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六章
32.バラの棘は鋭くも美しい
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「バッカス様、これはどういうことですか!」
手紙を送ってから五日。カルドレッドに来て早々、ローザはバッカスにしわくちゃの手紙を突きつけた。彼女が怒っているのは、イーディスの領主就任が気に入らなかったからだろう。一昨日もマリアが怒鳴り込んできた。その時の怒りの矛先もやはりバッカスだった。二度目のことだけあって彼はどうどうと宥めにかかるが、火に油を注ぐだけ。むしろマリアの時のように押さえてくれる仲間がいない。ローザはバッカスの胸元を鷲掴みにすると前後に思い切り振る。
「なぜ平静にしているんですか! 遺跡を破壊してでも取り消しなさい!」
「ローザ嬢、無理を言うな」
「無理なことがありますか! あなたがやらないなら私がやります。カルドレッドにだって私が残る! あなたはシンドレアにでも戻って王子達と仲良くやっているといいわ!」
ローザはバッカスをギロリと睨み付けると彼のすねを思い切り蹴り飛ばした。ああ、痛そう……。事前にバッカスから『イーディスは加勢してくれるなよ』と言われているため、すねを押さえてうずくまる彼に駆け寄ることすら出来ない。それどころか中で待っていたマリアはイーディスの腕を引く。
「イーディス様。役立たずのバッカス様なんて見ていないで私とお茶しましょう?」
「いや、でも……」
「ずっと働きっぱなしでしたでしょう? 休みませんと」
アレは放っておきましょうと中に導こうとする。役立たずに続きアレとは……。マリアの中でのバッカスへの好感度はこの数日でだだ下がりである。後ろで控えているキースももう助け船すら出そうとしない。するとローザは今度はマリアに標的を定め、怒鳴りつける。
「マリア様もマリア様です! あなたはなぜ平然としていらっしゃるのですか。領主になればイーディス様はもう……」
いや、マリアに向けた言葉は嘆きに近い。これが悪夢なら良かったのに……と言葉と共に涙を溢す。イーディスは、出来事を否定するかのように左右に首を振るローザに手を伸ばそうとする。けれどその手は届くことなくキースに止められた。彼は小さく首を振り、そして視線でマリアを指す。彼女に任せろとでも言いたいのだろう。マリアは両手で顔を覆い隠そうとするローザの腕を引っ張り、ズイッと顔を寄せた。
「イーディス様が領主になることをお望みになったのです」
「イーディス、様が?」
「イーディス様は自ら領主になり、魔を吸収するための魔法道具を作るとおっしゃられました。そしてそのための力を貸して欲しいと。イーディス様直々に頼まれたら親友として手を貸さない訳にはいきません! それにカルドレッドは大陸の要といっても過言ではない。そこに我らがイーディス様が君臨するのです」
そこまで大層なものではないのだが、手伝って欲しいと頼み込んでからマリアはずっとこの調子だ。かつて神の使いと呼ばれた聖母もイーディス様の足下にも及びませんと惚けた表情をしたかと思えば、今度は神に感謝の祈りを捧げていた。けれどローザはマリアほどすんなりと納得してはくれない。
「それが危険だと言っているのです! イーディス様は平穏に過ごされるべきなのです。もう辛い思いなんてさせたくない……」
「それは傲慢というものです」
「どういうことですか?」
「イーディス様の人生はイーディス様がお決めになります。私達に決定権はありません」
「っ!」
「ですが友として危険が及ばないようにお守りすることは出来ます。私はイーディス様に救われたこの身を今度こそ彼女に捧げると決めました。ローザ様はどうされますの?」
「私だってイーディス様と出会わなければとうの昔に朽ちていた身です! この命、捧げる覚悟は出来ておりますわ。その覚悟を示すためならこの役立たずを離婚届と共にシンドレアに突き返して見せましょう!」
イーディスとしてはそこまで恩を感じてもらうようなことをした覚えはない。ただマリアと楽しく過ごし、ローザという新たな友人にはしゃいでいただけだ。あの時間だってただただ楽しんでいただけ。けれどマリアもローザも生きる世界が違えば、十年以上前にこの世を去っている。おそらくそれが彼女達にとっての最悪で、その世界で起こったことこそ彼女達の悪夢なのだろう。自分のいない世界にうなされる者同士、他の者には分からない特別な繋がりのようなものがあるのだろう。イーディスは蚊帳の外から二人を見守りながら、すねを押さえてこちらに向かってくるバッカスに手を貸す。
「それにしても二人ともバッカス様への風当たり強すぎませんか」
「いいんだ。勝手にへこんで一年も引きこもっていた俺が全面的に悪い」
そう返したバッカスに、ローザは鋭い視線を向ける。
「でしたら今すぐシンドレアに戻ります?」
けれどバッカスとて負けてはいない。ローザを真っ直ぐと見つめ「戻らない」ときっぱりと言い切った。自分のしでかしたことを謝りこそすれ、この場所を退くつもりはないのだ。彼の意思の篭もった瞳にローザはふんと鼻を鳴らす。
「もしここで責任を取って戻るとでも抜かしたら、すね以外も蹴飛ばしてやろうと思いましたのに」
「悪いな。だが俺はここでイーディスの手となり足となると決めたんだ。ローザ嬢にはリガロ様の魔量変化のデータを送って欲しい」
「リガロ様の? 今までのようにシンドレア全体ではなく?」
「シンドレア全体のデータも欲しいのですが、リガロ様個人のものも取って欲しい。これからの研究に必要なんだ」
「話を聞かせてもらえますか?」
バッカスへの敵意を失くしたローザは研究者の目に変わった。
手紙を送ってから五日。カルドレッドに来て早々、ローザはバッカスにしわくちゃの手紙を突きつけた。彼女が怒っているのは、イーディスの領主就任が気に入らなかったからだろう。一昨日もマリアが怒鳴り込んできた。その時の怒りの矛先もやはりバッカスだった。二度目のことだけあって彼はどうどうと宥めにかかるが、火に油を注ぐだけ。むしろマリアの時のように押さえてくれる仲間がいない。ローザはバッカスの胸元を鷲掴みにすると前後に思い切り振る。
「なぜ平静にしているんですか! 遺跡を破壊してでも取り消しなさい!」
「ローザ嬢、無理を言うな」
「無理なことがありますか! あなたがやらないなら私がやります。カルドレッドにだって私が残る! あなたはシンドレアにでも戻って王子達と仲良くやっているといいわ!」
ローザはバッカスをギロリと睨み付けると彼のすねを思い切り蹴り飛ばした。ああ、痛そう……。事前にバッカスから『イーディスは加勢してくれるなよ』と言われているため、すねを押さえてうずくまる彼に駆け寄ることすら出来ない。それどころか中で待っていたマリアはイーディスの腕を引く。
「イーディス様。役立たずのバッカス様なんて見ていないで私とお茶しましょう?」
「いや、でも……」
「ずっと働きっぱなしでしたでしょう? 休みませんと」
アレは放っておきましょうと中に導こうとする。役立たずに続きアレとは……。マリアの中でのバッカスへの好感度はこの数日でだだ下がりである。後ろで控えているキースももう助け船すら出そうとしない。するとローザは今度はマリアに標的を定め、怒鳴りつける。
「マリア様もマリア様です! あなたはなぜ平然としていらっしゃるのですか。領主になればイーディス様はもう……」
いや、マリアに向けた言葉は嘆きに近い。これが悪夢なら良かったのに……と言葉と共に涙を溢す。イーディスは、出来事を否定するかのように左右に首を振るローザに手を伸ばそうとする。けれどその手は届くことなくキースに止められた。彼は小さく首を振り、そして視線でマリアを指す。彼女に任せろとでも言いたいのだろう。マリアは両手で顔を覆い隠そうとするローザの腕を引っ張り、ズイッと顔を寄せた。
「イーディス様が領主になることをお望みになったのです」
「イーディス、様が?」
「イーディス様は自ら領主になり、魔を吸収するための魔法道具を作るとおっしゃられました。そしてそのための力を貸して欲しいと。イーディス様直々に頼まれたら親友として手を貸さない訳にはいきません! それにカルドレッドは大陸の要といっても過言ではない。そこに我らがイーディス様が君臨するのです」
そこまで大層なものではないのだが、手伝って欲しいと頼み込んでからマリアはずっとこの調子だ。かつて神の使いと呼ばれた聖母もイーディス様の足下にも及びませんと惚けた表情をしたかと思えば、今度は神に感謝の祈りを捧げていた。けれどローザはマリアほどすんなりと納得してはくれない。
「それが危険だと言っているのです! イーディス様は平穏に過ごされるべきなのです。もう辛い思いなんてさせたくない……」
「それは傲慢というものです」
「どういうことですか?」
「イーディス様の人生はイーディス様がお決めになります。私達に決定権はありません」
「っ!」
「ですが友として危険が及ばないようにお守りすることは出来ます。私はイーディス様に救われたこの身を今度こそ彼女に捧げると決めました。ローザ様はどうされますの?」
「私だってイーディス様と出会わなければとうの昔に朽ちていた身です! この命、捧げる覚悟は出来ておりますわ。その覚悟を示すためならこの役立たずを離婚届と共にシンドレアに突き返して見せましょう!」
イーディスとしてはそこまで恩を感じてもらうようなことをした覚えはない。ただマリアと楽しく過ごし、ローザという新たな友人にはしゃいでいただけだ。あの時間だってただただ楽しんでいただけ。けれどマリアもローザも生きる世界が違えば、十年以上前にこの世を去っている。おそらくそれが彼女達にとっての最悪で、その世界で起こったことこそ彼女達の悪夢なのだろう。自分のいない世界にうなされる者同士、他の者には分からない特別な繋がりのようなものがあるのだろう。イーディスは蚊帳の外から二人を見守りながら、すねを押さえてこちらに向かってくるバッカスに手を貸す。
「それにしても二人ともバッカス様への風当たり強すぎませんか」
「いいんだ。勝手にへこんで一年も引きこもっていた俺が全面的に悪い」
そう返したバッカスに、ローザは鋭い視線を向ける。
「でしたら今すぐシンドレアに戻ります?」
けれどバッカスとて負けてはいない。ローザを真っ直ぐと見つめ「戻らない」ときっぱりと言い切った。自分のしでかしたことを謝りこそすれ、この場所を退くつもりはないのだ。彼の意思の篭もった瞳にローザはふんと鼻を鳴らす。
「もしここで責任を取って戻るとでも抜かしたら、すね以外も蹴飛ばしてやろうと思いましたのに」
「悪いな。だが俺はここでイーディスの手となり足となると決めたんだ。ローザ嬢にはリガロ様の魔量変化のデータを送って欲しい」
「リガロ様の? 今までのようにシンドレア全体ではなく?」
「シンドレア全体のデータも欲しいのですが、リガロ様個人のものも取って欲しい。これからの研究に必要なんだ」
「話を聞かせてもらえますか?」
バッカスへの敵意を失くしたローザは研究者の目に変わった。
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