碧落に君は消えゆく

藤橋峰妙

文字の大きさ
上 下
5 / 10
第一章 根雪

01 吹雪

しおりを挟む
 1


 ――『エレネイアの亡霊の呪いだ』と、誰かが言った。
 
 それは水の国で囁かれる、とある一族の呪いの話。
 ある時、人々はその一族に対する恩を仇で返した。その所業に怒り狂った一族の怨念が苛烈な呪いとなって、この国に天の災害を起こしているのだという話である。

 そう、その噂の通り、狂った天気は一週間以上も続いている。黒に燻された灰色の空が、限りなく遥か遠くまで人々の頭上に被さっていた。

 吹き荒む風は白い簾となって、暗闇に包まれた不気味な森の木々を斜めに打ち付けている。それは、ちらちらと美しく翻る雪模様には程遠い。さながら一年の大半を分厚い氷に閉ざされたかの氷の国のごとく、自然の怒りを大いに買った果てに、大地が奥底から凍てついてしまったかのような狂い様であった。

 ひとたび外に出れば、呼吸さえも奪ってゆく風と雪。それは日を追うごと、殊更に激しさを増している。深緑色の景色を映していた視界はあっという間に閉ざされ、木々の間を縫った風だけが、びゅうびゅうと森の中を飛び交っていた。

 ここ数日の異常な天候に見舞われたのは、水の国の全土であった。

 ある場所では雷鳴が重なって轟き、河川を氾濫させるほどの大雨が降り続いた。また別の場所では地面に穴を開ける勢いで降りしきる雹に、日照り、竜巻などが街や村に襲いかかっているという。
 逼迫した知らせは各地からもたらされていたが、その中でも「ミエラル」という小さな村に吹き曝す風は、さながら氷の鞭のようであった。

 村は、王都があるファータノア領、その北の郊外に連なった大山脈の麓にある。
 声を大にして言えるほどの特徴もない長閑な村は、背後に馬の背のように滑らかな山々を仰ぐ。そしてその山はやがて、王領の北西にあるジュナド領とスザン領との境をなすテレジア山脈へと合わさっていくのだ。

 村の空気ははっとするほど新鮮で、村の外から人が訪れることも多かった。春には草木の青青とした香りと、白い花の色に包まれる。夏は真っ直ぐに落ちる太陽の光を浴び、秋には色づいた葉と稲の穂が揺らめき、冬は山脈から落ちてくる冷たくも優しい風と共に、多くとも踝のあたりまで雪が散る程度なのだ。

 今は雪解けが終わり、花が咲き揃う舞月まいづきの中頃である。
 一週間ほど前まで春盛りの緑美しい景色を映していたというのに、一転して、吹雪は止まないどころかさらに猛威を奮っていた。
 もとよりこの地一番の寒さがやって来る冬の沙琉衣月の話であったとしても、凄まじい地鳴りのような吹雪が村を襲ったことは、過去を遡ろうと記録にすら残っていないだろう。


◇◆◇◆◇


 村を通る一本の道。吹雪に抗いながら、その道を小さな影が動いていた。
 手にはぶかぶかの手袋を填め、小さなランタンを握りしめて、細道にてんてんと灯る暖かな光には目もくれずに、その足は村の背後に広がる黒い森へと向かう。
 ランタンが左右に揺れるたび、中の灯光石が暗闇の中に仄かな橙色の明かりを発して、白い雪に跳ね返った光は、その足元と少年の真っ赤な頬を殊更に色付けていた。

 暖を取るため何枚も着重ねていた古着は少年の体型よりも大きいものであったし、糸のほつれた粗い目の首巻は雪の上に引きずられている。一番外側に羽織っている厚手の外套も糸が崩れて、何度も直しを入れた跡が残されていた。重たい足取りで風に立ち向かうその姿は、吹雪の中ではあまりにも小さい。

 村人たちは誰一人として、少年を家の中へと引き入れようとはしなかった。けれどもそれは少年にとって、大した問題でもない。村人たちは少年を避けていたし、それを分かっている少年もまた、村人たちへの期待をすでに抱いていなかったからだ。

 両者の間に空いた溝はもはや埋まらないだろう。何故溝が生れたのか、はっきりとした理由は分からない。まるでこの吹雪のように、日を追う事に酷く、そして取り返しのつかないものになって、もう幾年と経っていた。彼らの間にあるものは必要最低限の関わりのみで、それ以上も、それ以下も、何ものも存在しなかった。

 少年は村に立ち並ぶ家々の横を、慌てた様子で通り抜けていく。
 やがてその先には、森の入り口を示す看板の一部が現れた。大昔に建てられた看板は、今にも折れてしまいそうな立ち姿で雪の中に杭を埋めている。
 
「うん。もう少しだ」
 
 少年は白い息を大きく吐き出すと、薬の入った小包を抱え直した。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

処理中です...