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七章
3.領主兼聖母として
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「ところでこの指輪が集められる魔の限度ってどれくらいですか?」
「限度は存在しない。ただ大量に送られると俺が胃もたれのような状態になるだけだ」
「それは……辛いですね」
「辛いがその程度だ。人間のように精神異常が起こるわけでもない。しばらくすれば治る。だから大量の魔を吸わせなければならない状態になったら迷わず指輪に吸わせればいい。そして後日、お詫びに美味いデザートでも持って来ればいい。出来れば肉に合いそうなものを」
「魔王さん……ありがとうございます」
胃もたれした状態でも肉を食べる気満々なところが何とも言えないが、それも彼なりの気遣いなのだろう。その時はよろしくお願いしますと頭を下げて、魔界を後にする。
地上に戻ってすぐに向かったのはアンクレットの仕事部屋。彼は今日も今日とて大量の書類に囲まれながら、突然やってきたイーディスのために手を止めてくれる。そんな彼に甘え、すぐに話を切り出した。
「アンクレットさん、直近の私の仕事って何かありますか?」
「直近では特にないな。なんだ、何かやりたいことでも出来たか?」
「なんで分かるんですか!?」
「分かったというか、そう仕向けたからな」
「へ?」
目を丸く見開いたイーディスはここ最近の出来事を振り返る。けれど心当たりは一つもない。魔界に行くことで何か手がかりを掴んでくると思っていたのだろうか。だとすればイーディスはアンクレットが期待していたことをこなせていないことになる。想像していたことと全く違うことを言い出して彼を混乱させてしまわないだろうか。もう少し日にちを置いた方が……。ぐるぐると思考を巡らせているとアンクレットは楽しそうに笑った。
「イーディスって暇になると何かしようとするだろう? だから全員で仕事を奪ってみた。いやあこんなに早く成果が出るとは思わなかった」
「私がただただぐーたらして過ごしてたらどうするんですか?」
「その時は空いた時間で海に行くつもりだった。連れて行ってやるっていったのにずっと叶えられていないからな。今度の誕生日プレゼントはその時着ていくための服を贈ろうと思ってデザインも考えてたんだぞ?」
「ただでさえアンクレットさん忙しいのに……」
「仕事と趣味は別だ」
彼は真顔でそう告げると、引き出しの中からスケッチブックを取り出した。スススと机の上にスライドされたそれを受け取り、パラパラと中を捲るとそこには何着もの女性服が並んでいた。この一冊全てテーマが海である。スケッチブック同様に置かれた付箋は、気に入ったデザインのページにペタペタと貼っていく。
「お、これ選んだのか。意外だな」
「ふんわり系もいいかなって」
「じゃあこのデザインで作っておくな」
アンクレットはスケッチブックを満足そうに受け取る。そしてパタンと閉じてから、イーディスに視線を戻した。
「それで、何がしたいんだ?」
真っ直ぐとイーディスと向き合うその瞳に安心感を抱いた。彼なら受け入れてくれる。そう、改めて感じたのだ。小さく息を吸い込んで、領主になったと告げた日と同じように微笑みを浮かべながら宣言した。
「魔の多い地域を回ろうと思います」
「視察か。いいと思うぞ」
「視察というか、領主兼聖母として顔を売ろうかなって」
「ん? 聖母?」
「以前、オウルさんが私を聖母と呼んでいたと報告があったでしょう? なんでかなって気になって、さきほど魔王さん達に聞きに行ったんですが……彼は魔道書に付与されている聖母の力を感じ取っていたようなのです」
「どういうことだ?」
「魔道書の力を私の力であると勘違いしていたようで。なのでそれを利用してみようかなと」
そう切り出すと、イーディスはアンクレットに自分の考えを伝えた。彼はそんなことが出来るのか? と半信半疑だった。提示出来るデータがある訳ではない。そもそも聖母も魔も魔法道具もデータで説明出来るようなものではない。たった一つの事象でひっくり返るかもしれない。実際、イーディスの所有する魔道書だってイレギュラー、過去のデータのどれとも合致しない。データに囚われていてはこれ以上先に進めないことをアンクレットも理解しているのだろう。
すでに数十年前、慈愛の聖女を消す計画は失敗している。失敗したから、多くの者達が犠牲となった。だがその時に『剣聖』という新たな象徴を作り出すことに成功している。剣聖とは魔物に打ち勝ったのだという事実とその強さを支柱に据え、何年もかけて広くその存在を知らしめることで確立した地位だ。だがイーディスが作ろうとしている新たな象徴は聖母の力と勘違いを利用して、魔を多く孕む人達から魔を集めるというもの。現在研究・開発段階の退魔核はこれの補助に使うつもりだ。イーディスの計画が失敗しても、退魔核は残る。悪くない提案だと伝えれば、アンクレットはうーんと唸り始めた。頭を掻きむしり、天を仰ぐ。そして今にも消えそうな声でイーディスに問いかけた。
「イーディスは聖母が最後にどうなったか知ってるんだよな?」
質問というよりも意思確認か。聖母の二の舞になるなとの警告かもしれない。知っていてもなお、聖母を名乗るのか、と。彼が悩んでいるのはイーディスの身を案じてのことか。
「知ってますよ。それでも私の決意は変わらない」
決心なんてもうとっくに出来ている。領主になると決めた日から何も変わらない。しいて言えば、聖母の力を今まで以上に活用させてもらうだけだ。利用してばかりで申し訳ないが、きっと聖母も許してくれるだろう。
「そうか……なら、デザイン変えなくちゃならねえな。あいつらにもデザイン描き直すように言わないとな」
「え?」
「顔売るんだろ? ならそれらしい服装じゃなきゃな」
アンクレットはそう告げると、胸元から取り出したスイッチを押した。するとビーっとけたたましい音を響く。とっさに両手で耳を覆ったが、それでも十分うるさい。彼が平然としているのが不思議なくらい。しばらく鳴り続けた。そして四半刻と立たずに、友人達が部屋に集まってきた。どうやらこのブザーは彼らを呼ぶためのものであったらしい。やってきた彼らにも領主兼聖母として活動したいとの旨を告げれば、彼らは一も二もなく手伝うと言ってくれた。
ーーまでは良かったのだが。
「それで、行き先はどこですの? オススメはやっぱりギルバート領ですわ!」
「同行者も決めないとな」
「服のデザインどうする? 初めのうちは交代制だと縫製が間に合わないだろ」
「続けて何カ所か回ることになるだろうし、何着か完成してから出発するのでいいんじゃないか?」
行き先に同行者、服やアクセサリーに至るまで。イーディスがまだちゃんと決めていないと分かるや否や会議が始まった。そして服のデザインコンペが始まり、アクセサリー提案が始まり。当のイーディスは半ば置き去りとなる形であっという間に数刻が経過していた。
「限度は存在しない。ただ大量に送られると俺が胃もたれのような状態になるだけだ」
「それは……辛いですね」
「辛いがその程度だ。人間のように精神異常が起こるわけでもない。しばらくすれば治る。だから大量の魔を吸わせなければならない状態になったら迷わず指輪に吸わせればいい。そして後日、お詫びに美味いデザートでも持って来ればいい。出来れば肉に合いそうなものを」
「魔王さん……ありがとうございます」
胃もたれした状態でも肉を食べる気満々なところが何とも言えないが、それも彼なりの気遣いなのだろう。その時はよろしくお願いしますと頭を下げて、魔界を後にする。
地上に戻ってすぐに向かったのはアンクレットの仕事部屋。彼は今日も今日とて大量の書類に囲まれながら、突然やってきたイーディスのために手を止めてくれる。そんな彼に甘え、すぐに話を切り出した。
「アンクレットさん、直近の私の仕事って何かありますか?」
「直近では特にないな。なんだ、何かやりたいことでも出来たか?」
「なんで分かるんですか!?」
「分かったというか、そう仕向けたからな」
「へ?」
目を丸く見開いたイーディスはここ最近の出来事を振り返る。けれど心当たりは一つもない。魔界に行くことで何か手がかりを掴んでくると思っていたのだろうか。だとすればイーディスはアンクレットが期待していたことをこなせていないことになる。想像していたことと全く違うことを言い出して彼を混乱させてしまわないだろうか。もう少し日にちを置いた方が……。ぐるぐると思考を巡らせているとアンクレットは楽しそうに笑った。
「イーディスって暇になると何かしようとするだろう? だから全員で仕事を奪ってみた。いやあこんなに早く成果が出るとは思わなかった」
「私がただただぐーたらして過ごしてたらどうするんですか?」
「その時は空いた時間で海に行くつもりだった。連れて行ってやるっていったのにずっと叶えられていないからな。今度の誕生日プレゼントはその時着ていくための服を贈ろうと思ってデザインも考えてたんだぞ?」
「ただでさえアンクレットさん忙しいのに……」
「仕事と趣味は別だ」
彼は真顔でそう告げると、引き出しの中からスケッチブックを取り出した。スススと机の上にスライドされたそれを受け取り、パラパラと中を捲るとそこには何着もの女性服が並んでいた。この一冊全てテーマが海である。スケッチブック同様に置かれた付箋は、気に入ったデザインのページにペタペタと貼っていく。
「お、これ選んだのか。意外だな」
「ふんわり系もいいかなって」
「じゃあこのデザインで作っておくな」
アンクレットはスケッチブックを満足そうに受け取る。そしてパタンと閉じてから、イーディスに視線を戻した。
「それで、何がしたいんだ?」
真っ直ぐとイーディスと向き合うその瞳に安心感を抱いた。彼なら受け入れてくれる。そう、改めて感じたのだ。小さく息を吸い込んで、領主になったと告げた日と同じように微笑みを浮かべながら宣言した。
「魔の多い地域を回ろうと思います」
「視察か。いいと思うぞ」
「視察というか、領主兼聖母として顔を売ろうかなって」
「ん? 聖母?」
「以前、オウルさんが私を聖母と呼んでいたと報告があったでしょう? なんでかなって気になって、さきほど魔王さん達に聞きに行ったんですが……彼は魔道書に付与されている聖母の力を感じ取っていたようなのです」
「どういうことだ?」
「魔道書の力を私の力であると勘違いしていたようで。なのでそれを利用してみようかなと」
そう切り出すと、イーディスはアンクレットに自分の考えを伝えた。彼はそんなことが出来るのか? と半信半疑だった。提示出来るデータがある訳ではない。そもそも聖母も魔も魔法道具もデータで説明出来るようなものではない。たった一つの事象でひっくり返るかもしれない。実際、イーディスの所有する魔道書だってイレギュラー、過去のデータのどれとも合致しない。データに囚われていてはこれ以上先に進めないことをアンクレットも理解しているのだろう。
すでに数十年前、慈愛の聖女を消す計画は失敗している。失敗したから、多くの者達が犠牲となった。だがその時に『剣聖』という新たな象徴を作り出すことに成功している。剣聖とは魔物に打ち勝ったのだという事実とその強さを支柱に据え、何年もかけて広くその存在を知らしめることで確立した地位だ。だがイーディスが作ろうとしている新たな象徴は聖母の力と勘違いを利用して、魔を多く孕む人達から魔を集めるというもの。現在研究・開発段階の退魔核はこれの補助に使うつもりだ。イーディスの計画が失敗しても、退魔核は残る。悪くない提案だと伝えれば、アンクレットはうーんと唸り始めた。頭を掻きむしり、天を仰ぐ。そして今にも消えそうな声でイーディスに問いかけた。
「イーディスは聖母が最後にどうなったか知ってるんだよな?」
質問というよりも意思確認か。聖母の二の舞になるなとの警告かもしれない。知っていてもなお、聖母を名乗るのか、と。彼が悩んでいるのはイーディスの身を案じてのことか。
「知ってますよ。それでも私の決意は変わらない」
決心なんてもうとっくに出来ている。領主になると決めた日から何も変わらない。しいて言えば、聖母の力を今まで以上に活用させてもらうだけだ。利用してばかりで申し訳ないが、きっと聖母も許してくれるだろう。
「そうか……なら、デザイン変えなくちゃならねえな。あいつらにもデザイン描き直すように言わないとな」
「え?」
「顔売るんだろ? ならそれらしい服装じゃなきゃな」
アンクレットはそう告げると、胸元から取り出したスイッチを押した。するとビーっとけたたましい音を響く。とっさに両手で耳を覆ったが、それでも十分うるさい。彼が平然としているのが不思議なくらい。しばらく鳴り続けた。そして四半刻と立たずに、友人達が部屋に集まってきた。どうやらこのブザーは彼らを呼ぶためのものであったらしい。やってきた彼らにも領主兼聖母として活動したいとの旨を告げれば、彼らは一も二もなく手伝うと言ってくれた。
ーーまでは良かったのだが。
「それで、行き先はどこですの? オススメはやっぱりギルバート領ですわ!」
「同行者も決めないとな」
「服のデザインどうする? 初めのうちは交代制だと縫製が間に合わないだろ」
「続けて何カ所か回ることになるだろうし、何着か完成してから出発するのでいいんじゃないか?」
行き先に同行者、服やアクセサリーに至るまで。イーディスがまだちゃんと決めていないと分かるや否や会議が始まった。そして服のデザインコンペが始まり、アクセサリー提案が始まり。当のイーディスは半ば置き去りとなる形であっという間に数刻が経過していた。
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