上 下
31 / 52

29.

しおりを挟む
 夕食も食べ終わり、いよいよダンスレッスンを、と思っていると勢いよくドアが開かれた。

「ラウス、ちょっといいかしら?」
 食後のタイミングを見計らったようにやって来たのはお義母様だ。隣にはハーヴェイさんが控えており、ラウス様は彼を睨みつけた。どうやらお義母様とハーヴェイさんの登場はラウス様にとってあまりいいものではないらしい。

「何ですか、お母様」
 頬をヒクつかせながら一応とばかりに尋ねるラウス様は疲れているのかもしれない。それもそうだろう。朝から仕事をこなし、帰宅後すぐに出来の悪い私のダンスの相手をしてくれたのだから。しかもお優しいラウス様はこの後もまだ付き合ってくれるらしい。一つでも予定が増えることに気を重くしているに違いない。

「何って、あなたがよくわかっているでしょう? この前だって無理させたばっかりなのに。式だってもう一ヶ月切っているのよ。少しは待ったらどう?」
「……わかっていますよ」
「そうかしら? あなた焦っているみたいだったから、一応言いに来てあげたの」

 どうやらお義母様は結婚式の日取りの確認に来たらしい。それにしては以前のラウス様と同様に明確な日にちは告げていないのだが、ラウス様には伝わっている様子だしいいのだろう。
ラウス様とのやりとりは終わったらしいお義母様は、今度は私へと向き直った。

「あ、そうだモリアちゃん。この前一緒にお買い物行けなかったでしょう? だからハーヴェイにいくつか生地や糸を取り寄せさせたの。だから明日は一緒に刺繍でもしましょう?」
「はい」
 明日はダンスの個人練習でもするつもりだったのだが、以前買い物に行けなかったことを挙げられると断ることもできず、結局私の明日の予定は埋まってしまった。
刺繍ならダンスよりもいくぶんか得意であるから気は重くならないのだが、生地や糸のことを思うと頭が痛いことには変わりない。だが私がすべきことは頭を抱えることではなく、せめて呆れられないように努めることなのだ。

結局、その後ダンスレッスンが行われることなくお互いに別々の部屋へと帰った。
もちろん私はといえば日課の筋力トレーニングとダンスステップの確認をしてから布団に潜る。思いの外、久しぶりのダンスは緊張していたせいか体力を消費しており、深い眠りにつくことができた。



 翌朝、起きてすぐに今日の分の筋力トレーニングを済ませ、いつも通りにドレスを選択する。そしてラウス様の部屋の前に立ち、部屋から出て来たラウス様に挨拶をした。

「おはようございます、ラウス様」
「おはよう。モリア」
 ラウス様は少し疲れたように微笑んだ。昨日のダンスが疲れて帰って来たラウス様の負担になってしまったらしい。

「昨日は申し訳ありませんでした」
「あれはモリアのせいではないから気にしないでくれ」
「ですが私の出来が悪いばかりに、ラウス様には迷惑をおかけしてしまいまして……」
「出来が悪い?」
「これからはそのようなことがないよう、一層努めますので」
「モリア、何の話をしているんだ?」
「ダンスの話ですが」
 それしかないというのにラウス様は変なことを聞く。首を傾げる私に、ラウス様は頭を抱えて「そうだよな」と何度も呟く。

 もしかして私は何か自覚のないうちにやらかしていたのだろうか?

 わざわざラウス様が私のせいではないと言ってくれたということは、私が気負うことが他になくてはならないというわけだ。それは思い出さなくてはまずい。
 だが昨日、何かあっただろうか?
 いつも通りラウス様は朝早くからお義父様と一緒にお出かけになって、帰って来てから私と踊ってくださった。その後でいつもと変わらず食事をして別々に寝た。

 やはり思い返してみてもダンス以外に変わった行動などとっていないはずだ。
 そう私が結論づけたのとほぼ同時にラウス様も考え込むのを止めたらしく、いつも通りのラウス様に戻っていた。

「さてモリア、食事をとろうか」
「はい」
 ラウス様はラウス様の中ですでに結論を出してしまっているため、昨日の私が何か彼の気を害するようなことをしてしまったか尋ねることは出来なかった。


 ラウス様を見送った私は今、ひたすらに、手が動くがままにお義母様に分けて頂いたハンカチーフに刺繍をしている。

 モデルは庭で目にした赤いバラだ。バラ自体はサンドレアの家にいた時も何度か刺繍をしたモチーフでもあるし、慣れたものである。それに工芸品作りもいくつかマスターしつつあった私は手先の器用さには自信があるのだ。

「モリアちゃん、器用ねぇ……」
「あ、もう葉の部分に入りましたわ!」
「義姉さん、糸足りてる? 大丈夫?」
 だが初めこそ私と同じように刺繍をしていたはずのお義母様たちの、まるで手品でも見ているかのような好奇な視線には慣れていない。サキヌに至ってはアンジェリカとお義母様の感嘆の声を聞きつけてやってきたというのだから、プレッシャーが尋常ではない。
慣れた動きの手が震えることはないが、針をつまむ指先に汗が滲んでいることは確かである。

「出来た……!」
 緊張からかいつもより時間はかかったものの、分けていただいたハンカチを無駄にすることなく仕上げられたことに胸を撫で下ろす。するともう終わったというのに、それはもう熱心な視線が手元に注がれている。

「ア、アンジェリカ?」
 キラキラキラキラと降り注ぐのはアンジェリカの視線だ。ただ一心に私の手元、もとい刺繍が終わったハンカチへと捧げられている。

「お義姉様!」
 かと思えばばっと私を見上げるように顔を振りかぶると、私の二つの手首をまとめるようにして捕らえた。
「な、何でしょうか!?」
 悪いことは特にしてはいないと思うのだけど、それでも今の気持ちは捕縛される罪人のようだ。

 罪状は何だろう?
 嘘をついたこと?
 好意に甘え過ぎたこと?
 それとも気を遣わずにひたすら刺繍を続けていたことだろうか?
 だがアンジェリカの口から出たのは考えれば考えるほどに思いつくそれらとは全くの別物だった。

「よろしければそのハンカチ、私にいただけませんか!?」
「へ?」
「その美しい刺繍を抱くたびにお義姉様の顔を思い出すのです! そうすれば数々の苦痛もきっと耐えることができるでしょう……。ですから、ですからどうか私にそのハンカチを!!」

 アンジェリカは熱い視線を私へと送り続ける。
そんな私はといえば、特に何も考えてはいなかった。さすがに分けて頂いた材料で作ったものを売ろうなんて、そんなこと……全く考えなかったといえば嘘になるけど今は思ってない。だがさすがに手元の刺繍の終わったハンカチの行き先までは考えていなかった。

 こんな高価そうなものを使う予定もなさそうだし、若いのに色々と気苦労が多そうなアンジェリカにプレゼントするのもいいだろう。

 確かアンジェリカは数日後、婚約者である王子様と会うというのだという。あの、部屋に引きこもるほどに嫌がった婚約者様と。
なぜアンジェリカがあそこまで嫌がるのか理由はわからないが、私を囮にして彼女を部屋から出すのに成功したのも事実である。ならば今回はこのハンカチを囮にするのもいい。

「私のでよければ……」
 そしてアンジェリカの手に渡そうとすると、私と彼女の手を結ぶ空間はお義母様によって遮られた。

「ちょっと待ちなさい、アンジェリカ。年功序列というものを知らないわけではないでしょう? ということは私が先よ!」
 ……どうやらお義母様もこのハンカチが欲しいらしい。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

森に捨てられた令嬢、本当の幸せを見つけました。

玖保ひかる
恋愛
[完結] 北の大国ナバランドの貴族、ヴァンダーウォール伯爵家の令嬢アリステルは、継母に冷遇され一人別棟で生活していた。 ある日、継母から仲直りをしたいとお茶会に誘われ、勧められたお茶を口にしたところ意識を失ってしまう。 アリステルが目を覚ましたのは、魔の森と人々が恐れる深い森の中。 森に捨てられてしまったのだ。 南の隣国を目指して歩き出したアリステル。腕利きの冒険者レオンと出会い、新天地での新しい人生を始めるのだが…。 苦難を乗り越えて、愛する人と本当の幸せを見つける物語。 ※小説家になろうで公開した作品を改編した物です。 ※完結しました。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

拾った仔猫の中身は、私に嘘の婚約破棄を言い渡した王太子さまでした。面倒なので放置したいのですが、仔猫が気になるので救出作戦を実行します。

石河 翠
恋愛
婚約者に婚約破棄をつきつけられた公爵令嬢のマーシャ。おバカな王子の相手をせずに済むと喜んだ彼女は、家に帰る途中なんとも不細工な猫を拾う。 助けを求めてくる猫を見捨てられず、家に連れて帰ることに。まるで言葉がわかるかのように賢い猫の相手をしていると、なんと猫の中身はあの王太子だと判明する。猫と王子の入れ替わりにびっくりする主人公。 バカは傀儡にされるくらいでちょうどいいが、可愛い猫が周囲に無理難題を言われるなんてあんまりだという理由で救出作戦を実行することになるが……。 もふもふを愛するヒロインと、かまってもらえないせいでいじけ気味の面倒くさいヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACより pp7さまの作品をお借りしております。

処理中です...