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番外編
ローザの逃避②
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「先日の演奏会、素晴らしかった」
「来てくださったのですか?」
「もちろん。よければ今度城に来た時にもう一度聴かせてくれないか?」
「喜んで」
婚約者である王子にローザは恋をしていた。
政略的なものだと理解していたが、スチュワートを知る度に惹かれていったのである。国のために努力する彼の隣に立つに相応しい女性になりたくて、ローザは苦手だったバイオリンも今では家庭教師に褒められるほどにまで上達した。勉学だって手を抜かず、誰もが認める淑女になる度に自分を磨き続けた。
学園入学を三年後に控えた頃、再びリガロに変化が起きた。
もう何年も曇り続けていた瞳に光が宿ったのである。だが相変わらず会話にはほとんど参加をせず、終始つまらなさそうに過ごしていたので気付く者は少なかったと思う。だが帰りの馬車で王子が「良いことがあったんだろうな」と嬉しそうに溢すほどには、大きな変化でもあった。それから彼は少しずつ変わっていった。一ヶ月後には婚約者の名前を出すようになり、再び笑うようになった。イーディスと馬に乗ってどこかに出かけているらしいと噂を耳にした時、ローザは彼が変わったのは彼女のおかげだと直感した。それ以来、リガロの口からイーディスの話を聞くのが楽しくなった。
だからだろう。
ローザは学園で闇に飲まれそうになった時、真っ先に『イーディス=フランシカ』の名前が頭に過った。光の聖女と共に過ごす王子と話し合うでもなく、夜会で数回言葉を交わすくらいの関係の彼女に助けてくれと縋ろうとしたのだ。
だがローザの周りにはいつも多くの令嬢がいて、イーディスの近くには必ずアリッサム家の令嬢とその婚約者のギルバート家の令息の姿があった。いつも心から楽しげに笑う彼女達の間に割って入れば、澄んだ空気を汚してしまいそうで、一人、誰にも見られない場所で震える日々だった。
そんなローザに転機が訪れた。
例の二人が学園を休んだのである。おそらくアリッサム家の令嬢が体調を崩したのだろう。彼女は身体が弱く、お茶会にもほとんど参加したことがないらしいから。これはきっと神様が与えてくれたチャンスだと、これを逃せばきっと自分は闇に飲まれてしまうと、強く地面を蹴った。
行き先は茂みの中。
どうしても怖くなった時はここに隠れることにしている。まさか公爵家の令嬢が茂みの中に隠れるなんて誰も思いつかないだろう。父に知られれば確実に失望される。分かっていても、ここが一番落ち着くのだ。膝を抱えてしゃがみ込み『どうかイーディス様が現れてくれますように』と強く祈った。そんな祈りが届いたのだろう。ローザが茂みに入ってから四半刻とせずに彼女はローザの前に現れた。そして怪しさしかないローザの誘いに乗ってくれたのである。
ヘカトール屋敷に足を運んでくれたイーディスは、ローザの愚痴を聞いても失望せずに励ましてくれた。それだけではない。彼女はローザのワガママな願いさえも受け入れてくれたのである。
フランシカ家の馬車を見送った後もしばらく玄関先で立っていると、書斎で仕事をしているはずの父がわざわざ玄関までやってきた。普段ならローザの友人が来てもわざわざ出てくることはない。食事の席で話をする程度である。なのに父はやってきた。それも馬車が去った道を目を丸くして眺めている。そして口元をヒクつかせながら、喉から絞り出すように声を漏らした。
「フランシカ家の令嬢が来ていたのか?」
「はい。イーディス様ですわ」
「あの家の娘と、友人になったのか?」
父は貴族らしい人で、感情を表に出すことはほとんどない。ローザが失敗しても淡々と筋を説明して、正すようにと諭してくれる。そんな父が玄関先でこんな質問を重ねるなんて、よほど気に触れるようなことをしたのだろう。今後は付き合うなと言われるかもしれない。否定すべきだと頭で理解しつつも、折角掴んだ奇跡を逃すことなんて出来なかった。落とさぬように右手でぎゅっと握って、父に意思を伝える。
「まだそこまでは。ですが私は彼女の友人になりたいと思っております」
こんなこと生まれて初めてで、声は少し震えてしまった。だが父から返ってきたのは怒りの言葉でも、説得でもなく、「そうか」となんとも取れない言葉だった。ただそれ以上、否定の言葉が続けられることはなく、父は何かを考え込むようにその場を去って行った。それからの父は学園について聞いてくることが増えた。直接『イーディス』や『フランシカ』の名前を挙げることはなかったが、なんとなく彼女について知りたがっていることは分かってしまった。あの日父が溢した言葉といい、父はフランシカ家と何か関連があるのだろうか。だがそれならば直接フランシカ男爵と交流を持つはずである。ローザに聞いてもいい。こんなわざわざ娘達の関係を探るような真似をする必要などない。何より、父が話を振ってくる日がローザが図書館に行った日と被ることが多いのが気になった。
ーーそしてその理由が明らかになったのは、イーディスが消えた日。
「来てくださったのですか?」
「もちろん。よければ今度城に来た時にもう一度聴かせてくれないか?」
「喜んで」
婚約者である王子にローザは恋をしていた。
政略的なものだと理解していたが、スチュワートを知る度に惹かれていったのである。国のために努力する彼の隣に立つに相応しい女性になりたくて、ローザは苦手だったバイオリンも今では家庭教師に褒められるほどにまで上達した。勉学だって手を抜かず、誰もが認める淑女になる度に自分を磨き続けた。
学園入学を三年後に控えた頃、再びリガロに変化が起きた。
もう何年も曇り続けていた瞳に光が宿ったのである。だが相変わらず会話にはほとんど参加をせず、終始つまらなさそうに過ごしていたので気付く者は少なかったと思う。だが帰りの馬車で王子が「良いことがあったんだろうな」と嬉しそうに溢すほどには、大きな変化でもあった。それから彼は少しずつ変わっていった。一ヶ月後には婚約者の名前を出すようになり、再び笑うようになった。イーディスと馬に乗ってどこかに出かけているらしいと噂を耳にした時、ローザは彼が変わったのは彼女のおかげだと直感した。それ以来、リガロの口からイーディスの話を聞くのが楽しくなった。
だからだろう。
ローザは学園で闇に飲まれそうになった時、真っ先に『イーディス=フランシカ』の名前が頭に過った。光の聖女と共に過ごす王子と話し合うでもなく、夜会で数回言葉を交わすくらいの関係の彼女に助けてくれと縋ろうとしたのだ。
だがローザの周りにはいつも多くの令嬢がいて、イーディスの近くには必ずアリッサム家の令嬢とその婚約者のギルバート家の令息の姿があった。いつも心から楽しげに笑う彼女達の間に割って入れば、澄んだ空気を汚してしまいそうで、一人、誰にも見られない場所で震える日々だった。
そんなローザに転機が訪れた。
例の二人が学園を休んだのである。おそらくアリッサム家の令嬢が体調を崩したのだろう。彼女は身体が弱く、お茶会にもほとんど参加したことがないらしいから。これはきっと神様が与えてくれたチャンスだと、これを逃せばきっと自分は闇に飲まれてしまうと、強く地面を蹴った。
行き先は茂みの中。
どうしても怖くなった時はここに隠れることにしている。まさか公爵家の令嬢が茂みの中に隠れるなんて誰も思いつかないだろう。父に知られれば確実に失望される。分かっていても、ここが一番落ち着くのだ。膝を抱えてしゃがみ込み『どうかイーディス様が現れてくれますように』と強く祈った。そんな祈りが届いたのだろう。ローザが茂みに入ってから四半刻とせずに彼女はローザの前に現れた。そして怪しさしかないローザの誘いに乗ってくれたのである。
ヘカトール屋敷に足を運んでくれたイーディスは、ローザの愚痴を聞いても失望せずに励ましてくれた。それだけではない。彼女はローザのワガママな願いさえも受け入れてくれたのである。
フランシカ家の馬車を見送った後もしばらく玄関先で立っていると、書斎で仕事をしているはずの父がわざわざ玄関までやってきた。普段ならローザの友人が来てもわざわざ出てくることはない。食事の席で話をする程度である。なのに父はやってきた。それも馬車が去った道を目を丸くして眺めている。そして口元をヒクつかせながら、喉から絞り出すように声を漏らした。
「フランシカ家の令嬢が来ていたのか?」
「はい。イーディス様ですわ」
「あの家の娘と、友人になったのか?」
父は貴族らしい人で、感情を表に出すことはほとんどない。ローザが失敗しても淡々と筋を説明して、正すようにと諭してくれる。そんな父が玄関先でこんな質問を重ねるなんて、よほど気に触れるようなことをしたのだろう。今後は付き合うなと言われるかもしれない。否定すべきだと頭で理解しつつも、折角掴んだ奇跡を逃すことなんて出来なかった。落とさぬように右手でぎゅっと握って、父に意思を伝える。
「まだそこまでは。ですが私は彼女の友人になりたいと思っております」
こんなこと生まれて初めてで、声は少し震えてしまった。だが父から返ってきたのは怒りの言葉でも、説得でもなく、「そうか」となんとも取れない言葉だった。ただそれ以上、否定の言葉が続けられることはなく、父は何かを考え込むようにその場を去って行った。それからの父は学園について聞いてくることが増えた。直接『イーディス』や『フランシカ』の名前を挙げることはなかったが、なんとなく彼女について知りたがっていることは分かってしまった。あの日父が溢した言葉といい、父はフランシカ家と何か関連があるのだろうか。だがそれならば直接フランシカ男爵と交流を持つはずである。ローザに聞いてもいい。こんなわざわざ娘達の関係を探るような真似をする必要などない。何より、父が話を振ってくる日がローザが図書館に行った日と被ることが多いのが気になった。
ーーそしてその理由が明らかになったのは、イーディスが消えた日。
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