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国落とし編
一人じゃない
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「ただいま戻りました」
暗くなった部屋の中。
私が一人で膝を抱えて蹲っていると、扉を開けてアイリス嬢とミリアが帰ってきた。
「おかえり……」
「ナルシェさん。ありがとうございます」
二人の様子を見るに、怪我をした様子も暗い表情もしていなかったことから、彼女たちが問題なく毒蛇の鉤爪とギルドの問題を解決してきたことが分かった。
「ルーナは?」
「ルーナさんはすでに部屋に戻られて休んでいると思いますよ。ナルシェさんの方は大丈夫でしたか?」
「うん。特に何もなかったよ。敵が攻めてくることもなかったし、一人でずっといたさ」
「そうでしたか。何事もなくてよかったです」
「リリィさん。ローブをお預かりします」
「ありがとう、ミーゼ」
アイリス嬢からローブを受け取ったミリアは慣れた手つきで畳んで片付けると、今度はアイリス嬢が水魔法で自分とミリアの体を綺麗にする。
「ふぅ。これでひと段落ですね」
「お疲れ様でした」
「ふふ。それはミーゼもですよ。一人で30人近く相手にしたと聞きました。私より疲れたでしょう」
「いえ。結局はその場から動くことなく片付けられましたから、とても楽でした。それに、ルーナさんの戦闘を見れたことで疲れも吹き飛びました」
「ミーゼもでしたか。私もあの圧倒的な雰囲気とかっこよさを見せられて、胸が高鳴り疲れなど忘れてしまいました」
二人はそれからしばらく、イスのどこがかっこよかったとか、纏う雰囲気に鳥肌が立って感動したとか、先ほどまで命を賭けて戦ってきた子たちの会話というよりは、ただ恋バナをしているようにしか見えない。
「二人は……随分と仲がいいんだね……」
「はい?」
「い、いや……その……」
それは、ほとんど無意識に出た言葉だった。
私自身、思ってもみなかった言葉に慌ててしまうが、そんな私を見たアイリス嬢とミリアも少し驚いた顔をしており、彼女たちは不思議そうな顔でお互いを見つめ合う。
「どうなんでしょうか。あまり意識したことはありませんでしたが」
「そうですね。ですが、言われてみれば確かに、以前よりも話しやすくなった感じはします」
「確かにそうかもしれませんね。やはり、同じ思いを胸に抱く者同士だからでしょうか」
「私がリリィさんと同じだなんて、恐れ多いです」
「ふふ。今さら隠そうとしなくてもいいですよ。確かにミーゼの口からあの方に対する気持ちを直接聞いたことはありませんが、見てれば分かります。あなたも私たちと同じだということを」
「申し訳ありません」
「気にしないでください。あの方の側にいれば、誰でも同じ感情を抱くはずです。ですが、誰でもいいというわけではありませんよ?あなただから私たちは受け入れているだけです。他に例外はありません」
「ありがとうございます」
また二人でよく分からない話を始めるアイリス嬢たちだが、二人の間には身分という壁が無いような感じ、一つの目的のために心が通じ合っているようにさえ思えた。
(羨ましいな……)
ずっと一人だと思って生活してきた私には、彼女たちのように心の内を語らずとも通じ合えるような友人はおらず、私が知っていることと言えば、一人で顔に出さないよう耐えることだけだった。
「……さん。ナル……さん。ナルシェさん!」
「……ん?」
そんな塞ぎ込んでいる私に気づいたのか、先ほどまでミリアと楽しそうに話していたアイリス嬢が、私の手に触れながら話しかけてくる。
「大丈夫ですか?」
「何がかな?」
「腕を強く握りしめているようでしたので。それに、顔色も優れないようですね。あまり眠れていないのでは?」
そう言って私を見つめるアイリス嬢の瞳には、心配という感情が込められており、彼女が今の私を心の底から心配してくれていることが伝わってくる。
だからなのか、心がいつも以上に弱り切っていた私は、らしく無く心の内を話してしまう。
「君たちが羨ましい……そうやって心置きなく話せる関係が、遠慮なく話すことのできる関係が羨ましいんだ。私は、ずっと一人だったから……」
「ナルシェさん……ミーゼ、お願いします」
「はい」
私の話を聞いたアイリス嬢がミリアの名前を呼ぶと、彼女が魔法を使用したのか部屋全体に魔力の流れを感じる。
「今この部屋に遮音魔法を掛けてもらいました。ナルシェ……いえ、シャルエナ殿下。話したいことがあるのなら、遠慮せず話してください」
そう言って私のことを見つめるアイリス嬢の瞳はどこまでも真っ直ぐで、どこか優しさを含ませたその瞳を前に、私はついに我慢することができなくなる。
「私は、ずっと一人だった。小さい頃から天才だと持て囃され、そのせいで兄たちには疎まれ、周りの貴族たちには男だったらと失望の目を向けられてきた。そんな私を気にかけてくれたのは叔父上だけだったが、その叔父上も結局は私を裏切って死んでしまった。そう、死んだと思ってたんだ。でも、本当は生きてて、しかも戦争を起こして帝国を滅ぼそうとすらしている。私はもうどうしたらいいのかわからない。怖いんだ。大好きだった叔父上を殺すことも、これ以上誰かと向き合うのも、そして裏切られて自分が一人だと自覚することも」
アイリス嬢は何も言わずに私の話を最後まで聞いてくれると、優しく手を握ってくる。
「ローグランド様のお話は、私も聞いております。そして、シャルエナ殿下が彼を殺すべきなのか、このままルイス様と一緒にサルマージュに行くべきなのか迷っていることもわかっています」
「そうか。君もあの場所にいたもんね。知っていて当然か」
「はい。なので私は、この件をルイス様に任せると決め、これまで私から何かを言うことはありませんでした。ですが、今の殿下は本当に辛そうで、誰かの助けが必要に見えたので私から話をさせていただきます。殿下は、どうされたいのですか?」
「どう……か。どうしたいんだろうね。それがわかっていれば、ここまで迷うこともなかっただろう」
「では、質問を変えます。殿下が悩んでいるのは、ついて行くべきかそうでないかですか?それとも、ローグランド様を殺せるかどうかですか?」
「それは……」
「前者であるのなら、それはどちらを選んでもあなたが死ぬことはないでしょう。帰れば死なないことは当たり前ですし、ついて行くのであれば、危険はあれど警戒といつもの判断力があれば、殿下が死ぬ可能性は低いと言えます。ですが、ローグランド様を殺せるかどうかで迷っているのであれば、いざという時、殿下は確実に死ぬ事になるでしょう」
「っ……」
死ぬ。
その言葉は他者に向けるだけでも重い言葉ではあるが、いざ自分に向けて言われると、その重みはさらに重く感じられ、想像しただけで体が震えてくる。
「わかりますか?今殿下は震えています。殿下が本当に悩んでいるのは、ついて行くかどうかでもなく、ローグランド様を殺せるかどうかでもありません。自分が死ぬかもしれないのにどうすれば良いのかわからず、潜在的に恐怖し、判断ができていないのです」
その通りだった。
確かに私は、大好きだった叔父上を殺せるのか、皇女としてどう動くべきなのかなど、色々と悩んでいたのも間違いではないが、結局のところ、私は死ぬかもしれないということが怖かった。
もし叔父上を前にして殺すことができなかったら、私は彼に殺されるかもしれない。
それを想像しただけで、私は死ぬことが怖くなり、いろんな理由を付けては悩んでいるフリをしていたのだ。
「殿下のその感情は間違っていません。誰しも死ぬことは怖いものです。だから人間は、長命のエルフに憧れ、不死を望むのですから」
「けど、私は……」
「殿下。今は立場や義務のことは忘れ、自分が今何を感じ、何に恐れを抱き、何がしたいのかを考えてください。大丈夫です。この旅は非公式のものですから、私たちがサルマージュに向かっていることも、ましてやローグランド様が生きていることも誰も知りません。今なら、感情のままにここで帰ったとしても、誰もあなたを責めることはないでしょう」
アイリス嬢の言葉は間違っていない。
私たちがサルマージュに向かっていることは父上たちですら知らず、今回はヴァレンタイン公爵領に遊びに行くことになっている。
だから、彼女の言う通りここで逃げても誰も私を責めることはないし、イスも不安定な状態でついてこられると邪魔だと言っていた。
(なら、無理について行く必要は……)
そんな考えが私の頭を過るが、それと同時に、揺るぎない覚悟と意思を持った瞳で私を見てくるアイリス嬢が気になった。
「アイリス嬢は怖くないのかい?死ぬことが……」
「全く怖くないと言えば嘘になります。私にも両親や兄姉がいますから。ですが、それよりも大切な人がいるのです。その人はとても危うくて儚げで、ふとした瞬間に消えてしまいそうな蜃気楼のような方です。何を考えているのかもわかりません。ですが、私はその人のために全てを捧げると決めました。その中にはもちろん、私自身の命も含まれています。あの方が死ねば、私はあの方がいないこの世界に絶望し、躊躇わずこの命を絶つでしょう」
「それは、なんとも……」
「歪だと思いますか?狂っていると?そうですね。一般的に考えれば、私のこの考えも思いも理解されるものではないでしょう。頭がおかしいと思われるかもしれません。ですが、それの何がいけないのですか?私……いえ、私たちは、ただ己の命よりも大切なものを見つけただけです。その大切なもののためなら、私たちは何度でも命を賭けて寄り添い、例え死のうともそばを離れることはありません」
アイリス嬢の言葉はどこまでも歪で間違っていると思うが、それと同時に、そこまで命をかけられるものがあるということを羨ましくも感じた。
(私はずっと一人だったから、何かに執着することも、ましてや命を賭けようなんて思ったこともなかった)
そして、彼女の言う私たちというのがアイリス嬢を含めた複数の少女たちのことであり、彼女たちが全てを捧げたあの方というのがイスであることは容易に想像することができた。
「本当は、他人のことを私が話すのは良くないのですが、今のシャルエナ殿下には必要な話だと思い話させていただきます」
「なにかな……」
「殿下は、シュヴィーナさんをどう思いますか?」
アイリス嬢が改まって尋ねてくるので、いったい何を聞かれるのかと思えば、今この場にはいないエルフの少女、シュヴィーナ嬢についてだった。
「どうって、元気で明るい子だと思うよ。よく食べるし、フィエラ嬢のことで苦労はしているようだけど、それでも楽しそうに見えるよ」
「そうですね。私の認識も殿下と同じでした。ですが、これは私も最近聞いた話なんですが、彼女が初めて殺した相手は、彼女の従兄だったそうです」
「え……」
知らなかった突然の話に、私は思わず驚いてしまい、何かの冗談だろうと思いながらアイリス嬢を見つめるが、残念ながら彼女は首を横に振った。
「嘘ではありません。今から半年と少し前、シュヴィーナさんはルイス様たちと一緒にエルフの国に行ったそうです。詳細は省きますが、そこで従兄の方がシュヴィーナさんの家族および自身の父親を毒殺しようとし、国を危機に陥れようとしました。その後、従兄の方は魔族によって魔物へと変化させられ、それをシュヴィーナさんが殺したそうです」
「そんなことが」
いつも明るく笑っており、たまにイスに揶揄われながらも元気だった彼女が、そんな経験をしていたなんて思いもしなかった。
「シュヴィーナさんも最初は、その方を殺すことを躊躇ったそうです。ですが、ルイス様によって命を助けられ、本当に大切なものが何かを知った彼女は、迷いを捨て、覚悟を決めて従兄を手にかけたと言っていました」
私と似た状況の中、シュヴィーナ嬢は自らの手で従兄を殺すことを選択し、私は殺せるかどうか、そして死ぬことへの恐怖で躊躇っている。
(この差はいったい……いや、アイリス嬢が言っていたじゃないか。彼女たちは大切なものを見つけたと。そのために命を賭けると。なら、その大切にとって害をなす者なら、例え身内でも躊躇わないということなのだろう)
何とも歪で正気を疑いたくなるような覚悟ではあるが、彼女たちはそれだけ彼のことを愛しているのだろう。
そして、彼自身も目的のためなら手段を選ばず、感情さえ捨てる非常さを持っていながら、私のことを気にかけ、こうして選択をする時間さえ与えてくれた。
「私も、そんな大切な存在を……自分の命を賭けて支えたいと思えるような存在を見つけられるだろうか」
「それは殿下次第だと思います。ですが、あなたはもう一人ではありません。私やミリア、それにフィエラさんたちもいます。もう一人で我慢することも、寂しさに怯えることもありません。辛いなら辛いと、寂しいなら寂しと言葉にしてください。私たちがお話を聞き、寄り添って差し上げます」
アイリス嬢はそう言って花が咲いたように可憐な笑顔を見せると、ずっと握ってくれていた手をそっと離した。
そして、彼女の話が終わる頃には私の死に対する恐怖心も和らいでおり、震えていた手も落ち着いていた。
「ありがとう」
「いいえ。ですが、最後に決めるのは殿下自身です。この先、中途半端な覚悟で進むことを選べば、殿下は死んでしまうかもしれません。なので、悔いのないように、そして満足の行く選択をしてください。先ほども言いましたが、ここで殿下が帰ることを選択したとしても、私たちはあなたを責めたりしませんから」
アイリス嬢はその言葉を最後に、部屋の隅でじっと話を聞いていたミリアに合図を送り、遮音魔法を解除させる。
「それではナルシェさん、ミーゼ。私たちもそろそろ休みましょう」
「はい」
そう言って二人はそれぞれベッドに横になると、よほど疲れていたのか、すぐに寝息を立てて眠りについた。
「覚悟……か」
私は自身に足りなかったものが何なのか、それをアイリス嬢との会話で自覚することができたような気がした。
「まだ答えは出ていないけど、最近の中で一番心が軽くなったような気がする」
このままイスたちについて行くのか、それとも帰って何事もなかったように生きて行くのか。
その答えはまだ決めることはできなかったが、それでも少しだけ心が軽くなったような気がした。
その後、私は最近の疲れもあったのかそのまま眠りにつくと、アイリス嬢たちに起こされるまで眠り続けるのであった。
暗くなった部屋の中。
私が一人で膝を抱えて蹲っていると、扉を開けてアイリス嬢とミリアが帰ってきた。
「おかえり……」
「ナルシェさん。ありがとうございます」
二人の様子を見るに、怪我をした様子も暗い表情もしていなかったことから、彼女たちが問題なく毒蛇の鉤爪とギルドの問題を解決してきたことが分かった。
「ルーナは?」
「ルーナさんはすでに部屋に戻られて休んでいると思いますよ。ナルシェさんの方は大丈夫でしたか?」
「うん。特に何もなかったよ。敵が攻めてくることもなかったし、一人でずっといたさ」
「そうでしたか。何事もなくてよかったです」
「リリィさん。ローブをお預かりします」
「ありがとう、ミーゼ」
アイリス嬢からローブを受け取ったミリアは慣れた手つきで畳んで片付けると、今度はアイリス嬢が水魔法で自分とミリアの体を綺麗にする。
「ふぅ。これでひと段落ですね」
「お疲れ様でした」
「ふふ。それはミーゼもですよ。一人で30人近く相手にしたと聞きました。私より疲れたでしょう」
「いえ。結局はその場から動くことなく片付けられましたから、とても楽でした。それに、ルーナさんの戦闘を見れたことで疲れも吹き飛びました」
「ミーゼもでしたか。私もあの圧倒的な雰囲気とかっこよさを見せられて、胸が高鳴り疲れなど忘れてしまいました」
二人はそれからしばらく、イスのどこがかっこよかったとか、纏う雰囲気に鳥肌が立って感動したとか、先ほどまで命を賭けて戦ってきた子たちの会話というよりは、ただ恋バナをしているようにしか見えない。
「二人は……随分と仲がいいんだね……」
「はい?」
「い、いや……その……」
それは、ほとんど無意識に出た言葉だった。
私自身、思ってもみなかった言葉に慌ててしまうが、そんな私を見たアイリス嬢とミリアも少し驚いた顔をしており、彼女たちは不思議そうな顔でお互いを見つめ合う。
「どうなんでしょうか。あまり意識したことはありませんでしたが」
「そうですね。ですが、言われてみれば確かに、以前よりも話しやすくなった感じはします」
「確かにそうかもしれませんね。やはり、同じ思いを胸に抱く者同士だからでしょうか」
「私がリリィさんと同じだなんて、恐れ多いです」
「ふふ。今さら隠そうとしなくてもいいですよ。確かにミーゼの口からあの方に対する気持ちを直接聞いたことはありませんが、見てれば分かります。あなたも私たちと同じだということを」
「申し訳ありません」
「気にしないでください。あの方の側にいれば、誰でも同じ感情を抱くはずです。ですが、誰でもいいというわけではありませんよ?あなただから私たちは受け入れているだけです。他に例外はありません」
「ありがとうございます」
また二人でよく分からない話を始めるアイリス嬢たちだが、二人の間には身分という壁が無いような感じ、一つの目的のために心が通じ合っているようにさえ思えた。
(羨ましいな……)
ずっと一人だと思って生活してきた私には、彼女たちのように心の内を語らずとも通じ合えるような友人はおらず、私が知っていることと言えば、一人で顔に出さないよう耐えることだけだった。
「……さん。ナル……さん。ナルシェさん!」
「……ん?」
そんな塞ぎ込んでいる私に気づいたのか、先ほどまでミリアと楽しそうに話していたアイリス嬢が、私の手に触れながら話しかけてくる。
「大丈夫ですか?」
「何がかな?」
「腕を強く握りしめているようでしたので。それに、顔色も優れないようですね。あまり眠れていないのでは?」
そう言って私を見つめるアイリス嬢の瞳には、心配という感情が込められており、彼女が今の私を心の底から心配してくれていることが伝わってくる。
だからなのか、心がいつも以上に弱り切っていた私は、らしく無く心の内を話してしまう。
「君たちが羨ましい……そうやって心置きなく話せる関係が、遠慮なく話すことのできる関係が羨ましいんだ。私は、ずっと一人だったから……」
「ナルシェさん……ミーゼ、お願いします」
「はい」
私の話を聞いたアイリス嬢がミリアの名前を呼ぶと、彼女が魔法を使用したのか部屋全体に魔力の流れを感じる。
「今この部屋に遮音魔法を掛けてもらいました。ナルシェ……いえ、シャルエナ殿下。話したいことがあるのなら、遠慮せず話してください」
そう言って私のことを見つめるアイリス嬢の瞳はどこまでも真っ直ぐで、どこか優しさを含ませたその瞳を前に、私はついに我慢することができなくなる。
「私は、ずっと一人だった。小さい頃から天才だと持て囃され、そのせいで兄たちには疎まれ、周りの貴族たちには男だったらと失望の目を向けられてきた。そんな私を気にかけてくれたのは叔父上だけだったが、その叔父上も結局は私を裏切って死んでしまった。そう、死んだと思ってたんだ。でも、本当は生きてて、しかも戦争を起こして帝国を滅ぼそうとすらしている。私はもうどうしたらいいのかわからない。怖いんだ。大好きだった叔父上を殺すことも、これ以上誰かと向き合うのも、そして裏切られて自分が一人だと自覚することも」
アイリス嬢は何も言わずに私の話を最後まで聞いてくれると、優しく手を握ってくる。
「ローグランド様のお話は、私も聞いております。そして、シャルエナ殿下が彼を殺すべきなのか、このままルイス様と一緒にサルマージュに行くべきなのか迷っていることもわかっています」
「そうか。君もあの場所にいたもんね。知っていて当然か」
「はい。なので私は、この件をルイス様に任せると決め、これまで私から何かを言うことはありませんでした。ですが、今の殿下は本当に辛そうで、誰かの助けが必要に見えたので私から話をさせていただきます。殿下は、どうされたいのですか?」
「どう……か。どうしたいんだろうね。それがわかっていれば、ここまで迷うこともなかっただろう」
「では、質問を変えます。殿下が悩んでいるのは、ついて行くべきかそうでないかですか?それとも、ローグランド様を殺せるかどうかですか?」
「それは……」
「前者であるのなら、それはどちらを選んでもあなたが死ぬことはないでしょう。帰れば死なないことは当たり前ですし、ついて行くのであれば、危険はあれど警戒といつもの判断力があれば、殿下が死ぬ可能性は低いと言えます。ですが、ローグランド様を殺せるかどうかで迷っているのであれば、いざという時、殿下は確実に死ぬ事になるでしょう」
「っ……」
死ぬ。
その言葉は他者に向けるだけでも重い言葉ではあるが、いざ自分に向けて言われると、その重みはさらに重く感じられ、想像しただけで体が震えてくる。
「わかりますか?今殿下は震えています。殿下が本当に悩んでいるのは、ついて行くかどうかでもなく、ローグランド様を殺せるかどうかでもありません。自分が死ぬかもしれないのにどうすれば良いのかわからず、潜在的に恐怖し、判断ができていないのです」
その通りだった。
確かに私は、大好きだった叔父上を殺せるのか、皇女としてどう動くべきなのかなど、色々と悩んでいたのも間違いではないが、結局のところ、私は死ぬかもしれないということが怖かった。
もし叔父上を前にして殺すことができなかったら、私は彼に殺されるかもしれない。
それを想像しただけで、私は死ぬことが怖くなり、いろんな理由を付けては悩んでいるフリをしていたのだ。
「殿下のその感情は間違っていません。誰しも死ぬことは怖いものです。だから人間は、長命のエルフに憧れ、不死を望むのですから」
「けど、私は……」
「殿下。今は立場や義務のことは忘れ、自分が今何を感じ、何に恐れを抱き、何がしたいのかを考えてください。大丈夫です。この旅は非公式のものですから、私たちがサルマージュに向かっていることも、ましてやローグランド様が生きていることも誰も知りません。今なら、感情のままにここで帰ったとしても、誰もあなたを責めることはないでしょう」
アイリス嬢の言葉は間違っていない。
私たちがサルマージュに向かっていることは父上たちですら知らず、今回はヴァレンタイン公爵領に遊びに行くことになっている。
だから、彼女の言う通りここで逃げても誰も私を責めることはないし、イスも不安定な状態でついてこられると邪魔だと言っていた。
(なら、無理について行く必要は……)
そんな考えが私の頭を過るが、それと同時に、揺るぎない覚悟と意思を持った瞳で私を見てくるアイリス嬢が気になった。
「アイリス嬢は怖くないのかい?死ぬことが……」
「全く怖くないと言えば嘘になります。私にも両親や兄姉がいますから。ですが、それよりも大切な人がいるのです。その人はとても危うくて儚げで、ふとした瞬間に消えてしまいそうな蜃気楼のような方です。何を考えているのかもわかりません。ですが、私はその人のために全てを捧げると決めました。その中にはもちろん、私自身の命も含まれています。あの方が死ねば、私はあの方がいないこの世界に絶望し、躊躇わずこの命を絶つでしょう」
「それは、なんとも……」
「歪だと思いますか?狂っていると?そうですね。一般的に考えれば、私のこの考えも思いも理解されるものではないでしょう。頭がおかしいと思われるかもしれません。ですが、それの何がいけないのですか?私……いえ、私たちは、ただ己の命よりも大切なものを見つけただけです。その大切なもののためなら、私たちは何度でも命を賭けて寄り添い、例え死のうともそばを離れることはありません」
アイリス嬢の言葉はどこまでも歪で間違っていると思うが、それと同時に、そこまで命をかけられるものがあるということを羨ましくも感じた。
(私はずっと一人だったから、何かに執着することも、ましてや命を賭けようなんて思ったこともなかった)
そして、彼女の言う私たちというのがアイリス嬢を含めた複数の少女たちのことであり、彼女たちが全てを捧げたあの方というのがイスであることは容易に想像することができた。
「本当は、他人のことを私が話すのは良くないのですが、今のシャルエナ殿下には必要な話だと思い話させていただきます」
「なにかな……」
「殿下は、シュヴィーナさんをどう思いますか?」
アイリス嬢が改まって尋ねてくるので、いったい何を聞かれるのかと思えば、今この場にはいないエルフの少女、シュヴィーナ嬢についてだった。
「どうって、元気で明るい子だと思うよ。よく食べるし、フィエラ嬢のことで苦労はしているようだけど、それでも楽しそうに見えるよ」
「そうですね。私の認識も殿下と同じでした。ですが、これは私も最近聞いた話なんですが、彼女が初めて殺した相手は、彼女の従兄だったそうです」
「え……」
知らなかった突然の話に、私は思わず驚いてしまい、何かの冗談だろうと思いながらアイリス嬢を見つめるが、残念ながら彼女は首を横に振った。
「嘘ではありません。今から半年と少し前、シュヴィーナさんはルイス様たちと一緒にエルフの国に行ったそうです。詳細は省きますが、そこで従兄の方がシュヴィーナさんの家族および自身の父親を毒殺しようとし、国を危機に陥れようとしました。その後、従兄の方は魔族によって魔物へと変化させられ、それをシュヴィーナさんが殺したそうです」
「そんなことが」
いつも明るく笑っており、たまにイスに揶揄われながらも元気だった彼女が、そんな経験をしていたなんて思いもしなかった。
「シュヴィーナさんも最初は、その方を殺すことを躊躇ったそうです。ですが、ルイス様によって命を助けられ、本当に大切なものが何かを知った彼女は、迷いを捨て、覚悟を決めて従兄を手にかけたと言っていました」
私と似た状況の中、シュヴィーナ嬢は自らの手で従兄を殺すことを選択し、私は殺せるかどうか、そして死ぬことへの恐怖で躊躇っている。
(この差はいったい……いや、アイリス嬢が言っていたじゃないか。彼女たちは大切なものを見つけたと。そのために命を賭けると。なら、その大切にとって害をなす者なら、例え身内でも躊躇わないということなのだろう)
何とも歪で正気を疑いたくなるような覚悟ではあるが、彼女たちはそれだけ彼のことを愛しているのだろう。
そして、彼自身も目的のためなら手段を選ばず、感情さえ捨てる非常さを持っていながら、私のことを気にかけ、こうして選択をする時間さえ与えてくれた。
「私も、そんな大切な存在を……自分の命を賭けて支えたいと思えるような存在を見つけられるだろうか」
「それは殿下次第だと思います。ですが、あなたはもう一人ではありません。私やミリア、それにフィエラさんたちもいます。もう一人で我慢することも、寂しさに怯えることもありません。辛いなら辛いと、寂しいなら寂しと言葉にしてください。私たちがお話を聞き、寄り添って差し上げます」
アイリス嬢はそう言って花が咲いたように可憐な笑顔を見せると、ずっと握ってくれていた手をそっと離した。
そして、彼女の話が終わる頃には私の死に対する恐怖心も和らいでおり、震えていた手も落ち着いていた。
「ありがとう」
「いいえ。ですが、最後に決めるのは殿下自身です。この先、中途半端な覚悟で進むことを選べば、殿下は死んでしまうかもしれません。なので、悔いのないように、そして満足の行く選択をしてください。先ほども言いましたが、ここで殿下が帰ることを選択したとしても、私たちはあなたを責めたりしませんから」
アイリス嬢はその言葉を最後に、部屋の隅でじっと話を聞いていたミリアに合図を送り、遮音魔法を解除させる。
「それではナルシェさん、ミーゼ。私たちもそろそろ休みましょう」
「はい」
そう言って二人はそれぞれベッドに横になると、よほど疲れていたのか、すぐに寝息を立てて眠りについた。
「覚悟……か」
私は自身に足りなかったものが何なのか、それをアイリス嬢との会話で自覚することができたような気がした。
「まだ答えは出ていないけど、最近の中で一番心が軽くなったような気がする」
このままイスたちについて行くのか、それとも帰って何事もなかったように生きて行くのか。
その答えはまだ決めることはできなかったが、それでも少しだけ心が軽くなったような気がした。
その後、私は最近の疲れもあったのかそのまま眠りにつくと、アイリス嬢たちに起こされるまで眠り続けるのであった。
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