そう言って未来は自室へ戻っていった。有馬も自分の妹が高校受験に落ちてほしくない。だから未来が自分に助けを求めてきたら全力でそれに応えるようにしている。


「もうこんな時間か……」


 時計を見るともう深夜の一二時を回っていた。


「たまにはこういう日もあっていいかもな」


 有馬は寝る準備をして静かに布団に入った。


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