ブラフマン~疑似転生~

臂りき

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26話 思い込み

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 住宅街。少し先に校舎の上部が僅かに見える路地の一角で、獣人に囲われた青年が緩慢な歩みに焦りを募らせていた。

 妍狼クーンが三、土兎コニが二、水竜族メウ鳥人族ハルピュイがそれぞれ一。
 容姿もさることながら、言動も明らかに年端もいかない獣人の子供たちは、一人の新人種ヒュームに向けて思い思いにじゃれついた。

 手足や頭、衣服の至る所に張り付き過剰なまでにじゃれつく様子から、見様によっては「襲われている」と言えなくもない状態である。

「お兄ちゃん、何してるの? なんで『お城』から離れちゃうの?」
「お城――ああ。あそこは怖い場所だから近付いちゃダメなんだ――」
「なんかいい匂いする! 変わった匂い!」
「え、なにそれ――?」
「食べ物!? ちょうだい、食べるの、ちょうだい!」

 志崎は校舎を抜けてから子供たちを発見して以来、こうして勝手気ままな言動に耐えながら、例の協力者の指示に従い路地を練り歩いてきた。

 獣人は新人種よりも五感が優れているため、比較的に警戒心が強い。
 幼い子供であってもその性質は健在で、むしろ大人よりも体が劣る分、五感以前に見掛けや雰囲気で人を判断し早い段階で敬遠することもある。

 だが、志崎にまとわりつく子供たちには、まったく嫌がる素振りはなく、全力で「大好き」を爆発させている。

 この場において最も他種族との関わりが少ない水竜族の、見るからに大人し目の女の子ですら彼のシャツの裾を摘まんで離そうとしない。

 ある意味、異常事態と言える状況だった。

「おう、カズ! 相変わらずだな!」
 高機動車に預けていた巨体を起こした沼尾が志崎の引き連れた一行を見て盛大に笑う。

 対して自重の三倍はあろうかという不定形の重りを散々引っ張った志崎は疲労困憊の様相で仲間の待つ車へと縋り付いた。

「うわぁ、なにこのお家!? 変なの!」
「おっと、嬢ちゃん。それを知りたきゃ、前に乗ってるおじさんにゃ聞かない方がいいぜ。っと、その前に、ちょっとじっとしてろ」

 沼尾は咄嗟に逃げようとする妍狼族の少女の体を片手で抑え、拳銃に似た形状の機器をその体に向けて照射した。

「優しいミッドさんお手製の〈解呪ディスペル〉照射機だ。お前たちに付いた悪い悪いバイ菌をやっつけてくれる」

「その手を離せ、新人種!」

 三人の妍狼の中でも年長の少年は叫ぶなり、少女を抑える沼尾の腕に噛み付いた。

 しかし、少年の牙は鋼のように鍛えられた肉によって弾かれる。
 仰け反った少年の首根を掴み、沼尾はすかさず少年にも照射した。

「元気な坊主だな。あとで稽古をつけてやるから取り敢えず中に入ってろ。軽く食う物は用意してある」
「くっ――誰が新人種の施しなんて受けるかよ!」

 軽く放られた少年はボロ布の襟首を弄りながら沼尾から距離を置き、苦し紛れに悪態を吐いた。

「ほう。ヒュームでなければ施しを受けると? なぜヒュームを嫌うんだ?」

「んなの、決まってるだろ! お前たちが俺たち獣人ベネルを奴隷みたいに扱うからだ!」

 少年は妹を連れ少し離れたところから様子を窺う子供たちの元へ駆けて行き、この場から立ち去るように促した。

「おい! 早くこっちに来い!」

「……や。戻りたく、ない……!」

 子供たちが今にも立ち去ろうとする中、未だに志崎の背に付いたままの水竜族の少女は少年の意に反して更に志崎の腰に縋り付き、飽く迄その場に残る意思を示した。

「お前が一番のろまなんだ! 何されても知らないぞ!」
「違う! ――あ……この人たちは、苛めたりしない……!」

 尚も抗議する少女に少年は焦りと苛立ちを募らせる一方、内心では驚きを隠せずその場で小さく足踏みをした。

 仲間の内ではいつも後を追い駆けるばかりで、まともに意見することはおろか喋ることも滅多にない引っ込み思案の少女が、まさかこの期に及んで意思を示したのだ。
 ただでさえ、地域によっては神聖視すらされる水竜族が、「大丈夫」と言っているのだ。
 少年の心が揺らぐのも無理はなかった。

「よく言った。お前は人を見る目があるな」

 後部席から様子を見ていた角折が身を乗り出し、そっと窓から少女の頭を撫でる。

「だ、騙されるな! ヒュームの言うことなんて嘘ばっかりなんだ!」

「はぁ、うっさいガキだな。ヒュームだとかべネルだとか、そんなことは端からどうでもいいんだよ。要は信じられるか、そうじゃないかってことだろ。知りもしないで決め付けてんじゃねぇよタコ」

 ドアを開け徐に車を降りた角折は水竜族の少女を抱き寄せ、志崎の方を指差す。

「お前たちが引っ付いてきたこいつ、ヒュームなんだが、どう説明するんだ?」

「――そ、その兄ちゃんは、なんかこう、いいんだよ……! ――あぁ、くそっ、訳わかんねぇ!」

「だろうな。で、なんでお前は私たちが『苛める側』だと思ったの?」

 角折の追い打ちによって更に混乱した少年はうっすらと涙を浮かべ、ついに唸りながら頭を抱えてうずくまってしまった。

「角折、もうその辺にしてやったらどうだ」
 沼尾が大きく手を打ち鳴らし、その場の空気を一変させる。

「嫌いなものをいきなり好きになれとは言わん。だが、知りもしないでいきなり嫌いになるのは勿体ないとは思わないか? 少なくとも、そこにいるヒュームは好きになったんだろ?」

 若干身を引きながら嫌がる素振りを見せる少年を肩に抱え、あとの子供たちにもついてくるよう目配せする。

「ちなみに俺は鬼人オルガ、その姉ちゃんは妖精族アルフの混血だ。よかったなぁ坊主。世の中には見た目だけで判断できないこともあるってこと、勉強になっただろう」

「――俺だって、知ってたんだ……」

「あのね、おじさん、お母さんがいつも言ってたの! 『ヒュームにだっていい人はたくさんいる』って!」
 意気消沈した兄を見兼ね、先の少女が代わり家族の名誉を護った。

「いい母さんじゃないか! 大切にしろよ!」

 少女に感心した沼尾はその頭をぐしゃぐしゃに撫で、肩にした少年を揺さ振る。

 車の元に戻ってきた子供たちを見て水竜の少女は遠慮がちに微笑む。

「沼尾さん……」
 ようやく一つの任務から解放された志崎だが、少年を下ろした沼尾と視線が合うなり、神妙な面持ちで首を横に振った。

 沼尾はポケットから取り出したあり合わせの菓子を子供たちに握らせ、車の方へと誘導した。

「そうか。もう何も考えるな。気取られる」

 学院を目前にして生徒たちにより惨殺された二人の獣人の顔が志崎の脳裏をよぎる。

 息遣いから「悲しみ」を察した土兎の少女が不意に俯く志崎の手を引いた。

「ありがとう」

 ここまで来る間に、その少女はどうやら言葉が発せないらしいことが分かった。
 仲間の中でも人一倍身内や周囲の変化に敏感な彼女は、よく心配そうに顔色を窺うのが癖だった。

 それでも志崎が心配ないことを伝え、頬や首筋を撫でてやると、年相応の無邪気な表情でくすぐったそうに笑った。

「――お待たせ!」
 上空から新たな声が降ってくる。

 一行の前に現れたのは、志崎が学院を抜ける直前に校庭を騒がせていた鳥人族の少女だった。

 少女ハルはもう一人の鳥人の少年と嬉しそうに羽を交差させ、続いて仲間たちにも同様に羽を広げて再会を喜んだ。

「今日はお土産もあるんだよ! それで、この人たちは誰?」
「食べ物をくれる人!」
 先まで兄姉の背で委縮していたクーンの少年が羊羹を口一杯に頬張り意気揚々と応える。

「へぇ、いいなぁ。じゃあこのお肉、独り占めしちゃおっかな」
「母さんたちはどうなったんだ?」
「うーん、分からない。見つかったら怒られそうだから、離れたところから見ようとしたんだけど――」

 ハルは仲間たちに学院での出来事について、保健室での一件を除いて粗方聞かせた。

 話し振りから、ハルたち子供組は先に生徒らによって殺害されたクーンの大人二名の帰りを待つ手はずだったらしく、ハルが防壁内に侵入してしまったのは単なる不注意によるもので、まったく想定外のことだったらしい。

「待つのは一向に構わんが、これからどうするつもりだったんだ?」

 沼尾の問いに子供たちは顔を見合わせ、仕舞いにはクーンの兄妹よりも年長のハルの元に集中した。

「ええっと、私たちは別の国から、迷い込んできました。お城が見えたので、偉い人にこの国に住むことを許してもらおうとしましたが、断られてしまい、どうしようかと迷っていたところなんです」

 絶えず小さく羽を揺らし目を泳がせながらこれまでの経緯を話すハルの言動は、彼女らの事情を知らずとも見る者に痛々しいほど嘘だと分からせた。

「嘘だろ。怒らないから本当のことを言ってみな」
「う、う、う、嘘じゃないです! 危なそうならすぐに逃げて、隠れるはずでした!」

 頬を紅潮させ必死に言い訳をするハルの顔を、持ち前の低身長を活かした角折は意地悪く下から覗き込んだ。

「ふーん。じゃあ、どうして逃げ隠れする必要があったのかな? 居住を断られるだけだったら、なにもそんなことまでしなくていいよね? あ、もしかして君たち、悪いことをしに来たんじゃないの!?」

 角折はわざとらしくハルから一歩距離を取り、声を上げる。

「ちがっ、私は誰も怪我させたくなかったの! だから言われた通りにちょっとお城に石を投げて、帰ってくるはずだったの!」

 順調にボロを出すハルの様子に角折は自然と持ち上がる口角を隠し、涙目で何度も詰め寄る少女に背を向け走った。

「……お姉ちゃん、いじめないで……!」

 突然始まった追い駆けっこに終止符を打ったのは意外にも先まで志崎に張り付いていた水竜族の少女だった。
 少女は角折の前に立ちはだかり、両手を広げて後ろのハルを庇った。

「ああ、分かったわかった。面白いから、ついな」
 メウの少女に弁解した角折は、再度うずくまった状態のハルに問い掛ける。
「お前たちが諸々の事情を話せないことは分かってる。特に雇い主についてはしたくても口にすることすらできないだろう。だが、お前たちが今後どうしたいかだけは、正直に答えてくれないか」

「私たちが……」
 羽を持ち上げ体を立て直したハルは辺りを見渡し、他の子供たちの表情を窺った。

「もし仮に、この国で暮らしたいって言うなら最低限の用意はできる。完全な身の保障はないけどな。もちろん、帰ることも止めはしない。好きにしたらいい」

「……戻りたく、ない……!」

「だよな。この子はこう言ってるけど、お姉ちゃんの方はどうなんだ?」

 メウの少女は明確な意思を示した。対して、年長のハルは複雑な面持ちで羽をビクつかせるに留まった。

「なにか訳があるんだな。無理に話さなくてもいい。ま、私としては家族全員が揃ってくれた方が寝覚めがいいんだけど」

「……向こうに、残された家族がいます。ここにいる子たちよりずっと小さな、歩くのもやっとの子たちです。戻らなければ、きっとあの子たちも……」

「しかしなお前。戻ると言っても、戻り様がないだろ」
 徐にその身を車に預けた角折はハルから視線を逸らし短くため息を吐いた。

 一向に答えの出ないハルを不審に思い、そっと顔を向け閉じていた目蓋を開く。

「――一応、戻れます」

 きょとんとしたまま少女がポツリと発した言葉に、瞬時に理解が及ばなかった角折は唖然と立ち尽くした。

「戻れるのか?」
「は、はい。場所は決まっていませんが、私たちが知る村からそう遠くない場所に出ることができます」

 先の態度から一変し、前のめりになった角折は真剣な眼差しをハルに留め、衣服から剥き出た小さな肩を両手で掴まえた。

「頼む、案内してくれ!」
「――わ、分かりました!」

「お姉ちゃん、僕が案内するよ!」

 言うなり、クーン兄妹最年少の少年が路地を走り出し、停車する車よりずっと先の方で曲がった。

「待って、それじゃ案内にならないでしょ!」

「構わん、すぐに追いつく! 沼尾!」
「おう!」

 残された子供たちを津賀と志崎に託し、角折は沼尾の背に乗った。

 肩を掴んだのを確認した沼尾は片膝を地面から離す。
 と同時に踏み出された一歩はすでに高機動車の先を行き、少年が辿った軌道を凄まじい速度で駆け抜けた。

 巨体が通った後には風圧で木々が騒めき、乗る者は振り落とさないようしがみ付くのがやっとだった。

「おじさん、速いね!」

 間もなくして小さな手足で四足走行する少年の姿を捉えた。
 そこでようやく巨体の動きは鈍り、背にいる角折が一息つく。

 雑草の茂った空き地の横で少年の足が止まる。上体を起こした二足歩行で周囲を見渡した。

「こっちだよ……」
 二人を手招きした少年は囁き、空き地より更に奥にある公園を指し示した。

 子供が一人抜けられる程度の穴が開いたフェンスを潜ると、木の根元に倒れた祠が二つあった。
 無造作に転がる祠は小さく、人の頭ほどの大きさしかない。
 楕円形の石の中心を軽く彫ったもので、気持ちばかりに添えられた石の香炉には木々の葉が堆積している。

「なにかあったのか?」

 揺らせば倒れてしまいそうなまでに劣化したフェンスを越えられず、沼尾は小さな穴から二人のいる先を覗く。

「――ああ、確かにあった。接点だ」

 他層にいる仲間と逸早く連絡を取りたいハマナス会にとって、新たな接点の発見は何を差し置いても優先される事項である。
 しかし、誰よりもそれを求めていたはずの角折は至って冷静に状況を伝えた。

『新たな接点を確認。しかし一定距離内に近付くも変化なし。 恐らく固有魔法による転移と同様のものと思われる』

 角折は再度祠から距離を置き、落ちていた小枝を祠と祠の間に向けて投げつける。

 が、予想通り小枝は弾かれ、祠の辺りにぼんやりと漂う青白い光に変化はなく、絶えずうっすらと異界の森を映し出している。

「つまり、指定した者しか入れないってことか?」
「そういうこと。転移魔法ですらお手上げなのに、多層間をつなげるとかね。こんな出鱈目、十中八九ネクロが絡んでるだろ」

 穴から戻った角折は急激な疲労から脱力し、ぐったりと沼尾の脚にもたれかかった。

「……すまん、少し魔力を吸われた。祠の周辺から、向こう側に向かって魔素が流れ込んでる。子供たちの雇い主は、単純にあの家族をこちら側に送ろうとしたんじゃない。世界間の綻びを利用して、何かを企んでやがる」

「国防軍との不和を望む意思とは別の思惑があるということか――。まったく、一筋縄ではいかんな」

 公園のベンチに角折を横にしてから、しばらくして津賀たちが乗る車が徐行ですぐ近くに付けた。

 祠周辺の異変に気付いたハルはどこか慌てた様子を見せ始めた。
 聞けば、どうやら綻びの揺らぎ具合からある程度の時間制限が分かるらしく、こちら側での滞在時間はあと僅かとのことだった。

「そろそろ行かないと。これ、みんなで食べてね」
 ハルは首から下げた鶏肉の入った容器をクーンの長男に手渡す。

「やはり、残るのは無理なのか」
「うん、そういう約束だから。ごめんね、おじさん」
 分厚い手の平をハルの頭に乗せた沼尾は、残った駄菓子をすべてその手に握らせた。

「……他の子供たちは『捕まった』ってことにしておけよ」
「君たちのお父さんとお母さんに会ったら、先に戻ったって伝えておくよ」

 志崎と寝たままの角折に頷いたハルは家族に一時の別れを告げ、二三羽ばたいた後、あとを顧みず祠に浮かんだ異界の景色へと飛んで行った。

 直後、ハルが入ることを見透かしたかのように、不可思議な光はすぐに消えた。

 寂しさに泣き喚くかと思われた子供たちはあっさりしたもので、泣くことはおろか、姉が持ち帰った上等な鶏肉に舌鼓を打ちながら公園をはしゃぎ回った。

 そんな子供たちを追いかけ回し、捕まえてからすぐにでもその場を去りたいハマナス会の動向は、事情を知らない者から見ればさながら不審者の様相を呈していた。
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