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ピンクベージュ

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 爪に色を乗せるとき、彼のことを想い出す。

 *********************

「似合わないね、赤色」

 まだ高校生だった私は、当時大好きだった赤色を爪に塗って恋人と会っていた。私が派手な色のネイルをすると、彼は決まって否定した。

「えー、可愛いじゃん」
「千里はもっと、大人しい色の方がいいよ。ピンクベージュとか」
「でも地味じゃん」
「なんか派手な女って感じがする。千里はもっとおしとやかだよ」
「瑞樹はそういう女の子像を私に押し付けてるだけじゃん」

 私がむっとして言い返すと、瑞樹は笑っていた。

「たまには、俺の趣味にも合わせてよ」

 彼は同級生の中ではとても大人びていた。なんというか、怒ったりしないし、私が遅刻しても許してくれる。
 アルバイトで頑張って貯めたお金で、プレゼントを買ってくれたりもする。

「…………」
「怒った?」
「別に」 

 対照的に私はすごく子供っぽかった。
 すぐ怒るし、すねるし、泣く。
 遅刻だってするし、何かのせいにして謝らないことだってある。彼はそんな私を優しく許容してくれる、優しい人だった。

「ごめん。怒らないで?」

 彼がそう言うと、私と向かい合いかがんで目を真っすぐに見つめる。私はこの目が嫌いじゃなかった。
 誠実で、嘘がない、真っすぐなその目で見られるとなんだか許したくなってしまうのだ。

「じゃあ」
「ん?」
「瑞樹が私にネイルプレゼントしてくれたら、許してあげる」

 私はそう言ってむくれたまま顔をそっぽ向いた。

「わかったよ。可愛いの買ってくるから。もう怒ってない?」

 彼はそう言って私の手を握り、手を指で撫でる。

「……なら許す」
「よかった。千里に嫌われたら、俺生きていけないもん」

 彼はそう言って目を細め、優しく笑った。

「……馬鹿」

 彼を私が許すとき、決まってこの言葉を言う。
 先ほどまでの目と違って、この言葉が好きじゃなかった。
 彼がこの世を生きていけないなんて、想像もできない。

 学校でも成績優秀で有名な彼だから、進学はきっと難関大学。それも合格するに決まってる。
 いい会社に入って、順調に出世して。
 そんな未来は安易に想像ができるくらい、彼は高校生にしては出来すぎた人間だった。

「じゃあ、今度プレゼントするから、今日はこの間千里が行きたいって言ってたカフェに行こうよ」
「うん!」

 私はすっかりご機嫌になって、彼と手を繋いでカフェに向かった。

 *********************

「なんで!?」

 後日、放課後の教室で彼がプレゼントに買ってきてくれたネイルはブランドもののネイルだった。
 高校生が買うには少しためらわれるような代物だが、問題はそうじゃなくて。

「なんでこの色なの!?」

 彼が買ってきたのは小さなゴールドのリボンがモチーフとして付いているピンクベージュのネイルだった。

「可愛いでしょ?たまにはつけてみても……」
「私地味なのやだ!」
「たまにはいいじゃん」
「やだ!こんなの要らない!」

 彼のくれた可愛いネイルを置いて、私は教室を飛び出した。

「千里!」

 彼が後ろで呼んでいるのを振り切って、私は廊下を走って学校を出て行った。
 学校を出てある程度遠くまで来ると、私は走るのをやめて立ち止まった。泣きそうになりながら、唇を噛みしめる。

(私が怒ってんの全然わかってないじゃん!)

(私に嫌われたら生きていけないって言ってたくせに!)

 嘘つき。そんな単語が私の中によぎった。

(私に嫌われても平気だからあんなことができるんだ)

 段々怒りがヒートアップしてきたところ、スマホが鳴った。見ると、彼からの着信だった。

(知らない、今日はもう出てやんない)

 スマホの電源を切り、気分を落ち着けようと私は普段は行かないような道を通って帰ることにした。
 その通り道には雑貨屋があり、中に入ると私の大好きな赤色のネイルが置いてあった。
 むしゃくしゃしていた私の機嫌は一気に良くなり、その日はそのネイルを買って帰路に着いた。

 *********************

 次の日、学校に彼は来なかった。
 珍しく教室に来るのが遅いものだから、「昨日のことがショックで眠れなかったのかな」なんて馬鹿みたいなことをのんきに考えていた。
 担任の先生がいつもより遅れて入ってくる。先生は「宮本瑞樹くんが事故で亡くなった」という簡潔すぎる事実を淡々と告げた。

『千里!』

 彼の声が頭の中でリフレインする。途端に私の体が全身に冷や汗をかく。

(やだ……)

 私は、こんなときでも自分のことしか考えられない。 

(やだ、やだ。あんなのが最期なんてやだ)

 もう、彼には会えない。

 *********************

「この度は、ご愁傷様でした……」
「まだ若かったのに……」
「交通事故ですって」
「歩行者が見えづらいところを車が飛び出してきて……可哀そうにねぇ」

 告別式はあっという間に終わった。
 私は終始泣いていた。

 泣きじゃくるというより、ただずっと静かに泣いていた。蛇口が壊れたみたいに、涙が止まらなかった。

「千里ちゃん、ちょっといい?」
「おばさん……」

 私に声をかけてきたのは、瑞樹の母親だった。

「ごめんねぇ、息子、瑞樹が……こんなに早く逝くなんて、ほんと親不孝ものよね」

 辛そうな顔で無理して笑う瑞樹の母は、瑞樹を思い出させるほどよく似ていた。

(そうだ、彼がくれたプレゼントを拒否したとき、瑞樹もこんな顔をしてた)

 瑞樹の母は泣きそうになりながら、言葉を続ける。

「あのね、多分これ、千里ちゃんのだと思うの。事故に遭ったときに、近くにこれが落ちててね。良かったら受け取ってくれる?」

 そう言って渡されたのは、私があのとき置いていった可愛いピンクベージュのネイルの紙袋だった。

「おばさん、これ……」
「あんまり、千里ちゃんっぽくないわよねぇ……。でも、息子が渡す相手といったら、あなたしかいなくて」

 私の脳内で、彼の言葉が再び蘇る。

『千里に嫌われたら、俺生きていけないもん』 

「……っ、うわあああああん!」

 渡された紙袋ごと、ネイルを抱きしめて、私は叫ぶように泣いた。おばさんは一緒に泣きながら、私を温かく抱きしめてくれる。

(ごめんなさい、ごめんなさい)

 泣きながら、心の中でひたすらに謝る。

(私が、素直に受け取っていれば、彼にはまだ先があったのに)

 どんなに後悔しても、もう彼は戻ってこない。
 
 *********************

 耐えがたい苦しみと後悔を、彼はネイルと一緒に遺していった。私はというと、社会人になってもう十年経つ。
 
 十年の間に、彼が遺したネイルは廃番になってしまったのでネイルボトルだけドレッサーの上に置いている。

 今塗っているのは派手な赤ではなく、彼の好きだったあのピンクベージュだ。

(ねえ瑞樹、私、ずっと大好きよ)
(だから、私がいつかそっちに行ったら)

「今度はちゃんと叱ってね」


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